第56話 最悪の刹那
「──ふあぁぁ……いつにも増して今日は眠ぃな。学校も久しぶりに何日か行くと疲れるもんなんだな」
零人は眠気に襲われながら朝の通学路を歩く。
時間が普段と違うためか、優人はもちろん誰ともすれ違うことなく学校へと向かっていく。
「にしても、この夏は忙しかったよな……ダチなんていなかったからあんな生活なんて送ったこと無かったが、やっぱり見立て通り。青春ってのは悪くねぇな」
夏に優人と行った魔獣や悪霊の討伐や友人達と共に楽しんだテイスティーランドや祭り。
自分がこの街に来る前から憧れていたものを叶えられたことに感動を覚え、零人はぼんやりと感傷に浸る。
零人にとって彼らが全てといっても過言ではなかった。
人生が霊能力に関わる戦いや争いを幾千も重ねてきただけの零人にとって友こそが財産、思い出こそが真に価値のあるもの。
今となってはもう零人は優人いない世界など考えることもできない。
最強に近づくにつれて感じていた孤独感を唯一完全に晴らした人物、零人にとってただ1人の相棒にして親友。
「はっ、俺がこんなことを思えるようになるとはな──ようやく手に入れられたのか……俺がずっと、欲しかったもんがよ」
零人は自身の本音を呟くと上機嫌になり、優しい微笑みを浮かべてとぼとぼと学校へと向かっていった。
澄んだ朝の空気が肺に染み渡り、まだまだ続く夏の暑さが零人の肌をじんわりと焼く。
────しかし、この時すでに異変が発生していた。
「んん? っかしいな、道が分からねぇ……」
零人は道に迷っていた。
零人の家から上葉高校までは複雑な道ではない。家を出発してから左に曲がれば後は道なりに進むだけの単純なルート。
ましてや普段から通っているはずの通学路なのに、一向に学校へ辿りつくことができなかった。
「……まさか、空間をねじ曲げてループするタイプの異界に入っちまったか? それとも時間がループしてんのか。詳細は調べて見るしか──ん?」
零人はその瞬間、もう1つの違和感に気がついた。
それは現在、零人が霊能力を使用できていないということだ。
解析術を使用するために宙へかざした右手からは何の魔法陣も展開されることもなく、霊力すら放出されなかった。
「どうした、霊力の感覚や回路の具合には問題ねぇ……能力封じの類いか? いや、それなら魔術以外にもスキルやら能力やらが発動するはずだ」
顔をしかめ、手を唇に当てながら零人はひたすら思考した。
敵からの攻撃や怪異などが引き起こす超常現象に巻き込まれた可能性、そしてこの状況の打開策や外部への連絡手段を模索していた。
だが考えていても解決策の答えは出てくる気配がなかった。
そしてなぜか能力も元栓が閉められたように全く使用できないという状況下にあるときた。
自分自身を軽く攻撃してみて、フェニックスの権威の回復効果だけでも確かめる方法はあったが万が一のために零人はその確認方法を候補から排除した。
「気味の悪いこの事態の中で能力が使えないのは……何かしら記憶を封印するキーとなる存在があるからじゃないのか? 例えば俺が何かを忘れてたりとかな」
今度は自分自身の記憶について詮索と思考を開始する。
まずは友人関係や自身の能力、そして零人自身の身元の確認。
しかしどれも引っかかるものはなく、零人は自分が何者であるのかということも正確に覚えていた。
身近な物事以外にもこの異変に関係がありそうな怪異や霊的現象を記憶のバンクの中から漁ってみたものの、こちらも成果なしだった。
長考した後、ひとまず零人は朝から今までの記憶を辿った。
起床後はスマホを弄りながらすぐに身支度を整えて家を出発。そして今まではいつも通り学校へと──
「っ!! なんで俺は────今日が9月だと思い込んでいた!?」
零人が最後に覚えていた日付は8月31日、それなのにも関わらず今の今まで零人は「数日は学校に通っていた」と自然に感じていたのだ。
「……となると、ここは虚構世界か? はたまたパラレルワールドに無自覚で転移しちまったのか──いずれにせよ、能力が使えねぇのが最大の問題だな。死ぬことねぇだろうが…………」
しかし零人がこの世界の違和感を見抜いたその瞬間、地面が透けた。
その奇妙な体験は零人にガラスの床で立っているかのような感覚を覚えさせた。
何故なら透けた地面の奥、上葉町の地下であるはずの地面の下に────巨大な都市が広がっていたのだ。
その都市は現代の都市ではなく、遺跡で発見されたアレクサンドリアのような石造りの古代都市であった。
しかし最大の違いは、その都市は明らかに機能していた。
人気はないが見える限り物は新しく綺麗で、異様なほどに舗装されていたのだ。
「なんだこりゃ!? ダンジョンか、それとも巨大なアーティファクトなのか……上葉町の地下にこんなもんが──」
だが地下の巨大都市に驚愕していたのも束の間、畳み掛けるように零人の目の中に衝撃的な光景が次から次へと飛び込んできた。
