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第30話 最終死線

 クレーターのように窪んだ更地。その瓦礫と砂の上で、か細く唸る声があった。


「……ぁぁ、いってぇな」


 乾いた血を顔から拭うと、瑛士は意識を取り戻した。満身創痍、体力と霊力のほとんどを使い果たし、彼は地面に仰向けで寝転がっていた。


 眼球は潰れ、術式をかける術は今ここにはない。霊力感知とカイザーレガシーによる肉分子の触覚で、状況を確認する。



 皮膚の表面の傷や霊力回路の修復はまだ施されていない。しかし先の宵闇術式の酷使や赫蹲堕骸昏による内臓や体内の再生は完了していた。


 あれだけの戦だったにも関わらず、幸いにも彼の腹は破けなかった。光の届かない体内には『牙狼の影』が適応され、無事に再生が間に合ったのだ。


「腹の損傷を治せたのは奇跡だな。お陰で戦線離脱せずに済んだ」



 瑛士は立ち上がろうとしたが、まだ足の感覚はない。それどころか疲労でどの筋肉を動かそうにもかなわない。



「まだ動けねぇ、流石に少し寝てるか」


 上級魔獣の気配が消え、優人と残る特級の紅龍の争う霊力のみが強く伝わってきた。

 付近に早急に対処すべき脅威がないと悟ると、瑛士は全身の力を抜く。



「迎えに行くんで、龍は頼みました。兄貴ィ」


 回復に勤しむ瑛士は再び眠りへと落ちていった。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 天井の魔鉱石だけが光を照らす暗闇の地下空間。地下の空に浮かぶ紅龍が一人の少年を見下ろしている。



『脆く、醜い。死を間近にしても我へ挑むか』


 優人が瑛士との離脱後、実に1時間が経とうとしていた時。既に両者の差は歴然としていた。



 僅かに切り傷と表層の鱗に損傷を負った龍に対し、優人の傷は深刻なものであった。

 左腕は紫に変色し、肘から骨が突き出している。背中から腰まで重度の火傷と全身に至る生傷。


 更に霊力で騙し騙し回復はしていたものの、出血は止まらず意識も白濁しつつある。霊動術で肉体を無理に操作している状態だった。


「瑛士君のサポートが無くなって、やっと気付いた」



 ここまで戦闘して得た龍の情報。霊力量、スタミナ、能力、実力、その全てを身を持って味わった。


「この龍は、僕よりずっと強い」



 肌で感じた奴の強さ。それがまだ届かぬステージの強さであると優人は悟っていた。


 霊力を直接吸収しての回復、図体からは想像出来ない速度、強靭な爪と顎の攻撃、高火力で放たれる炎のブレス。

 この単純な行動の繰り返しに優人は追い込まれていった。シンプルであるだけに、その持続力と攻撃の凶悪さは桁違いだった。



『我の数千年の重み。百の年さえ越えられぬ人間如きに劣る筈もない』



 紅龍はまさに自然と同等の格を持つ存在。一人の人間と自然との間にある絶対的な格差に等しい距離が両者にあった。


 だが優人は無謀だと知りながら、その存在を前に挑む。



「状態変化、針!」


 優人から地面を伝って液状化した呪いが湧き出る。黒の水はうねりを上げ、波立ちと共に無数の針を形成し、龍を捉え一斉に射出される。


 巨龍を下から攻める不可避の攻撃、の筈であった。しかし龍の姿は忽然と消え、優人の背面に回る。



 振り返った優人は、龍の表面に直撃した呪いの針が鱗の硬度に負け、潰れている様を目の当たりにする。



(硬いし、僕より速い! やっぱり力いっぱい叩かないとダメだ)



「ソロモンの腕輪ッ!」



 優人の声に呼応した腕輪は漆黒の光を放ち、彼の肉体を包んだ。胴から手足にかけ鳥の羽のように黒のダイヤは優人を覆い、紫黒の翼を授ける。


 背後を取られ、反撃を仕掛けようと動いた時だった。優人の悪魔化した肉体に龍の尾がぶつけられる。



「うっ──」


 音速を超える凶鞭は少年の肉を打ち付ける。優人の黒ダイヤの鎧は割れて剥がれ落ち、彼は岩の建物に激しく弾き飛ばされた。


 瓦礫に半身が埋まりながら、優人の手は印を結んでいる。血濡れた口から術を唱える。


「げほっ……れんきん、じゅつ」



 足先で触れている地面は巨大な地割れを起こし、乾いた地をひびが放射状に這う。


 霊力の流れた地面は地形を変え、4本の岩のアーチとなって紅龍の身を拘束する。



(ここに精霊はいない、聖獣も喚べる集中力が残ってない)


