第8話 天使の落とした羽
雀の鳴き声が窓から漏れ、にかわに暖かいの九月の朝。
いつもであれば喜んで休日を過ごす優人であったが、この日はこの朝に相応しくない疑問と悩みに向き合っていた。
「なんだろう……何かずっと忘れてる気がするんだよねぇ」
優人は顔を顰めながらうーんと悩み自室の机に突っ伏していた。
確実に優人には何か大切なことを忘れている気がする、という感覚が心の中であった。その感覚はつい先日に似たような体験をしていたため、余計彼は気になっていた。
「この間も零人君の苗字を忘れてたし、疲れて忘れっぽくなっちゃってるのかな……」
それは霞や霧が頭の中にかかっているというよりかは、記憶の中からその何かが執拗に消されたようなイメージであった。
忘れる筈がない大事な何か、それが何故か封印されるかのように優人の脳内データから抹消されていた。
「うぅん……思い出せなくて何だかムズムズする────」
記憶の忘却に対するむず痒さに頭を抱えていた優人はふと窓の外の景色を眺めた。
日の光を朝露が反射することによって庭の芝生や木々の緑が鮮やかに輝く。
色鮮やかな緑と僅かな白で彩られる家の庭と朝日が昇り徐々に色付き始める優しい水色。
ふいに綺麗だと思った日常の中の景色に少年は見蕩れていた。
しかし外の景色がその刹那、淡く白い光を放って窓の外の色を埋めた。
優人がその変化にピクっと反応すると光は収まりいつも通りの景色が戻っていた。その代わりとして、窓を隔てて白い翼を背に携えた幼女と目が合った。
幼女は人形のように整った顔立ちと爽やかな緑の瞳。優人と薄い金髪とはまた違った檸檬のような髪。
肖像画からそのまま出てきたかのような容姿の幼女が困ったような顔をして窓の際に立っていた。
一体何が起きているのかと固まっていたが、その幼女が知人であるということが理解できると優人は窓を開けて彼女を招き入れる。
「うりりん久しぶり〜! 来てくれたの?」
「う、うん優人君!」
四大天使が1人、大天使ウリエルは頬を赤く染めながらも嬉しそうに窓から部屋へと入室した。
ウリエルが窓をよじよじと登り、白い羽が風で外へ飛んでいく。
その時であった。優人の脳内にあった記憶の空白の箇所に電流が流れて忘れていた記憶が復元されていった。
「ああぁぁぁぁっ!!」
「ひゃぐっ!?」
「そうだ、僕は──みんなに約束したんだ」
優人はウリエルとの再会で2度目の天界での記憶を取り戻した。
四大天使の彼女らの古い友人であり、WhiteGirlsのリーダーとして活躍していた女神アテナの捜索依頼を受けたことを。
優人は交わした約束を果たせていないどころかそれ程大切な約束を忘れていた事実に自責の念を抱いていた。
「ごめんねうりりん、全然アテナさんを探せてなかった。それにとぉってもごめんなさい、約束のことずっと忘れちゃってた」
「あっ、ううん。それは全然大丈夫なの! でも、今日はその事で少しお話があって……」
「え、えぇっと……うん」
ウリエルは優人のベッドに座ると一呼吸置き吃りながら今回優人の元へ赴いたことの経緯と説明をする。
「まっまず最初にね、実は優人君には言ってなかったんだけど、私達4人は優人君に大天使の加護を与えていたの」
「そうなの!? ラファエルさんの『人求の加護』だけじゃないの?」
「それとは別に天使の加護っていうのがあってね、その、私達天使は何人か限定なんだけど人間に奇跡とか能力とか上げられるの。そして同時に加護を受けた人の霊力とか大体の様子も見れるのね」
ウリエルはそう言いながら優人の胸をオドオドとしながらまじまじと見つめる。
「それでね、優人君にあげた加護がね……どんどん消えていっちゃってたの」
「え、加護が消えちゃってるってことはアテナさんを探せないってことなの?」
「でっでも近くで見たら分かったんだけどね。消えて言っちゃってるんじゃなくて、取り込まれてるみたいなの。受け取った時の記憶も少し巻き込んで」
「えっ、取り込まれてるって何に?」
「多分、優人君の呪術式と別の何かに──君の魂にある不思議なもう1つの力に吸い取られてる感じなの」
「僕の、中に……」
ウリエルにも優人の魂と呪術式、そして謎の力の形や見た目はハッキリと捉えられていた。
溢れ出る膨大な霊力と呪い、魂の奥で生まれる邪気と聖力。
