第16話 新たな大罪人
「7つの大罪『暴食』の能力者、西源寺香菜」
「っ……」
零人は静かに問い詰めるようにその名前を口にした。
7つの大罪の暴食、それは香菜にとっても間違えようのないその言葉だった。
香菜は零人の言葉を聞くと顔色を変えて硬直する。
そのワードを聞いた直後の彼女の反応を見て零人は香菜こそが『暴食』であるという確信を掴んでいた。
────7つの大罪『暴食』、それは人間の中にある最も根源的で抗いようのない欲である。
大罪の能力者とはその罪に相応しい能力者ではなく、その罪を背負い戦うことのかなう真の強者のみが選出される。
つまり、『暴食』の名を持つ能力者とは選ばれた実力者である。
──そしてその『暴食』である彼女こそが、世界最強と謳われる零人と肩を並べる6人の霊能力者の1人であるということだ。
そもそも、尋問する以前に彼にもう見当はついていた。
(西源寺香菜……霊力の反応からして初見の時からまさかとは思ってたが、予想通りだったな。霊力の流れも量も伝わってくる気も、大罪の能力者の雰囲気と一致している)
そしてその名を明かされた本人は──
「ちょ、なんでそれ知ってるの!?」
驚愕し手を動かしオーバーなリアクションを取っていた。
「…………は?」
香菜の発言によって本日二度目となる零人の思考停止が発生した。
零人は予想外の反応と言葉にフリーズした。
(こいつ──今なんつった?)
零人が不審がるのも当然であった、彼女が零人のことを知らないはずはないのだから。
7つの大罪は必ず加入時に顔合わせをし、少なくとも2年に1度程度は嫌でも任務などで召集がかかるからである。
その中でも『暴食』は滅多に顔は出さなかったのだが、以前に1度会った時に零人は『暴食』の能力者である香菜の顔はうっすらとだけ覚えていた。
だがそれよりも、まず前提として零人は世界最強の能力者と呼ばれるほどの霊管理委員会における最高戦力である。
そもそも、委員会所属の能力者が零人のことを知らないということはまず有り得ないのだ。
しかし彼女自身は気付かずに見当違いな返答をしていた。
「私、前に委員会の人に頼んだよ? できるだけ他の霊能力者に私のことはバラさないでって──あっ! もしかして君、委員会の人なの!?」
香菜の素の天然ぶりと勘の悪さに苛立ち、とうとう抑え切れなくなった零人は、これまた同じく本日2回目の絶叫を放つ。
「俺が大罪の『怠惰』だよ!!」
「…………」
訪れたのは束の間の静寂。両者はその間、息を揃えたように思考が停止していた。静寂の世界の中、2人の脳内時間は止まる。
そして静寂は再びやってきた絶叫にて幕を閉じることとなった。
「──うええええ!! 君が『怠惰』!? 嘘おぉ、こんな雰囲気だった?」
「それはこっちのセリフだ、まさか暴食が天然キャラだとはな……」
香菜は幼い頃からの癖なのか優人と接している時はしっかりとしている。だが見た限りでは普段は超が付くほどの天然とピュアさである。
優人と昔から接していていたため、その子供のような天然さが香菜にも伝染したのである。
だがこれはあくまで素の状態。零人が耳にした噂や実際に見て知っていた彼女の情報では、冷たい表情でいつもどこか上の空。悪霊を狩る時の眼と姿はまさに『死神』そのものだという情報が常々入ってきていた。
だがその情報は誤りであると零人は自身の中で訂正を入れた。
少なくとも香菜は悪霊に対して容赦のないようだが性格は決して悪くは無いのだと。
拍子抜けしたように零人はため息を吐く。
「はぁ、こりゃ全部話さないとダメだな……」
零人は冷静になってこれまでの経緯を全てを話した。
なぜここにいるのか、優人との関係性、そして優人の霊能力者としての今を事細かに。
「──そうなんだ、優人は今はもう能力を使ってるんだね……」
「正直、今まで知ってたんなら教えてくれってぐれぇの逸材だぜ? 優崎は」
「……ならもう心配なさそうかなぁ、なんか安心したぁ」
「まぁ結果的にだな……ただお前が今日まであいつを守っててくれたんだよな?」
「うん……」
零人と出会ったことで資質が覚醒したとはいえ、あれほどの霊力の塊のような存在である優人が霊の存在すら知らないということは普通であれば異常なことなのである。
