第43階層 チーズを焼くだけのお仕事だったはずが……
僕が食堂でとある作業をしていた折、アシュレイさんが現れた。
休憩時間になったなんだろうね。今日の食堂のご飯が何か確認しながら、こっちに来た。
アシュレイさんってば今日も僕に何かを集るつもりなのだろうか。まあ、今日の食堂の定食もアレだからある意味仕方ないのかもしれないけどさ。アレっていうのはアレだ。アレのことだ。
まあそれはいいとして、だ。
「……ねえあなたたち、一体何やってるの?」
アシュレイさんはまるで不思議なものを見ているかのように、こっちを見て目を丸くしている。僕はそんなおかしなことはしてないつもりなんだけど、何故かアシュレイさんの瞳にはこれが奇異な光景に映ったらしい。
ちなみにアシュレイさんが「あなたたち」と言った通り、今日僕は一人ではない。僕の正面に座っているのはスクレこと耳長族のスクレールさんだ。
僕らはアシュレイさんの質問に答える。
「チーズをひたすら焼いてます」
「焼いたチーズをひたすら食べてる」
僕の正面から、ぱりぱり、ぱりぱりという小気味よい咀嚼音が聞こえてくる。
いま僕は食堂のテーブルの上にホットプレートを設置して、ピザ用チーズをひたすら焼き続けるという作業に従事しているのだ。
――そう、はじめは、なんの気なしにおやつを作っているだけだったのだ。
こっちの世界に来たけど、ちょっと小腹が空いたので冒険に行く前におやつタイムにしよう。じゃあ何を食べようか。そういえばこの前、yourtubeを見たときに、チーズせんべいを作っている動画があったんだけど、それに影響されてチーズを買って、虚空ディメンジョンバッグに突っ込んでおいていた。
よし、ちょうどいいからお徳用一袋全部使い切っちゃおう。全部焼いて、残った分は保存してあとでパリパリ食べちゃおう。そんな風に思いながら、フライ返しを使ってチーズせんべいを丁寧に丁寧に焼き上げていると、食欲怪獣スクレールが襲来。器に入れたチーズせんべいを片っ端から口の中に吸い込んで行ったのだ。
「そんな怪獣いない」
「いや説明がわかりやすいように、イメージ的な、ね?」
「ひどい言われよう。とても心外」
「……いつも通り、クドー君が持ってきたものをスクレールちゃんが食べてるってことはわかったわ」
そんなこんなで、僕らのいる周りには焼けたチーズの香ばしい匂いが漂っている。いい匂いだ。この誰しもを惹き付ける魅力的な香りに抗える者は、そうそういないだろう。アシュレイさんだっていまも鼻をヒクつかせているしね。匂いを嗅いだ人間は今日の夜絶対にピザとかグラタンとかを食べたくなってしまうという、強烈な呪いにかかることは火を見るよりも明らかだろう。解呪するには焼いたチーズを食べるしかないのである。
僕がまたチーズせんべいを焼き終わると、スクレがすかさずそれを取って、ぱりぱり食べ始める。顔には至福の笑みが浮かんでいた。長いお耳もぴこぴこ、ぴこぴこ動いている。
「おいしい。食感がいい。濃厚なチーズの旨み。最高」
「だからそれだと僕が食べられないんだってば!」
「それは仕方ない。料理を作っている人間の宿命みたいなもの」
「そんなの絶対おかしいよ!」
僕がそう言うけど、スクレは全然聞いてくれない。またチーズが焼き上がるのを待つ態勢になっている。
あとアシュレイさんってば、口の端から涎が垂れてる。アシュレイさんの美人度が少し下がった。
「……ねえ、私ももらってもいい?」
「うん。いい」
「え!? それスクレが答えるの!? ねえ!? どうしてスクレが答えるのさ!? しかもノータイムで!」
「誰かがいいって言わないと食べられない。それとも、アキラはアシュレイに食べたらダメって言うの?」
「いやそれは……」
僕が一瞬言い淀むと、アシュレイさんは付け入る隙を見つけたというように、すかさず上目遣いになってチワワのように潤んだ瞳を向けてくる。
「ひどいわクドー君。私いつも頑張って受付してるのに、そんな冷たい態度を取るのね……」