(私達の加護は消えてない。でも魂の中で取り込まれて他のものと融合してる……これはただの能力じゃ決してない、そもそもこんなに力を魂に蓄えられるのって零人君以外の人間じゃありえないぐらい)
天使として何世紀にも渡り人間を見てきたウリエルでさえも、優人の能力の異常性については警戒していた。
明らかに霊力の生成速度や排出量が普通ではない。大罪の能力者よりも遥かに異質な光景であった。
それらを実際に見たことでウリエルは優人に忠告を入れる。
「わ、私には予知能力があるんだけどね。近い将来、優人君はもっと強くなった時に能力が何かに共鳴して暴走する未来の断片的図が見える。だから特に君の呪術式だけは暴走させちゃだめ」
ウリエルは心配そうな表情を浮かべながら優人の肩を掴み、この時だけは真っ直ぐと優人の目を見て警告した。
「もし呪術式が暴走してしまったら────君は大切な人達を悲しませることになっちゃう。それぐらい強くて怖い力なのを忘れないでね」
いつになくハッキリとした口調で話すウリエルから注意を受けた優人は己の力の危うさを再認識して唾を飲み込んだ。
僅かな静寂に包まれると顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしたウリエルが慌ててフォローを入れる。
「あっあの、あくまでそうかるかもってことなの! 私や零人君の予知もそうだけど、どんな予知をしても変えられないことはないからね!!」
「うん、でもありがとう。僕はまだ色んなことを知らないし、霊能力者としても心がまだ未熟だったから再確認できたよ」
「そ、それなら良かった……あ、そそっそうだ! 問題はないけど一応私からの加護も上乗せしておくねっ」
そう言うとウリエルは今まで以上に顔を赤らめながら優人の前髪を上げ、そっと彼の額に口付けをした。
額には魔法陣がうっすらと浮かび上がると浸透するように優人の中へと消えていった。
照れ隠しなのかウリエルは加護を与えると窓を開けて即場に白い美翼を広げた。
「ほ、本当はもっとお話してたかったんだけど、お仕事があって……あのっ、コンサートとかがなくても何時でも天界に来ていいよ! 歓迎するから、ね」
「ありがとう!! じゃあまたねぇ、うりり〜ん」
「あ、アテナ様探しは焦らなくても大丈夫だよ!! あっ、えぇっと……じゃあね!」
ウリエルは気恥しさもあり、早々に優人の部屋から出て青い空へと飛んでいった。
優人が見送りに窓から覗いているとウリエルはあっという間に姿が見えなくなり、代わりに太陽が東の空から南に向かって動いていた。
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ウリエルは天界に戻るために飛行していたが先程までのやり取りを思い出し照れ臭さから顔を隠した。
「う〜ん、優人君といると楽しいけど優人君が可愛くて恥ずかしくなっちゃうなぁ」
そんな恋する乙女のように遥か年下の少年に、幼児に向けるような愛おしさを感じているとウリエルの脳内にテレパシーが届いた。
女性の声で丁寧な口調でウリエルに声を伝えた。
『ウリエル様、わざわざ天界からありがとうございました。無事に任務は達成致しました』
「あっ、だだ大丈夫だよ。私も優人君に用事があったから……ちゃんと加護と一緒に入れておいたよ、優人君に霊管理委員会の術式」
『ありがとうございます。あの術式があれば、優人様を我々もサポート出来るので助かりました。ところで優人様の力の方はいかがでしたか?』
「──とても怖かった。制御は完璧だったけど檻の中に邪竜でも入れてるみたいな感じで、制御が外れた時が怖いぐらい優人君は強くなってた」
『了解致しました。では本日はこれで業務は終わりですので後はお任せ下さい────司令』
「うっうん、じゃあそうさせてもらうね」
四大天使ウリエル、これは神話上あるいはウリエルの伝承上での地位でしかない。
人の手により統治された霊界及び霊管理委員会において彼女には別の地位が与えられている。
────霊管理委員会直属特殊部隊の一角、諜報部隊最高司令官ウリエル。
それが彼女に与えられた地位と権力である。
「明日からまたお仕事かぁ……今度のライブの練習時間なくなっちゃうぅ」
天使は泣き言を零しながら天空に向かって昇っていった。





