第17話 間違えられない選択
真一は落ちていく。死ぬ運命にいた自分を救うために一晴がその身を賭して助けたことに驚嘆しながら地面へと迫っていく。
為す術もなかった一晴の肉は緑竜の黒き牙によって潰され、真紅の血が彼の骨や肉の破片に付着し、空中で赤い花を咲かせる。
一晴の肉体の殆どは崩壊し、もはや回復魔法では再生出来ぬ状態にまで陥っていた。
雪村一晴は候補生と呼ばれる7つの大罪の能力者に次ぐ実力の持ち主、だが大罪の能力者と彼らの間とには圧倒的に大きな差が存在している。
それは重体の身体をも正常に治すほどに強力な肉体再生能力、そして生き返りの権の有無。
いくら活躍しようと特例や相当に重要な任務を複数こなす事が出来なければそれらは大罪の能力者達を除いた能力者達に渡ることは無い。
つまり一晴の肉体の大部分破壊は、彼にとっても明確な死の証拠であった。
「くっ……!」
「っ!?」
真一は落下の感覚とはまた異なった浮遊感を覚えた。
下へ落ちる筈の自身の体は水流に乗ったかのように真横へ動かされ、背後から小さな体でキャッチされた感触がある。
真一は振り向くと、自分を抱えて緑竜から遠ざかるように全力疾走する白夜の姿がチラリと見える。赤髪を揺らしながら白夜は急いで遠くへ逃げようと足を動かした。
「逃げるっスよ! ここは危険だから、なるべく遠くへ行くっス」
白夜は一刻も早く瑛士と優人の元へ戻ろうと凶星も使用し、繰り出す1歩1歩に爆発力を生んで加速する。
だが真一は自分のミスのせいで犠牲となった一晴を何としてでも救おうと小さな抵抗も交えて抗議した。
「ま、待ってくれ白夜君! 一晴さんは僕が──」
「あの状況はどうしようもなかったこと、だから気にするんじゃないっス!! 今は任務優先なんスから」
「そんな……」
彼から逃げて無理にでも一晴を助けに向かおうと真一は考えた。だがこれ以上自分の行動が原因で他の3人まで危険に晒すような愚かな真似をする覚悟もなかった。
ただ納得もできないまま担がることだけしか真一は出来ることがなかった。
「来たか。そしたら逃げるぞ! ここは既に攻撃範囲内だ。数キロ先までは走りながら作戦を立て直す」
瑛士は今までになく焦燥に駆られた表情で全員に指示を告げ、白夜達の走ってきた方角を気にしながら先導する。真一も白夜の背から降りて走り出す。
しかし走る瑛士の後ろを追いかけながら優人は強く戻ることを求めた。
「一晴さんを助けないと! ここままだと……」
優人はこれまでに無いほど取り乱す。それは霊能力者としてのセオリー通りの判断であった。
霊や霊界の存在を認知し、死後も安全に世を過ごすことが可能であると知っている能力者にとって死という究極の不安は常人よりも低いと言えよう。死の瞬間は当然恐怖するが、受け入れたのであれば死の恐怖は消えたも同然。
だが真に恐るるべきことは『輪廻転生』である。
霊体に大きな損傷を受ける、またはその精神が崩壊することによって魂は輪廻転生というこの世界の理に否応なしに当てはめられ、新たな生を受ける。
それはつまり、その人格の終了。人間として、ある意味本当の死を意味している。
実体化したとはいえ、霊力を攻撃に含む魔獣。
霊体になることは、本能的に霊力を食らう彼らに無防備な姿を晒すということなのだ。
訪れるのは終焉、仲間との決別。
しかし優人の必死の訴えを聞いても瑛士と白夜は足を止める気配はなく、むしろ更に速く脚を動かしながら優人の説得を試みる。
「後で一晴さんは助けられるんですが、今はその時じゃねぇんです」
「瑛士の言う通り、その心配はないんスよ優人さん。あの人なら切り抜けられる!」
「でも万が一のことが──」
「ぶるってんじゃねぇよ兄貴ィ!!」
突然、瑛士の怒号が響く。これには白夜すらも気圧され、肩が上に上がった。
瑛士は足を地面に激しく擦り付け無理矢理減速して立ち止まると、優人の体を強く掴み、その鋭い目を真っ直ぐに向けて叱責する。
「仲間が殺られて焦ってんのも分かるし、一晴さん助けてぇって気持ちも分かる。だが今のあんたは『感情』に支配されてる!」
「──っ」
「俺ら能力者の世界は慈悲、怒り、正義感。そんな感情あってこそ成り立ってる。だが、それは合理的な判断があっての前提条件だってのを忘れんな!!」
戦場で初めて受ける叱責。それはたじろぐほどに強い口調であり、その奥には少年の優しさがあった。
「誰も置いていかねぇし、傷は負っても無事にこっから帰す。だから俺の言葉を信頼してくれ、兄貴」
