第35話 孤立
──髑髏盛山に突如出現した小さな空間の亀裂、その隙間の中に優人と零人は引きずり込まれていった。
長年をかけて霊力が刻まれた土地ゆえ、認識阻害効果が発生して誰にも気付かれずに、2人は亜空間へ飲まれる。
この異変に気がついたのはせいぜいこの1人ぐらいだった。
「……優人?」
彼らよりも先にその場所を通り過ぎていた香菜だけが2人の霊力の消失に違和感を感じていた。
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異次元へ続く時空の裂け目から引きずり込まれた優人はまだ意識が混濁していた。
視界が歪みだし、体の形や感覚に異常が起こる段々と謎の眠気や不快感に襲われ、何度か意識が飛びかけそうになる。
(れいと、くん。まも、る……)
しかし、零人を守るのだという強い意思を持つことで己を制御して自我を保った。
そして夢から覚めるように意識が蘇り、感覚が復活する。
「──ッ!」
覚醒と同時にすぐさま起き上がり、戦闘準備を整える。
この世界は、以前香菜と一緒に引きずり込まれたあの魔術師の結界に似ていた。
召喚獣が出せるか確認するがこれは前と同じようにできない。
見渡すとこの中の『世界』は広く、一定の距離からは途方もない闇が覆っている。
「……ぃっ!」
闇の中で輝く無数の赤い光があった。
優人は自分の周りを巨大な蜘蛛の妖怪が取り囲んでいることを悟った。
反射的に呪錬拳を叩きこもうとしていたが、あまりにも強大な存在を前に攻撃を止めてしまった。
『小僧ォ……』
「……えっ」
一体の蜘蛛が唸るように声を発した。
想像はしたくはなかったのだがこの蜘蛛達には、明らかに知能が存在していた。
優人は零人との会話を振り返る。
霊力を多く持つ妖怪や悪霊には、知能や相応の『人格』が宿ると。
『我らワ……宿儺サマがコノ地をサラレてから……この山ノ霊気を占メ、力あるニンゲン共の霊気を喰ってイル」
「ぁ……ぁ、ぅ」
優人は恐怖で腰を抜かし、声出すことすらままならない。
「多くのウマいニンゲンヲ味わって来タ。貴様ラは、その我らノ娯楽ヲ奪っタ。贖いトしテ、貴様ダケデモ生贄とナレ』
次の瞬間、百鬼夜行が優人に襲いかかる。前線の蜘蛛の妖怪を始め、異界の奥まで待機している無数の魔獣が少年目掛けて飛びかかった。
「っ……えいっ!」
優人は簡易結界を展開する。数秒間発動する障壁程度の代物だが、鬼火を纏わせ襲い来る魔獣の牽制に成功した。
鬼火に焼かれた化け物らの断末魔の中、結界を解いて優人は空中を舞う。霊動術による飛翔で化け物の頭上を越えていった。
「うぃやあぁ!」
掲げた手には翡翠の刃が握られていた。
エメラルドに輝くその刀身は、悪霊を食らう呪いの力と蒼に燃える鬼火が宿っていた。
2つの力は混ざり、うねり、溶け合い、弾けながら風を切って敵の大群に降り注ぐ。
「斬り、裂くッ!」
刀の軌道上にいた妖怪は斬撃を浴びる。
斬撃は呪いを纏って飛来し、刀の射程を無視した凶刃を放つ。鬼火は斬られた妖怪の体を次から次へと焼き払う。
この戦いの最中、優人は思い出したかのようにこの刀に名を与えた。遅くなったが、優崎は翠の愛刀に命名する。
この刀の名は──
「幻想刀……!」
深緑の刃から放たれる蒼炎と呪い。それらに翻弄された者共の霊力が儚げに霧散していく光景から、この刀は名付けられる。
斬撃を無数に飛ばす優人を、鬼の形相で蜘蛛は睨んだ。
『こンナ餓鬼がァァ……』
心優しく純粋な優人だが、その彼の中に眠る純潔の心は敵である蜘蛛共に数百年ぶりの恐怖と焦燥を味わせた。
「僕は零人君を助けるため守るために、君達を倒す」
闘志と正義感を内包した優人の目は、一人前の霊能力者のものに違いなかった。
後方で待機していた妖怪達の援軍から追撃があった。炎や矢のような霊力が優人のさらに頭上から降り注ぐ。
「うおぉぉぉぉぉ!」
優人は霊動術で身体能力を強化し、ポルターガイストで軌道を逸らして攻撃をかわす。
回避している最中、ポルターガイストと霊動術を最大限利用し、つばめの如く地面付近を高速で飛行する。
「辻斬り!」