「うぐぐ……」
アシュレイさんは悲しそうなふりをして、泣き真似をする。こいつら僕がNOと言えないことがわかってってやってるよね。なんて奴らだ。アシュレイさんが受付頑張ってるのは事実だからそこは文句ないけどさ。やり方が非常に汚い。ニンジャ顔負けだ。
やがてアシュレイさんの泣き真似が終わる。
「それで? 私も食べていいの?」
「大丈夫」
「だから(以下略)」
僕に決定権はないらしい。アシュレイさんはスクレの隣に座ると、チーズが焼けるのを待ち始める。
僕はいろいろ言いたいことを諦めて、一定の温度に設定したホットプレートの上に、お徳用ピザ用チーズを広げた。
やがてチーズは熱が加わったことで蕩けていき、気泡によって表面をぷつぷつと弾けさせていく。片面に焦げ目がついてくると、焼けたチーズの香ばしい匂いが周囲に漂った。ここまで焼くと、チーズがプレートにくっ付かずに簡単に剥がれるのだ。
フライ返しでひっくり返すと、さらに香ばしい匂いが舞い上がった。
返した面の焼き具合は完璧で、見事なきつね色だ。これはうまい。僕くらいの上級者になると一目でわかるもんね。間違いないよ。
そんなときだった。外野が突然騒ぎ始めたのは。
「チーズ! チーズ! チーズ!」
「うわぁああああああああああ!」
「あの匂いはなんだ! いつもあいつからだぞ! あの匂いがぁああああああ」
やばい。周囲の冒険者たちが狂い始めた。僕のせいだ。みんなチーズの呪いにかかったせいで、精神的な苦しみを味わっているらしい。しかもその狂気は他の冒険者たちにもどんどん伝染していっているみたいで、「ぎゃぁああああ!」とか「うわぁああああ!」とかとか「チーズが俺を襲ってくるぅううう」とかとかとか意味不明なことを叫び始める始末。そんなチーズ食べたいなら食べに行けばよかろうに。チーズはこの世界では高価なものじゃないはずだぞ。
…………というかどうしてスクレとアシュレイさんはこんな阿鼻叫喚の巷の中心地点で何でもないように平然としていられるのだろうか。メンタル強すぎかこいつら。いやメンタル強くなかったら冒険者とか受付嬢とかできないだろうけどさ。
まあいいや。僕も無視しておこう。背中に突き刺さるいろんな種類の視線とか気にしない気にしない。
「なんかチーズのカリカリの部分だけを食べるのって贅沢な感じがするわ。それにしても、おいしそうね」
「シンプルですけど、だからこそおいしいのは間違いないですよ」
「じゃあ一ついただくわね」
アシュレイさんが焼き上がったチーズせんべい取り上げ、半分に割った。
ぱきっという音と共にチーズせんべいが真っ二つに分かれる。カリカリに焼き上がった証拠だ。絶対うまいぞ。僕も早く食べたい。マジで。
アシュレイさんがチーズせんべいを口に入れる。
すぐにぱりぱりという咀嚼音が聞こえてきた。
アシュレイさんの顔が、段々と笑顔になっていく。
「…カリカリの食感と、香ばしい匂い。塩気もちょうどいいし、噛めば噛むほど口の中にチーズの旨みが広がっていって……ああ、おいしいわぁ……」
アシュレイさんが食レポを始めた。
そして、しばらくパリパリとチーズせんべいを味わったあと。
「うん。間違いないわね。間違いないものを食べてるんだからおいしくないわけないんだけど」
「チーズはおいしい。おやつに最高。黒胡椒をかけても抜群」
「これはお酒が欲しくなるわ……」
アシュレイさんは他のチーズせんべいを手に取ってうっとりぱりぱり。今度は大きいかけらを一気に口に放り込むのではなく、ちびちび食べ進めている。
だけど、だけどだ。このままでは今度こそ僕の取り分がなくなってしまう。
さてこのあと僕がチーズせんべいというおやつに有り付くには、一体どうすればいいか。ホットプレート全体にチーズを敷き詰めてでっかく焼き、焼き上がってから小分けにするか。いや、それだと、焼き上がった瞬間にすべて取られてしまう。どうすればいいかわからない。
そうこう考えているうちに、またチーズせんべいがいくつか焼き上がった。
