第19話 女の危機
それはとある猛暑日のことである。
香菜と菜乃花は優人の家の住宅街をゆっくりとしゃべりながら歩いていた。
「香菜ちゃん、ありがとうね」
「いいよなっちゃん。教えられることは教えるよ〜」
2人は大きな買い物袋を持って優人の家に向かっていた。
持っていた袋からはネギなどの野菜が飛び出しており、重そうな荷物だった。
無論、相談とは料理のこと。香菜は菜乃花から料理を教えて欲しいと頼まれたため、一緒にスーパーへ買い出しに行ったのだ。
「なっちゃんは家で料理とかするの?」
「うん、お母さんの手伝いレベルだけどね」
何気ないこの会話、一般的な女子のトークが行われる中、香菜の心の中はとてつもないことになっていた。
(ま、まずーい!! 簡単に相談にのっちゃったけど、私全然料理できなぁぁい! ていうか、普段は食べるの専門だし……)
──『暴食』の能力者に付けられる能力の1つ。それは栄養を任意で霊力に変換すること。
それでいて太らないのだ。この能力の性質もあって、香菜は喰らう側としてテーブルに着くだけで、厨房には入らない。
料理は出来ぬこともないが正直な所、特段得意という訳でもない。
優人に渡す際の弁当に関しては殆ど彼女の母親が作っている始末。
(でも何でいきなりなっちゃんが料理を教えて欲しいって────ん? すももっ、もしかして、もしかしてぇ!)
「なっちゃん、そのぉ……手料理渡す相手っていうのは?」
菜乃花は質問を受けると頬を赤らめ、軽くモジモジとしながら小さな声で彼の名を告げた。
「れっ、零人、くん……」
(あー! だめ、これはだめ。想い人への手料理なんか迂闊なこといっちゃ絶対にアカンやつ! というか私も教わりたいわ!!)
香菜の心境はとても穏やかではなかった。
だがしかし、彼女もただ闇雲に行動するわけではない。彼女は一流の霊能力者であり『暴食』の地位を得た戦士、死線なら潜り抜けてきた。
奥の手の用意は既に済ませていた。
──2人は優人の自宅の前まで到着する。香菜は不安を抱えながらも奥の手の準備が完了寸前まで進み、僅かに安堵する。
一方で菜乃花は優崎家の大豪邸を見た途端にガクガクと震え始めた。彼女は追い詰められた小動物のように慌てふためいていた。
「はわわわわぁ……」
「えっ、なっちゃんどしたの?」
「ここっ、こんな豪邸に来たら誰だってこうなっちゃうよぉ」
「あ、確かに……小さい頃から来てたからその感覚、忘れちゃってた」
この家の者は金を無闇矢鱈に散財することはないため普段はリッチである雰囲気が全く持ってない。だが事実、家主の優人の父の仁は大企業の社長で、その息子の優人はその御曹司。
当然と言えば当然のことであった。
香菜は萎縮する彼女の手を引いて玄関のチャイムを鳴らした。
「はーい!」
家の中から女子の声が聞こえると、ドアがゆっくりと開いて声の主が現れる。
「あっ香菜姉ぇ! 久しぶり」
ドアを開けると沙耶香が中からエプロンを着たまま現れ、来客の2人を笑顔で出迎えた。
香菜は沙耶香が家から出てくると、心の中で安心感と自身の選んだ奥の手の名を共に叫んだ。
(秘技ッ! 他力本願!!)
