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第27話 瑛士 その2

「う、そだ。そんな」


「っ……」


 中に異界の広がる巨大なテントから大勢の奴隷達と魔獣が飛び出してきた。傷を負った者達が荒れ狂った魔獣から逃げ惑う。


 しかし勢い良く飛び出しても女子供の奴隷はすぐに魔獣に追いつかれて踏み潰される。

 必死に応戦するコロシアムの戦士らも試合を終えた後の手負い状態。一体の魔獣を足止めしている間に次々と別の魔獣に食われていった。



 いつか壊れると思っていた。でもまさかこの日に、こんな形で俺の日常が蹂躙されるとは思わなんだ。


 声援を上げていた奴らも、罵声を浴びせてきた奴らも、結局は同じ奴隷達。俺らはいつの間にか、同じ穴のムジナとしての絆が芽生えていた。


 腹を抱えて逃げるあの女も、腕を食われて悶えている男も、下半身を千切られてくたばった少年も、等しく大切な人間達だった。


 良い表わし難い苦痛と悔しさ、その地獄の光景は未だに忘れられない。血肉の匂いも、鼻を突く強烈な獣臭も、恐怖した人間達の悲鳴も、悪夢として蘇る。



「みんなが、俺らの……仲間が」


 隣の赤髪は顔を真っ青をにし、涙を目に溜めて絶望していた。その瞬間に束の間の冷静さを取り戻し、俺はヤツへいつもの悪態のように指示を出した。


「ボサっとしてんじゃねぇ! 居住区奥にいる嬢ちゃんや爺さん達は戦えねぇ、俺らで助けに行くぞ」


 コロシアム入口に近いほど魔獣の収容場所からは遠い。そこに残された希望を託すことにした。



 テントに向かう途中、咄嗟にすれ違った仲間の拳闘士に事情を聞いた。


「おい、何があったんだ」


「じょっ、上級魔獣の幼体が紛れてたんだ。奴隷商の奴らが雑に捕獲したせいで、その個体が魔獣と俺らの檻を全部壊して魔獣を逃がしちまったんだよ!」



 このキャラバンに連れて来られる魔獣は下級か中級の中型サイズの魔獣のみ。劣悪な管理体制の収容所がいとも容易く突破されるのは必然。


 更には上級魔獣の幼体、特定のスキルや能力を持っていることは当時の俺でさえ予想出来ていた。


 焦燥感は増し、赤髪へ即座に命令を出すと俺は魔獣共の背の上を駆けてテントへと突入した。


「俺は居住区の方を見てくる。お前は武器を取って来い」


「おうッ!」


 小型の魔獣を殴り、中型の魔獣を飛び越えて暗く冷たい通路をひた走った。凄まじく鉄臭い廊下を突き抜ける。

 魔獣は外へ向かう人間達に釣られて出ていき、やがて遭遇率は格段に減った。


 傷病奴隷や老人達の居住区がついに見え、俺は安堵で頬を僅かに緩めた。



 だが運命はその歯車の動きを変えなかった。目の前の惨状が、俺の幻想を否定したのだ。



「っ……」


 檻の鉄格子は砂のように崩れて床に散乱していた。その砂の上に、無数の獣の足跡と黒い何かが転がっている。


 闇に目が慣れて視界が開けていくのが俺は怖かった。周囲に満ちていた血の生臭い匂いが、俺の錯覚ではないとばかりに鼻の奥まで突き抜ける。



「あっ、ああ、ああぁ、いやだ……嫌だ、嫌だ」


 惨たらしい殺され方をした屍が幾つもそこに転がっていた。

 魔獣の巨体に押し潰された者、大きな傷を負って大量出血により死んだ者、肉を食いちぎられて死んだ者、既に食われて体の破片しか残っていない者。


