第2話 息を潜める狼
それは向けられた殺意に対する防衛行動でも闘争心から来る衝動でもなかった。ただ優人の霊能力的な本能が「拳を構えろ」と彼に告げていたのだ。
廊下にいた全員の動きが停止していたことに気がついた者は優人と零人を除いて誰もいなかった。
目の前の現象にただただ優人は驚かされた。
時間の停止、それをできる人物は優人が知る中でも隣に立つ零人と地獄の皇帝ルシファーしか知らない。
つまり和幸はこの2人と同等の力を持つかもしれない相手ということ。優人もさすがに穏やかなままではいられない。
「零人君……今のは和幸君が、時間を停めたんだよね?」
「いや、多分だが今のはあくまで擬似的な時間停止で本当に時間が止まった訳じゃねぇと俺は思うぜ」
「というと?」
「俺やルシファーさんは時間停止っつっても時間を止めるだけする訳じゃねぇ。範囲や止める対象を厳格に設定して能力を発動する。
なぜなら、もしただ本当に時間停止しちまったら物理法則の影響で人は死ぬし、一般人にも時間停止の事実がバレるからな」
「あっ、だから誰も怪我してなくて何も起きてないから本当の時間停止じゃないってことだね!」
「あぁ、そういう能力やスキルを持ってたとしてもあの霊力じゃ使用なんて叶わないからな」
優人はその説明で納得したが、零人は内心まだ落ち着けていなかった。
(ただ擬似的とは言っても十分過ぎる力だ、これはこの後すぐにでも石川と接触した方が良い。能力を悪用するような奴とは思えないが……)
最悪のケースは和幸が零人や霊管理委員会と対立することである。
既に情が生まれてしまった彼に対して、残酷なことにはならぬようにと零人は願った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
和幸は人目を避けるようにそそくさと学校を後にし、早足で歩いていった。
2人は彼と一定の間隔の距離をとって帰宅する彼を追跡する。
念の為に術で姿や音を消したまま優人達はタイミングを伺いながら追っていた。
優人が警戒して追う一方、零人は空を見た後に周りを観察し始める。そして面倒そうな表情をして首を軽く回した。
「んぁ、間が悪いな」
「どうしたの?」
「もうすぐ日が完全に落ちる。そんな時、今みてぇにやけに辺りが静かで空が異様な赤で染まるってのは悪霊や魔獣が大量発生する予兆なんだよ」
「じゃあ和幸君とお話するのは今しかないってことだね」
「おう、そんじゃ術解除するぞ。お前は攻撃は仕掛けず防御だけしててくれ」
零人は優人を連れてスタスタと和幸の後ろまで近づき、手を叩いて魔術を解いた。
術の解除と同時に、2人の強烈で多量の霊力が一気に和幸に認知される。
そして2人の霊力を感じ取った和幸は即座に振り向き、軽く身を引いてから殺気立った目で零人と優人を睨む。
「なっ!?」
突如出現し、尚且つ自身と霊力の格の違う相手2人と対面した和幸は攻撃を仕掛けることも出来ずただ驚愕のあまり息を荒くした。
警戒心を剥き出しにしている彼に零人はいつもの調子で話しかける。
「あー、攻撃の意思はねぇから構えなくていいぜ。いきなり現れておいて何だが立ち話でもしようや」
「その制服はウチの……お前達、まさか陰陽師協会の能力者か?」
「お、おんみょうじ? ううん、多分違うと思う。僕達は霊管理委員会の霊能力者だよ」
優人は和幸の『陰陽師協会』という言葉に反応し、テンパりながらも組織名の連想で霊管理委員会の言葉を出す。
すると零人は深い溜め息を吐き、軽く手をポキっと鳴らした後に冷静な返答をする。
「お前がなんで陰陽師協会っつったのかは知らねぇが……少なくとも俺らはあの組織のもんじゃねぇよ。それで警戒してんだったら安心してくれ」
「……」