香菜は親密であり信頼できる助っ人を召喚したのだ。優崎家に幼少の頃から交流があった香菜にとって、沙耶香は一二を争うほどの頼れる女友達であった。
「お二人とも上がって下さい。今日は私1人だし、くつろいで行ってね」
「ありがとう、さやちゃ──あれ? さやちゃん髪の色どうしたの?」
2人がふと目をやると、彼女の髪は以前のような完全なる黒髪ではなくなっていた。僅かではあるが髪の色に青色が混じり、光が反射して藍色の髪が輝いていた。
「あぁ、前に私が誘拐騒動にあった時にシロやお兄ちゃんたちが戦ってたからその影響が出たらしいって、零人さん言ってた」
「そうなんだ。髪の色が変化するって、優人くんだけだと思ってた。もしかして沙耶香ちゃんもすごい霊能力者に?」
「いやいやまさか! 変化する部分は家族で似ることがあるらしいです。ただお兄ちゃんの場合は黒からあの色に変わったからそれが普通じゃないってことだと思います」
「そうなんだ……あっ、ごめんね。なん急にいつもの感じで……あれ、いつもの感じ?」
殆ど初対面のような年下の相手にも関わらず、菜乃花は意外にも彼女と自然に話をしていたことに自分で驚いていた。
(しっかりしてるし優人君と顔の雰囲気とか似てたから、ついついいつもっぽい感じでお話しちゃってた)
「アハハ、そんな緊張しなくていいですよ菜乃花さん。私のが年下ですし」
「……フフフ、ありがとね」
実質的なファーストコンタクトはお互いに良い印象となった2人。淑女達は会って数分ほどで打ち解けていった。
だがこの時、緊張していたのは菜乃花ではなくむしろ沙耶香の方であった。彼女は菜乃花の反応を注意深く観察すると、安心して胸を撫で下ろした。
(セーフ! 最初に会った時が大食い大会だったから菜乃花さんに『大食い女』って印象付けられてるか不安だったけど大丈夫そうだった)
沙耶香は以前の大食い大会にて、『暴食』の能力を持つ香菜や現役のフードファイターにすらも勝ち星を上げ、。
その時に兄や香菜の友人にまで大食いを見られたのが彼女自身、何気に恥ずかしかったようだ。先程香菜からの連絡を受けてからというもの、悶々とその時の事を思い出しては赤面していた。
(自分の兄と義姉さんの友達なんだし、普通に仲良くなりたい人だから、初印象は良くしたいからね)
それとなく考えてはいるが、沙耶香はもう既に香菜がいつ嫁に来ても大丈夫であると豪語できるほどの状態にある上、優人と結婚するのは必然であると確信している。
幼い頃からの仲の良さもあるため、すでに彼女の中では香菜は姉という感覚が染み込んでいる。
そんな2人を見ていて香菜は安心していたが、今の状況を思い出して我に帰る。
そのハッとした表情を見て沙耶香は香菜に耳打ちをした。
「大丈夫だよ香菜姉。基本は私が、香菜姉はサポートお願いします。あと私の方はテレパシー使えないので思考は勝手に読んでて大丈夫です」
「あ、ありがとう〜さやちゃん」
「妹として当然のことです!」
沙耶香は得意げな表情で胸を張る。香菜も照れながら頼れる彼女に感謝を述べる。
これでひとまず問題は片付いた。
──数分後、3人は早速料理を作る準備を整えた。
「さやちゃん、まず何を作ればいいのかな?」
「うーんと、菜乃花先輩はどのシチュエーションで手料理を渡すつもりですか?」
「シチュっ……そ、そうだね、学校のお昼とか……かな?」
「そうしたら最初はお菓子を作って、お菓子焼いてる内に買ってきてもらった物を使ったお弁当用の物作る練習しましょう」
「うんっ!」
(とりあえず、私はまだ大丈夫そうかな。お菓子ならまだ作れるし)
「それじゃ香菜ちゃん、一緒に……うわっ!?」
菜乃花は香菜の方を向いて驚いた。
一瞬香菜もびっくりしたが、彼女の視線が自分の後ろにあると分かるとすぐさま振り向いた。
そこには白昼堂々、一体の霊が立っていたのだ。
「悪霊!? 亡霊? なんでこんな昼間に……」
下を俯いていた霊はゆっくりと顔を上げて3人の方を向く。見なりは普通の若い男性で見た目もそこらにいそうな印象。
霊ではあるものの、彼からは邪気のような霊力は全く感じなかった。
香菜が警戒し菜乃花も不安に駆られていると、霊は口を開いた。
『沙耶香ちゃん、飯食いに来たよ』
「……え?」
香菜がポカンとしていると、沙耶香は帰ってきた旦那に話すような口調で声をかけた。
「あ、いらっしゃい」
あっけらかんとしている2人を見て沙耶香は説明を始めた。
「この人は最近会うようになった浮遊霊の人。なんでも若くして孤独死した上に死んだ時に食べたのがコンビニ弁当だったのが未練みたいだから成仏できないって」
『はい、お恥ずかしい話ですが……』
確かに服装は格好は会社員のスーツ。やつれた顔から推察するに、おそらく死因は過労死であった。それも相当なブラック企業の犠牲となった社員の霊なのであろうか、霊体となっても生前の精神状態の影響を受けているようであった。