 そんな死体の多くが、居住区の檻の中で転がっていた。



 試合前に顔を突き合わせていた仲間達が呆気なく殺されていた。今にも起き上がって騒ぎ立てそうな奴らの顔に血の気はなかった。


 傷病奴隷達はほとんどが逃げ遅れたのか、上から踏み潰された者ばかり。傷病奴隷は全員がここから逃げられず、息絶えていた。


 だがその中でも、見るのが辛い姿があった。


 いつも俺に優しくしてくれていた2人の死体だ。傷病奴隷の爺さんが、両足を潰されながらも少女を抱えて死んでいた。

 だが少女はそれよりも前に息絶えていたのだろう。腕の中の彼女は腹が抉れ、口と鼻から大量に血を出して亡くなっている。


 俺はそのあまりに無情な光景に、思わず膝から崩れ落ちた。



 いつかは誰かが試合で食われる。あるいは裏社会の魔術師に売り飛ばされる。だから覚悟は出来ていたはずだった。出来ていたと錯覚していた。

 だがこうも呆気なく、前触れもなく、理不尽に日常が壊されるとは思いもしなかった。


 壊れると分かっている世界で希望を見出すのなんて馬鹿馬鹿しい。だがそれでも、こんな壊れ方は受け入れられなかった。


 神を呪い、己を恨み、運命を憎んだ。絶望とは何か、この瞬間に初めて俺は理解したのだろう。



 聞くに耐えない号哭が居住区の中でいつまでも反響した。彼らの亡骸を抱き抱え、死肉の上に涙を垂らし、惨めったらしく喚いていた。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 石造りの通路に、ひたひたと俺の重い足音が響く。砂埃と天井から滴ってきた血がそこら中に付き、全身が汚れて赤茶色の皮膚と化す。


 呆然としながら歩いていると、通路の奥からペタペタと走り迫る音が聞こえ、直後に紅の頭髪が目に入った。


「どうだっ──」


 聞きかけた赤髪は、俺の顔を見て察したように顔色を変えた。


「全員、だ」


「そうか……」


 お互い、何も言ってやれなかった。俺自身、ヤツに気を回している余裕はなかった。

 胸の奥からの悲哀と嫌悪感、怒り、吐き気が押し寄せて思考が濁流に飲まれる。


 綻び出した心の器から口から溢れ出す。


「俺が、もっと医学を勉強してたら……」


 無駄だ。知識だけで人を救えるなんて都合の良いことはない。


「魔術をもっと使えてたら」


 無謀だ。たとえ今の俺の霊力を持ってしても、あれだけの人数を救える数の魔術なんて発動出来ない。


「救命道具の作り方を知ってたら」


 無意味だ。単純な傷ばかりじゃない。霊力を含んだ攻撃は変化し、普通の医学と異なる反応を起こす。


「俺に、魔獣なんて簡単に殺せる、力さえあれば……」


 妄言だ。単純な暴力だけで、万人を救えるものか。


「俺が、俺が。俺が、何か出来てれば」


 戯言だ。もう叶わぬ願いを乞うなど、愚かな道化師も良いところだ。



「俺の家族は、死ななかったかもしれねぇ、のに」


 全部ただ理想を並べただけの、妄想に過ぎない。惨劇を免れた可能性も、無力な自分を許せる大義名分も、ありやしない。


 こんな事を言っていても、何も変わらない。何も変えられなかった。そうと分かっていてもこうして後悔の言葉を連ねるしか無い己の滑稽さは、我ながら吐き気を催すほどに愚劣だった。


