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第6話  西暦1914(大正三)年 十月 其の二


「それだけならまだまだしも、……これは新型貨物船を製造するきっかけでもあるのですが、造船所には跡取り息子さんがいて、造船技術を学びに英国へ二年間留学していました。そして帰国したのが今年の春。その際、英国の最先端技術をふんだんに取り入れた設計図、もちろんその息子さんが設計したものです、……それを持ち帰ってきたのですが、実はそれもお金と一緒に盗まれてしまい途方に暮れているのだと。何しろその船に社運を賭けていたそうですから」


 ねずみ小僧もお金を盗むのは判るが、いくらなんでも設計図まではいらないと思う。少なくとも設計図をもらって喜ぶ貧しい庶民はいない。

 それに紙とはいえ大型船の設計図、盗むとしても相当嵩張(かさば)ったに違いない。


「そう、英国の最先端造船技術、ね……」

 

 僕の言葉を反復する椿様。

 完全に彼女の表情から笑みが消えていた。だけど先月のように狂気が満ちているのではなく、冷静そのもの。

 椿様は視線だけで、続きを、と促してくる。

 僕はそれに頷いて話を続けた。


「銀行からお金を借りるにあたって担保にしていたのが、茨城県北部の山奥にある、奥さんの実家屋敷と田畑だったのですが、それもいずれ取り上げられてしまうのではとのこと。……山もたくさん持っていたらしいですけれど、それもやはり。……まぁそちらの方は大して価値は無いそうですが」


「……茨城県……北? ……山……!?」


 椿様は呟きながらしばらくの間何やら考え込んでいたかと思えば、突然カッと目を見開き、こちらの方へずずっと距離を詰めてきた。


「ねぇ、健次郎さん! 奥様の実家、もしかして旧多賀郡の()()村というところだったりします!?」


 僕は密着してくる椿様から、少しだけ距離を取るように身体を引きながら、何とか記憶を呼び戻す。

 だけどあまりにも顔が近いので集中できない。 


「……えぇっと、日立村……っていう名前ではなかったはずです。……けれど多賀っていうのは多分合っています。……あぁ、確か『すわ』とか言っていました!」


「旧諏訪村ですか! ……少しだけ南ですね。けれども……やはり調べない訳にはいかないでしょうね。……これはあまりにも出来すぎですし」


 何がですかと、と僕が問う間もなく椿様は仕事用の机に向い、物凄い勢いで手紙を書き出した。


「ねぇ、アンジュ?」


 椿様はいつもより少し鋭い声で寝そべったままの女中を呼んだ。

 その間も筆は全く止まらない。


「……な、なんでふカ?」


 アンジュは頭だけを上げる。明らかに寝起きと分かる声だった。

 今まで俺たちの話を全く聞いていなかったと思っていたけれど、まさか本当に寝ていたとまでは思わなかった。


「もう少ししたら、貴女に()使()()をお願いすると思います。今のうちにちゃんとした恰好に着替えていらっしゃい」


 アンジュは数回まばたきすると、みるみる別人のような空気を纏い始める。

 彼女の中で何かが切り替わったのだと直感した。


「――了解しました」


 彼女は音もたてずにソファから離れると背筋を伸ばしたまま応接間を後にした。

 その姿にどう反応したらいいのか分からず、僕はただ茫然と彼女が出ていった扉の方を見つめることしかできなかった。


「……健次郎さん?」


 今度は僕に声が掛かり、慌てて主人に向き直る。 


「あ、はい。何でしょうか?」 


「辰巳のおじさまに伝言をお願いしたいのです。……『アンジュを()()()に使いとして出しますので、お車を用意しておいて下さい』と。きっとわかって下さいます」


 椿様は僕たちに指示を出し終わると、本格的に手紙を書くことに専念し始めた。



 僕が辰巳さんを見かけるのは大抵玄関だった。

 そこで掃除をしているか、庭木の剪定をしているか。

 しかしそちらを探してみたけれど一向に見つからない。

 いつもは不気味な程に存在感を示しているのに、こちらから出向いたときに限っていないという。夫人の居場所でもある台所を覗いてみたけれど、いつもそこにいるはずの彼女までいなかった。


「どうしたんだろう? ……本当に珍しいな」


 仕方ないので普段は絶対に寄りつかない管理人の家に向かうことにした。

 椿荘の隣に併設されており、何かあればすぐに行き来できるように扉一つで繋がっている。

 意を決してその扉をノックすると中から辰巳さんの声が聞こえた。

  

「……こんにちは、健次郎です」

 

 恐る恐る覗き込むと、彼は安楽椅子に腰かけていた。手元には物凄く高そうな葉巻。そこからゆらゆらと煙が立ち上る


「おやおや、健次郎様、こんなところまで何か御用でししょうか?」

 

 相変わらず優しい物言いだが、相変わらずどこか怖い印象を受ける。

 さっきまで読書をしていたのか、机の上には読みかけの本が伏せられていた。


「……あの、椿様からの伝言です。『アンジュをあちらに使いとして出しますので、お車を用意しておいて下さい』……だそうです」


 辰巳さんは僕の言葉のどこにそんなに驚く部分があったのかと思うぐらい目を見開いてから、ゆっくりと満面の笑みを()()

