第4話 透明
真夏の猛暑日、日が照りつけむさ苦しい日が続いていたこの頃。優人と香菜はこの日、上葉町にある屋外水族館『アゲハオーシャンワールド』にやって来ていた。
それも2人っきりでは久方ぶりの外出、両者とも笑みを浮かべながら手を繋いで歩いていた。優人もお気に入りのパーカーを来てこの日はやって来ていた。
「香菜ちゃんとのデート久しぶりだから楽しいっ」
「ほんとにね♪」
香菜はいつもの如く子供のように無邪気な様子の優人に対し、この日は大人の余裕を持って接していた。オープンにはイチャイチャせず、優しく彼をエスコートしていた。
だが──
(ああ〜! 優人とデートだぁ!! やったぁ、ふぉ〜。デートっ、デートっ♪)
内心はこの有様、優人以上の高揚とはしゃぎっぷりで水族館内を歩いている。
(でも抑えろ、理性だけは保て。このまま欲望に身を任せたら優人を襲いかねん!)
香菜は既に限界状態に近かった。悪霊狩り全盛期に比べては増えたものの、ここ最近の優人は零人との修行に行くことの方が彼女とのデートより多い。
その間、香菜の欲望は今日まで蓄積され続け、その結果この精神状態に至った。
香菜は大人の女のイメージを持ちながら接することで自我をギリギリの所で維持していた。
(それにしても、何とか今日の仕事パスできてよかった〜)
──それは2日前のこと、香菜にはルシファーからテレパシーで依頼がかかってきていたのだ。
『あ、香菜ちゃーん。明後日なんだけどお願いしたい任務が……』
「あ、その日は無理です」
『即答!? ついに香菜ちゃんまで僕への反抗期に!』
だがその後ルシファーも無理強いすることはなく、任務に関して何も言われることは無かった。
(多分だけど、依頼なら他の能力者が引き受けたから大丈夫だよね〜)
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
2人がまず向かったのはイルカショーだった。水族館の中でもメインとなるイベント、優人達はそのショーは運良く最前列で見られることとなった。
優人は席に着くと錬金術で簡易的な雨具を生成。出来上がった代物の内片方を香菜に手渡した。
「香菜ちゃん、ポンチョどうぞ」
「ありがとね」
(ヤッバい! 可愛い嬉しい愛おしい、自制心壊れそう……ああぁ優人が尊いッ)
香菜の心臓は再び忙しなく動き始める。もはやイルカより優人のことで頭がいっぱいであった。
彼女がいつにも増して健気で張り切っている様子の優人に気を取られていると、飼育員の拡声器を通した声と共にイルカショーが始まった。
『皆さん、こんにちはー!』
「こんにちはー!!」
観客席からは元気な子供の声が上がった。その中には当然のように優人の声もあり、子供のような愛らしさに香菜は口を抑えながら悶絶していた。
「──っ!」
数秒前までは上機嫌な香菜であったが、何かにピクっと反応すると彼女の動きが止まった。
昼間の水族館、それも和気あいあいとしているこの場所で異様な霊力の反応があったのだ。
香菜は微弱ながら、悪霊や妖怪の気配がこの水族館内で無数に動いている感覚を掴んでいた。さして個々が強い訳でもなければ上級魔獣以上の存在がいる訳でもない。
だが存在を認知してしまった以上、霊能力者の立場として見過ごすということも出来なかった。
「……チッ」
香菜は今にも爆発しそうな程に怒り心頭であった。
優人との時間を、たかが雑多な悪霊如きに邪魔されるのかとこの上ない怒りが湧き上がっていた。顔や表情、霊力で優人に悟られぬよう平静を装っていたが香菜の中からは優人の呪いにも負けぬ程の負の感情が溢れかけていた。
「優人とのデートを邪魔させるか……屑芥風情に」
ボソッと呟いた香菜は優人に動きを悟られぬよう、ゆっくりと指を動かして印を結ぶ。右の人差し指と中指を絡めると吐き捨てるように小さい声で術を詠唱する。
『タダヨイシケガレモノ、チノアンソクチヘトキセ』
詠唱が終わると同時に香菜の眼球から橙の淡い色の波動が放たれ、波に飲まれた悪霊達は音もなく静かに霊力へ還った。悪霊は 煙のように希釈していった。
ひとまずの危機回避に安堵していると、突然香菜の顔面に冷たい感覚が訪れる。
「ひゃっ!?」
「アハハ、ビシャビシャだぁ」
ショーでイルカが2人の目の前で盛大にジャンプし、優人達はポンチョを着ていても尚ずぶ濡れとなった。
2人とも驚いて互いの顔を見合わせると、その様子が可笑しくなって笑い合った。
(この笑顔を守りたい……今日は何としても、悪霊共に優人とのデートの邪魔はさせない。優人が気づかない内に、一掃しよう)
先程の怒りと今の幸福感により彼女の守護者としての擁護力が刺激され、亡者達への復讐を誓っていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
イルカショーが終わった後も2人の髪は軽く濡れたままであった。香菜達は涼しくなると、にこやかな表情でペンギンコーナーを見て回り始める。
だがこの時、香菜は違和感を感じ取っていた。霊力の反応に関して、この場所では考えられない現象が発生していたのだ。
(昼間から悪霊が姿を出せるほど、ここは霊力が多い。でも墓地や神社仏閣じゃない。つまりここは天然の霊力発生地の可能性が高い……放置してればこの後すぐにでも魔獣が寄ってきそう)
