第5階層、魔術の師匠は人外です。その2。現金な僕とあくまな師匠。約5500文字。
…………とまあ、迷宮に潜り直す前は、そんな風に考えてはいたのだけれど。
うねうねうねうね。うねうねうねうねうねうねうね。
「ああああああああもう気持ち悪いのばっかりすぎるぅ……これなら暗闇回廊の方がまだ何倍もマシだよぉおおおおお……」
目の前でうねうね動く毒々しい色のスライムモンスターの大群を見て、叫び声を禁じ得なかった僕。
師匠と一緒に降りてきたのは、師匠に先ほど言われた通り迷宮第3ルートにある『屎泥の泥浴場』。迷宮深度は25で、レベル的にはよく行く迷宮第2ルートにある迷宮深度30の『暗闇回廊』ほどではないのだけれど、いかんせん環境が悪すぎる。そこかしこに毒の沼があり、異臭が湧きたっているとかマジドムドーラ。枯れ木はおろか、食虫植物も真っ青のキモい草花、毒々しい色合いの劣悪な環境。それに加え、そこに出てくるモンスターも毒系とか、グロテスク系とか、もうほんと最悪なのである。
「泣き言を言うな。あの軟泥生物が気持ち悪くて吐き気がするのは確かにわたしも同意するけど、それくらい我慢すれば事足りることだろ?」
「そうかもしれないですけどー……。ねー師匠ー。やっぱりやめましょうよー」
「じゃあ他のところにするか?」
「待ってた! 僕その言葉をずっと待ってた! っていうか別のポイントがあるんですか? どこ?」
「ああ、迷宮深度50以降『氷結の衝角山脈』の山脈海豹の核石が……」
……は?
「あの、もう一度訊いてもよろしいでしょうかお師匠様?」
「だから、『氷結の衝角山脈』だ」
「むりむりむりむりむり! 第4ルートってだけでも極限なのにそこの迷宮深度50以降とかあんなとこライオン丸先輩ぐらいしか行けないでしょ! 僕って冒険者を初めて半年の駆け出しですよ!? 死にに行くようなもんですって!」
「だって他のところに行きたいって言ったのはおまえじゃないか?」
「それはそうですけど! 限度ってものがあるでしょ限度ってものが!」
「そんなに嫌がるなよ」
「う……」
今度は後ろから抱き着くように身体をくっ付けてくる師匠。そうすれば黙ると思うのか。いやまあ黙るんだけど。だって影なのに柔らかさがかなりヤバい。女性的な肉感を余さず感じさせてくるため、股間的にダイレクトに刺激が来るのだ。
そしてそれをちゃんと理解してやっているから、師匠は非常に性質が悪い。
ついつい、やっぱり僕頑張っちゃおうかなーと言いそうになってしまうが――
ふと視線を逸らした場所にいた軟泥生物が、ぐにゃりと身体を変化させるのが見えた。伸び上って中心に丸い穴を作るという不思議な行動を取ると、迷宮内に吹く風がそこを通り、おどろおどろしい空洞音を響かせた。
――うぉおおお。うぉおおお。
一匹がそれをすると、周囲の軟泥生物たちも呼応して、同じような行動を取り始める。『屎泥の泥浴場』の一画は、気持ちの悪い大合唱に包まれ――
「やっぱりいやだぁああああああああああああああああああああああああああ! 最悪過ぎるぅううううううううううう!」
師匠のお色気?攻撃も、気持ち悪いのにはかなわなかった。
すると、叫んで発狂しかけている僕に向かって、師匠が、
「……ほんとしょうがない奴だな」
言葉の脈絡から察するに、許してくれるのか。天使の降臨が如く光が差し込んだような気がして、そんな期待が生まれるも――やはり師匠はドSだった。
「おーい!! ここにエサがいるぞー!! 魔力がたっぷりでおいしいエサだぞー!!」
「あんたは鬼かー!!」
師匠が軟泥生物に呼びかけると、これまで叫んでも大きな音を立てても近づいて来なかった軟泥生物の群れが、何故か近づいてくる。
やっぱり師匠はモンスターなのかもしれない。
いや、悪魔だ。あくまあくまあくまあくまあくま……。
「よし、これでお前は戦わざるを得なくなったな」
「よしじゃないよこのドS鬼畜師匠!」
「ひどいなぁ。私はお前のためにやっているというのに」
よよよ……と泣くような素振りを見せる師匠。もう、あきらめるしかなかった。
「くっ……こうなったら師匠も道連れにしてっ……」
「あ、わたしは避難するから」
そう言って、師匠は僕の影に戻って、僕の影からもいなくなる。逃げやがった。
