第38話 孤独と友
この長く短かった林間合宿がついに最終日を迎える。
生徒達は残念に思いながらもこの日を無駄にすることなく最後まで楽しみ尽くすつもりで朝からテンションを上げていた。
この日はペンションの前にある調理場を使い、バーベキューをするのだ。この学校では教師が自身の懐の深さと豊かさを生徒に自慢することを目的で高級な肉や野菜を自腹で買い、皆に食べさせるのが一部の教師の中で伝統となっている。
尚、優人達の担任はまだ新人なのでこの荒技は学年主任などに任せている。
この日生徒達はバーベキューを楽しんではいるものの、やはり林間合宿の終わりの寂しさを激しく感じる瞬間でもある。
しかしそんな気持ちを必死に誤魔化そうと自分達は二の次で肉を一心不乱にただ焼き続ける2人がいた。
「焼けたよー!」
「こっちもだ、どんどん持ってけ」
これはもちろん優人と零人である。
零人は手先は中々器用であり、尚かつゲームで身につけた素早い指の動きと同時並行処理で肉や野菜を焼いていく。
そこに優人がサポートに入ることで肉の仕入れと提供、その他の食べ物の準備などができることで生徒達は無尽蔵に美味い肉や野菜が生産されるシステムができるのだ。
なんとその作業でほとんど全員の食べる分が十分に賄えている。
その手際の良さと完璧な焼き加減で肉を提供している2人から皿を受け取る時には、皆が朗らかな表情でいる。
皆が自席で肉を食すとまたすぐに肉を取りに来るので優人達はその場で肉を焼きつつ横のテーブルで自分達の肉を盛り付けていく。1度に取れる肉などの余りの量は僅かである。
これが大体10回弱繰り返され、一段落つくと2人もその場で立ちながら肉を食す。ジューシーな肉や甘い野菜の味を堪能しながら2人は世間話をする。
この林間合宿で起こったことだけを話しても内容が濃いものばかりだった。結界張りにキャンプファイヤー、異界での死闘に肝試し。その半分以上が霊能力関係だった林間合宿だった。
大変だった上に異界では死の淵にまで軽く味わったが、思い返すとそんなことすらも楽しかったと感じられた。
──数分程話していると、優人は以前気になったあの言葉を思い出して尋ねる。少しだけ以前に耳にしたある単語について質問した。
「そういえば、零人君は『じゆうもの』って呼ばれるの? あとシロ君も恥知らずって」
それは前に香菜と共に結界に閉じ込められた時にあの術士が呼んでいた零人の名だった。
香菜は守護者、白夜は恥知らず、そして零人のことを『自由者』とそう言っていた。
香菜の守護者という名は前に零人や香菜からの説明で聞いていたが、白夜と零人に付けられたその名の意味が気になっていたのだ。
香菜のその異名がそうであったため、2人にもその名に関係することがあるのだろうかと考えていた。
「ま……そうだ、一応意味もちゃんとある──例えば、シロの奴の『恥知らず』ってのは凶星を使って強引に敵を倒す姿と強欲の能力者になってから負け恥を晒したことが無いっつーポジティブな意味合いでアイツは恥知らずって呼ばれてる」
この名はかなりしっくりとくる。とくに2番目の理由を聞くと白夜らしいネーミングであり、2つ名としては申し分なかった。
負け恥をさらしたことがないというパワーワードは優人に密かに眠る中二心を刺激した。
だが、これを聞いてもまだ零人の自由者の意味が分からない。しっくりと来るような要素がイマイチ見当たらないのだ。
白夜のようにバトルスタイルを指しているのか、はたまた香菜のように普段の行動を指しているのか。
いずれにしても、零人からは『自由』というイメージが沸かない。戦いでは霊力や術の制限があり、自由奔放な戦い方でもないのだ。
「俺のは単純な理由だ。俺の戦う様や行動、そして……」
零人はこの時、僅かに言葉が詰まった。
優人が不思議そうに首を傾けると、零人はため息をつくような声で理由の続きを語る。
「──自分の家から逃げて生きてるってのを皮肉で言われてるだけだ」
「……え?」
「俺は今、家出してここにいるんだ」
それは優人にとっても、あまりにも哀しくて辛い理由であった。
子供の家出と聞けば、人はその子供がただ親や学校に反抗して行ってしまう若気の至りという印象を持つだろう。
しかし優人はこの状況、彼の声音、そしてこの数ヶ月間零人を見て来てそのようなイメージに辿り着くことはなかった。