スクレが焼き上がったチーズせんべいをすかさずつかみ取る。ぱきっと食べやすい大きさに割った。
そして、
「アキラ」
「なに?」
「はい。あーん」
「ほえ」
突然のスクレの行動に、僕の思考が追いつかない。スクレは手に持ったチーズせんべいを僕の口元に差し出してきて、何らかの行為を求めてきたのだ。
僕が戸惑っていると、スクレは早くしろというように、再度指示を出して来る。
「だから、あーん、する」
「あ、あーん……」
これは食べさせてくれるということなのだろうか。そんな風に解釈した僕は、及び腰になりながらも、ぎこちなく口を開けた。
やがて、僕の口の中にチーズせんべいが入ってくる。味? 味はちょっとよくわからないですね。
食べ終わったときを見計らって、スクレがまたチーズせんべいを差し出して来る。
「あーん」
「あ、あーん」
僕は先ほどと同じように口を開けて、チーズせんべいを迎え入れた。うん。二回目になるとわかるぞ。チーズを焼いたときの香ばしい香りと旨みが口の中で膨らんで、幸せ物質が脳内に分泌される。食感はスナック菓子にも負けない。まだあったかいことも相俟って、すごくおいしく感じられる。
ふとアシュレイさんの目が、胡乱なものを見る目へと変わった。
「……ねえ、私、なに見せられてるのかしら?」
「別に見せてるわけじゃない。アシュレイが勝手にここにいるから、勝手に目に入るだけ」
「確かにそうだけど。そういうの人前でやるの遠慮しないの?」
「しない」
スクレが断言した。アシュレイさんが僕に視線で訊ねてくる。もちろん無言だ。
「え? いや僕もどういうことかまったく……」
僕がそう答えると、スクレは怒ったようにぷりぷり。
「どうしてアキラはよくわからないの。おかしい」
「おかしいってそんな僕だってなにがなんだかでさ。僕の方が訊きたいよ」
大真面目にそう言うと、スクレが盛大なため息を吐いた。
「アキラは愚か。本当に救いがたい」
「それはそうね……あ、でも――」
アシュレイさんはスクレに同意した折、何かに気付いたように手を叩いた。
「ねぇ、スクレールちゃん、じつはそれ、あーんをやりたいからクドー君の分のチーズを食べてたんじゃない?」
「――!? !?!?!?!?!?!?!?!?!?」
アシュレイさんがそう言った途端だった。急にスクレの挙動がおかしくなった、
目を白黒させて、手をバタバタ。動揺しているのか耳の動きが激しくなっている。
なんと答えようか、まごまごしているところに、アシュレイさんの追い打ちが掛かった。
「だってもともとあったチーズのお菓子をある程度食べ切れば、クドー君はチーズを食べられない。あとは、いい頃合いを見計らっていわゆる『あーん』ができれば――」
「そんなことない! 絶対ない! アシュレイはおかしな妄想に取り付かれてる!」
「ないわね。私が言っているのは客観的な事実だけよ?」
「違う! 事実を捻じ曲げている! 虚言に加えて名誉棄損に相当する!」
「あら、別に私はあーんしたっていいと思うけど」
「さっき遠慮しろとか言った口はどこにある!」
なんかすごいやり取りがここで繰り広げられてる。スクレは「違う!」「絶対ない!」とか言っていて、一方でアシュレイさんはにやにやしながら、「意義あり」とか「これだ!」とか某なるほどな弁護士みたいなセリフを使って、スクレを徐々に徐々に追い詰めていく。そのうち「くらえ!」とか言いそう。
(…………これ、僕どうすればいいのかな)
全然解決策が思いつかない。あと、チーズの鋭利な部分が僕の頬っぺたにぐざぐざ刺さってるから、スクレにはきちんとこっち見て欲しい次第。
「はぁはぁ……」
「はぁはぁ……」
二人はぜいぜい息を切らせていた。いまのやり取りのどこに息が上がる部分があったのかよくわからない。
「この件は一時保留。後日の再戦を求める」
「いいわ。異議なし」
いまのは一体なんだったのか。僕としてはあーんとかやってもらえるの、嬉しいしありがたいけどさ。
