第15話 裏
震え上がっていた魔竜の首は刹那の内に斬り飛ばされ、霊力がダンジョンの中に散っていった。
そしてその魔竜を斬ったのは、つい数秒前まで気絶していたはずの優人だった。その優人は零人が見てきた優人の攻撃の最高速度をゆうに超えていた。
稲妻の如く駆け抜けて幻想刀を傾けながら屈んでいる優人は低い声で名前を呼んだ。
「零人ォォォ……」
優人の口調や雰囲気は誰かに憑依でもされたかのように別人だった。
あの優人が持っている「純粋さ」がどこかへ行ってしまったようにも思えてしまうほどに普段の優人とは異なる存在であることは確かであった。
だが憑依や何かしらの能力でなら感じるはずの他人の霊力は一切見えず、溢れているのは依然優人の霊力だった。
その優人は幻想刀の刃先を足元へ向け、ゆっくりと零人の方を振り返った。
──しかしその隙に零人は優人の背後について優人の首の横に斬霊刀を向けた。
「お前は誰だ? 不審な動きをしたら斬る、優人の体に何かしようもんなら容赦なく消す」
零人は瞳にかけた解析術で優人を観察して異変を見極めようとするが至近距離でも確認はできなかった。
(少なくとも、警戒してた呪術式の式神じゃねぇみてぇだが……何なんだコイツ)
その優人は口を開く、その声音は普段の優人より低くまるで零人にも似ているような口調。
優人は両手を上げ無抵抗を主張して挨拶を交わす。
「初めまして……いや、久しぶりか? 零人──俺は正真正銘の『優崎優人』だ、悪霊でも別の霊能力者でもねぇよ」
一人称も『僕』から『俺』へと変化しており明らかに人格は入れ替わっていた。
そしてその目付きはいつもより鋭く、純粋な優人の面影など何処にもなかった。
「……少なくとも、俺の知る優人じゃないのは確かなことだ。まずハッキリさせろ──お前は敵か、それとも味方か。あるいはそのどちらでもないのか」
だがその優人はその問いかけに即答した。
「味方だせ。面倒はかけたが、前も別に敵じゃなかっただろ?」
「……前ってのは一体どういうことだ?」
(そもそも、なぜこいつが俺のこと名前を知ってるんだ? 優人に何かが取り憑いてる可能性も、第三者の操作の線もない。優人の記憶を読んだ……または本当にコイツと俺に面識が? ──『前も敵じゃなかった』っつーのはどういう……)
零人が長考している様子を伺うと、察した様子でため息をついて話し出す。
「ま、仕方ないか。俺が自我を得たのはついさっきだし、前の暴走の時は何も反応できず香菜に頼ったしな」
『自我を得たのはついさっき』という言葉に引っかかったものの、ここで1つだけ零人にも思い当たる節があった。
「お前ッ!! もしかして──」
「お、分かったようだな──俺は前に優人が学校で寝ちまった時に暴走してた優人の人格だよ」
それは以前の優人の夢遊病騒ぎの時のこと、優人が睡眠不足が故に霊能力を暴走させたことがあった。
その時に零人は夢遊病ということを聞いて疑うこともなくその話を信じたが、改めて考えてみると辻褄が合わなくもない。だがあの状態が「人格」だったなんて零人でも考えもしなかった。
「二重人格とは違うみてえだが、俺という人格は優人が気を失うような状況に置かれると目覚めるらしい」
「──ということはある意味お前も優人なのか?」
「正確には『裏』の優人だ。俺がいるからある意味、あの純粋で霊能力者としての才ある優人がいる」
「裏……? それについて少し詳しく聞かせてくれ」
「つまりコイツが普段からガキみてぇに純粋過ぎて、人としてあるはずの負の感情がないクソショタ野郎でいるのは俺が関わってるってことだ」
「…………」
裏の優人が発言を終えた後に数秒ほどの沈黙がダンジョンに訪れた。
裏の優人が不思議そうな顔をして目を細めていると、無表情だった零人が唐突に吹き出して笑い転げ出した。
「──ぶっ、ブッファアァァッヒャッヒャッ!! ククク、アハハハ……だっ、ダメだ止めてくれ。その顔でその汚い言葉遣いは……クックック、ヒュッ、カカカカ」
普段の子供のようで尖った所のない言葉遣いで話している優人の顔で悪態をつく姿があまりにもツボで零人は笑わずにはいられなかった。
弟の凌助の毒舌の時とは比べ物にならないほどの破壊力。腹や所々の筋肉をピクピクとさせて零人は震えていた。
「はっ、腹が爆発する……」
「ぶっ壊れたかと思ったわ、どうせなら再生すんだし内臓ごと爆ぜればいいんじゃねえか?」
「追い討ちィィィ、ヒィッハッハッハアァァァ!!」
そこから零人は何分も笑い倒して何回か過呼吸になりながらも平常心を取り戻そうと努め、なんとか冷静さが蘇ったようで零人は質問を再開した。
「ゲホッ……ふぅ。とりあえずお前と優人の因果関係を教えてくれ」
「はぁ……」
裏とはいえど優人と能力の使い方は変わらないようで、そいつは錬金術で即席の椅子をその場に用意してドカッとそこへ座り脚を組む。
そして早速本題を切り出した。
「──優人は7年前のあるできごとがあって霊能力を手に入れてた。そこが特異点となって俺も誕生した」
「ッ!」
(西源寺の記憶で見たアレか)
「俺は本来、優人にあるはずの負の感情や人間の醜い部分がストックされ続けている存在だ。負の感情を担ってる分、普段の優人は純粋でいられている」