そして同時に家出をしているということは、事情があれど彼は今孤独であるということを意味している。
零人がいくら霊能力が優れていようとも彼は優人と変わらない年頃の少年だ。少なくともその事について良い感情は持っていないはずだ。
だが不思議なことにその事実を伝えた零人はむしろ晴れやかな顔をして空を見上げていた。
「俺は霊能力を生業にしてるある旧家の出身でな。それだけならまだ良かったんだが、ある日にそれは訪れちまった」
零人は瞼をゆっくり閉じ、少しばかり間を挟んでから小さい吐息を漏らす。
先程までは清々しいような表情だったのが一転し、下を俯いて寂しそうな顔になった。
「その日、俺の目は突然青く染まった。それは俺が霊能力が覚醒したっていうサイン、悪夢が始まる判決が下った瞬間だった」
それは優人にとっての憧れであり、彼が引かれた零人の最大の強さと思っていたものであった。
「霊能力に覚醒した」というこの言葉の意味合いも重みも、優人とは確信的に別であった。
困惑と悲しさの入り交じった複雑な感情が優人の中で巡って心臓を締め付けられる。
「そこからは本当に地獄だったな。毎日毎日、辛くて苦しくて痛てぇ霊能力の修行。それもガキにやらせるようなもんじゃねぇ事ばっかでな。暴力や罵詈なんて日常茶飯事、虐待どころの話じゃなかった」
「ぼう……りょく? 自分の子供に、自分を傷つけてまで……霊能力を──」
両親や兄弟から家族の愛を足りぬことなどない程受けて育ち、今も尚家族に愛されている優人にとって零人の話はおとぎ話じみたものであった。
零人が受けた仕打ちなど優人が全て理解など出来るはずもなかったが、それでも全身を寒気に襲われるほどの恐怖感を感じていた。
「真神家の当主が裏で根回しして俺は学校にも行けず、何年間も監禁状態で修行を強制されてきた。人間関係の構築が苦手なのはその時の影響がかなりでけぇだろうな」
パチ、パチ、と嫌な音が優人の中で響く。
それは零人の今までの言動の説明がつく最悪のパズルのピースがピタリとハマっていく音であった。
その音が聞こえてくるほどに優人はますます胸が張り裂けそうな悲しみに呑まれていった。
友の過去の傷は想像以上に深く、それだけ優人にも傷が僅に刻まれていった。
「だが数年後に逃げるチャンスがあって、何とか地獄から抜け出した。俺は本当なら小学生ぐらいの時に家出して、縁あって霊管理委員会に引き取られた」
「っ……」
「──そこから俺は能力者として走り出した。恨みや悔しさ、欲望、夢、殺意、快感、憤怒、言葉にならない感情……心から溢れた今までの感情全てを背負って俺は折れず狂い進んできた」
自身の辛い記憶を思い返していた零人だったがこれまでの落ち着いた様子ではついにいられなくなった。
込み上げる言葉を述べるほどに、当時の感情が一コマづつフラッシュバックするほどに零人の声と小さな震えは大きくなっていった。
「どれほど敵に傷をつけられようとも、幾度となく重症を受けようとも、何度となく惨殺されても俺は以前までは心が死んでいた。だから俺は立ち止まることなく我武者羅に力を求めて突っ走り、狂気に染まった」
それはもはや言葉で殴るかのように、誰かに感情をぶつけるかの如く零人は声を荒らげていき声を振り絞って語る。
「戦う度に俺は痛みや犠牲を払って進んだ。絶対に誰にも負けないため、誰であろうと当然のように倒せるようになるため、同じような境遇の誰かを必ず救うため……」
過去に抱いた彼の切望は実現された。
しかしそれが、そこまでの道筋は決して並大抵のものではないと優人にもフツフツと伝わってくる。
「たとえ敵が人類最大の敵だろうと何だろうと、本気を出さずして討ち滅ぼせるほどの強大な力を望んだ末に俺は得た。その果てしない道を乗り越えた先で俺は多くの能力や術という強さを手にしたんだ」
段々と感情がこもって普段は落ち着いた話し方をする零人が声を掠れさせながら言葉を次々と並べていく。
「そして進んだ先で俺は────世界最強の称号と『怠惰』を手にした」
それを言うと零人の肩はふと軽く落ち、優人には少し切ない顔を隠さずに見せた。
零人はひどく寂しそうな顔のまま、朗らかで優しい笑みを優人に向けた。
「だが進んで頂点に立ってから俺は気がついた、『これだけで満足なんかしたくねぇ』ってな」
「っ!」
「そこで俺は求めたんだ。本当なら誰しもが味わうことの出来る普通の青春ってのをな」