「こんのド畜生がぁああああああああああああああああ!!」
結局、殺到する気持ち悪い軟泥生物を雷の魔術で全部倒さなければならなくなったのは言うまでもない。
●
師匠の悪意のせいで殺到した軟泥生物『粘性汚泥』は、なんとかすべて倒しきった。
だが、それと引き換えに僕のSAN値が減りに減った。いまは比較的安全そうな岩場にしゃがんで膝を抱えて、ぶつぶつととりとめのない言葉を呟いている。一時的狂気である。
「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い……うう」
「まあまあ及第点といったところだなー。こんな汚物如きひとかけらも残さず焼き払わなければ、一人前の魔法使いとは言えないぞ」
「この、今更出てきてよく言うよ……」
「そう恨めし気にするなよ弟子よ。目的が達成されたらご褒美をやるからさ。主に性的なご褒美だぞ? それならお前も嬉しいだろ?」
「そ、それは! 師匠がびびびびび美人だったらー! そうかもですけどー!」
「それは保証する。これでももとは傾国と呼ばれたくらいだからな」
「……自分でそれ言います?」
「この姿のままでもわかると思うけれどな」
そう言って、師匠が身体のラインを見せつけるようにしながら近づいてくる。そして、何故か影の手を伸ばしてきた。そしてそれが向かう先は、股間であり――
「ど、どどどどどこ触ってるんですか!」
「お前のイチモツだが?」
「ぶっ!? ちょ、や、やめてください! 離して!」
影の手を掴んで離れたけど、だいぶもみもみされた。ひどい。
「ふふふ、臆病者のクセになかなかいい物持ってるじゃないか」
「こ、このドS畜生変態師匠……」
涙目になりながら内股加減でお股を押さえる。マズい。師匠の前で油断していると、きっと大事なものが奪われるような気がしてならない。
そんな中、師匠は何かに気付いたのか、ふいに視線を別方向へと向けた。
「来たぞ。あれだ。あれが今日のメインだ」
「うわ……」
現れたのは、毒霧をまとった巨大な三つ首のグロモンスターだった。
身体らしい身体は持っておらず、巨大な毒の沼から、これまた巨大な竜、獅子、山羊の首がそれぞれ生え、ところどころが腐ったり溶けたり骨が見えたりしている超グロいヤツ。
『溶解死獣』だ。ここ『屎泥の泥浴場』で最も倒しにくいとされるモンスターである。
さほど強くも狂暴でもないし、好戦的でもないのだけれど、なにせデカイし、毒の霧と毒の沼のせいで近づくのに難渋する。剣士は真っ向から戦えないし、かといって矢玉を撃ち込んでも身体がゾンビーなせいであまり効果はない。ならば燃やすか――とはなるのだけれど、いかんせん毒霧毒沼のせいで水気が強いので火矢を使っても正直微妙。最低でも魔法使いがいなければ倒せないのだけど、この世界の魔法使い人口は全体の数パーセントかそれ以下しかいないし、魔法使い冒険者なんて輪をかけて少ないので、倒せる冒険者チームはかなり限られるという冒険者にとって目の上のたんこぶ。高ランクチームでさえ避けて通る相手だ。
『溶解屍獣』が動くと、その首が生える巨大な毒沼も移動し、常にそれぞれの口から毒霧も吐き出されているため、周囲はほんと超やばい地獄である。おおよそ東京ドーム半個分、約2・5ヘクタールの面積が大移動すると言えば、その超ヤバさの程がわかるだろう。
……まあ、結局師匠の言うことを聞いてそいつを倒す羽目になったのだが、死ぬほど大変だったのは言うまでもない。
●
正直言ってしんどい。ほんとしんどい。
だって迷宮を降りるのにも移動という労力が必要なのに、道中でモンスを倒し、目標の取り巻きのようなモンスも倒し、目標を倒し、その核石を回収するために毒沼と毒霧の処理までしなければならないのだ。魔術はガンガン使う羽目になるし、倒すのに伴う運動も推して知るべしだし、もうひどい。
そしてそれよりなにより、ひどいのは。
「気持ち悪い……」
『屎泥の泥浴場』の環境である。なんの用意もなく長居すると、さすがに気分が悪くなるのは当たり前だ。乗り物酔いの数倍ひどいのに襲われると言えば、その厳しさがわかるだろう。長距離バスで隣にヘビースモーカー。飛行機の着陸寸前の気持ちである。もし次来るときは、防毒マスクとかネット通販で買ってこないとダメだ。