『それで、今日は突然なんですが沙耶香さんに最後の料理を作って欲しくって』
「えっ、どうしたの?」
浮遊霊は袖を捲って腕を見せる。そこには黒く変色した歯型の傷跡が皮膚に刻まれていた。噛まれた部分からは徐々に黒い霊力が滲み出ていた。
『実は、最近は悪霊に噛まれたせいでちょっと悪霊みたいに体がなりつつあって』
「え、そんな……」
『他の方にご迷惑をかけないために成仏したいのですが最後に沙耶香さんの料理が食べたくて……』
香菜はその傷を見ると、申し訳無さそうな表情で沙耶香に彼の容態を伝える。
「うん、お兄さんの言うとおりにするべきだと私は思う。悪霊化するとリスクはあるし、覚悟がしっかりとしてる内に送って上げよう」
沙耶香は霊に哀れみの目を向け、このまま成仏されるのは少し寂しいと感じたが、彼の意志を汲んで決心する。
「分かった、いいよ。真の最後の晩餐は私達に任せて!」
「そしたら、私が苦しまないように除霊するから。もちろん無理矢理じゃないし、気持ちが整ってから成仏してね♪」
「あ、ええっと……頑張って作るので食べて下さい!」
『ありがとうございます……お陰で未練なく成仏できそうだ』
方針が決まると、早速乙女たちによる調理が始まった。
早く食べさせ満足してもらい、彼が悪霊となる前に成仏してもらうためテキパキとキッチンで動いた。
「菜乃花さんは生地を作って! 量は計量器と使っちゃって下さい、メモはそこにあるんで。香菜姉は食材をちょうどいい大きさにカットを!」
「「了解ッ!」」
菜乃花は素早く計量した粉たちを牛乳で固めてかき混ぜていく。
普段からの手伝いでの彼女の実力が伺える動きだった。
香菜は少しチートではあるかもしれないが補助系の術を使用し、あっという間にそれぞれの野菜を切り終える。
そして沙耶香はそれらの味付けを同時に、教えながら作っていく。
厨房が加熱する中、男はソワソワしながらテーブルで待っている。何よりも女っ気のないままに死んだ自分がJK2人とJCに料理を作って貰えるということがとても嬉しくて、今にも成仏できそうな程に幸福であった。
そして調理開始からおよそ30分後。
「お待たせしました。肉じゃがとクッキーです。ちょっと組み合わせがアレかもだけど──」
『いえいえ、作って頂きありがとうございます。では早速……』
男は自分の霊力で箸を作り、肉じゃがを先に口に運んだ。
その瞬間、男の体には電撃のような衝撃が走り、その肉じゃがの美味さのあまり背中が反りながら宙に浮いた。
『その甘くて優しい肉じゃがの味は──もう死んじまったお袋の味だ。口に入れた瞬間の匂いで分かる、これは母ちゃんの肉じゃが……故郷の味だ!』
彼の目からは涙が溢れていた。
その涙は落ちると虹のように光り、霧のように消えた。
自分が死んでもなお、覚えている子供の頃の懐かしい味。最後の晩餐にはうってつけの料理であった。
「じゃあ、こっちのクッキーは──んぐっ!?」
サクッとしたクッキーを口に詰めると男は目を見開いて仰天していた。
『この味は、学生の時に食べた好きな女の子からのクッキーに似てる!!程よい甘さとサクサク感。それでいて全く飽きない味! ……幸せだぁ。ほんっとうにもう、ありがとう。うぅぅ……』
美味しさのあまり彼は耳も真っ赤にしながら号泣していた。
3人は自分達の料理で喜ぶ彼に優しく微笑みかけた。
すると沙耶香はハッと思い出したかのように冷蔵庫へ向かった。
「そうだ、お兄ちゃんが昨日作った杏仁豆腐があるんだけど、食べる?」
『いいんですか!? ではぜひ頂きます』
(へぇ、優人君も料理ってするんだ)
菜乃花は優人の意外な一面に驚いたが、イマイチその姿は想像できなかった。
沙耶香は冷蔵庫の奥からラップをしてある杏仁豆腐を取り出してテーブルに置いた。
男は霊力でスプーンを作り、杏仁豆腐をすくう。
『お──────』
男は「美味しい」と言いかけたが、その言葉を言い終える前に彼は白く激しい光に包まれて消えていった。
彼の消えるその瞬間は満面の笑みを浮かべていた。
「じょ──」
「「「成仏したあああーー!!!」」」
この家では母の嶺花に並んで優人が最も料理が得意なのである。
浮遊霊の彼が美味しさのあまり昇天してしまったように、その腕は確かなものなのである。
(うぅ……負けない、私は優人を超えるッ……!)
香菜は1つの決意を抱いたのであった。愛する人のため、愛する人を超える覚悟を。
──その後日談。成仏した男は無事に天界送りとなり、死後は満足に食事ができる生活になったらしい。
さらに今回の件があり、彼のいたブラック企業は霊管理委員会の情報網により調査されて、数々の悪行が暴かれた挙句に会社は潰された。
そして菜乃花と香菜は彼が成仏した後も、無事に沙耶香から料理を学ぶことが出来た。





