第23話 途切れた意識
新川白夜は暗闇の中にいた。己が繰り出した攻撃によって傷を負い、爆発に巻き込まれてそのまま気を失った。
彼の意識は穏やかな濁流に流され、暗闇の中で溺れていくような感覚と脱力感が静かに少年を襲う。
暗流の中で段々と息苦しさは解けて行き、痺れた指に弱々しい力を入れて動かす。
冷たく身を包む水の肌触りと果てなく続く暗闇。感覚を研ぎすまそうにも深淵が白夜の一切を阻んで水の中へ縛り付けていた。
白夜は漆黒で覆われた世界の中でゆっくりと瞼を開いた。揺れて歪む視界の中、彼は何かを思考することも感情を起こす事も叶わなかった。
暗闇の先で密かに光を放つ『紅』を見つめてただ落ちていくだけ────
「──くん、ロく……」
白夜がいつの間にか開いていた目の中に突如、眩しい光が差し込んでいた。
朦朧として世界の明るさに目を細めていると、鼓膜の膨張が戻ると同時に戦友の声が白夜の耳の中へと入ってくる。
「シロ君ッ!」
「っ……」
白夜の意識は一気に覚醒し、声を上げると共に上体を起こす。瓦礫と岩片の散らばった大地の上で白夜は今まで寝ていたようで、横にいた真一は目覚めた彼に安心した顔を見せる。
「真一……あっ! ゴーレム、ちゃんと倒せたっスよね!?」
「大丈夫だ、ゴーレムは倒せたよ。順を追って説明するね」
真一は深呼吸で気持ちを沈め、事の全容を語る。
「ゴーレムを倒した瞬間、君は爆発によって気を失った。それに伴ってアトランティスは解除されて消え、爆発に巻き込まれた悪霊王の一晴は吹き飛ばされた」
「一晴さん、大丈夫っスか!?」
「ジオ曰く、ちゃんと霊界に戻ったみたいだから大丈夫だって。気配で分かるって言ってたし、委員会のことだから心配は要らないと思うよ」
「はあぁ、良かったっス〜。一時はどうなるかと」
「確かにね、心配だったよ……」
──沈黙が流れる間、真一は先刻の出来事を思い出す。
ジオがまだ召喚状態にあり、倒れた白夜の元で彼は治療を施していた。魔術で応急処置を行っている途中、ジオは真一と昔話を語っていた。
『兄者、覚えているか?』
『覚えてるって、何を?』
『我らが以前の世界で戦ったあの別世界の神のことだ』
ジオの一言によって真一の脳裏にある映像が蘇った。舞い上がる粉塵、人々の悲鳴、倒壊する建造物。そして都市の目の前に突如出現した天を衝く巨人。
『……ああ、覚えているよ。王都の目の前に現れた未曾有の災害、異世界の神達。彼らは突如あの世界に現れ、そして嵐が過ぎ去るように消えていった怪物』
『当時の我らでさえ手を出せなかったあの神達、あれは我々どころかあの世界すら眼中になかった』
『うん、彼らはあの世界を襲いに来た訳じゃなかった。彼らは元から互いに争い合って、たまたまあの世界が戦場に選ばれただけだった』
恐怖や憎悪を2人が抱くことはなかった。天災に等しい存在同士の衝突は彼らの感情すらも凌駕するほど苛烈していた。
『巨神、巨龍、巨獣。二柱の神は幾度となくその姿形を変えて闘い、その影響で王国は甚大な被害を受けた』
ジオは昔の記憶を思いだながら、手元に目線を落とした。そして満身創痍で倒れた白夜を治療しつつ、ジオは彼の赤髪を見て深く溜め息を吐いた。
『どうも、思い出させられるな。紅と紫苑のものを見させられるとな』
『……』
先の会話が真一の頭の中でずっと留まっていた。真一は少しの間を置くと、白夜に先程の模様について尋ねた。
「ねぇシロ君。倒れた後、消える前にジオが君の身体を治療したんだ。その時気になったんだけど、君の刺青みたいなあの赤い模様って何なんだい?」
