第1話 パン店の1日
──ここはこの上葉町の商店街にあるパン屋『ベーカリーKITAMURA』。
この街の中で最も人気のある店の1つだ。
焼きたてのパンの香りは地元の人々の足を店まで惹きつけ、時にはテレビの取材も入るほどの名店。
優人達の通う上葉高校の購買にもこの店のパンは運ばれてくるがそのパンはあまりの人気で、わずか3分で完売してしまうほどである。
そして今日もパンの香ばしい匂いを漂わせるこの店に1人の男がレジで座っていた。
「あと少しで客の波が来るな……」
それは零人である。
眠そうだがどこか楽しそうな表情を浮かべ、この店のエプロンを着てレジの金額を確認している。
──そもそも零人がここで働いているのは何故かという疑問がある。
彼は普段から悪霊狩りの仕事を委員会から引き受け、更には大罪の能力者として魔王クラスの化け物達を排除しているため、その度に正当な報酬は支払われている。
その金なら当然、生活費を全て賄える程度ある上にゲームやアニメの資金も有り余っている。
しかし、それを差し引いても零人にはここで働く目的があった。
「零人君、お疲れさま」
店の奥からこの店の店主の北村が顔を出す。店長の体からは今さっきまで焼いていたパンの香りがそよ風のように香ってきた。
「これはいつものね」
「ありがとうございます店長!」
レジに置かれたのはこの店の賄いパン、これが真に零人が求めていた物である。
零人は1か月前にこの店に足を運んでからこのパン達に惚れ込んでいるのだ。加えて北村の人の良さもあり、夏は人手が足りなくなるためバイトをするようになったのだ。
「零人君、今日は少し店を空けるから店番よろしくね」
「分かりました、お気をつけて」
店長を見送りドアから出ていくのを確認すると、早速賄いのパンに手が伸び、そのままパンを1口かじる。
「あぁ〜うんめぇー!!」
そのパンは出来たてでサクサク、中はモチモチのメロンパンであった。そのパンの甘さと香ばしさに零人は悶えていた。
そんな風につまみ食いをしていたら店の扉のベルがカランカランと鳴る。
店の引きドアを開けて2人の客が入って来た。
零人は口元のカスを軽く拭き、真面目にピシッと背筋を伸ばして来客に挨拶をする。
「いらっしゃいませ!」
事実、零人はこの仕事に誇りを感じている。この仕事に全力で取り組んでいる。それはパン達に対する敬意と店主に対する感謝から自然と湧き上がった感情。
零人は普段ではありえないほど爽やかな挨拶をした。
しかし客の方を見て零人は赤面した。その客とは優人と香菜だったのだ。
「あれ!? 零人君!」
「どうしたの、バイト?」
零人は驚いていた思わず戸惑ってしまう。
「あ、うん。ここでバイトしてんだ」
「知らなかった! でも、なんか『サマ』になってるよ!」
「おうサンキュ……あ、本日のオススメはメロンパンとなっています」
「「はーい!」」
知り合いが来店し少し恥ずかしい気持ちもあったが、一店員としてしっかりとした対応する。
2人は味噌カツパンとメロンパンとクロワッサン4つを購入すると早くも店を後にする。
「じゃあねー、零人君」
「バイト頑張って!」
「ありがとうございましたー」
2人が帰り、一休みしようと思ったが店の外を見ると常連やパンの匂いに釣られた客達が並んでいた。ここにきて先程予想していた客の波が到来したのだ。
「よし、気合い入れっか」
──怒涛の勢いで客は押し寄せて、一時は店に入り切らずに外まで人が並ぶほどに混んでいたが数十分後に今日の昼のピークが過ぎた。
ここで零人は休憩としてかじったパンを食べ始めて半分ほど食した。
「残りは後にすっか……」
メロンパンを味わい、口の中に残る甘さの余韻に浸っていたところ買い物帰りのような4人ほどの女性客が店に入ってきた。
「いらっしゃいませー!」
「──あら? 零人君じゃない!」
「え? あっ!」
その女性客の1人は優人の母、優崎嶺花だった。嶺花は買い物袋をぶら下げ、他のママ友と一緒に談笑しながら来店した。
「優人のお母さん! いつもお世話になってます」
「いえいえこちらこそ〜。バイト頑張ってるのね」
「あら、優人君のお友達なの?」
「ちゃんとバイトしてるなんて偉いわ〜」
「ははっ、ありがとうございます!」
他のママ友達も皆、おっとりした雰囲気のママさん達ばかりだった。
そして4人とも美人ママと呼ばれる人種であった。顔立ちもスタイルもモデルのような女性達はタレントと言われてもおかしくないほど。
零人が呆気に取られながら他のママ友達を見ていると嶺花は彼に近寄り、こっそりと耳打ちをする。
「零人君や優人の『力』のことはママさん達は知らないから安心して」
(天然だと思ってたら意外としっかりしたお母さんなんだな)
「ありがとうございます。助かります」
「いえいえ〜子供達がお世話になってるし当然よ〜♪」
4人のママは目でも楽しみながらパンを選び始める。ママ友達がトレーの上にパンをとって選んでいた。
──そんな時に突然、乱暴にドアが開けられ招かれる客がベーカリーKITAMURAに入店してきた。
「お前ら、動くんじゃねぇ!!」
ボストンバッグを抱えて片手にナイフを持った強盗が入店してきた。完全に場違いな強盗はナイフを突きつけながらカウンターの前に立つと雑にボストンバッグを放り投げた。
「さっさとバッグん中に札詰めろ!」