 攻撃力にバフをかける手段は残っていない。頼みの綱である優人の霊力も、高密度の霊力体である龍には届かなかった。



「呪錬け──」


 呪いを飛ばそうと顔を上げた瞬間。少年の視界は赤い光で覆われた。

 火炎の息は龍の目の前全てを侵略し、灼熱が辺りの岩を焼いて風化させる。




 ──火の海となった地面には破壊された岩石が細々と割れて散り、這いつくばる優人の姿だけがあった。



 振り絞った最後の防御で即死には至らなかったが、優人の肉体は甚大な被害を受ける。


 服の袖や裾は焼けて肌にへばり付き、顔の左反面にも火傷を負い片目を封じられた。原型を留められているだけで、優人の下半身は機能を失っている。



「負けない、負けられない、負けたく……ない」


『元よりこの闘争は勝負ではない。断罪、我の箱庭を穢したことへの制裁。それ以外に、貴様との争いに意味は無い』


 全身に走る激痛を噛み殺し、ボロボロになった腕だけで優人は半身を起こす。



「にげ、ないっ!」


『何に貴様はそこまで執着する』



「今日が、初めて……なんだ」


 砂と血で汚れた涙が赤黒く染まった頬を伝う。



「零人君やみんなのお手伝いじゃない、僕に依頼された任務。霊管理委員会で、ルシファーさんや魔王のおじさん達に頼まれた、大切な最初の任務。絶対に、退きたくない」


 優人の脳裏には、仲間たちの顔が映っていた。彼らが自分に向けてくれた目を、表情を、気持ちを思い出す。



「このままじゃ、格好がつかない」


 まぶたの裏に笑う零人が浮かぶ。隣に誰もいない山の天辺に立つ零人の姿が。



「こんなんじゃ、零人君の隣に立てない!」


 優人の信念は、憧憬は、死と隣り合わせになろうとも揺るがなかった。しかし立ちはだかる暴虐の権化がその志を吹き飛ばす。



『全くもって矮小、稚拙、不快。我に傷を負わせた代償は、その天命のみでは事足りぬ。貴様の核を喰うて終いとしよう』



「うぅっ、まだァァァァァァ!」



 奮い立つ感情に霊力は伴い、崩壊に向かっていた優人の霊力回路が息を吹き返す。


 纏まりを失い、不格好に溢れた呪いは吹き上がって優人を押し上げる。推進力を得た優人は更なる痛みの渦に飲まれ、消えかける命の灯火に油を注いで霊力を編む。



 弧を描いて飛び込んだ優人は、遂には紅龍の首元まで迫り──



「っ──」



 呪いを込めた拳を解き放とうとした刹那だった。


 堂々と構えていた龍はその凶刃な爪を薙ぐ。鋭利な爪先は空を切り裂いて眼前に迫り来る霊力を振り払った。


 優人は突如失速する自分の体に違和感を得た。龍の顔が遠のいていく。鋭い冷たさが音もなく訪れる。



 落ちていく自分の目の前で舞っている左腕を、優人は理解できないまま言葉を失う。



 激痛が肩から昇って電撃が弾ける。裂かれた痛みは他の苦痛を上から塗り潰して襲う。



 その痛みさえすぐに過ぎ去り、優人は鮮烈に死の感覚を味わった。



(そっかぁ。もう僕、死ぬんだね)



 水の中で溺れるような浮遊感。急速に進行する冷たさと、じんわりとした温かさが彼の小さな体を巡る。


 目の前の映像は遅速し、優人はスローモーションの世界に入り込んだ。痛みを忘れ、音は消え去り、境界を見失った触覚とぼやけた視覚だけが残る。


 紅龍の爪と蒼炎の息吹が放たれる直前の景色。



 その光景を前に、世界の時間は停止した。

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