地下に広がる遺跡の建物と建物の間をすり抜けるように巨大な龍が宙に浮きながらゆっくりと移動していたのだ。
その龍は蛇のような長い図体に西洋竜の爬虫類的な頭部をした構造であった。
その龍は零人に気がつく訳でもなく、ただ揺られるように地面の下を……地下都市の中を移動しているだけだった。
「神龍の類いか!? デカさだけならリヴァイアサン並だが──ちくしょう、霊力すらも見えねぇ!」
ただ観察している内に零人は気がついた。
その巨大な龍に目を奪われていたが、古代都市には人がいない代わりとして大量の魔獣がウヨウヨと生息していることに。
透けた地面の下での光景に彼は息を呑んでいた。
「クソ、正直危険だがやむを得ねぇ……一旦この空間から離脱した後、万全の状態でいけば────」
しかしまたしても零人の目に信じ難い景色が飛び込んできた。
地面の下に広がる古代都市に気を取られていたあまりに、眼前にまで『それ』が迫っていることを認識することができなかった。
「っ!!? なんっ、なんだ……」
零人の目の前にはとてつもなく巨大な空間の歪みのような現象が発生していた。
それはまるで巨大な壁のようで、飛行能力も超視力もない零人では全貌を捉えられないほどの存在。
上にも横にもどこまでも続くその歪みはブラックホールのように闇が広がっている──そう認識したかと思ったら錯覚や蜃気楼のように空間が歪んでいるようにも確認できる。
いずれにせよ、それを見ようとすればするほど視覚で認識することがより困難になっていった。
それは零人でも人生の中で初めて遭遇した存在であった。
あまりに無秩序で驚異的なまでに法則性がない。
宇宙ですら破壊の対象にできる零人だが、この時ばかりはこの未知なる存在への対処方法が一向に思いつかなかった。
しかしそれは明らかに危険、脅威になるうる存在と理解はできた。
零人は一時的な逃避をしようと脚に力を入れる。
「アズの召喚どころか解析術すら出せねぇじゃねぇか! これはマジに……な!? 」
零人が走り出そうと地面を踏み込んだ次の瞬間、透けた足場は飴細工のようにいとも簡単に割れて散っていった。
割れた範囲は半径約10m、零人は為す術もなく体勢を崩して地の中へと落下していった。
「なんで霊力があるのに何も発動できねぇんだ! 最悪霊力すらなくても使えるのが────っ、は?」
零人はその時、反射的に絶句した。
先程まで落下の感覚を味わっていたはずだったが突然重力は消え、代わりに絶望的なものがそこに置かれていた。
彼は目の前で、胸に風穴を開けられ大量に出血した優人の姿を目撃したのだ。
優人は全身が傷だらけで顔が血まみれになって倒れていた。
そして安らかな表情で力尽きて眠っていた。
その映像が網膜に届いた瞬間に零人の目頭は熱くなり、急いで治癒魔法をかけようと手を伸ばす。
いつしか忘れていた絶望と悲しみの感情が彼の胸に迫り、心臓を強く打ち付ける。
痛々しい姿で横たわる優人を受け入れられずに零人は涙を浮かべながら叫んだ。
「ゆうとォォォォォォォォ!!」
零人は手を伸ばしながら駆け寄った。
親友の突然の惨状を前に零人は冷静な判断力を失っていた。
──しかし、零人の手が優人に触れた瞬間に優人の体は幻の如く塵になって消失した。
「なん、で……どうしてだ…………」
零人以外、その空間には何も存在しなくなり辺りはただの暗黒の空間へと変貌する。
零人が再び困惑と混乱を感じた刹那、彼に激しい頭痛が襲いかかった。
零人が頭痛で一気に三半規管が狂っていた中、1人の少年の声が背後から聞こえてきた。
「し、師匠ッ! 助けてくれ……白夜が、白夜が死んじまう!!」
「──瑛士っ!!」
背後では右腕を欠損し、紫の髪を鮮血の赤で濡らしていた瑛士が更に重症を負っていた白夜を抱えて立っていた。
瑛士は号泣しながら必死に白夜を支え、逆に白夜は力が全く入っていないようで完全に瑛士にもたれかかっていた。
この一瞬だけで異常度は理解できた。
普段は犬猿の仲でいがみ合っている2人が負傷しながら共に零人の元へ助けを求めに来たこと。
そして何よりも──7つの大罪の『強欲』と『傲慢』がここまで追い詰められたのだ。
凶星とカイザーレガシーは大罪の能力の中では性能がトップの2つ。
しかも歴戦の戦士たる2人が負けるなど、考えられないことであった。
瑛士は涙を流しながら欠損している右腕を伸ばそうとする。
「師しょ────」
だが2人は先程の優人のように霧の如く散って消えた。
「うっ!? あがぅ──アガアアアアアァァァァァァァ!!」
またもや訪れる頭痛、しかし今度の頭痛は耐え難いほどに強く、頭蓋の中で何かが爆ぜていると錯覚するほど零人に痛みを与えた。
「ヴヴヴ……グアアアァァァァァァァ!!」
痛みで視界が歪み、白目を剥きかかったその時に映像は切り替わった。