ともあれ、引き続きスクレにチーズせんべいを食べさせられる作業が続く。鋭利な部分はもう刺さらないから安心して欲しい。うまい。我ながらいい焼き加減だ。
「スクレはもういいの?」
「さすがに飽きてきた」
「そりゃそれだけ食べればね……」
いくらおいしいといってもチーズは脂肪分だからね。飽きは遠くからでも時間をかけてやって来るのだ。
お徳用チーズの袋の容量も結構少なくなってるしね。
僕はアシュレイさんがある程度チーズせんべいを食べたあと、残りを袋に入れて虚空ディメンジョンバッグの中に放り込んでおいた。
でも僕の小腹はまだ満たされていない。
なので、虚空ディメンジョンバッグから、とあるものを取り出した。ちょうどホットプレートがあるし、スクレもいるからね。
「それは?」
「これはおせんべいの生地だよ」
「おせんべい?」
「そうそう。僕の住んでる国の伝統的なお菓子だよ」
僕が虚空ディメンジョンバッグから取り出したのは、おせんべいの生地だった。ビニールのパッケージに、白くて円形のお餅みたいなのが、沢山入れられている。
これはこの前家族で観光旅行に行ったとき、購入したお徳用である。これを使えばホットプレートやオーブントースター、なければフライパンでも簡単においしいおせんべいが作れるのだ。
「まずはお湯分かそうかな」
僕はそう言って、別の作業に取り掛かる。
電気ケトルと水、緑茶のパック、あとは急須と湯呑みを取り出して、テーブルの上に設置。コンセントを身体にくっ付けて、魔法で電気を流していく。魔力量も一杯あるから、このうえで電気ストーブや電子レンジを付けたとしても、ブレーカーは落ちないのである。
「それはなに?」
「お茶だよお茶。中に茶葉が入ってるんだよ」
「ふーん。便利」
すると、アシュレイさんは電気ケトルが気になったのか。
「あなたいろいろと不思議な道具を使ってるけど、本当に便利なものばかりね。それもお水を入れただけで、すぐにお湯を沸かせるんでしょ?」
「そうですよ。ちょう楽ちんです」
「ねえ、私にも使える?」
「それはさすがに……まずここには電気が通ってないので無理ですね」
「でんき」
「アキラの属性。紫の魔法の力」
「厳密には……違うんですが、似たようなものですね。僕はこうして魔法を使って、動かすための力を確保してるんです」
「意外とめんどくさいのね」
「僕のいるところだと死ぬほどお手軽なんですけどね……」
まあそれは仕方ない。異世界には発電所とかないし。そもそも僕の属性は紫だからこうなのであって、これが赤や青だったらそのまま火を出して沸かしたり、お湯を出したりすることができるから、やってることは意外に回りくどいくなるのである。現代日本って生まれるだけでほんとチートだわ。
僕はパックをセットした急須にお湯を注ぐ。
少し待ったあと、今度は急須の中身を湯呑みに注いだ。
「綺麗な緑色」
「うむ。これぞ緑茶。ビバ緑茶」
あったかい緑茶はうまいぞ。今回のこれはこの前友達が熱海旅行で買ってきたお土産の『ぐり茶』である。あっさりなお味で、すごく飲みやすい。なんでもこの呼び方は伊豆地方独自のもので、正式な名称があるそうな。っていうか高校生に対するお土産にしてはあまりに渋すぎるチョイスである。さすがは忍者の末裔(自称)だ。
「じゃあおせんべい、焼こうか」
僕は虚空ディメンジョンバッグから、醤油と刷毛を取り出した。
スクレの目がキラリと光る。
「ショウユウー! それはショウユウーを使う!」
「そうそう」
「じゅるり。期待」
醤油を見ただけで食欲が膨れ上がったのか、スクレールさん食べる気満々である。
あと、じゅるりという擬音を口で言わないでね。
「スクレールちゃんホントそれ好きね」
「これは至高の調味料。最初に作った人は本当に偉大」
「耳長族みんな好きみたいですね」
この前なんか、メイちゃんとセルシュちゃんに神様扱いされたし。
どうなってんのか耳長族はほんとさ。