「俺は零人だ。霊管理委員会、7つの大罪の『怠惰』の能力者。コイツは優崎優人、同じく委員会の能力者。……っと、自己紹介はこれくらいで能力は解除していいぜ。お前の固定と意識飛ばしは俺が無効化してるからな」
「えっ、能力を……無効化したのか!?」
和幸は零人の推論を聞くと目を丸くして彼自身が固まった。
「お前が集会の時と廊下で使ったのが『意識飛ばし』、他人の意識を奪い解除した瞬間になると自然に意識を繋ぐ能力。そして廊下と今使ったのが『固定』、そういう能力なのか調整してるのかは知らねぇが対象の体表を空中に固定する能力」
「の、能力の詳細まで……」
「ざっとこんな感じだろ?」
答えずともそれが図星なのは和幸を見ていれば明白だった。彼は小さく頷くと抵抗の姿勢を止めて新たに1つ、零人に尋ねた。
「──なるほど、つまり俺は抵抗しても無駄だということは分かった。1つだけ質問に答えてくれ」
「全然いいぜ、なんだ?」
「お前らは俺の友達を殺しに来たのか?」
「……お前が誰のことを指してるのかは知らねぇが、少なくともお前がダチだと思ってる奴を殺すことはまずねぇ。お前やその友達が能力を使って人を傷つけさえしてなければな」
「そう、なのか……本当か?」
零人の言葉を信用した和幸は一気に脱力して肩を下ろした。その様子を確認し、僅かに安堵の表情を零人は零したがその顔はすぐに崩れて険しくなる。
「あぁ、本当だ。もう少しその事についてお前と話してぇ所だが……日が落ちちまった。話の続きは戦った後に聞く」
「「っ!」」
優人と和幸が空を見上げた瞬間には朱の光は地平線まで遠のき、藍の空へと変貌していた。
そして意識したその刹那の内に街の至る所で悪霊が発生し、この場所へ向かって来ていることを察知した。その悪霊達全ての霊力量は優人達でも久々の多さであった。
さらに住宅街3人が今いるこの場所は住宅街のさほど広くない1歩道。2人はともかく和幸にとっては最悪の環境であった。
「まぁいい、さっさといつも通り……に?」
零人が無双制圧の準備に取り掛かろうとしていた時に和幸は手を合わせて独り言を呟き始めた。
次第に彼の体の霊力が淡い光となって点滅し始める。
「俺だけじゃ戦えない。申し訳ないが今回も力を貸してくれ──座敷わらし!!」
呼び掛けに応じ、彼の足元の傍で小さな魔法陣が形成されていった。その魔法陣は零人や優人の扱う魔法陣と異なり、文字は漢字で紋章もうぐいすという、それこそ陰陽師らしい陣であった。
陣が光るとその光の中を通ってその妖怪が現れる。
日本古来より幸運を呼ぶと言い伝えられた幼女の妖、座敷わらしが召喚された。座敷わらしは地面から出てくると目の前の零人を警戒して和幸の足の後ろに隠れた。
「おっ! そいつ天然の座敷わらしか、珍しいな」
「この子が俺の友達の1人だ。俺はこの子や他の妖怪達の力を借りて今まで悪霊達から逃れてきた」
零人は座敷わらしの召喚と先程の和幸の発言を思い出し、彼の身に今までどのような事があったのかを察した。
その事実を想像すると零人は苛立ちを覚え、前髪を雑に掻きむしりながら歯軋りを立てる。
「ああー、そうかそうか、合点がいった。だから陰陽師を……あのクソ共、こんな奴にまで手を出すたぁ相当落ちたな」
零人の明らかに不機嫌な様子に和幸は不安を感じたが、次に言われた優しく頼もしい零人の言葉でその不安感は消し去られた。
「あ、大丈夫だ石川。怠惰の能力者の名において、お前もその妖怪達も霊管理委員会が保護する」
その温かく心のこもった言葉に救われたかのように、和幸は静かに礼を言う。
「ありがとう、こんなに嬉しいことはない」
零人は深呼吸をして気持ちを切り替えると軽快に2人に話しかける。
「石川はそこにいてくれ……んじゃ優人、お前が修行してきたブードゥー教の新技を俺に見せてくれ!」
