第3話 笑う亡霊
上葉町の夜は時々不気味な一面を見せる。
街灯が少なく薄暗い一本道や住宅街の近くであるにも関わらず物音が一切なく水を打ったような静けさに包まれた街。
優人はそんな気味の悪い夜の不安と恐怖で零人の服の端を掴んで歩いた。
「そこまでビビることはねぇだろ」
「だって怖いんだもん……」
久しぶりにビビっている優人を懐かしく感じた零人。怖がっている優人を特に引き剥がそうとせずそのまま今日の任務について語る。
「今日は悪霊退治だが、少し骨が折れるぞ」
「もしかして強い悪霊なの?」
零人は優人の質問を聞くと少し困った表情でうーんと少々考えた後、質問に質問で返した。
「強いっつーか……お前は『亡者』と『亡霊』の違い、何だかわかるか?」
優人は零人の方を見ると、真顔と笑顔の中間のようなポケっとしたマヌケな表情をしていた。
「知らないよな。まあいい、説明する」
「『亡者』ってのはお前の見慣れた自我のない悪霊のこと。負の感情や他者の影響で理性が失われた浮遊霊達の成れの果て」
零人は説明の途中で何気に小さな1つの鬼火を手元に出し、宙でクルクルと回す。
「悪霊は罪人と違って刑罰は与えず、鬼火や人魂の状態にして魂の表面についた汚れを落とす。落としたら、あとは生前の行動から死後の生活が決められる」
霊管理委員会は「死後の権利」というものを重視する。
普通の死者には死後の生活を決定させる。また犯罪者であろうと違反霊能力者であろうと、罪を償い心を悔い改めた者には救済がある。
当然、悪霊となってしまった人々もそれぞれの事情や記憶での事実確認を行った上で判決が下る。
「一方で『亡霊』は同じ悪霊だが、これはある意味呪いだ。亡霊はその霊自身、呪いで己を動かして恨みを晴らすことに取り憑かれた化け物」
「それって、亡霊は僕みたいな戦闘手段として呪いを使ってるんじゃなくて……呪いの本当の意味、他の人を恨んで悪いことをするっていうこと?」
「その通りだ、冴えてるな。亡霊は一般人での悪霊や霊のイメージ通りの存在、恨む力は恐ろしいぜ? 実体干渉力が強かったり特殊なやつもいるからな」
ホラーものなど、驚かせる類いのものが苦手な優人にとってその情報はさらに聞きたくなかった。
「怖いよぉ……テレビの人とかよくできるよね」
「メディアに出るような霊能力者はだいたいがパチか超弱いやつだ。強い霊能力者がいたら委員会がマークするし、ある程度の能力者の場合はメディアに公表しようと考えた時点で委員会に霊能力とそれの記憶を消される」
「もしかして僕今すっごいこと聞いちゃった!?」
「ふふふっ……」
その甲高く笑い女性の笑い声は、聞こえたその瞬間にゾッとするような寒気と鳥肌が優人の全身に走った。
生気がないのに感じる人の気配、その気配から感じた霊力は以前に相見えたアンラマンユの邪気に近いものがある。
そんな心臓を直接撫でられるような感覚を、優人は今この瞬間に背後に感じたのである。
「──ッ!」
優人は反射的に鬼火で背後に防壁を作りつつ振り向きながら零人の方へ下がる。
突然に訪れた恐怖に優人の心臓の鼓動は乱れ、彼の体内で心音が爆音で鳴り響く。
「ひっ……」
優人はその亡霊を確認した瞬間、思わず声を漏らし顔が真っ青になった。
「あれが今日の依頼された亡霊だ」
振り返るとそこには、優人達の10メートル前に髪の長い白装束の女が暗く狭い夜道の真ん中で立っていた。
優人は今までにない恐怖を味わう。それは初めて悪霊を見た時とは比べ物にならない恐ろしさ。
単純な行動で追いかけてくるような亡者とは違い、突然現れたと思うと襲いかかってくるその存在は人間としての恐怖心に直接触れてくるものだった。
「エレメントクラスにしてもウィングはあるか……優人、亡霊は瞬間移動やポルターガイストに加えて取り憑かれる可能性があるから警戒を怠るなよ」
「うえぇっ!?」
「万が一の時だろうがいつでも助けられるからそこは安心しろ」
「よ、良かったぁ……了解っ!」
2人がやり取りをしている間にも、亡霊の女は不気味に笑いながら優人の元に近づいてくる。
それはまるで地面を滑るかのように宙に浮いて水平移動していたのだ。近づくに連れて女の髪がゆらゆらと奇妙に揺れ動く。
「呪錬拳ッ!」
優人は恐怖を原動力として呪いを練り、呪錬拳を飛ばして亡霊の頬を殴った。
呪錬拳は直撃した、しかし呪錬拳は亡霊の眼前まで接近した途端まるで水面に吸い込まれるかのようにスゥっと消失していった。
「え? なんで……」
「優人、亡霊は地獄に直接送るか除霊しないと祓えないんだ。亡霊の霊力は現世に留まることに固執しているから、除霊である程度まで切り離さない限りは消滅しないし攻撃もできない」
「そんな……」
今まではその霊力量の多さと呪いによる攻撃を主力として戦ってきた優人にとってこれはかなりのピンチであった。
今まではゴリ押し技で悪霊達を沈めてきたが、今回ばかりはそうはいかなそうだった。
(どうにかして除霊をしなくちゃ……)
しかし零人は戦闘のビジョンが浮かばずに悩む優人を案じて彼の肩を叩いて話しかける。
