第1話 西暦2018年 12月29日 その1
平成最後の十二月の末、雪がちらつく東京で僕は寒さに耐えていた。
「んー何かコレじゃない感が満載なんやけど~」
そんな中でも割と寒さに強いらしい妹が棚を物色している。
「……結構色々あるだろう? ほら、この壺とか! 凄く高そうじゃない?」
僕は適当なモノを指差すが妹が断固として首を縦に振らない。
「だーかーらー、掛け軸とかツボとか、そんなありきたりなモンが欲しいんとちゃうねん!」
両足ジャンプで地団駄を踏みながら吠える妹。
中々おもしろい。それに身体も温まりそうだ。
「じゃあ、どんなのさ?」
それっぽいモノを見つけて、出来るだけ早く暖房の効いた部屋に戻りたかった。
今月の上旬こそ観測史上類を見ない暖冬だ何だと言われていても、年末にもなれば寒いものは寒い。使い捨てカイロでも持って来ればよかった。
「ほら、だからなんか、な、あるやん。『……勇者よ、我の声が聞こえるか?』なんて感じの声が聞こえて、その声を辿っていったら剣が刺さってる、みたいな!」
「どこの異世界だよ! ……ったく! 蔵に剣が突き刺さってる訳ねーだろ!」
そんなモノ探していたのか!
馬鹿じゃねーのか!?
こんな薄暗い蔵の中で何を探したいのかと思えば!
僕の激しめのツッコミに、妹は不満げに頬をプウっと膨らませる。
……何故こんなコトになってしまったのか。
僕は溜め息一つ吐いて、裸電球が吊るされた天井を見上げた。
ここは東京の一等地にある母方のおばあちゃんの家だ。
豪邸と言っても差し支えないだろう。
年末年始は毎年ここで過ごすのが我が家の決まりで、昨日大阪からやってきた。
仕事が残っている父さんは、年明けに合流することになっている。
僕は斎藤要。高校2年生だ。
そしてさっきから喧しいのが妹の美咲、中学一年生だ。
僕は至って普通なのに、妹はどうもアレな感じだ。
東京に来て二日目、早くも暇を持て余している妹に無理矢理付き合わされる形で、蔵の探検と洒落こんでいる、と。
アレコレ言い合いしながらも手ごろなモノを探していると、妹が奥まった棚の上に何か漆塗りのような箱を見つけた。パッと見は玉手箱のように見える。
「ほら! アレ! 早く取って!」
妹が僕の背中をグイグイ押してくる。
仕方なく背伸びをして手をかけるのだが中々ムズい。
あとちょっとで届くのに――。
「――お兄ちゃん、右足ちゃうか?」
妹のアドバイスを受けて右足の位置を修正して何とか手に取ることが出来た。
埃が落ちてこないようにゆっくりと下ろす。
上のフタは埃で真っ白になっていた。
箱は完全に黄ばんでしまった紐で何重にも厳重にしばられてある。
長らく誰の手にも触れていないのは誰が見ても明らかだった。
「おッ、いいねー。いい仕事してますねぇ」
妹は僕からひったくるように奪うと上下左右からニタニタ顔で眺める。
気が済んだのか再び僕の腕の中に戻してきた。
「……ほい、あけて」
「何で僕が?」
「いやー、玉手箱的な何かだったらイヤやなぁーって思って」
……また訳の分からないことを、と言いたいところだが、先に自分も考えていたことなのであまり強く言うことも出来ない。
それに妹に逆らっても時間の無駄なのは、長い兄生活の中で十分心得ていた。
僕は仕方なく持ってきた濡れ雑巾で丁寧に拭ってから紐を解こうとするが、これがまたメチャクチャ固い。
「……もっと明るいところで開けるか」
「……せやな。それにココ寒いし」
一応妹なりに寒さを感じていたらしい。
僕たちは後片付けをしてから蔵を後にした。
箱を持って居間に行くと、母さんとおばあちゃんが楽しそうに話し込んでいた。
「あら、おかえりなさい」
おばあちゃんがにこやかな笑顔で出迎える。
彼女は孫の僕たちだけでなく娘である母さんにも敬語を貫くおっとり女性だ。
「やっぱ部屋の中はあったかいなぁ!」
妹は僕の横を駆け抜けるとスライディングするように掘りごたつに足を突っ込んだ。そしておばあちゃんが差し出してくれたあったかいお茶をおもむろにズルズルとすする。
「あぁ~、生き返るぅ~、芯まであったまるぅ~」
どこぞのおじいちゃんのような声を腹の底から絞り出す妹。
「……もういいの?」
「うん、飽きてきたから適当なモノで手を打った」
行儀悪く御膳に肘を付きながらニヤニヤと尋ねる母さんに、妹はあっさりと本音を伝える。
どうせそんな感じだろうとは思っていた。
「でしょうね。私も子供の頃に何度か探検したけれど、ホント、ロクなモノがないからすぐに飽きたわ。……魔法の書みたいなヤツがあって『我の声が聞こえるか?』みたいなのを期待していたのに。ホント、ガッカリよね。……蔵のくせに」
「それな~」
母さんと妹は同じ仕草で口元を歪めた。
……それにしても母さん、やはり貴女もそちら側の人間でございましたか。
しかも蔵のくせにってなんだ?
そんな言葉が地球上に存在したのか?
