第18話 エンカウント
悪霊王は久方振りの降臨に歓喜し、青く光る不気味な目で周囲を舐めるよう見渡した。その狂った様相、明らかに普段の一晴とは異なる霊力の気、彼の体を覆い尽くす邪気。
もはやその姿に雪村一晴の面影はなく、あるのは今にも襲いかかりそうな凶暴なるベルセルク。
優人が目撃してきたどの悪霊とも比較にすらならないほどの凶悪なその怪物は、天を仰ぎひたすら狂った笑い声を辺りに木霊させる。
「あはははっ、あはハ! あはははははははははははははははははははハハッ」
優人と真一は思わず足がすくみ、白夜と瑛士は激しい悪寒に襲われる。
その間、優人はその怪物と一晴の存在が同一であると認識が及ばなかった。ただ生存本能が逃げろと信号を送る以外に数秒間は何も出来なかった。
白夜は少しばかり強ばった声音で、何も知らない2人に一晴の正体を明かした。
「一晴さんは元々、死後に悪霊化した人なんス。生前の一晴さんは霊能力が覚醒していなかった事やある偶然の出来事が重なった結果、あの人はあそこまで凶暴な悪霊にまで進化したんス」
「でっでも! 悪霊って倒したらその人は元に戻るんじゃ……」
「はい、通常ならそうっス。だけど一晴さんの悪霊化と違って、術式に近い状態で魂に悪霊化が刻まれてたんです」
瑛士と白夜は既に彼の恐ろしさを知っているようで、悪霊王の存在に畏怖する顔を見せながら2人にあのベルセルクの危険性を必死になりながら伝える。
「最も厄介なのは悪霊王の異常な強靭さ。普段の一晴さんはあの肉体に刻まれた複数の術式で悪霊王をギリギリで抑えてたんスが、肉体が破壊されたことで解放されちまったんス!」
「しかも悪霊王はあの強大なパワー、異常な持久力、付近の霊力を貪る凶悪な習性、そしてあの狂化。悪霊王は特殊能力や術式を持たず、単純なそれらの力だけで……エレメントクラスアームにまで登録された怪物、です」
瑛士は滾り血走った目で観察を続けている悪霊王の様子を確認すると、まだ躊躇が見られる優人に声を掛け全員にここからの離脱を促す。
「悪霊王と反対方向に特級はいるんで、悪霊王が攻撃始めねェ内に離れましょう兄貴っ!」
「うん。不安だけど、僕は悪霊王の一晴さんを信じるよ」
4人は悪霊王に背を向け走り出した。だが彼らは皆、逃げながらも背後の彼を警戒していた。
そしてついに恐れていた爆弾が爆発を始めた。
「あっははハ、はははははは、ハハハハハ、ははははあはハ!!」
悪霊王は握った両拳を自身の立っていた建物に振り下ろし、麩菓子のように石を砕いて倒壊させた。
先程の緑竜を屠った時とは桁違いの破壊力と霊力の放出。辺りを舞う筈の埃が衝撃波によって虚空に円を描く。一発だけの拳撃による風圧で悪霊王の付近50m圏内は一瞬にして全てが瓦礫の山と化した。
「うわっ!!」
「頼む……崩落だけはよして下さいよ、一晴さん」
彼らが不安に苛まれていた中、状況は好転的に動いた。
たった今の攻撃と大気中への霊力大量放出により、魔獣共が優人達を無視して悪霊王に向かって行ったのだ。虫の如く夥しい数の有翼魔獣達が地下空間の至る所から飛んで集まり、地を走る魔獣共もほとんどが優人らの存在を気に留めずに悪霊王へと誘われていった。
瑛士は僅かな安心感を抱きつつも、チームの全員に指示を出す。
「ご覧の通り、悪霊王が魔獣を引き寄せながら暴れ回る特性があります。これを利用して俺らは攻撃の当たらねェところまで行って特級と戦闘をしましょう。計算通りなら雑多な魔獣はそれで片付く筈です」
「瑛士君、アームの魔獣はどうやってチーム分けして倒すの?」
「なるべく相性の良い配置にしたいところでなんですが、三体同時に対峙する状況は避けねェといけねぇです。だから正直、その場で決める事になります」
「じゃあその判断は瑛士君にお願いするよ──」
「兄貴ィ!!」
優人が話を言い終わる直前、瑛士は絶叫と共に優人の前で不貫の盾を展開した。
その意味を優人は即座に理解できた。それは前方の何者かから攻撃を受けたという事だった。
攻撃は見えはしなかったが、それは銃器のように何かを射出した攻撃なのだという推測は容易についた。
その証拠に瑛士の盾の展開は僅かに遅れを取っていた。
更にそれが単純な物理攻撃でも霊力攻撃でもないということも同時に物語っている。それのどちらかであれば、通常は瑛士でも白夜でも反応して防御が可能だからである。
予想外の射撃を受けた瑛士は優人の身代わりとなり、その攻撃を受けてしまっていた。
彼の右手首の付け根から右肩までが斬撃を受けたかのように大きく割かれ、損傷した筋繊維が露出していた。
「うっ……」
「瑛士君ッ!」
「だ、大丈夫です。幸いにも、場所の条件が良い……再生できるんでご心配なく」
瑛士は痛みで顔を歪ませながらも、おもむろに左手を右肩に置いた。
左手は右手の甲までゆっくりと撫で下ろされる。すると驚くことに彼の傷口は手品のようにみるみると消えていき、左手が通過すると裂けた肉は何事も無かったかのように結合して白い肌が姿を現す。
