第22話 咎人
「うぅん……あっ」
優人は混濁しながら意識を取り戻すと、いつの間にか異形な空間の地面に倒れて気を失っていた。地面はなく、空もない場所に優人は横たわっていた。
朦朧とする中で優人は辺りを見回す。彼がいたのは空間全体が暗闇に包まれ、壁があるのか果てしなくこの空間が続いているのかも分からない場所だった。
そして水を打ったような不気味な静けさが辺りに広がっている。
時間が経つにつれ暗闇に慣れてきた優人は目の前に何かがいるということを認知し始めた。
黒い布から水が染み出すように2人の人物の姿が出現する。
そこには手足を金属のような拘束具で十字に空中で縛りつけられている香菜と、三十路を過ぎたローブ姿の細身な男がいた。香菜は男をじっと睨みつけている。
男は終始いやらしく気味の悪い笑みを浮かべて優人を見ていた。笑って弧になっているにも関わらずギラつく眼、嘲るようでも歓喜している訳でもない不気味な笑み、身に纏うローブからも伝わってくる男の異様さ。
この男こそが零人達の探していた人物であるということは言うまでもなく理解出来た。
この状況出なくとも、優人はこの男の気持ち悪さに気がついたであろう。醸し出している奇妙な雰囲気や何を考えているか分からぬ表情の中に、明らかに邪な感情が存在しているのが傍から見ても伝わってきたからだ。
「か、香菜ちゃん!」
「優人、くっ──」
優人は拘束された香菜を見て声を荒らげた。香菜の頬には傷があり、彼女の顔からは赤黒い血が滴っていた。
男は優人が状況を理解したと把握した途端、大声で嗤い出した。猛禽類が鳴くかのような高笑いで延々と嗤い、見下した目で優人を見つめながらここぞとばかりに煽り罵倒した。
「はぁ、はは、はハは、あはははあぁぁ……起きたぞ、ようやく起きたぞ! 襲撃されておいて反撃どころか身も守らず転がる愚図。ハッハ、滑稽も滑稽。こんな取るに足らん餓鬼の劣等術士も見ている分には飽きが来ぬ」
「てっめぇ、優人に……」
「ハッ! 力のない形骸化した大罪の能力者如きの威圧に畏怖するとでも? 生意気な貴様の舌を顎ごと切り落としたいぐらいだが、中々どうしてそう嬉しい顔をしてくれるんだ『守護者』よ」
男の罵倒の言葉は優人の耳に入らなかった。憎悪よりも先に、根本的な感情に優人は直面していたからだ。
香菜を侮辱し、傷つけ、虐げた事に対する怒り。憎悪にまで発展することなく留まり、男を恨むことなく香菜を助ける事に力が切り替わる純粋なる怒り。
そしてこの術士から感じる異様さに対する恐怖。
恐怖に加え、優人が戦闘時に抱くことの無かった怒りという2つの感情が顕現したことにより力は溢れ出した。
優人の中で霊力はその一つ一つが力を増していき、やがて霊力は呪いとなって優人の拳から射出される。
「香菜ちゃんを、放して!!」
渾身の力を込めて優人は呪錬拳を放った。呪いは感情による爆発力によって増大し、結晶となって飛んで行った。
加えて過去最高硬度の宝石類が拳から突き出るように生え、呪いそのものは炎のように黒い煙が燃え上がる──はずだった。
放たれたのは小さく今にも消えそうな単なる呪いの塊。呪いも霊力も威力は過去最大級であった筈の呪錬拳はすり替えられたような脆弱な霞へと変貌していた。
「な、なんで」
「カッハッハッハ……変わり種しか芸のない未熟者が、小賢しい」
男は呪いが目の前まで待つとハエでも払うように手で叩いて効果を打ち消した。
困惑している優人の表情を堪能するようにニヤつきながら、男は虚空から長い鞭を取り出し優人を叩きつける。
「うわあっ!」
「ゆっ……」
「──ッ! うぅ、ああぁぁ! いっ、いだ……」
大蛇の如くしなって撃ち込まれた鞭撃は優人の皮膚へ十万の電撃に等しいほどの痛みを与えた。鞭による生々しい攻撃によって優人は左腕から背中にかけて傷を負う。