「お前は性格以外の面で言えばこうやって会話できてるし、さほど害はなさそうだな」
「ケッ……まぁいい。そして俺はガス抜き装置でもある。溜まった悪意や負の感情を力として発散させるだけ。TPOさえ考慮すれば対処は楽なはずだ」
「──暴走の危険性は?」
「おそらくない。さっきの急激な成長で危険な人格に自我が芽生えて制御もできた。暴れる気はねぇしストックの感情分だけ動けば俺は眠って優人が目覚める、良心的だろ?」
零人は少しばかり俯いて考えると、裏の優人へ確認するように尋ねた。
「じゃあお前はつまりもう俺と戦うようなことはないってことか?」
「悪さする力も時間もない。第一、お前の実力は普段から見せられてんだから反抗する気力すらねえわ。悪意っつったって、俺はあの優人の一部なんだぜ? 少なくともお前らには手出ししねぇよ」
気持ちが少し緩んだことで、零人は再びそのブラック状態の優人に吹き出しそうになる。
だがもう笑うまいと零人は舌を噛んで耐えた。それもわざと痛覚を少し過敏にさせて。
裏の優人はその光景に滑稽さを感じながらまたため息を吐いた。
「はあ……まあいいか」
そして零人は1つ気になったことを聞いてみた。過去に何度も分析や調査をしてみても解明することのできなかった優人に関する謎を。
「────優人の身には7年前、一体何があったんだ? やっぱり優人が入院していたのと関係があるのか?」
裏の優人はそれを知っているのかと驚いた様子だったが、1拍置いて答えを返す。
「そうだ。それについてしっかり語りてぇが、生憎俺はまだ自我が芽生えたばかりのガキ。3歳児に生まれた時のこと聞くのと同じだろ。ただ分かるのは優人は7年前に突然ぶっ倒れた」
「っ……」
「優人の記憶は全て俺にもある。親父が言うには医師にも倒れた理由は分からず、昏睡状態のまま1ヶ月半ほど入院してたが、ある日優人は意識が回復した。ま、高確率で霊能力が原因だろう」
零人は少し申し訳なさそうな様子で頭を下げた。
「そうか、それならすまない。俺の術でそれを解明しようとしたが、結局は分からなかったからな」
「別にいい……それよりも香菜にはマジで申し訳なかったな、今となっちゃ正解は分からんが」
「西源寺か?」
「優人が倒れてから、香菜は霊能力者の道に入った。生まれつき霊能力はあったらしいが、特に何もなく平凡な人生を歩んでいた。だが優人が倒れたのを『自分なら分かったかもしれないのに何もできなかった。だから自分のせい』と思い込んでるらしい」
「それで……西源寺は未だに罪悪感に囚われていたってのか」
考えれば少女の7年という月日は途方もなく長いものだ。
ましてや霊能力という人知を超えた者達の世界で突然生きていくなどというのは幼い子供には酷な話だ。
そして今も尚、その後悔の中にいるというのはまるで溺れて続けているようなことなのに。
「それから優人とお前と会うまでは、香菜は優人のために街中の悪霊を狩りまくってた時に大罪になったんだろう」
(そんなこと思ってたのかあいつ。だがそんな状態だったんなら、数回しかあってなかった俺の顔を覚えてなかったのも分かるような気がするな。周りが見えてなかったんだろうな……)
ひとまずの情報を得た零人は「あっ」と何かを思い出したように声を上げた。
「そういえば、お前はなんて呼べばいい?」
「そうだな……まんま『裏』とでも呼べ、俺も言うのが楽だ」
そして裏は首をコキコキと鳴らし、錬金術で作った椅子から立ち上がった。
「それじゃ、俺はそろそろ時間切れだ。もう優人が目覚める」
「そうか……なんかアレだが、少し寂しいな」
本当に少し寂しそうな表情を浮かべていた零人に裏は拳を胸にとんとぶつけ、零人に体重を預けた。
「じゃあな、会えればまたな」
「──お前の人格だけを優人の中から他に移動させたらどうなるんだ?」
「何も変わらねえよ。システムはおそらくその後も続く」
零人は眠っていく裏に向かって最後に一つだけ告げる。
「そのうち、お前を悪魔の体の人格にするかもしれない」
悪魔のほとんどの者達は人間の霊が憑依している状態にある。なので切り離しても問題がないのであれば霊管理委員会に裏を戦力として迎えようと踏んだのだ。
そして裏は──その提案を了承した。
「そん時は頼んだぜ────」
裏はその言葉を残して、しばし眠りについた。体の力が徐々に抜けていき、完全に零人にもたれかかる。
そして裏が完全に眠ったと同時に、気を失っていた優人が目を覚ました。
「──うぅん……あ、あれ? れいとく──あっ! 魔りゅっ、てっわわぁっ!!」
優人は意識が戻った瞬間に突然零人に力を預けていたためよろけそうになったが零人が優人の肩をしっかりと持って支える。
「あんま無理すんな。もう任務は終わったからこのまま帰るぞ」
零人は足元に転送術の魔法陣を展開する。まだ意識が朦朧としている優人だがただ一言、感謝の言葉を述べる。
「うん、零人君……ありがとね」
零人は歯を出し満面の笑みを浮かべる。優人を抱えた零人は足をコンコンと床に軽く打ち付けて魔術を発動する。
「……俺のほうもな」
(西源寺1人で抱え込まねえように俺も優人のことしっかり守らなきゃな。当然だが────こいつは俺の弟みてぇなやつだからな)
ダンジョンに魔竜の死骸を残して2人はいつもの街へ帰還する。