相変わらず母さんの語彙は一般人とどこかズレている。
ちなみに一家で大阪弁を話すのは妹だけだ。
両親は東京生まれの東京育ち。僕も妹も東京生まれ。
ただ、父の仕事の都合で僕が小学校に上がると同時に一家全員で大阪へ。
そして妹は物心つく前からどっぷりと大阪文化に浸かり、今ではもうすっかりこんな感じだ。
「そんなことより、……はい、お土産。……はやく解いてよ」
妹が蔵で見つけた例の箱を母さんに差し出す。
曰く、適当に手を打った代物。
「そういうのは、お兄ちゃんにやってもらいなさいよ」
母さんは目の前に突き出された箱を一瞥して、面倒臭いと言いたげにお茶請けに出ていたお煎餅を齧り始める。
「お兄ちゃん、ぶきっちょやからなぁ~」
「……ったく一体誰に似たのだか」
母さんは僕を睨みつけるとしぶしぶながらも箱を受取り、結び目を摘まみながら数秒の間上下左右を眺める。
そして笑顔で「……うん」と一つ納得したように頷き、隣に座っていたおばあちゃんの前にスッと滑らせた。
……間違いなく貴女に似たのだと思うのですよ、母さん。
おばあちゃんはそれを笑顔で受け取ると、スルスルと何の苦もなく解いてみせた。
「おぉ! 流石おばあちゃん、頼りになる! ……ねぇ、ついでに開けてよ」
「開けるぐらい自分で開けたらどうなの?」
そういう母さんに妹はニヤニヤした顔で近付くと小声で囁く。
「……ホラ、最悪玉手箱やったとしても、おばあちゃんやったら、もうこれ以上おばあちゃんにはならへんやろ?」
妹のあまりの暴言にお茶を噴き出す母さん。
ちゃんと聞こえていたのか流石のおばあちゃんも苦笑いだ。
――怒ってもいいのに。
そんな風に甘く育てた成れの果てが母さんだと自覚するべきだと思う。
おばあちゃんが蓋を開けるとそこには本らしきものが何冊か入っていた。
でも装丁されている感じではなくて紐で綴ってある簡素なモノ。
それを珍しそうに手に取り、ペラペラとめくるおばあちゃん。
そしてはじけるような笑顔を見せた。
若いころは美人で東京中に名を馳せたという話に信憑性を持たせるような素敵な笑顔だった。
「……ん? ……雑記帳か何かかしら?」
母さんも思わぬ掘り出し物に興味を持ったのか覗き込む。
「……誰の?」
僕もおばあちゃんの後ろに回ってそれを覗き込んだ。
期待していなかったらしい妹もコタツ越しに身を乗り出してきた。
「……もしかして、ふっかつの呪文とか書いてる? ……ぺぺぺぺぺぺぺ、とか」
…………バカ妹!
おばあちゃんは笑顔で説明してくれた。
これは昔の日記で、その主はおばあちゃんの祖父である本庄健次郎さんという人らしい。
おばあちゃんのおじいちゃん、だからひいひいおじいちゃんということになる。
「確かすごい人だったのよね? 私が生まれる前に死んじゃった人だけど」
母さんが珍しく感心したような、ちょっと放心したようなそんな表情を見せる。
「そうですね。今のあかつき銀行グループの基礎を作った人でしたから」
……え?
あかつき銀行グループは日本を代表する企業の一つだ。
戦前からある銀行を中心に戦後の数々の好景気を追い風にして規模を大きくしてきた。
旧財閥ほどではないが、それでも日本経済に与える影響力は計り知れない。
ちなみに父はその銀行グループの系列企業の大阪支社で取締役をしている。
そして母方のおじいちゃんは故人だがあかつき銀行の元頭取。
ウチの一族がいわゆる創業者一族であることは知っていた。
知っていたが――。
そんな大物がひいひいおじいちゃんなのまでは知らなかった。
母さんは懐かしそうに話し出す。
「一睨みしたら当時の大蔵大臣がおしっこ漏らしたとか、確かそんな話があったわよね?」
えッ、何それ。冗談キツイ。
妹と顔を見合わせて絶句する。
「そんな話もありましたね」
だけどウソをつかないおばあちゃんがそれを笑顔で肯定した。
っていうことはマジか?
「他にも生贄の女の子を丸呑みしたとか――」
母さんが笑顔で続ける。
……うん。それはどう考えても嘘だ。
流石にそれは僕でもわかる。
「もしかして首が八本あったりした?」
何故かそれに妹が乗っかった。
「うんうん、最後はスサノオにバッサリと」
母さんは満面の笑みで上段から剣を振り下ろす。
……いやいや、それ普通にヤマタノオロチだから。
それをおばあちゃんはニコニコと聞いていた。
だから、少しは怒った方がいいと思うんだけど……。
「冗談は一旦横に置いて、それでもすごい人だったのよね?」
「そうですね……」
おばあちゃんがおっとりと健次郎さんのことを語り出した。
数々の伝説を残し、ついた二つ名が戦中戦後財界の怪人だという。
「孫の私からすれば優しいおじい様でしたが、周りからは随分と恐れられていましたね」
「その人の日記帳かぁ、読みたい!」
そういうと妹が箱を引き寄せてその中の一冊を取り出した。
そして何枚かめくり続け、徐々にその表情に悲壮感が漂い始めた。
「……よめない」
まぁそりゃそうだろうさ。チラッと見た感じ旧字体の達筆だった。
妹は縋るような目でおばあちゃんを見つめる。
「はいはい、そんな目をするところは本当に子供の頃の香織にそっくりですね」
その一言に母さんは耳を赤くして俯いた。
そして僕たちは年末午後の昼下がり、あったかい部屋でコタツに入りながらおばあちゃんの声に耳をすませることにした。
――本庄健次郎さんの人生を覗き見るために。