その間、戦闘を想定していなかった零人は緊張感もなく、ただわけも分からず数秒ほど思考が停止した。
停止状態から脳が復旧すると、零人は心の中で驚愕しながら叫んだ。
(はあぁぁぁぁ!? 典型的か! てか銀行いけや! コンビニならまだしもパン屋て、こいつアホか!! ──て、そうじゃねぇ。ちょっと面倒になったな)
本来であれば、零人は何かしらの魔術や霊能力でこの男を無傷で捕らえることができるだろう。
『身の危機が迫った場合のみ、一般市民にも正当防衛として重傷にならない程度の霊能力を行使しても良い』という霊管理委員会の規約があるため強盗相手になら零人は魔術でどうにでもできる。
しかし、今は嶺花と連れの他のママ友3人がいる。この場を凌ごうとしても霊能力を行使しては誰かしら異変に気が付かれるかもしれない。
その上ここはパン屋。下手に動いて商品をお釈迦には出来ない。
(体術使えばいけるが、無傷で確保すんのどうやったかは記憶から抜いちまったからな。いっその事、気絶させるか……)
「何している!? 早くしろ!!」
(いいや面倒くせぇ。軽く頭蓋でもやれば終わるだろ)
要求に応じないどころか無言のまま固まって無視を決めている零人に男は苛立ちを覚え、逆上しながらナイフを振り上げた。
「舐めてんじゃねぇぞッ!!」
(ナイフを掴んだら顎、側頭部、鳩尾の順で小突くか──)
至近距離で思考しつつ反撃のタイミングを悠長に零人は構えていた。素人の扱うナイフなど彼にとってはかすり傷すら付けられる事はないため、半ば気だるげにカウンターを入れる気を伺っていた。
だがここで予想だにしていなかった事象が発生し、零人は再び混乱状態へと戻される。
「……んえ?」
バフ無しの素の動体視力でも比較的優れている零人の目でさえ、捉えたのは一瞬の出来事だった。今まで世界最強の男に無謀にも襲いかかろうとしていた強盗がコンマ1秒の間に店外へ弾き飛ばされていたのだ。
人間の出せる速度とは思えぬほどのスピードで強盗は地面に転ばされる。
男の姿が消えた直後に零人の目には、鬼の形相を浮かべて強盗を睨みつける嶺花の姿が映った。
嶺花は自ら蹴り飛ばした強盗が倒れているのを確認すると、他の3人と共に店の表に出るや即座に彼の胸倉を掴み怒鳴り散らした。
「てめぇ何やってんだゴラァ!!」
「えぇっ!?」
彼女は普段の様子や声音からは想像もつかないドスの効いた低い声を発していた。完全に線が切れた嶺花は強盗を掴んで離さなかった。更に加勢して押さえつけながら他のママ友達も男に罵声を浴びせ始めた。
「人の息子のダチに手ぇ出そうとして無事で済むと思うなよゲス野郎!!」
「ウチらの街でクソやってんじゃねぇカス!」
「タマ潰してからサツに晒されてぇのか三下ァ!!」
手は出さず、ただ怒鳴り声をぶつける事で彼女達は強盗を無力化させていた。嶺花に蹴られた衝撃でナイフがどこかへ吹き飛ばされ、強盗は為す術もなく泣きながら倒れている。
逆に凶器を突きつけられているかのように、強盗は恐怖しながら震えていた。
「ごっ、ごべんなざい、ごべんなざい……」
鼻声で弱々しく白旗を振る強盗だが、嶺花の絞め技を食らわせられ、男は悶絶していた。
先程まで優雅にパンを選んでいた貴婦人達から一変、彼女達は現役ヤクザ並の覇気で威圧を続けている。零人は信じ難い光景を前に、先刻までの彼女らの雰囲気とのギャップで錯覚を起こしかけていた。
(え、えぇー嘘だろ。えっ、ちょ、うん、マジか)
零人でも少し可哀想と思うレベルに彼女達の威圧は恐ろしいものだった。もはや混乱に重なる混乱によって何も出来ず、零人は一般市民の如くただ警察を戸惑いながら呼んだ。
奥様方の逆鱗に触れた男の叫び声は小さな商店街に木霊した。
その後は騒ぎを聞きつけた近くの警官が駆けつけ強盗はすぐに御用となったが、嶺花達4人も警察から犯人確保について軽く注意を受けていた。
事情聴取や現場検証が行われた後に警察が帰ると、嶺花達はパンの会計を済ませ零人に謝罪した。
「さっきは驚かせちゃってごめんなさいね」
落ち込んだ時の優人と瓜二つの顔で嶺花は申し訳なさそうに謝る。
「いえいえ、むしろ俺こそすいません。何も出来なかったし……それにしても皆さん、凄かったですね」
「実は私達、昔はちょっとヤンチャしててね。零人君達の通う高校でレディースやってたの。恥ずかしいんだけど私が、総長で……」
「えっ、マジですか?」
(あのキレ方とかで予想はついてたが、ガッツリヤンキーだったのか……ヤクザの組長と元レディース総長、の息子が優人。こう考えると優人ン家ってやっぱやべぇな)
「それじゃ、零人君頑張ってね〜!」
「ありがとうございます〜!」
「ありがとうございました。これからもよろしくお願いします」
手を振りながら颯爽と婦人達は店を出ていった。
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今日の仕事が終わり、帰り道で零人は独り言を呟きながら帰路に就いていた。この時零人は優崎家の面々について改めて考えながらぼんやりと家まで歩く。
「父親は現役ヤクザ、母親は元レディース。優人の仕事は将来、何になるんだろうな……」
そんなことを考えながら零人はメロンパンを頬張って何となく夕焼けを眺める。メロンパンの甘さを味わい余韻に浸って零人はバイト終わりの空を見上げた。