「優人、今日はお前の除霊の力を身につけさせようと連れてきたわけじゃない。除霊でしか倒せない相手に対抗する方法を身につけさせるために連れてきたんだ」
「どういうこと?」
「俺は省エネのために西源寺を呼んだ、やつはじきに来る。それまでの間、足止めをしてみろ。俺は非常時以外は干渉しない」
「──なるほどっ!」
零人からこの修行の真意を聞いた優人はその信頼に答えられるようにと奮起し、一気に面構えが変わった。
(ライオンは自分の子供を谷底に落とすと言う……今更除霊なんてもんは必要ないが、えげつねぇ亡霊と優人が遭遇しないとも限らない。逆境に立たされてお前はどう動く、優人)
だがこの間も止まることはなく女はゆっくりと揺れながら優人の元に近づいてくる。
霊力に向かって亡霊はただ真っ直ぐ進むのみ。
優人は亡霊が6mの範囲内まで侵入したタイミングで一気に間合いを詰める。
女は髪の間から不気味な顔をチラつかせながらギョロついた目で優人を睨んだ。
自分の中で眠っている恐怖が目を覚ます前にと、優人は接近すると瞬間的に錬金術でナイフ程の大きさのクリスタルを生成し銃弾のように亡霊目掛けて放った。
「これでど──っ!?」
しかし亡霊は忽然と消え、クリスタルは虚空に放たれただけに終わった。
そのおぞましい気配と姿が消えたのはほんのわずか一瞬、見失ったと脳が判断し終わる前に優人は再び背中の寒気に襲われた。
「ひいぃ……!」
優人は瞬間移動によって亡霊に背後を取られ、その小さな右肩を触られていた。
不気味で狂ってしまいそうな笑い声が耳の穴を通って鼓膜を揺さぶり、冷たいその手の温度が優人の服の下の皮膚に到達する。
鳥肌が立って震えが止まらなかったが優人は振り向かずに勝利を宣言した。
亡霊はすでに優人の術中にハマっていたのだ。
「──もらったよッ!」
亡霊は再びその姿を忽然と消した。亡霊が消え失せると優人は力が抜け肩をだらんと落とし零人の方を振り向く。
「零人君……数珠って確か霊を閉じ込めるっていうよね?」
優人の手には綺麗な数珠が握られていた。
あの時、優人は亡霊の行動の予測と準備を始めていた。
初撃のクリスタルはあくまで当たればラッキー程度の鉄砲玉、錬金術で生成した数珠に簡易結界を張ることで擬似的な封印魔法器を創造していたのだ。
「おぉっ! 凄ぇな優人ぉ。足止めどころか捕まえちまうとはな。簡易結界も完璧にできてるしな」
「合格?」
零人は尋ねられると嬉しそうに答えて優人を絶賛した。
「当然、100──いや200点だ! 今回は俺の予想以上だった、お前は良い意味で俺の期待を裏切ってくれるなぁ」
「えへへ〜」
滅多にもらうことのない零人のアメは優人にとってとても美味だった。優人が今にも嬉しくて叫びそうになったほどに。
そして事が済んだと同時に香菜が到着した。
「遅れちゃった、優人おつかれ……任務達成したんだね、おめでとう!」
着いた瞬間に状況が把握できた香菜は優人を褒めながら、その手に握った死神の大鎌を振りかざし、数珠内に閉じ込められた亡霊を除霊した。
除霊の際に数珠が破壊されて割れると、中からは邪気が剥がれた綺麗な元の霊力が溢れて空に還る。
終わると優人はダラっと腕を垂らし眠そうな顔をする。
「今日はいつもより疲れちゃったよ〜」
「そうなの? じゃあ私の転送術で送るよ」
「ありがとう──」
香菜が魔法陣を展開し、優人は光る陣と共に自宅の玄関まで転送されて行った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
暗く人も霊もいない夜道で香菜と零人だけが立っていた。
優人が転送術でその場から去ると、香菜は零人に向かって単刀直入に質問を投げかけた。
「ねぇ零人君──零人君はさ、優人がなんで除霊ができないのか知ってるの?」
香菜は先程とうって変わり、真剣な面持ちでそのことを聞いてきた。
質問を受けると、零人はため息をつきながら申し訳なさそうな表情で返答する。
「──俺の解析術で何回も確認は試みたんだが、どうしても原因は分からなかった……」
「零人君の解析術って、確か霊能力関係のことなら解析できるんじゃなかった?」
「いや……俺の解析術は開発途中でな、解析できないものが今は2つだけある。1つは菜乃花さんみたいに原因と霊能力が関係なく、幽体離脱などの事故的事象」
「……」
「そしてもう1つは、あまりにも難解であるか特殊なものが絡むと実際の現場で俺が見なけりゃ解析ができない。──所詮、解析術はまだ『tablet』の次元には及ばない」
香菜はその答えを聞くと下を向いて残念そうな顔で独り言を呟いた。
「古代魔術でも解析したその術でもダメなんだ……」
その時声を漏らした香菜の表情は少し悲しげで、どこか寂しそうな雰囲気だった。
そんな雰囲気の香菜を気遣い、零人は優人に対する素直な思いをひとまずぶつけてみた。
「安心しろ、優人なら除霊ぐらいできなくても問題はねぇ。あいつは──強いからな」
「………ありがとう」
「はっ、なんでだよ」
それぞれの思いは錯綜する。
──そしてこの夜、優人は何も知らずにベッドで静かに眠りについた。





