第33話 キミに頼みを
水中にいるような浮遊感。意識の深海の中で優人が感じていたのはそれだけだった。胸の奥で蠢く術式へ満ちるほどの霊力が注がれた頃、彼の視界へ光が回帰する。
「……うう、身体が痛いぃ」
目を開いて真っ先に彼が感じたのは激しい筋肉痛と骨折の痛みだった。ベットの上で横になっているだけでもジクジクと全身が悲鳴を上げている。
「優人ッ! やっと起きた」
ぼやける目を凝らしてベット横を見ると、すぐ近くに零人と香菜が座って待っていた。朦朧としたままの優人はようやく自分が病院にいることを理解した。
「起きたか優人。お疲れさん」
「おはよう……ありがとう」
優人の目覚めに二人はホッと胸を撫で下ろす。と同時に部屋の中へ拍手と共に入って来る悪魔が一人いた。金の髪を揺らし黒い羽根を落としながらルシファーは目覚めた優人へ賛美の言葉を贈る。
「任務遂行ご苦労様。しかも初の任務で大勝利、おめでとう。期待以上の活躍をしてくれて、僕も嬉しいよ」
「ルシファーさん、ありがとうございます。でも僕が勝てたのは──ああ! そうだ、瑛士君は!? それにシロ君と、一晴さんと、真一君も」
「安心してくれ、全員無事だ。瑛士と白夜は無論もう回復してピンピンしているし、真一は霊力切れと肋の骨折程度。一晴も今は落ち着いて受肉も済ませたよ」
「無事なんだ。良かったぁ」
仲間達の安否を耳にし安堵していた次の瞬間、優人の額に容赦ないデコピンが飛んでいった。
「良かったはこっち台詞だアホ」
「いてっ」
ルシファーからの賞賛とは対照に、零人から与えられたものは叱責であった。
「お前、霊力を全部呪術式に流して捨て身覚悟の大技ぶちかましたらしいじゃねぇか。まだ再生能力も持ってねぇ癖に無茶しやがって」
「ごめん、零人君。でもね」
「あ?」
あの刹那に死を間近に体感し得た覚悟を、命を賭けて到達出来る世界を理解した感覚を、限界を破って突き抜けた覚醒を、優人は否定したくはなかった。
「あの時の僕は一瞬だけ何もかも忘れて、敵に勝つための覚悟を持てたんだ。それがなかったら紅い龍には勝てなかったと思う。それにあそこで踏ん張れなかったら僕は、いつまで経っても君に追いつけないから」
優人が見据える先に待つのは世界最強だ。少年が秘めた憧憬はあまりに真っ直ぐで、危ういまでに純粋だった。欲や雑念からはかけ離れた非人間的な純情。
「焦らず自分のペースで進めば良い。そんなに急がなくても、ここはまだ揺らがねぇ」
殻をまた一つ壊した少年に零人も深く責めはしなかった。ただ己の身も大切にしろと言う代わりに、くしゃくしゃに彼の頭を撫でるだけで。
だが納得しない者が約一名ほどいた。
「ゆーうーとー? 捨て身ってどういうこーとー」
鬼の形相の香菜が優人の両頬をつねり、眼前まで顔を近付け圧をかける。気迫負けした優人は小刻みに頭を縦へ振った。
「ほへ、ほへんははい」
「こんな可愛い彼女を置いて逝ってみろ~? 地獄から呼び戻して往復ビンタだよー」
「そこのお嬢さん、大罪の能力者が積極的に規則破んないの」
ルシファーが切れ気味の香菜を引き剝がした時にはもう彼の頬は真っ赤に腫れていた。
「じゃあひとまず優人君が起きたことだし、一旦彼を借りるよ~。彼だけにしか聞かせられない業務連絡があるんだぁ」
ルシファーに追い出される形で二人は病室を渋々後にした。零人も香菜も揃えたようにルシファーを睨みながら。
「ふぃー。嵐みたいな子達がやっと去ったね。これで気兼ねなく君と話せるよ」
「その前にルシファーさん、ここで大丈夫ですか? そもそも悪魔なのにここにいて」
「それなら問題ないさ、ここは委員会直営の病院だからね。僕がウロウロしても、会うのは関係者だけだ」
いつものようにふざけた調子と手振りで言葉を連ね、ルシファーは優人のベット端に腰かける。
「まあ業務連絡とは言ったけど、正式な報告としてすることはあんまないんだあ。上も君の活躍には大喜びだったし、今は怪我の回復を優先にぐらいの言伝しかないんだよね」
「委員会からの連絡じゃないんですか?」
「……個人的な話さ。君に一つ、お願い事をしたくてさ」
その時スッと、彼の目から明るさが消えた。軽快な普段の雰囲気は失せ、今までになく真剣なルシファーは優人へあることを頼み込む。
「零人のことだ。今後何があっても、アイツのそばで支えてやってほしい」
言われた内容について優人は理解に苦しんだ。まだ霊能力者として半人前で目標の背中さえ見えていない自分、と自己を評価ぃている優人にとってその頼みは無謀なように思えた。
「そんなこと僕に、出来るでしょうか。零人君にはいつも助けてもらってばかりで、支えてあげるなんて」
「そんなことないさ。だってアイツは君と出会うまで、零人はずっと孤独だったのさ」
「え。あの零人君が?」
「零人は、生まれながらにして霊能力に愛されてた。彼が家を飛び出して僕が拾った時でさえ、既に並みの能力者の実力を凌駕していた」
それは懺悔の告白をするように、昔話をぽつりぽつりとルシファーは語る。
「でもそれに僕達は甘えてしまった。能力者の人手不足を理由に、幾度も駆り出させてしまった。生き死にの現場、人の悪意に満ちた領域へも」
「それって、零人君がいくつぐらいの話ですか?」
「本来なら小学校に通うような年齢の時期だ。今思うとありえないよなぁ、馬鹿げてるよな。どれだけ桁外れの実力だろうとあんなの、子供に見せるべきじゃなかった」