「うん、老師に教わった技で頑張る!!」
「ククク、俺も新しい魔術の試し打ちでもするかな」
2人が闘志に燃えていると悪霊が道の両側から、そして空からは翼の生えた魔獣の群れが迫っていた。
悪霊と魔獣、両者が3人から見て半径500m以内まで侵入して来たのを確認すると始めに優人が仕掛けた。
片方の道から迫る悪霊の群れに顔を向け、拳を地面に叩きつける。
「錬金術と精霊さん!!」
アスファルト内を霊力が走り抜け、悪霊共のいる数百メートル先の地面で錬金術が発動する。地面から無数の結晶杭が放たれ悪霊達を刺し蹴散らした。
さらに優人は悪霊付近にいた自然の精霊達と瞬間的に親和率を高めて精霊に協力を求める。
精霊は優人の気持ちに答えて7色の火花へと変わった。
火花は優人の錬金術の杭を砕く。砕け散った杭は細かく飛び散り残った悪霊を一体も残らずに殲滅していった。
そして優人側に残るは僅かな残党のみ、しかし優人はサラマンダー寺院で継承した秘技でトドメを刺す。
「マイナス5メートルの球……丸、丸、丸──サークルッ!!」
優人は右の人差し指で綺麗な円を描くすると優人の思念はサークルを生み出した。
消滅しかけている悪霊達が叫ぶ中に半径マイナス5メートルの球を出現させる。
そしてサークルは出現後即座に発動した瞬間、悪霊共の霊力を引きずりこんで消失した。
マイナスの距離の出現、即ち霊力の喪失。
老師の秘伝の術を継承できた実感が湧き優人は気持ちの良い笑顔を浮かべる。そしてその光景を目撃した零人は驚愕の後、高いテンションで優人に声をかけた。
「はっは、なんだそりゃ! ポルターガイストの応用なのか? スゲェな優人!!」
「えへへー♪」
「じゃあ俺もだ──えっしゃがらァァァァ!!」
零人は自分の手首から複数の黒の鎖を射出すると前方の悪霊、そして全方向の魔獣を鎖の中に閉じ込めた。均一に霊力を送りながら鎖を張り詰め、自身の霊力の流れのウィークポイントに達した刹那に零人は鎖を引く。
「鎖縛の黒檻『狂舞乱裂』!!」
零人が軽く力を入れて引くと、鎖は射出時の倍の速度で収縮を始めてものの数秒で零人の真上まで手繰り寄せられた。その速度と収縮ゆえに鎖の中では魔獣や悪霊達が粉々に引き裂かれていた。
だが更なる追い討ちとして優人がそこに現れる。ソロモンの指輪の効果で悪魔化した優人はその黒い翼で瞬時に迫り、体から無数の呪錬拳を解き放つ。
「ソロモンの呪錬拳ッ!!」
鎖の中まで呪錬拳は侵入し、残った霊力を呪いが1つ残らず喰らい尽くした。
これで周囲の悪霊と魔獣を制圧したことを確認すると優人と零人は笑いながら空を見上げた。
「「──そして残り!」」
今回、これだけの悪霊と魔獣が発生した原因たるリーダー格の魔獣が上空から口を開けて2人の元へと落下してきていた。
「優人、あれは俺にやらせてくれ。いい実験体だ」
魔獣はセイウチのような様相で、その無知さも霊力の弱さゆえに零人に恐れることができず無謀にも立ち向かってきていた。
獲物を捕らえようと口を開けてた愚獣は彷徨する。
『ザァガバァァァァ!!』
そんな魔獣を前に零人は3枚の重なった魔法陣を宙に描いて手をかざす。
魔法陣は赤い閃光と青い火花を散らしながら回転し空気を震わせる。
目で魔法陣の向きと照準を合わせて零人は拳を握る。
「『九山八海を貫く覇の一撃』ァァッ!!」
硬く握った拳に全体重をかけ、零人は魔法陣を強く拳で叩いた。拳の威力はそのまま霊力へ変換され、魔法陣からは一筋の稲妻が発射された。稲妻は魔獣を貫通すると魔獣を焼き払い、辺りの霊力を巻き込んで肥大化し、雲までも突き抜けて、ついには大気圏を超えてしまった。
こうして本日の悪霊と魔獣の討伐は終了した。そしてその光景を間近で見ることとなった和幸はその目で見たものを未だに信じれずにいた。