『やっほー香菜ちゃ〜ん』
それは2回目のテレパシー。ルシファーから香菜の脳内へ直接メッセージが届いた。
『どうしたんですかルシファーさん』
『いや驚いたんだよー。まさか例の依頼の場所で香菜ちゃんが優人君とデートしてるなんてさ〜』
『ちょっとそんな予感はしましたけど。はぁ、今日に限ってこんなことに……』
『あ、でもデートに支障は出ない程度の案件だから気に病まなくて良いよ』
『……というと?』
ルシファーの言葉に香菜は怪訝な表情を浮かべる。香菜が不思議そうな顔をしているとルシファーは真面目な雰囲気に気持ちを切り替え、状況の詳細を伝えた。
『香菜ちゃんなら気がついてると思うけど、そこは先週辺りから霊脈直通の霊力発生地になっちゃってんの。ただ土地の質や場所が上手く合致して悪霊発生地域になりかけてるんだ』
『それなら、地面の下から霊力が湧いてこないように元栓を作れば良いんですね?』
『そうそう。さっき軽く悪霊倒したみたいだし、少し制限緩くするからお願いね』
『分かりました。じゃあ私のソウルイーターで結界型術式を構築します。もしそれで何かあれば後日に』
『はいはーい、それじゃデート楽しんでね〜』
軽いノリに戻ったルシファーの一言を最後にテレパシーの通信は途切れる。
香菜は深々と面倒そうなため息をつくと優人の手を引いて人混みから少しだけ離れた場所へ移動する。優人は彼女に連れられながら不可思議な様子で首を斜めに曲げた。
「香菜ちゃんどうしたの?」
「ごめんね優人! すぐに終わるから1分だけ待ってて」
香菜は人目につかない場所に立ち数回ほど深呼吸を行うと、目を閉じて小さく息を吸った。そしてスっと右手を顔の前へ近づけ、人差し指と中指を揃えて立て額に付ける。
香菜は霊力の感覚を研ぎ澄まし、地下と大気の霊力の流れから量まで繊細に感じ取って環境を把握していく。
(大気中の霊力量は良し。地下は結構深い……約20m真下の層から多分霊力が発生してる上にここは水族館、水が媒介して霊力が無駄に増幅してる。なら霊力を抑えながら量調整をして放出もさせる術式に──)
「ああっ! 香菜ちゃん後ろッ」
優人はこの時、攻撃するよりも先に叫んでいた。無数の悪霊や妖怪、小型の魔獣達が彼女に向かって虚空から飛び出してきたのだ。
弱々しく霊力の飽和した大気のせいで優人は彼らを感知できず、予想外の事態に攻撃をすぐさま繰り出すことが出来なかった。
現在、香菜は霊力の位置を把握しながら術の使用準備をしている。当然彼女に霊力は集中し、さらにこの霊力発生地の中でも大罪の能力者という1番の霊力源。彼らが欲さない訳がなかった。
魔物達は動かぬ香菜に向かって全力疾走で突撃していったが、彼女は何も焦ることもなくその場で立っていなかった。
魔物達は霊力の少なさゆえか、この時に理解していなかった。
西源寺香菜という人物が霊管理委員会で7本の指に入る能力者だということも。
──自分達の霊力までもが全て、彼女の術発動の計算の中に含まれているということも。
「『ソウルイーター』デーモン・クライシス!」
瞬間、淡く広がるような青の光が悪霊達を貫いていった。香菜が閉じていた目を開くと共に光は波の如く周囲に広がっていき、彼らを包み込んでいった。
包まれると悪霊や魔獣達の体にはすぐさま異変が発生した。彼らの体に光が届くと、唐突に気圧が変化した際のペットボトルが如く潰れていった。
やがて潰れた彼らは空中でそのまま肉体が変形しながら徐々に肉体を元の霊力へと変換されていった。
そして霊力となった魔物共は霊力となると突如、稲妻のような光を放ち始めた。それら全ての雷は香菜の足元へと集約していき、光はやがて魔法陣に変化する。
香菜は地に手を向けながら術を発動し続ける。優人は香菜のその神業を前に固唾を飲んでいた。そして霊力と術の光を纏い、輝いている香菜に見とれていた。
「整合術式付与、コード26645を認証。再生術の指定時間発動による効果で土地活性化を設定……完了」
最後の言葉を強く言い放つと共に、魔法陣はガラスが割れるかのように光を失う。だが術は無事に発動し、術式は土地に刻まれた。
術の完成と同時に香菜の足元からは青い霊力の波動が生じる。波動は風のように拡散し、ゆっくりと一面を包んでいった。
数分ほどで任務を終えデートへの支障もなくなったが、香菜は返って先程までの緊張が完全に解けてしまった。肩を落として軽くため息をつく。
「なーんか、気が抜けちゃったなぁ」
「えっ、香菜ちゃん大丈夫なの?」
優人は心配そうな目をして近づくが、彼女は踵と腕を上げ思いっきり背伸びをした。伸びきると香菜はいつもの天真爛漫な明るさを取り戻した。
「だ〜いじょびっ! 久しぶりのデートだったから──」
踵を下ろし腕を後ろに組んで振り向くと、香菜は会心の笑顔を優人に見せた。
「優人以外のこと、なるべく考えたくなくて」
愛しい香菜の満面の笑みにピュアな優人の胸もキュッと締まった。
「さ、行こっ♪」
香菜は軽く足を弾ませながら優人の手を引いて走り出した。優人も引っ張られながら屈託のない笑顔をしてついて行く。
魚たちの泳いでいる水よりも、手を繋ぎ走る2人の笑みは透明で綺麗だった。