幼い零人が過酷な修行と家庭内暴力を受けていた事実は以前に彼の口から優人は聞いていたが、霊管理委員会での過去については多く聞かされていなかった。そのため彼が霊管理委員会に入ってからの苦悩について優人が考えるのは、これが初めてだった。
「ただ決定的だったのは4年前のことだね。全世界同時霊能力テロ、ジェイスガン事変」
「ジェイス、ガン?」
「違反能力者集団『ジェイスガン』。当時最大の敵対勢力だった彼らは世界中の主要都市を狙い、霊能力を使用しての超規模破壊行為を行った」
名も知らぬ集団の起こした名も知らない大事件。その概要の大きさに優人は唖然としていた、
「そんなことがあったなんて、全然知りませんでした」
「知らなくて当然さ。あの時は僕の力で時間軸や空間を歪めて色々世界を調整して、なかったことにしたんだ」
「そんな大きな出来事を、無かった事になんて出来るんですか⁉」
「勿論、委員会のフィードバックはありきの手段さ。多用は出来ないけど、あの時は全世界が対象だったから仕方なく使ったけどね」
話していく中で優人は彼の表情が曇っていくのが分かった。ルシファーは唇を噛み拳を固く握り、怒りが滲み出ているのが伝わって来る。
「問題だったのはその大事件の首謀者の一人が、元霊管理委員会の能力者ってこと。それがかつて零人の相棒だった男って事さ」
「零人君の、相棒……!?」
知らされることのなかった過去とかつての零人の相棒だった人物の存在、世界中を巻き込んだ大事件。信じ難い内容の連続で優人の頭はパンク寸前だった。
「友だと思っていた人物が委員会ごと裏切って大事件を引き起こしたことを、アイツは悔いてた。後悔と葛藤の末に零人は無理矢理、無間地獄に入った」
「無間地獄……?」
「無間地獄はこっちの世界が一秒経過する間に、何年もの月日が流れてしまう地獄の異界だ」
「なんで、零人君は……」
零人の取った狂気的な行動の疑問に溜め息交じりで堕天使は答えた。
「ひたすらに強くなるため。世界最強という絶対的な強者として万人を守り、全ての邪を退けるための力をあのバカは欲した。アイツはそのために、異界の中で4000年も過ごしやがった」
「よん、せんっ……」
言葉として聞くだけでも気の遠くなるような時間、そこへ飛び込もうとお思い立つまでの精神状態。その経緯も知った優人は彼の負った苦しみに心を痛めた。
「魔術、スキル、体術、術式の会得。幾千万回にも及ぶ能力の解析と開発、実践を想定した不眠不休の修行。途方もない時間を過ごして出て来た時、今の真神零人が誕生した」
世界最強、その名を冠し君臨するために零人が歩んできた道のりの一ページ。壮絶なんて言葉で収まるような生半可なものではなかった。
歴史というに相応しいまでに濃いその人生に優人は衝撃と、尚更に自分程度の人間がが支えられるような存在ではないという思いがあった。
「そんなバカの心を唯一開かせたのは君なんだよ、優人君」
「ぼく、が?」
ルシファーの目に映る優人は、決して零人の後釜や戦力になるための人物ではなかった。この世界でただ一人、真神零人にとって唯一無二となる友人として彼は見ていた。
「君が隣にいる時だけ、アイツはただの人に戻れる。どこにでもいるような、ただの高校生のガキに」
「零人君が……」
「それは君の存在そのものが零人の救いになってるんじゃないかって、僕は思うんだ」
言われたものの優人にその実感はなく、まだ納得はし切れていないようだった。その様子を察してルシファーは別の角度から話題を切り出す。
「話逸れるけど僕さ、生前の記憶ないんだよね」
「えっ!? ルシファーさん、記憶喪失なの?」
「そ。だから気付いた時からもう自分は霊だったし、霊管理委員会もたまたま時間操作が使えたからスカウトされて入っただけ。正直、ちょー仕事メンドい! ずっと遊んでたい!」
そう自身を語るルシファーは吐き捨てるように本音をぶちまけた。
「信念も強さへの渇望もない。苦悩を抱えずここまで来た僕はどこまでいっても、アイツには寄り添えない。向いてる方は同じでも、歩幅も速度も全然違うんだ」
「ルシファーさん……」
「だから君には、その役を買ってほしいんだ。一人ぼっちになっちまった零人と肩を並べて話せる親友ってやつをさ」
ルシファーが優人に託した頼みは、彼の願いだった。零人と長い間関わり続け、傍で彼の苦痛を見て来た者からの。後悔と愛情が込められたその願いは今、優人の元へ確かに手渡される。
優人は彼からの思いを握り締め、受け取った。
「零人君が喜ぶなら、僕はずっと零人君のそばにいます。役に立てるだけじゃなくて、辛い時は一緒に進めるように。それが僕が目指す、世界最強だから!」
少年の目指す道は果て無く長い。しかし追いつくのが先になるとしても進むこと自体が救いになるのであれば、と優人は決意を抱く。友に自分が出来る最善をと。
それに安心したようにルシファーは笑みを溢した。
「なんだろ、やっぱ君を見てるとどこか親近感湧くな~。僕とはなんも似てないのになんでなんだろ?」
「お互い零人君の事を思ってるから、かもです」
「おおー! たしかにそうかもねぇ」
年も性格も立場も全く異なる二人はまるで友のように笑い合った。同じ親友を持つ仲間として波長が合ったように彼らは話し込む。
重苦しかった空気はいつしか和やかなものに変わっていた。