能力者といえども彼はまだ一般人よりも秀でた能力者。霊管理委員会でも化け物クラスと謳われる2人の戦闘にはもう言葉が出なかった。
「あーくそっ、宇宙空間まで行っちまった。やっぱまだ精密動作性をどうにかしねぇと使えねぇただのネタ技だ」
「え、え?」
「僕もやっぱり、精霊さんとすぐに連携とれないのが課題かも〜」
「えっ、え!?」
「まぁ市街地だったってのもあると思うぜ? 制限こそねぇが、お前も俺と同じである程度はブッパできる場所の方が本気出せるもんだ」
今の戦いに加えて尚この2人の発言、一般人側の価値観の強い和幸は次の一言を零すのが精一杯だった。
「何なんだ……こいつら」
驚きのあまり腰を抜かしそうになる和幸を零人は肩を掴んで支えた。
「ってことで、優人。悪いが俺は石川と野暮用がある。石川もこの後は大丈夫か?」
「え、あぁ。予定はないが……」
「じゃあすまん、少しだけ重要なことがあるからテレポートするぜ」
「そうかなら──えっ、はっ!?」
和幸が再び硬直していると零人と和幸の足元で魔法陣が光り始める。それは転送用の魔法陣だったため、優人は笑顔でそのまま2人に手を振る。
「2人ともまたね〜」
「おう、また明日な」
「はっ、ちょ、え……はぁぁぁぁぁ!!?」
和幸が驚愕する叫び声が途切れると2人の姿と魔法陣は消え、気がつけば星が輝いていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
魔法陣で瞬間移動した2人は壁や床、天井までもが青白く光っている回廊を歩いていた。
世間話のように和幸は零人から霊管理委員会と霊能力者についての概要を語っていた。
「──つまり、俺は委員会の能力者になれば俺も友達も安全なんだな?」
「それだけは死んでも約束できるぜ。委員会の基本原理は人の心と魂が優先だからな、お前に害は与えねぇし与えさせねぇ」
「でも、なんでそんなに俺に……」
「お前は今日会ったばかりだが、集会で見た時からお前のことは人間的に気に入ってたからな。一方的かは知らんが、俺はダチだと思わせてもらうぜ」
零人が何気なく言ったその信頼の言葉に和幸は胸が熱くなった。「ダチ」という言葉だけで嬉しさが込み上げる。
その言葉を心地よく思っていたが、それよりも彼は先程から歩いているこの回廊について気になり始めた。
「ところでここは──」
「霊管理委員会の持つ巨大亜空間宝物庫『ミュニアス』。その内の1つだ」
零人がこの場所の名を告げると2人は立ち止まる。
目の前には高さが数十メートルはあろう巨大な扉が立ち塞がっていた。巨人用にも見えるその巨大な扉の前に進み零人は右手で触れて詠唱する。
『7つの大罪「怠惰」の能力者、真神零人が命ずる。我らが宝物の番人よ、その堅い忠義の元に扉を開き給え』
扉は白い光を放った後、ゆっくりとその重い扉を開き始めた。扉の中からは回廊の空気より冷たい風が2人に向かってくるように吹き出した。
風が止み扉が開き切った時、和幸はその宝物庫の中を見て絶句した。
彼は今日何度も零人達に翻弄され驚嘆していたが、この光景を見たことが和幸の人生で最大の衝撃であった。
「ッ!? なんだこれ……なんだ、本当に何なんだ」
そこには果てしなく巨大な棚が設置されており、その中にはあまたの人間達が立って並んでいた。
屈強な大男、美しい亜人の女、紅の頭巾を被った少女、剣を構える騎士に刀を右手に持つ侍などそれぞれ特徴的かつ全て異質な人間達──のようなものがそこにはあった。
彼らには生気がなく、青白い顔をしたまま目を瞑ってそこにただ立っていた。
零人が中へと入っていき、和幸の方へ振り返る。
「お前には協力してもらいてぇんだ。この──『記憶の楽園計画』にな」
零人の言葉と共に、宝物庫の中に冷たい異界の風が吹いた。