「使い勝手は師匠のフェニックスの権威よか劣るんですが、俺は再生能力『牙狼の影』とカイザーレガシーで治療再生が可能なんで気にしねぇで下さい」
瑛士は再生が完了すると睨むように顔を上げ、攻撃を放った主の方角を確認した。
「なるほどねぇ……天然の魔鉱物ゴーレムか」
彼らの先にいたのは建物と同化していた巨大なゴーレムであった。体長は目分量でもおよそ40mはくだらない程の巨躯。ゴーレムの身は岩石で構成され、体表からは発光する鉱物が突起している。
形状は胴が巨大で無加工の岩石に剛腕と巨脚、頭部のような立方体の岩があり人型に近い。
そして心臓部に当たるであろう太い胴体の中心からは特級相当の霊力が原動力として機能しているようであった。
ゴーレムからは生物的知性は感じられなかったが、優人達はゴーレムから機械的な声と明確な敵対心を確認できた。
ゴーレムは人間に聞き取れない何かの声を発した後、攻撃準備を開始している。
『※※※※※※!!』
ゴーレムの目に当たる部位からは魔石の光のようなものが点滅を始め、再び何かを射出する準備をしているようだ。
しかし瑛士と白夜はゴーレムを見ながらも、いつものような調子で突っかかりながら情報共有を図る。
「天然のゴーレムは初めて見たな。霊力からしてボス格の奴じゃあなさそうだが……こいつの霊力は周囲の至る所から感じる。この地下空間を維持してる中枢機関ってところか」
「つーのはどういうことなんだ瑛士」
「アイツを行動不能にしねぇと残りの二体を倒せねぇってことだバカ白夜ァ。空間の霊力循環やらなんやらを司ってんのがあのゴーレムで、ボス魔獣のサポートしてんだよ!」
2人が口喧嘩をしている最中、ゴーレムの2発目の射出攻撃が接近していた。
だが2度も同じ轍は踏まない。瑛士は射撃をカイザーレガシーで大気ごと攻撃を逸らそうと試みたが、先に白夜の凶星の振動攻撃で打ち消された。
白夜はニヤリと笑うと瑛士の前に出て、ゴーレムに対して拳を構える。
「だったらアイツの相手は俺に任せろ。硬いモン壊すのは俺の凶星の方が向いてる。てめぇは優人さんの補助しながら先にボス魔獣のところに向かえ」
「命令すんなクソが。言われなくてもお前に担当するつもりだったわ」
瑛士は悪態をつくと、振り替えって真一にも声を掛け彼の肩に手を置く。
「そして真一、お前もゴーレムを頼む。魔石動力のゴーレム相手だ。高度じゃねぇにしろ、魔術を使用する可能性が高い。だからお前のあれが必要だ」
「分かった。もう僕は選択を間違わない。だから安心してくれ、早く討伐して2人の応援にもすぐ駆けつける!」
「頼もしいな剣聖。それじゃあ頼んだぜ」
2人の勇ましい後ろ姿に優人も奮い立たされた。瑛士を連れて優人も走り出そうとする。
「それじゃあ瑛士君、僕は瑛士君と残りの二体だね!」
「そうです兄貴。このまますぐに向かいましょう──っと、その前にだ」
先へ向かおうと走り出す寸前の瑛士だったが、思い出したかのように彼はその場で立ち止まった。
そしてゴーレムと睨み合う2人の後ろから肩を叩いた。
「お前ら、相手はこの霊脈空間の核なんだ。霊力も足りねぇだろうし、ここじゃ十分に攻撃が出来ねぇだろ。こいつをお前達に渡しておく」
瑛士は後ろへ数歩ほど下がると人差し指と中指を立てて構えると、突然の奇妙な現象が発生する。
瑛士が指を構えると同時に周囲に満ちた霊力は激しく震え始め、円を描くかのように彼の身体からは暴風が吹き出し、瑛士の紫の髪が揺れ出す。
徐々に強まる緑の光が瑛士の体を包むように広がり、冷たい風と共に大量の霊力が瑛士から発生する。
周囲の霊力が瑛士の霊力によって上書きされ始めると、瑛士は詠唱を始めた。
「──我、傲慢の大罪なり。我が半身よ、海の底からここに来たれ!」
瑛士の声が地下で轟くのと共鳴し、何も無い宙から突如水が溢れ出した。
だがそれは実体干渉力の無い霊力の水。蒼く美しい水が空間の狭間から放流され建物の上にベールを掛けるかのように満ちていく。
そして水が宙を浮遊し始めた途端、その水は嵐の海のように荒れ始めてうねり出した。
優人はその光景を固唾を飲んで見守っていた。
「神の起こした大洪水から多くの生命を救い、陸へと運んだ方舟『ノア』。その役目を終えた後にも亜人を背に住まわせ最期は海に沈んだ古代の水上大都市ッ!」
瑛士の声が大きくなった同時に水は溢れ出すように中からその存在が顔を出した。
それは地下空間の空を埋めるように浮遊する巨大で荘厳な方舟であった。
その背には瑛士の言う通り、巨大な都市が建ち並んでいる。だが都市はこの地下にある古代都市とは対照的に、近代的な高層ビルが要塞の如くそびえ立っていた。
舟は全長何キロにまで及ぶのか見当もつかぬ程の大きさと地上まで突き抜けそうな程の高さ。
優人と真一にとっては今まで見てきた魔獣とは比較に等、到底叶わないほど巨大な方舟に驚愕を隠せず絶句していた。
瑛士は上を向くと現れた巨大な舟の名を呼び、助けを求める。
「『傲慢』の悪魔、アトランティス。お前の力を貸してくれ」