僕は温めたホットプレートの上に、おせんべいの生地を置く。そして刷毛に醤油を付けるわけだけど
「あれ、これって先に醤油塗っておくんだったっけ? それともいま塗ればいいんだっけ? あれ? 焼き上がってから塗る……?」
焼く面に塗っておいた方が良かったのか。それともこれからマメにぬりぬりすればいいのか。きちんと動画を見て確認していなかったことの実害が出た。僕の記憶は頼りにできるほどしっかりしてるわけじゃないから、ときたまこんなことが起こる。
僕が首をこっくりこっくり傾げていると。
「ちょっとクドー君、作り方わからないの?」
「ええその……実はリハーサルとかしてなくてですね」
「まだいくつもあるから試せばいい。失敗してもショウユウーを付けるから大丈夫」
「そ、それもそうだね……あとスクレ、醤油指に付けてペロペロしない」
「それは無理な相談。【黄壁遺構】の『黒鉄城』を倒すよりも難しい」
醤油ペロペロ止めるのは、ボス級撃破よりも難しいと申すか。そんなんだと、高血圧まっしぐらだぞ。ひいてはそれに伴う動脈硬化で心筋梗塞や脳出血を発症しちゃうぞ。シャレにならんて。
ともあれ、おせんべいだ。こんなん最初から完璧になんてできるはずもない。そういう風に自分に言い訳しておいて、あとはノリでやることにした。両面にお醤油塗って焼いて、またお醤油塗って焼いてを繰り返しておけばまあなんとかなるじゃろ。
ホットプレートの上に載せていると、やがておせんべいの生地が膨れて厚みを増してくる。焼けてきたからか、柔らかめの生地が段々カチカチになってきた。うむ。僕の知ってるおせんべいに近づいてきたぞ。
いまのうちに隣で海苔を炙っとこう。
おせんべいを裏返すと良い焼き目が付いていた。
反対の面が焼けたことを確認して、刷毛で醤油をぬりぬり。おせんべいを再度ひっくり返すと、醤油の焼けた香ばしい香りがふわりと舞い上がった。
「あ、いい匂いー」
「ショウユウーの焼けた匂い! いつ嗅いでも最高!」
スクレさん、目はキラキラ。腕はわくわく。耳はぴこぴこである。
……周りの冒険者たちの声? 知らない知らない聞こえない。なんか必要以上に苦しんでる声とか、恨めしそうな声とか聞こえるけど、無視することに決めた。いちいち気にしてたらキリがない。というかさっきのチーズのときよりも声が大きいのはなんでじゃ。そんなに好きか醤油の匂いが。
やがて、もう片面も焼き上がったのでお皿に載せた。
スクレが我を忘れた様子で身を乗り出す。
「アキラ! アキラ!」
「はいはい。一番ね、一番。結構固いから気を付けてね」
スクレにお皿を渡すと、すぐにおせんべいを食べたときのぱきっといういい音が聞こえてきた。
「むふ……むふふ……むふふふふ……」
焼きたての醤油せんべいがおいしすぎたのか、不気味な笑いが聞こえてくる。スクレが出すにはあまりに似合わない笑い声だ。
正面には妙な笑顔をしているスクレールさん。お隣のアシュレイさんはそれを見て絶賛苦笑い中である。
……うん。やっぱ醤油中毒はヤバいかもしれない。いや日本人の大半はこの病気に罹患しているかもだけどさ。
僕の分とアシュレイさんの分が焼き上がったので、そっちも取り分ける。
「うむ。うまい」
「素朴な感じね。おいしいけど」
「派手さはない。だけどそれがいい」
醤油せんべいを食べながら、まったりである。
僕が次の分を焼こうとすると、スクレが手を出してきた。
「次は私がやる」
「え? いいの?」
「やってみたい」
スクレはそう言って、ノリノリでおせんべいを焼き始めた。
焼き目が付いたあと、醤油を丁寧にぬりぬりする。
「沢山塗るわけじゃないのね」
「付け過ぎはしょっぱくなるだけで、逆においしくなくなる。ショウユウー好きにあるまじき行為」
あるまじきか。そんなルールがあるのか。いや確かに塗りすぎはしょっぱくなるだけでおいしくなくなるから大正解なんだけどさ。
やがて醤油せんべいが焼ける。スクレはそれを手に取ると、海苔で挟んでかぶりつく。
「おいしい」