 ……この表情の方がはるかに怖い。


「それはそれは、確かに承りました。早速手配致しましょう。……それにしても健次郎様、本当にありがとうございます」


 辰巳さんは僕に対して丁寧すぎる程に頭を下げてきた。

 正直、たかが子供の使いのような伝言でそこまでされても困る。

 ()(たま)れなくなって、僕は一礼すると逃げるようその場を去った。



 指示された伝言を終えて応接間に戻ると、綺麗な着物を纏ったアンジュが立っていた。普段の振る舞いがアレなこともあって、いつもは非常に残念な感じなのだが、背筋を伸ばした(あで)やかな立ち姿はまさに誰もが振り返るような美女だった。

 そしてその後ろにはアンジュの真っ黒な髪を整える、いつになく真剣な顔の辰巳夫人。おそらく彼女が着付けを手伝ったのだろう。

 アンジュは僕の驚いている顔を見て恥かしそうに俯いた。

 しかし彼女はすぐに顔を上げると、そこにはいつものどこか勝ち誇ったような笑みが浮かぶ。


「どうヨ? 本店に行くときはいつもこんな格好なンダ。……私に惚れるなヨ、けんジロー!」


「はいはい、余計なこと言わないの。……これ落とさないようにね?」


 軽口を叩くアンジュに対して、照れ隠しで何か言ってやろうと思ったけれど、その前に椿様が彼女に封筒を渡す。


「それをお兄様に貴女が直接渡すのですよ。……お兄様に会えたら、『全ての予定を差し置いてもこの手紙に目を通して下さい』と、私がそう言っていたと必ず伝えて下さい」


 アンジュは神妙な顔で大きく頷いた。


「……それと、コレはお小遣い。せっかくだからついでに御夕飯もどこかで食べてらっしゃい」


 その瞬間、アンジュの顔がパーっと輝いた。

 そしてどうだと言わんばかりに手渡された百圓(ひゃくえん)札を僕に見せびらかす。


「けんジロー。私が居ないからってお嬢様に何かしたらダメだからナ」


「……何かって何だよ? そんなこと考えたこともないって」


「うわ……それはそれで逆にお嬢様に失礼だと思うけどナァ。一応腐っても宮原家の娘なんダヨ? いくら出戻りの年上だったとしてモ――」


「いいからさっさと行きなさい! お車が待っているから!」


 アンジュは声を荒げる椿様を横目に、逃げるようにして部屋を出て行った。

 この空気で二人っきりというのはちょっと辛いな、と思っていたが、当の椿様は「もう……」と溜め息を吐いただけ済んだ。


「それでは紅茶を淹れますね」


 いつの間にか彼女はいつもの彼女に戻っていた。




「もし船会社が倒産することになってしまったら、船大工たちは路頭に迷うことになるかも知れないのですよね?」


 淹れて貰った温かい紅茶を一口飲みながら、僕は別に椿様に聞いてもらうつもりのない独り言を呟いた。

 この前までは大正ねずみ小僧に共感すらしていたのに、今となってはよくそんな無責任な考えが出来たものだと自分の頭をかち割ってやりたい程の情けなさを感じる。……結局は対岸の火事だったのだろう。

 自分がこんな他人の不幸を楽しむような浅はかな人間だったと知りたくなかった。本当に恥ずかしい。

 横に座る椿様はそんな僕を慰めるかのように穏やかな表情をしていた。


「船大工さんたちは、おそらく大丈夫でしょう。造船所に関しては、出来るだけのことをさせて頂きます。……まぁ実際動くのはお兄様ですけれど、ね」


「……先程の手紙ですか?」


 詳しくは知らないけれど、椿様のお兄様は銀行の偉い人だと聞いている。だけどそんなに簡単にいくものなのだろうか?


「えぇ、この一連の事件における大体のからくりは読めたので、その裏付け調査をするように、と。……あとは銀行のお仕事ですね」


 思っていたのと違う方向の彼女の発言に、僕は思わず紅茶を噴き出してしまいそうになり、慌てて口を閉じるが少し零れて胸元を汚してしまった。


「あらあら、じっとしていてくださいね」


 椿様はハンカチで僕の服をトントンと叩くようにして拭いてくれる。

 僕はされるがまま、じっと固まっていた。


「……あの、……もしかして、大正ねずみ小僧の正体が、判ったのですか?」


 尋ねる僕に椿様は苦笑いし首を横に振る。


「いいえ、まさか。そちらの方は正直なところ全く興味がありません。あくまでそれは警察の仕事ですので、私がわざわざ頭を使う分野ではないということです。……はい、綺麗になりました。あとでちゃんと辰巳のおばさまに洗濯してもらうのですよ」


 そして彼女は()()()()な少女のような得意げに胸を張る。


「……()()()()()()()()()()()()()、ですから。……全てが上手くいけばおいしい御寿司でも取りましょうね」


 その愛らしさに、僕の心臓が跳ねた。




一応これで前半戦が終了です。

あとは謎解きパートですね。

鋭い方なら「そういうコトね」と見破られると思います。

『Who done it?』ではなく、『Why done it?』モノです。

そして椿姫はどういう指示を出したのか?

コレはそんなお話です。

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