それほどまで、香菜は徹底して優人を守ってきたのだ。
その大罪としての力を振るい、霊の存在すら悟らせぬほど優人から遠ざけ守護していたのだ。
そんなことはそれこそ、大罪の能力者にまで上り詰められなければ出来ぬ所業である。
零人は真相が分かると静かに息を吐く。
(少なくとも、なんであいつが今まで無事だったかの謎は解けたな)
「────ありがとな」
「えっ?」
零人は視線を落としながら何処か照れくさそうに言葉を口にし出す。
「今まで普通の人生や人間関係とは無縁だったからな、俺はダチが1人もいなかったんだ。だが優崎は俺の……本当のダチだ、ただ1人のダチなんだ。初めてのダチが優崎じゃねぇ誰かだったら、こんな気持ちにはなってなかっただろうな」
「…………」
「そんなアイツを守って、俺と巡り会わせてくれたのは──他でもねぇお前だ。あんたが優崎と俺を会わせてくれた。だから感謝する」
「あっ……」
感謝の言葉を述べられて香菜の涙腺が緩んで数滴の涙が頬を伝った。
感極まったのか香菜はポロポロと涙を流し始め、目をぐしぐしと拭う。
「あはは、ごめんね……なんだろ、今まで1人で戦ってきたから。ちょっと気持ちがぶわっと来ちゃった」
「……おっ、噂をすれば」
空き地前の道の向こうから優人が2人を発見し駆け寄ってくる姿が見えた。
「あれ? あっ! おーい香菜ちゃ~ん、零人君~」
「優人ぉ──────はッ!」
この時に香菜は話をしていて気がつかなかった。もう日が落ちるわずか数秒前ということを。
「どうし──優人っ!」
香菜が急いで駆け寄ろうとするが太陽が落ちると彼らのいる辺りは一面の、影に包まれた。
日の光が届かなくなったと同時に悪霊の群れが闇の中から出現し、優人に向かって上から飛び込むように一直線に狙ってくる。
優人もその霊力を感知して悪霊の存在にすぐ気が付いたが、あまりにも距離が近過ぎた。
優人が呪いの拳は発動させるまでにはまだ僅かながらに時間を要するのだ。
悪霊の近づいてくる速度の速さもあり、確実に反撃は間に合わない。
「うあああああぁぁぁ!!」
悪霊達がその鋭い歯や爪で優人に襲いかかろうとした時だった。
唐突に優人の目の前で鉄を裂くかのような甲高い音が聞こえてきた。
「…………あれっ?」
「シイィィ…………」
「「!?」」
──悪霊達の首はいつの間にか飛ばされ宙を舞い、1秒後に悪霊達は気がついたかのように肉体が消滅していった。
何が起こったのか2人は分からずにいた。誰も悪霊達への攻撃の瞬間が全く見えなかったのだ。
だが零人は空中を微妙に残る霊力を目で辿った。そして2人は背後に立っていたその者を確認する。
「コオォォォ……」
そこには霊力を煙のように刃から放つ大きな鎌を抱えた香菜が、住宅の屋根の上に立っていた。
さっきの香菜の明るく天然な様子とはうって変わり、静かに怒りの表情を浮かべていて大鎌を抱えている。
(マジかよ。暴食の戦闘場面は初見だが、こいつはたまげた)
優人の霊力と今の香菜の攻撃を察知したのか、群れとなった悪霊達がこの場所へ一斉に集まってきた。
香菜は自分や優人に寄ってくる悪霊に氷のような冷たい目線を送り、呟くように奴らへ言い放った。
「あぁ…………掃除しなきゃ」
その言葉を耳にした零人の背中に寒気が走った。これは零人が数年ぶりに恐怖を感じた瞬間であった。
「死神の大鎌──」
香菜が言い放つと突然の強風によって、優人達の服が大きくなびいた。
香菜は光のような速さでその鎌を振り回して使い、悪霊共を1匹づつ正確に狩り尽していく。
香菜は大鎌の刃を利用して右手のみで分銅のように振り回し、風よりも速く駆けて悪霊達を斬り裂いていく。
少しでも当たろうものなら悪霊は己の体を破壊されるのみ。
その形相、口から冷気のように吐かれる霊力、そして悪霊を無慈悲に消し去っていくその姿は──死神であった。
「うおっ……」
零人は背中に再びゾワワと走る寒気を感じた。
委員会や能力の規約上、大罪同士の戦いが起こることはない。だがもし香菜と戦うとした場合、奇襲もしくは霊能力アイテムなど特殊な方法を使われたとしたら──世界最強である零人でも十分やられる可能性はあるのだ。
「──アイツが大罪の能力者で良かったわ、逆にな」