 無駄に俺が悔やむ一方、ヤツは俺の胸に冷たい鉄の縦を押し付けてきた。


「お前の盾だ。渡しておく」


 ヤツの曇った目は冷ややかな床でも、殺伐とした天井でもなく、家族の敵たる魔獣のいる外へと向かっていた。


 喜びも幸福も、怒りや悲しみさえも崩れ去って落ちた骸の瞳が、闇の中で鋭い光を宿す。


「無駄だって分かってる。これだけ数相手に、生きて帰れないのも分かってる」


 ヤツの言うことが本当なのは見て分かる。その目に宿った鋭い光は、希望でも怒りでもない。


 己の結末、死を覚悟した者の目であった。


「商の奴らはもう死んでる。飯も出ないし、この砂漠からは出られない。だったら、俺は仇を討って死ぬ」


「お前……」


「弔い、ってやつだ。俺なりの」


 その目を見て、なんだか気持ちが僅かに軽くなった。ここが俺の終点なのだと悟ると、不思議と楽になれる。


 顔中についた汚い涙の跡を拭い、赤髪に持たされた盾を装備してヤツの隣に立つ。


「いいさ、俺も行く。自分の家は、最後まで守ろうとしなきゃなんねぇしな」


 俺の言葉を聞くと、ヤツは小さな笑いを漏らす。赤髪は自身の篭手をはめ、ギチギチと鳴る鋼の拳を握った。


「そんじゃ、喧嘩しに行こうぜ」



 雄叫びと共に俺達はテントの中から飛び出していった。決して振り返らないよう、外の魔獣のことだけを考えて走り出す。


 本を読み習得していた技量を全て投入する。霊力を肉体へ流し、己の感情の昂りを意識的に霊力として変換。



 魔術にも満たない粗雑な身体強化を施し、俺は魔獣の群れの中へと突っ込んで行った。そして攻撃を受ける前に、俺の方から殴りかかって先制を取る。


 魔獣共の悲鳴が上がる中、俺は盾を振り回し、霊力を込めた鉄の塊で実体化した怪物の肉を押し潰し、拳で切り裂いていった。


 泣いていたか、怒っていたかすら分からないほど発狂し、無我夢中で攻撃を続けた。



 こうして長い夜が始まった。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 何日も続いた。結界内で俺たちは魔獣に挑み、深手を負いながら長いこと戦っていた。