パキパキ音を響かせながら、醤油せんべいを消費していくスクレールさん。というか吸い込まれていく。すごい勢いだ。
やがて最後の一個になる。
「アキラ」
「なに?」
スクレは最後のせんべいを持って、僕に声をかけてきた。
すかさず、アシュレイさんが口を開く。
「あらスクレールちゃん、またあーんするの?」
「――!? 違う! これは自分で食べる!」
スクレは醤油せんべいを自分の口の中に入れてしまった。一気に全部入れたせいか、頬っぺたがドングリを詰めこんだときのリスみたいに膨れている。
そのやり取りを見て、僕は一言。
「アシュレイさんって、結構イジワルですよね」
「あら、クドー君はあーんして欲しいの?」
「して欲しいですよ。当り前じゃないですか」
「……そうね。あなたってそういうとこ正直よね」
アシュレイさんは、どこか呆れたような顔を見せる。スクレはまだしゃべれない。
「あなたはスクレールちゃんにやってあげないの?」
「この前いいだけやりましたので」
「そうなの?」
そうだ。前に【屎泥の泥浴場】に冒険者を救助に行ったとき、スクレの口にチョコレートを何度も放り込んだ。あれが厳密にあーんに相当するかはわからないけど、スクレはあーんと言って口を開いていたのであれはあーんなのだろう。そういうことにしておく。
ともあれスクレにお茶を差し出して、口の中が落ち着いた頃。
「今度は僕も何かごちそうして欲しいなぁ」
「なら里のものを持ってくる。おいしいものを厳選するから少し待ってて」
それは楽しみだ。耳長族の里の特産品とか何があるのだろうか。
「ちなみに食堂で出てくるようなものはNGで」
「ない。あれは特殊過ぎる。一緒にされるのは心外」
「ときどきおいしものも出してくれるのよ?」
「本当にときどき。食事には安全性以上に安定性も必要」
確かにそうだ。スクレの食事に対する考えにはいつも感心させられる。
……お茶をすすって焼きたてのおせんべいを食べる。なんかこのテーブルだけ年齢上がった感がある。
そんなこんなで食べ終わったので、後片付けをしていたんだけど。
「クドー君。あなた今日はどこに行くの?」
「今日は……どこにしましょうかね。正直決めてません」
「あら珍しい。そういうときいつもなら、適当に森をぶらつくとか言うのに、何かあったの?」
「最近、なんていうかレベルの伸びが悪くてですね。どうしようかとお悩み中なんです」
「……『吸血蝙蝠』で物足りなくなったって、あなたそれ普通じゃないのよ?」
「それは……まあそうなのかもですけど」
「なのかもじゃなくて、なのかもじゃなくてね? そうなの。普通じゃないの」
アシュレイさんがそんなことを一生懸命訴えてくる中も、僕はどうしようか決められないでいる。
そんなとき、スクレが口を開いた。
「アキラ、人は簡単には強くなれない。毎日のたゆまぬ修練が必要」
「うーん。たゆまぬ鍛錬かぁ。どうすればいいと思う?」
「どうもこうもない。修行する。一択。むしろそれしかない」
「なんか身も蓋もないなぁ……」
「でもそれが真理。修行とはおしなべて地味なもの」
「ううむ……」
確かにそうだ。強くなるためにはそういった裏作業は絶対に必要だ。僕のやってる経験値狩りだって、裏作業っちゃあ裏作業なのだから。
スクレが僕の腕をむんずと掴んだ。
「じゃあこれから行く」
「え? 行くって? どこに?」
「修行。場所は決めてないけど、どこか環境が厳しそうなところ」
「いや、あの、修行はいつもしてるって言うか、させられてるっていうか……」
僕はさりげなく拒否して逃げ出そうと試みるけど、腕をがっちり掴まれているから引きはがせない。どうなっているのか。そんなに力強く握られているわけじゃないのに、全然ダメだ。これも耳長族の秘術なのだろうか。
「それは魔法の修行。アキラには別の修行も必要。違う観点から見えて来るものもある」
「うわぁああああああああ!」
僕はスクレに引きずられて、迷宮に連れ去られた。もちろん、アシュレイさんは助けてくれなかった。