魔石を殴る直前、白夜の身体全体に浮き上がった紅の模様。あれはただの魔術やユニークスキルの類いではないと真一は察していた。
真一から投げられた質問を受けると、白夜は申し訳なさそうな表情で己の力についてを明かす。
「俺も、正直詳しいことは分かんないんスよ。名前は一応、『紅』って言うらしいんスけど……」
白夜はふと自身の手を見ると、まだ手のひらには紅の模様が薄く刻まれていた。
波のように流動する紅の模様を白夜は久方ぶりにまじまじと見つめる。
「簡単に言えばブーストっス。実力以上の力が出せる代わりに、俺はこの力を制御し切れないんスよ。だからダメージを負って抑えたり誰かに魔術で締められなきゃいけない厄介な力です」
「そんな不思議なものもあるんだね。魔術やスキルみたいな話でも無さそうだし、君も奇妙なものを宿してるね」
白夜は試しに霊力を流さないよう気を配りながら拳を軽く握った。しかしその動作だけで紅の模様は色濃くなり、その状態を確認した白夜は落胆するように脱力して仰向けに倒れた。
「それと今はまだ落ち着いてるけど、いつまたこの力が暴走するか分からないんス。だから不本意っスけど、俺はここで待ってることしか出来なくて」
「大丈夫さ、僕だってハッスルし過ぎて肉体が壊れそうなんだ。回復するまでは2人で待ってよう」
「はいっス!」
まだ戦いが終わった訳では無い。エレメントクラス『アーム』の魔獣の気配は依然と残っている。
しかし彼らの付近に魔獣の気配はもう消えて無くなっていた。倒された魔獣の霊力は蛍のような淡い光となって辺りに散り、周囲の瓦礫を照らす。
地下空間の天井でまばらに埋まっている魔石は夜空の星のように輝きを放っていた。
役目を果たした二人の戦士達は優人と瑛士の健闘を祈りながら、少しばかり幻想的な光景に見蕩れていた。
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空間の最深部では不気味な静寂が訪れていた。地下空間の天井の高さにまで砂嵐が吹き荒れて砂埃が舞う。
その中で巨大な二体の影が砂塵の中で蠢いていた。砂風は収まり始め、巨大な紅い龍と青の虎の姿が露わになる。
周囲に撒き散らされた霊力を吸い、この空間の主たる魔獣達は獣の唸り声を上げながら不愉快そうに声を発する。
『余の身に傷を付けるか。非常に不快ではあるが、それ以上に滑稽だな。これしきの武力で余を討とうとは付け上がったものよ』
青虎は身体にまとわりつく優人の呪いの煙を振り払おうと猛々しいその前脚で引っ掻いた。
しかし即座に消滅しない呪いの鬱陶しさに虎は苛立ちを覚え舌打ちをする。
『ここまでやったのだ、多少は寛容になってやろう。我は手を出さん、さっさと逝け』
紅龍は地面に転がる二人の少年を見下ろし、蔑みと嘲笑の目で彼らを眺めていた。
大量の血潮で固まった砂の上に重傷を負った優人と瑛士は倒れて横たわっている。
瑛士の両目は無残に潰され、全身に夥しい数の風穴が空き、膝下から先を全て欠損していた。裂けて血が吹き出す喉から酸素を取り込み、か細い声を漏らす。
優人の左腕は肘から先の腕が骨と筋繊維を剥き出しにして引き裂かれていた。腹部から鮮血が染み出して優人の衣服を赤黒く染め上げる。
彼の肉体からは特に出血が酷く、末端の肌の色が変色して青くなりかけていた。
彼らの武装は完全に解け、肉体に流れていた霊力が少しづつ蒸発を始めていた。