宙を駆ける優人は幻想刀で斬り抜け、中距離にいる妖怪を呪錬拳を飛ばして殴り払った。
幻想刀と呪錬拳は鬼火を纏い、蒼炎は霊力を通じて燃え広がる。
「おおぉ、うわあぁぁぁっ!!」
優人は無我夢中で、この空間内に存在している妖怪を倒していく。
しかし妖怪達も一筋縄では倒せない。個体差はあれど、そのほとんどが知能と相当量の霊力を持ち合わせている。並の悪霊とは話が違う。
霊力も残り僅かになるまで消費していたが、それでも優人は屈することなく化け物共に向かって吠えた。
「絶対に、勝たないといけないんだあぁぁぁぁぁ!!」
その決意と精神力によって、瞬間的に優人は失っていた内の3分の1ほどが回復した。
魂は優人の思いに呼応し、爆発的に更なる霊力を産み落とす。
「まだ、まだ終われない!」
優人は無限を思わせる魍魎共相手に、正面から立ち向かって雄叫びを上げる。
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その一進一退の攻防は長くに渡って続いた。
優人は魍魎共に刃を突き立て、呪いを我武者羅に殴り、絶えず鬼火で彼らを焼き焦がしていった。
しかし遂に、その戦は終わりを迎える。
「はぁ、はぁ……」
『ガハぁあアァ……小僧ォォ』
そして長い時間を経て、優人の限界がやって来た。
体感時間は数時間にも及ぶ長期戦。その中で1度は霊力が尽きかけたのだ。優人が1人、ここまで相対出来たことは偉業と言って良い。
しかし最悪なことに、まだ残る敵の数は優人が屠った者の数よりも遥かに上回っている。
霊力が枯渇したどころか、抵抗する体力すらも残っていない。優人はもう力尽き、そのまま地面に倒れこんだ。
「う、あぁ……」
妖怪達は雄叫びをあげて歓喜する。
そのまま何体もの巨大な化け物達は優人を覗き込み、獲物を食らわんと腕を伸ばす。優人はこれから自分に起こることをただ見ているしかできなかった。
(ダメ、だった……僕このまま食べられちゃうのか。もう動けない、零人君。本当にごめ──)
これまでに恐怖の中で戦い続けてきた優人がこの時に抱いた感情は、恐怖でも後悔でもなかった。
ただ純粋な敗北に対する無念。
真神零人を目指す決意を抱いていた1人の少年は、その夢半ばに息絶えるということがこの上なく辛かった。
力を最後の一絞りまで出し切ったことで、己の無力さを痛感すると、一粒の涙が彼の頬を伝って零れる。
絶望と悲しみの暗闇の中で化け物共が騒ぎ立てる。
その時だった、戦いの最中思い続けていた鮮烈なあの声が優人の耳に入ってきた。
「──待たせたな、良くやったぜ」
その声は、間違える筈がない。優人がこの世界で最も信頼し、敬愛している世界最強の友の声だ。
優人は彼の姿を拝むと、ボロボロと涙を流しながら安堵していた。
「うぅ、遅いよぉ……」
感情のままに涙を流し、弱々しい声で優人は親友に文句を言った。
零人はここまで折れず立派に戦い抜いた優人に明るい笑顔を見せる。
「ハッハ、悪い。この異界の時間を止めるのに、邪魔だった向こう側の奴ら相手してたら遅れちまった」
零人は無邪気に笑いながら、蓄えた霊力を徐々に解放していく。
妖怪達は突如現れた青年に恐慄いていた。霊力が、零人の雰囲気が、彼らの本能が、零人は太刀打ちの出来ない脅威である知らせる。
『ナ、ニ……向こうの奴らヲ……? まさかキサマ──』
「まぁ、そんなことよりもだな優崎。こんな状況なもんで俺の制限は一部解除されんだわ」
零人は首をコキコキと鳴らすと周囲に複数の魔法陣を展開する。青白い光に包まれ、零人は張り巡らせた陣に向かって詠唱した。
『霊管理委員会7つの大罪「怠惰」の名のもとに、我が傀儡を解放し、我は大罪を武装す』
異界にあるはずの無い突風で髪が巻き上げられ、胸元に浮かぶ蒼い紋様が輝きを増していく。
零人は瞳を閉じニヤリと口を歪ませると、紅に染まった目を見開いて宣戦布告の合図を出した。
「さてと」
零人は狂気に満ちた目で愚者達を睨み、その力を呼び覚ます。
封印されたその力とその拳で邪を祓う凶獣を己の中から解放した。
「無双の時間だッ!」