彼が求めていたものは、本来誰しもが持っているはずの意外なものであった。それは何の変哲もないごくごく一般的な『普通』だった。
だが『普通』という言葉は零人にとってはとてつもなく重く、人生の中で対極に位置している言葉であった。
霊能力者である上、最強まで上り詰めた零人はもう普通とはかけ離れている。
だがそれでも手に入れたいと彼はさらに望んでいた。
壮絶という一言でしか言い表しようのないそのあまりに非情な半生。
彼がどれ程辛い思いをしてきたかは優人はおろか、他の誰であろうと知ることも理解することもできない。
「…………」
「功績やら過去の関係やらで委員会は後押ししてくれてよ。何だかんだ環境も用意してくれた上であの学校に遅めの入学をさせてもらえたんだ」
優人はフィクションでも聞いたことの無いような身の上話をされ、唖然としていたが精一杯に言葉を絞り出した。
「本当に、苦労してきたんだね……」
零人に対して無責任なことは言えないと感じた優人にはその言葉が限界だった。
優人は今にも泣きそうな表情で零人を見つめる。
だが、零人はそんな優人に「大丈夫だ」と告げるように明るい表情で答えた。
「──そうだな。でももう今は変わった。俺は……お前と出会えたことで、救われたんだ。お前には感謝してもし切れねぇ」
本音を包み隠さず話してくれた彼に優人はこの以上にない嬉しさを感じたが、それは過大評価であると決めつけて訂正する。
「そんなことないって! 助けられてるのはずっと僕だけだし、それに零人君は僕がいなくてもカッコ良くて強い能力者だよ」
「そんなことねぇよ。でもそうだな、俺は『怠惰』に選ばれたが……これまで俺の中では強欲も傲慢も憤怒も色欲も嫉妬も暴食も全てを抱えてた。皮肉なことに、そういう意味では俺は大罪人に持ってこいの存在だったらしい」
絶対的な強さの証明としてその象徴が零人の求めた『怠惰』なのだとしたら、他の罪も零人には同じ願いだったのだろう。
自分の望む全てを手に入れようとする『強欲』。
孤高で誰にも倒すことの叶わない強者になるという『傲慢』。
過去や己に対しての燃えたぎる『憤怒』。
人の愛情を純粋に求めてきた『色欲』。
己にない何かを持っていた他者への『嫉妬』。
自分の糧とするために力を貪ってきた『暴食』。
それらが幾度となく混濁して形をなしていったのが彼の『狂気』であった。
「そ、そういう意味じゃ……」
「そういう意味じゃないんなら素直に俺の感謝を受け取ってくれよ、これは紛れもなく俺が本当に思ってることなんだからよ」
──零人の人生は今まで決して良いものではなかった。だが一つだけ断言出来るものはある。
それは零人が既に、過去の彼が望んだ物を手に入れているということであった。
誰であろうと屠れる力も、他者を守れる力も彼は犠牲の果てで手にした。
そして彼には守るべき者達、守りたいと思えるような人間が増えた。
7つの大罪の仲間たちから委員会の能力者達、友人たちに至るまで。
そして唯一無二の友である優人。
気がついた時にはもうそんな存在も零人が手を伸ばした先で待っていた。
彼の人生の意味はこの今が示している。彼の成してきたことと彼の周りで生きている者達が世界最強の能力者、零人という存在を肯定している。
零人は深呼吸をして山の空気を吸うと背伸びをし、何拍かの間を置いていつもの調子を取り戻した。
「──さて、そろそろ皿片付けようぜ」
「え? ──あぁぁ!!」
零人の話に熱中するあまり優人は自分の食事をすっかり忘れていた。
零人が元に戻ったことで優人もつられて普段の様子に戻る。優人は慌てて皿に盛り付けてある肉をかきこんで頬をリスのように膨らませる。
「ほら、早く食っちまえ」
「もがもがふがー!」
「無理に話さねぇでいいわ」
甘い肉の油を必死に優人は流し込んだ。
喉につっかえて咳き込む優人に思わず零人は笑いを零す。
──日が徐々に傾き始めていた頃にバスは早々と出発し、生徒や教師全員を乗せてこの蛇夜山のペンションを後にする。
そして彼らはいつもの町へ、日常へと戻っていく。
だがもう以前までの彼らでは無い。彼らの心は強く結び付き、2人は明確に互いのことを「友」と呼べる存在になっていた。
1人はその命を救われ憧れの原点を思い出し、もう1人はその心を救われ己に刺さったいくつか鎖から解放された。
今回で林間合宿編は終わりです!!
次回からまたいつも通りになります。