朦朧とする意識の中、零人は睨むように目の前に立ちはだかった悪神に目をやった。
「──てめぇはァァ!!」
その悪神は蛇のような胴から肋骨と骨のみの腕が飛び出し、邪気を放ちながらその骸骨面でニタニタと笑っている。
近くにいるだけで不快感を覚え、その醜悪な鳴き声は忘れたことはない。
以前は太陽神ラーに取り憑き、零人が優人と両面宿儺らと共に戦ったにも関わらず逃げることが叶った稀有な存在。
ゾロアスター教における絶対的な悪神にして人類の厄災の元凶たる邪神。
「アンラマンユッ!! クソが────はっ……」
零人は怒りを剥き出しにし、霊力も上手く扱えぬ状態で無謀に悪神へ襲いかかろうとした。
ただ──その瞬間に零人は気がついたのだ。
これは現実の事象ではない、予測の事象であるということを。
零人は冷静さを取り戻し、立ち向かうことなくその場で踏みとどまった。そして観察を開始する。
その間、アンラマンユは零人に襲いかかることも逃げ出すこともせずにただ突っ立っていた。
零人は右手で顔の下半分を覆いながら思い出した記憶と現状から推測を立てた。
「間違いねぇ……これは『無意識断片型予知能力』! 俺が危機回避のために予知能力やクレヤボヤンス系の術を習得した時に得た能力。発動なんてしたこと無かったから気づけなかった……」
つまり零人が今見ている光景というのは現実ではなく夢の中での世界。
断片的ではあるものの危機を知るために零人が編み出した術の1つだった。
「ていうことは、このアンラマンユも……さっきの優人達も──」
零人が予知夢の中の予測世界にいるということを自覚したと同時にこの空間、この世界の映像が加速を始めた。
アンラマンユの映像は去り、次々と目まぐるしい速度で情報が流れてくる。
零人がその一つ一つを視覚的に捉えることは叶わなかったが、映像の1枚1枚がカメラのフィルムのように零人の記憶の中へ流れ込み出していった。
──────この世のものとは思えぬ幻想的な森、黒いローブを着た男達、不気味なうさぎ、星が一面に輝く宇宙空間、歪んだ花畑、炎の中を泳ぐ騎士、青白く発光する異形なゴーレム、逃げ惑う能力者達、結界の中で戦う陰陽師達、空を駆けるバハムート、浮かび上がる呪術式の紋章、黄金色の髪、呪いの霧に呑まれる魔獣。
映像が連続的に記憶に転送が終了すると、今度は零人の耳元で響くように大勢の人の声が聞こえてきた。
「我々は、ずっとあなた方の来訪をお待ちしておりました」
「才能を持ったてめぇらには分からねぇよなァァ!!」
「我らはArthurの使徒である。教皇の名のもとに霊管理委員会を解体する」
「僕は虚飾の悪魔なり」
「自由なんだよこの世界は……そしてその自由を奪ってるのはお前だ」
「楽園の英雄は蘇るのだ」
「大魔王陛下、万歳ッ!!」
「辛くても、苦しくても、僕は憧れたものがある!」
「愚かな道化ならば我を興じさせるために踊っていれば良いのだ塵芥虫風情が」
「地獄の皇帝、その真価を見せるタイミングが整ったみたいですねぇ」
「禁忌の罪を解放する時がやってきた」
「この世界は霊界を排除し統一するッ」
「僕に力を貸して──スリーピーホロウズ!」
「tabletの記述は破滅をさしている、これまでにない非常事態が始まろうとしているんだ」
「クリムゾンとヴァイオレットが望んだ泡沫の夢がこの世代に到来しているのは間違いない」
「早くしろ、優人君の魂を一刻も早く肉体へ戻すんだ」
「七つの大罪が全滅しましたぁぁぁ!!」
『お前は血から逃げられない』
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「────アァァァァッ!! はっ、はぁはぁ……」
零人はベッドから飛び上がると呼吸を乱しながら虚空を見つめた。
心臓が荒く波打つ中、零人は自分の霊力や術を軽く使用し無事に使用出来ることを確認する。
「今日は……いつなんだ?」
目覚まし時計を見てみると今日は9月1日の朝6時、始業式の日であった。
零人は予知で見た光景を反芻しながら確認し、悔しそうに歯ぎしりを立てた。
「クソが……誰も見た目に変化が見れなかったっつーことは、あの映像全てがこの数年以内に起きるってことか」
傷だらけの優人達の姿が変わらない──近々発生する事象にしてはあまりにも酷な内容であった。
しかし、夢のあの世界と違い零人に絶望感はなかった。
零人は拳に力を加えながら、その決意を口に出して己に宣言する。
「はっ、上等だ……たとえ因果律を引っ掻き回そうが、次元の法則を改変しようが────必ず俺が助けてやる。俺は世界最強、7つの大罪の『怠惰』なんだからよぉ」
『お前は血から逃げられない』
その言葉が零人の脳内でまた鮮明に響いた。
零人は思い出すとより一層歯ぎしり音を大きくし、拳が壊れるほど握り締めながら声を出す。
「──俺の力は破壊することにも救うことにも使えんだ……真神の家と違ってな」