大罪の能力者達の制約に零人はこの時、感謝をしていた。
優人は香菜の戦闘を見ながらオドオドした様子で零人に話しかける。
「ねぇ零人君、香菜ちゃんどうしたの!?」
「んぁ、あいつは俺と同じ大罪の能力者の『暴食』だ。んで、今までお前のことを陰で守ってたってわけだ」
さっきの2人の反応とは違い、間髪入れずにリアクションする。
「うえぇぇぇぇ!? ──ん? ちょ、えええええ!!」
優人は零人から得た聴覚情報を処理出来ずに混乱しながら叫んだ。
この間に香菜は本物の死神如くの大鎌を振って悪霊達を何も考えずにただ裂き続けた。
悪霊達はまだ向かってきていたが、香菜は再び屋根の上に立つ。
香菜は最後に一言、とても恐ろしい低い声で言い放って指を鳴らした。
「消えろ」
『──? ……ガウァガエギャァァァァ!?』
悪霊達は内部から破裂するように爆発した。
霊力の動き方を見るに、血液の如く循環し安定を保っている霊力が細かい粒子のようにそれぞれで活動を始めてそれによって破裂したようだ。
おそらく今の攻撃によって全ての悪霊が今の攻撃で消え去った。鳴り響く断末魔の中、香菜はいつもの明るい表情を取り戻していた。
だが零人にはそれが一層恐怖を掻き立てていた。
「これが西源寺の大罪の能力『ソウルイーター』、霊力を自他関係なく変換し操作する能力だ」
優人は前に異世界から送られた悪霊を完膚なきまでに倒した時の零人を思い出す。
あの時のような、その圧倒的な存在の前で何もできないと霊力による圧の恐怖から来る硬直は体が全てを覚えている。
だが香菜を見てその恐怖の気持ちや硬直反応が次第に消えていく……そして2人の方を見た香菜はハッとようやく我を取り戻した。
「あっ、いやっ────はぁ……もういっか。ごめんね優人」
「え?」
突然の謝罪で優人の頭が真っ白になる。なんで謝られているのか、その理由が全く理解出来なかったからだ。
「今まで黙っててごめんね、優人には怖い思いさせないように隠しときたくて。結局は、ダメだったみたいだけど……」
香菜は優人を悪霊から守り、その存在すらも認識させずに優人の平穏という『優人と自身の幸せ』のために戦ってきた。
だがその使命を果たせずに自責の念にかられていた。
「そんなことないよ!」
香菜は優人がいきなり大きな声を上げたことに驚き目を見開く。
「よくわかんないけど……今まで僕に何もなかったのは、香菜ちゃんのおかげでしょ? とっても嬉しいし、本当にありがとう! 言葉じゃ言い切れないぐらい感謝してるよ!!」
香菜は涙がまた再び溢れそうになる。しかし安心してしまって攻撃態勢が崩れていた。
先程の攻撃で消し切れなかった悪霊の残りが優人の背後に迫ってくる。
香菜は対応しようとするが──
「それに今は」
優人は空気中の水分を錬金術と鬼火で『燃えるダイヤ』へと変換し、それを呪いの拳で弾いた。
それによりダイヤの当たった悪霊を焼き割いた。悪霊の断末魔が聞こえるが優人は気に止めずにそのまま話を続けた。
「零人君に霊能力の修行をさせてもらってるし、僕も今は戦えるの。だから──次は僕が香菜ちゃんを守るよ!!」
言葉使いこそ子供らしいが、その瞳には強い決意が映っていた。大切な人を守るという絶対的な宣言、当然それは揺るぎない真実。優人のその心に一点の曇りもなかった。
「うぅ、優人~!!」
香菜は溢れる思いのままに強く優人を抱きしめた。
優人はそのまま泣いている香菜が落ち着くまで優しくは頭を撫でていた。
「よしよーし」
「へぇ、あの優崎が一丁前に女を抱きしめてるとはな……」
──香菜の気持ちが落ち着き、ひとまず3人は帰ることになった。細かい話はまた明日にするようだが、優人と香菜は少し話しながら一緒に帰るようだ。
帰り際に2人は零人に挨拶をしていく。
「零人君じゃあね〜!」
「真神君、今日はありがとう。これからも優人をよろしくね。あと──」
そう言って香菜は零人の耳元で囁いた。笑顔のまま先ほどのような低い声で冷たいその息と共に。
「優人に何かあったら、その時は覚悟しろよ」
零人は背中の皮膚下を蛇が這いずっているような寒気に全身の毛が逆立つ。
「じゃ、またね〜」
優人のように明るい声で香菜は別れの挨拶をした。
「…………マジかよこれ」
零人に身近な脅威ができた瞬間である。