皮膚に食らう前代未聞のダメージに優人は息が詰まり、涙を流しながら地面に転がる。
「優人ッ……!」
「──ぅっ、ううあぁぁぁぁ!!」
鞭は痛みのショックで人に死を与えることが可能な武器、少年がおよそ耐えられる代物ではない。
男は痛み苦しむ少年を嘲笑い、更に挑発として次々と卑劣な言葉を投げかけていった。
「そうだそう、苦しみ悶えてくれ。そして私を恨め。その霊力は私の糧となってくれよう」
「ッ!」
「ハッ、随分と怒り心頭なようだな守護者。お前が抵抗の素振りを見せているから、私は彼から霊力を頂く他なかっただけのこと。怒りの矛先は自身の愚行へと向けろ」
「霊力を、徴収? 術も式神も使用してない貴様がか?」
「この異界そのものが媒体だ。式神と一体化した我が一族の術。その真髄はこの空間の絶対支配。故に許容を超えた複雑な術式の付与や行使も可能。魔術で解除するにしても相当な時間を要する要塞異界だ」
奇しくも男の言葉は紛れもない真実。現時点で優人の霊力は五割に届くほど結界に吸収され、放出された瞬間に更なる霊力の徴収が行われている。
容易に攻撃も出せないが、時間経過と共に状況は悪化する最悪の条件。
絶望と苦しみが顔に現れる優人を観察し、口を歪めるように悪辣な笑みを男は浮かべる。根本から腐敗した加虐者の無自覚な威圧に優人は怖気付く。
「小僧、お前はどうしたい。苦しみたくないか、痛めつけられたくないか、あの娘を目の前で殺されたくないか、自分の手で殺させたくないか、自分がどう死ぬか、どう拷問されるか、答えてみろ。何を言おうがお前の沙汰は私が決する。どうされたいか、されたくないかを吐いてみろ」
「っ──げほっ、けほっ」
術士はようやく呼吸を取り戻せた優人の傍に寄り顔を掴んで最悪の尋問をかける。尋常と対局に位置するこの男の精神は自身にとって計り知れないほどの脅威であり、最も太刀打ちの叶わない存在だと優人は確信した。
悟った優人は自身の身の安全に関する考えを捨て、せめてもと香菜に向かって叫んだ。
「香菜ちゃん、香菜ちゃんだけでも良いから逃げて! お願い、香菜ちゃんなら逃げられる。だから──」
「ごめんね優人、ここからは逃げられない」
「っ……」
絶句した優人に精神的にも追い討ちをと術士は彼の髪を雑に掴み至近距離で香菜が逃げられない理由を伝える。
「能力者としての常識すら携えていない餓鬼よ、享受してやろう。暴食の大罪を背負いし能力者、その縛りはな、『一定の霊力の獲得によって能力が発動可能となる』だ」
「それって──」
「基準値まで他者から霊力を狩り取らぬ限り能力は封じられる。おそらく発動できる能力が制限によって大幅に制限されるのだろう。加えてこの異界の効果で現在は魔術の使用が不可となる」
「そん、な……」
術士は高揚していた。優越感に浸り、絶望する少年と自分を未だ睨みつける少女の姿に見蕩れている。
「能力を封殺されてしまえば、お前はただの餌。貪られる側に立たされる阿呆だ。お前の権能と力──貴様を殺すことで継承させてもらおうか」
香菜は愛する者を傷つけられ、顔を真っ赤にして怒り狂いながらも唇を血が滲み出るほど噛みながら自分を抑える。
(お前の情報は誤りだ。確かに能力の制限は受けはするけど、こんな至近距離の相手を殺す程度の術や力は使える。ただ……下手に動けば優人が殺される。それだけ、それだけなのに)
息を荒げながら香菜はチラリと自分の腕時計を確認した。
(腕時計の動きは正常。つまりこの空間の時間の流れは外と同じ可能性が高い……でも時間稼ぎも絶望的。間に合わないかもしれない)
「小僧、貴様は能力の問題か精神的な問題かは知らんが、対人戦闘に秀でたものを持っていない。それは罪ではないが、弱者であることを否定する権利もない。搾取を受け入れろ、運命を肯定せよ」
圧倒的なまでの対能力者戦闘での実力と底無しの悪意を持つこの男は2人が対峙したどの魔獣や能力者よりも薄汚く醜い存在だった。