「うん……ごめんねっ。怖くて、焦っちゃってた。でも……安心して、大丈夫になれた。ありがとう瑛士君」
「流石です、兄貴」
冷静さを取り戻した優人に瑛士も安堵する。真一も瑛士の本気の様子に胸を打たれる。
一行は改めて己に喝を入れると再び走り出した。道の端や上から次々に襲い来る魔獣共を退けながら、先程上級魔獣と対面した真一が口を開く。
「……分かったことがあるんだ。上級魔獣は2体じゃない、少なくとも複数は潜んでる可能性がある」
「現れた時から嫌な予感はしたんだが、当たってたか……」
「そして先の戦いで気がついたけど、上級魔獣に知性は感じなかった。多分だけど、アームクラスの魔獣の使い魔にされてる」
「「ッ!!」」
その情報を耳にすると瑛士と白夜は反応し、この状況を喜ばしく感じている。
瑛士は口元に手を当てて呟きながら、事が急に良い方向へ傾き始めたことに興奮すら覚えた。
「それは好都合だ。それなら、アレに上級以下は押し付けられる……」
僅かに沈黙した後、瑛士は次の指示を全員に出しながらさらに加速して走り出す。
「作戦は決まった! このまま特級魔獣に向かって突っ込んでいく」
それに続くかのように、再び凶星の振動による探知の結果を白夜も報告した。
「特級が三体ってのは間違いないです。上級の気配を隠してんなら……本命には霊力を感知させない術の容量が足りてないはずっス!」
「特級と遭遇したらまずは────」
瑛士が言葉を言いかけた時、彼の声を遮るように巨大な爆裂音が木霊する。それは4人の後方、先刻に真一がいた場所の方角からその音は向かって来ていた。
彼らは反射的に振り向いたが、とてつもない量の砂埃が舞い、何が起きたのかを見ることは叶わなかった。
「本格的にヤバくなってきた……もっと遠くに逃げるっスよ!!」
白夜は顔を真っ青にして、咄嗟に振動の防壁を生成する。真一は流石にその光景を見るや、不安が押し寄せて堪らず瑛士に確認を取る。
「瑛士君、優人さんにあれだけ言ってた手前でとても申し訳ないんだが、本当に一晴さんは大丈夫なのか!?」
「──2人とも、知らないようなので話しましょう」
爆裂音の余韻と耳にあたる風の音。騒音が蔓延っている筈の状況下で確かに、瑛士の声は2人に届いた。
だが、その言葉はあまりに理解しがたく、彼らが理解するのに僅かなタイムラグが発生した。
「一晴さんは、8年前に死んでいます」
2人が瑛士の言葉に息を飲んでいると、背後でドチャリと何が激突した鈍い音が聞こえてくる。
その耳に媚びるつく気持ちの悪い音を聞き取ると、全員は恐る恐る振り返った。
そのあまりの凄惨な状態となった物体に彼らは言葉を失った。
白夜の張った振動の壁、そこへ食い込むように黒牙のついた緑鱗の肉がベタりと張り付いていた。
今の衝撃で牙は大きくひび割れ、鱗の奥の肉は果実のように潰れて赤く染められていた。
先程の破裂音が、一晴を襲った魔竜の肉が爆ぜた音であると察するのに時間はかからなかった。
肉はゆっくりとずり落ちて地面にへばりつく。
程なくして、高笑いが聞こえた。
この地下空間全体にまで響きそうなほどの声は、聞いた者の恐怖心を呼び出されるような発狂であった。
声の方角に顔を向けると、そこには黒い霊力の塊があった。
見える限り最も高い建物に立つその者は、優人の呪いにも負けぬドス黒い煙を絶え間なく放出しながら天を仰ぐ。
発狂しながら竜を屠ったそれは、霊体化した一晴であった。
「あれが一晴さんの本当の姿、悪霊王!」
瑛士はこれまで以上に恐れながら一晴の異名を語る。
ここで優人と真一は気がついた。
瑛士も白夜も魔獣から逃げていたのではない、虚空から突如現れる魔獣を恐れていたのではない。
あの悪霊を、これまでになく凶暴で危険となる存在から何も知らぬ2人を守ろうと走っていたのだ。
「霊管理委員会において、最狂の狂戦士」
瑛士達の存在に目もくれない一晴であった悪霊は、ただ只管に発狂している。
その手には、己が殺した竜の顔の一部が握られていた。
「あはははぁ、あははははぁ、あははははははははハッ! あははははははははははははははははッ!!」
狂気に染まった悪霊の絶叫は仲間達を震え上がらせる。
目は鬼火の青い光で不気味に光り、その目は辺りに溢れる魔獣達にへと向いていた。
──現時点で、特級魔獣を除いた危険分子は他でもない。
ベルセルクと化した悪霊の一晴である。