 逃げ回れる程度には広い砂漠のお陰で、魔獣に襲われ続けることは無かった。だが何人も目の前で奴隷達の命が奪われたのを目にした。

 同時に飢えた魔獣達が共食いを始めていたんだ。元々弱っていた個体も多く、奇跡的にやり合えてた。


 とは言っても所詮は10やそこらのガキ二人。当然勝てるわけは無い。



 残る魔獣の個体数が二桁を切った頃、俺らは限界まで来ちまった。

 俺自身は左脚の大部分を食いちぎられて、全身に牙や爪の生傷、菌の繁殖と酷使の果てに腐った末端の肉。

 更には獣の攻撃で両目が完全に潰れていた。


 自分の最期を悟り、俺は這いつくばっていつもの丘上の岩まで辿り着いた。


「ハッ、もうお前も限界か」


 腰掛けた岩の反対には、同じく満身創痍のヤツも座っていた。冷たい血と泥に塗れた背中で俺にもたれかかって来た。


「脚の感覚がもうねぇ……目もやられた。潰れちまって、何も見えねぇ」


 俺が現状を報告すると、ヤツはまるでいつも通りのように返事をしてきた。


「目か、そりゃ痛てぇな」


「お前だって、相当なもんだろ。お前の腕が飛んでるとこ、見てたんだからよ」


「まぁな。もう痛みも麻痺して、今は逆に何も感じねぇや」


 いつも通りにする余裕は、俺には無かった。だが赤髪は変わらず突拍子のない話題を出して来る。


「もしよ、もしもだけどよ。外出れてたら、何したかった?」


「はぁ?」


「俺らが奴隷としてじゃなく、自由な人間として外に出られたらって話だよ。ただの思いつき」


 体が鉛のように重く、身体中に痛みが走る。朦朧としかける意識をなんとか保ちながら、俺は頭に浮かんだ言葉を伝えた。


「俺は、朝日が見たかった」


 この異界には朝と昼がない。単純な話だ、見たことがないから見てみたい。それだけのこと。


「夕暮れより明るくて、夜空の先にあるその光景。俺はそいつが見たかった」


「良いじゃんかそれ。きっと、綺麗なんだろうな」


 ヤツは聞いて笑うかと思ったが、そんなことは無く優しい声音で感想を呟いていた。



『外出てもよ、お前は勉強するのか?』


「……当たり前だ。自由になれたんなら、言葉でも医術でも魔術でも、色んな本読んで勉強してぇ」


『ハハハ、とことんお前良いやつじゃん』


「うるせぇ」


 俺も逆に体は軽くなり始めていた。これが終わりが近い証拠かと、何故か冷静に感じていた。


『爺さんや嬢ちゃん、野郎共に仲間たち。アイツらパパっと健康にしてさ、食ったことない美味いもんとか良い寝床とかやったら、たぶんめっちゃ喜んだだろうな』


「誰だってそうだろ。喜んでくれたに、決まってる」


 もう、我慢の限界が来ていた。


 俺は潰れかけの喉を開き、かすれた声でヤツにこっちから聞きにいった。



「なぁ、さっきから気づいてねぇと思ってんのか?」


『……やっぱ、バレたか』


「そりゃそうだろうが。お前と一緒に、()()も修行して来たんだからよ」


 ロクな魔術が使えなかったこの時の俺でも、霊力の感覚は掴んでいた。だからコイツの状態も、感じる霊力の流れで把握していた。



 ヤツはとっくに死んでいた。今ヤツが話せているのは、幽体化しているからだと分かっていた。


 しかしその幽体化すらも小さな火のように消えかかっていた。自分の魂を、意識と人格を保っていられるだけの霊力すらも底を尽きようとしていたんだ。


 水泡のように弾けて、赤髪の霊力が空へと溶けていく。


「何消えそうになって、もしもの話ばっかしてんだよ……」


『真面目に考えたこと無かったから、なんとなくで』



 感情を押し殺そうと唇を噛んでいた。それでもぽっかり空いた目からは血の混じった水が流れて落ちていく。


『輪廻転生って、あんだよな?』



「ああ、ある。ある筈だ」


『そっか、じゃあさ』



 直後、ヤツの声が俺の頭の中で響いた。



『生まれ変わった俺に会ったら、また喧嘩してくれよ』



 思わず情けない声を出しそうになったが、飲み込んでありのままの思いをぶつけた。



「馬鹿が、クソ馬鹿が。ンなもん、何世先でもふっかけてやる」


 最後まで俺はヤツに素直になれず、強がった返事を出した。それに反応する声があると信じて。

 だが返答は当然来ない。救いのない静けさがあっただけ。


 ヤツがこの世から消えたと、もうヤツの魂はここに無いと理解すると、途端に涙が止まらなくなった。繕った態度を止め、感情のままに本音を吐く。


 唯一だった亡き相棒に、もう届かない文句を。


「別れの言葉ぐらい、言ってけよ」


 ヤツの亡骸の後ろで無様に泣いていた。瞳を血混じりの涙が包んで、足元や手が歪んで見える。



「──あれ、目が」


 潰れていた目が、肉体に戻っていた。血で汚れ、朧げながらではあったが視界は確かに回復していた。


「アイツ、再生魔術覚えてたのかよ」


 最後の最後で、とんだ置き土産をされちまった。

 予想外の行動を小さく笑ってると、俺はある変化に気が付いた。


「あれって」


 誰かの霊力か魔術で維持していたのか、突然結界が壊れて異界が崩壊し始めていたのだ。

 顔を上げた方角の異界面が、ガラスのように割れて次第に明るくなっていく。


 地平線から昇るように結界が解かれていき、暗い夜空が見たことも無い色に染まっていった。


 夕日よりも強く輝き、目が眩むほどの白い光が砂漠に訪れたのだ。



 それは、俺が本で読んだ景色と同じだった。


「朝日……想像通り、綺麗だったな」


 こんなにも残酷で悲惨な状況に置かれていても尚、俺は心を奪われていた。止まりかけた涙が再び流れ出る。


 すると空に光の玉が飛んでいくのが目に映った。日の光の元へと向かう虹色の玉が。



 ここから去っていく光玉に、俺は一方的に別れの挨拶を告げた。



「じゃあな」


 日の出に向かって飛んでいく霊力の胞子に向かって、俺は鼻水と涙だらけの笑顔を送った。

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[一言] 泣けるじゃねぇか... クリムゾン...
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