状況は最悪の中の最悪、逆転の目処はない。しかし無抵抗であれば確実に訪れるのは死。激痛、絶望、恐怖、乗り越えは出来ずとも抱えて進もうと優人は立ち上がった。
霊力の流れすら乱れ体から漏れ出し、戦闘など可能な状態ではない。だがそれでも最後まで抗おうと優人は震えを伴いながら拳を握った。
「僕は、諦めない……僕は人を傷つける能力者に、殺されたくはない!」
「劣等、その程度の力で勝てるとでも妄想しているのかッ!」
優人は男のそばまで走り召喚獣と鬼火を使おうと試みた。だがこれらの術は発動そのものができなかった。攻撃が発動出来なかった隙に間合いまで男に接近される。
「塵如きが……」
男は空間の霊力により棍棒を生成、魔法陣から抜き出し優人の腹に全力で叩きこんだ。
優人は唯一のカードである呪いで反射的に腹をガードしたが、致命傷を逃れただけで痛みを伴いながら後方まで弾き飛ばされる。
「虫の息だということも理解が及ばぬ、何とも哀れ。不快だ」
痛みに苦しむ優人を今度は冷たい目で見下しながら男は複数の魔法陣を宙で同時発動させる。魔法陣からは蛇のように自ら動きしなる鞭、出現と共に増殖する巨大な蜘蛛の群れ、赤い砂で構成された手のような怪異を召喚して優人に這い寄らせる。
「っ──うおあぁぁぁぁ!」
叫びで己を奮い立たせ、体内に残っている最後の霊力を絞り出して呪いで迎撃を試みる。劣勢ながら、死に物狂いの迎撃で優人は耐え忍ぶ。
化け物共が射程距離に到達すると優人は呪いの拳でひたすらに殴り消滅させていった。
優人はその場からは動けないが、呪いの拳をチェーンソーの仕組みを利用して断続的に呪いを行使する。
迎撃の末にようやく視界が晴れ、化け物を退けて奥に立つ男の姿を捉えた。だが男は依然として余裕の笑みを浮かべている。
そして優人の霊力は尽きた。
「ぁ……」
優人は力尽きて倒れ込んだ。一時的な霊力の完全消費によって体の自由も消え、優人はピクリとも動くことが出来なくなった。
「姿勢だけは、評価してやろう。しからば我が糧となって死ね」
「優人っ!!」
優人は虚ろな目で傍観しているしか出来ず、香菜も抵抗が出来る余地が無くなった。
男はローブの中から1本の短い刃物を取り出すと、ゆっくりとした足取りで香菜に近づく。最後に香菜を嘲笑し、刃物を上に掲げて術士は振り下ろす。
「では手短に済まそう。その命は、我が栄光と力のためっ!!」
白銀の刃が振り下ろされるその瞬間、香菜は死を悟った。
だが彼女はコンマ1秒にも満たなかったその刹那、異界の端からある霊力の変化を感じた。
刃物が胸を貫こうとしたその寸前、香菜は口角を僅かに上げて安堵した。
「──やっと来た」
その瞬きの瞬間、轟音と共に異界に暴風が吹き荒れた。刃物は男の手から飛ばされていった。風が吹いてきた方向を3人が振り向くと、その先には外の街の景色が映し出されていた。
異界は割れた硝子のようにその場所だけ破れ、外から突然巨大な霊力の流れが侵入してきた。
異界が割れて崩れゆく中、足音が響いてきた。
外から月の光が差し込むと、その光の中から1人の少年が現れた。
血のような赤い髪、光が反射している耳のピアス、水をかけた石のように蒸気が立っている右拳。
彼が異界の一部を破壊した張本人だということは見るまでもなかった。
少年は尋常でない霊力と闘気を纏いながら近づいてくる。優人はその少年を見るや目を見開いた。
「君って……」
優人が不思議そうに少年を見ていると、術士の男は彼を見た途端に取り乱し始めた。
「お、お前は『恥知らず』……7つの大罪の『強欲』の能力者ッ!!」
術士の男からは予想だにしていなかった言葉が飛び出し、優人は驚愕する。
「──あっ!」
その少年は優人と目が合うと意外そうな顔をして声を漏らした。優人は赤髪の少年と思わぬ再会を果たす事となった。