一応いまはその下の階層、迷宮深度15『大烈風の荒野』に避難しており、幾分はよくなったのだが。
「なんだ、毒霧に当てられたか? ここに来る前にあれだけ気を付けろと言っただろうが」
「気を付けたってどうにもなりませんよ! 人間は呼吸をするんですよ!」
「なら止めればいい」
「死ぬわ!」
ツッコミを叫ぶと、師匠は楽しそうに笑い出す。ホントドSである。
ともあれ、休んでいたためか多少なり気分が回復してきた。風の巡りがいい階層であるため良かったか。常に強風が吹き荒れる断崖の荒野も、いまは天国のように思える。モンスターが出るグランドキャニオンと思えば、多少は観光気分に浸れて元気になれるかもしれない。一応景色も、そこそこ良く、絶景ポイントもちゃんとあるし。
吹き荒れる赤砂の砂塵に顔をしかめながら、折を見て深呼吸を繰り返していると。
「じゃあ約束通り、これからおまえに魔術の技を伝授してやろう」
「待ってましたぁ! それで、今日は何を!?」
「相変わらず現金だなおまえは、さっきまでの調子悪いのはどこに行ったんだよ?」
「それくらい多少なら我慢できますよ! だって新しい技ですよ? 新しい技! 僕のここでの楽しみの一つなんですよ!」
「まあ、確かに新しい技を覚えるのは、楽しいよな」
師匠はそう言って小さく笑い声を響かせる。
新しい技とは言ったけど、師匠が教えてくれるのは単純に知らない呪文といったものではなく、魔力を使った裏技的なものや、技術の利用法などの、魔力に関わる術の活用法だ。
なんでも師匠曰く「汎用魔術の呪文は自分で調べればだいたいわかるし、個別の属性魔術は同じ属性を持つ魔法使いに教えてもらうか、自分で作るかしかない。だから、汎用魔術を教え切ったわたしがこれから教えるのはそう言った技術になる」とのこと。
「アキラ。汎用魔術はいまどれだけ重ねて保持できる?」
「六つか七つ……ですかね?」
「そうか。まあ、それくらいできれば十分か」
汎用魔術とは、個別の属性魔術である雷の魔法ではなく、以前スクレールから奴隷の首枷を外すときに使った『祓魔ディスペライ』などの誰でも使える魔術のことで、「重ねて保持」というのは、要はRPGで言う補助系魔法の重ね掛けのことである。身体能力を強化する『強身フィジカルブースト』、身体強度――いわゆる防御力を上げる『堅身ストロングマイト』、反応速度を上げる『専心コンセントレートリアクト』、敏捷速度向上の『強速ムービングアクセル』、周囲の事象確率に補正をかける『調律チャンスオブサクセサー』など、そういった補助を効果時間中にいくつ使えるかというものであり、単独潜行でもチーム潜行でも、迷宮探索には欠かせない技術とされる。
基本的には、三から四っつ重ねられればかなりのものらしいのだが、もちろんこのドS師匠がその程度で許すはずもなく、補助魔術を教えられるに当たり、いつも常に補助魔法を使うとかいう頭のおかしな修行を強要され、その期間は離陸前に殺されるかもと思うくらい死ぬほど疲れてるだった。師匠マジ悪魔。マジ鬼畜。
「おい、おまえいま失礼なこと考えてただろ?」
「そんなことないですよ。全然。師匠のことを心の中で悪魔とか鬼畜なんてちっとも考えてないです。考えてないですからやめてください。痛いです痛いですやめてほんとやめてごめんなさい!」
影の手を伸ばしてベアクローをしてくる師匠に、土下座で謝る。
「じゃあ、今日はまた重ねがけに関する技ですか?」
「違うが、似ているな。今日は属性魔術の同時行使だ」
「え? 同時行使なんてできるんですか?」
「できる。要は汎用魔術の重ねがけと同じさ。単に負荷が強まるだけだ。もちろんその優位性はバカでなければわかるはずだな? ちゃんと自分のものにして、お前の魔術の糧としろ。できるな?」
「やってみましょう」
「よし。じゃあ――」
師匠はそう言って正面に立ち、何かをやろうとしているような素振りを見せる。
そんな師匠に、
「……あの、いつも思うんですけど、あれ、やらなきゃならないんですか?」
「当たり前だ。あれは魔法使いが師から新たな技術を教わるときの儀式だからな」
師匠が『杖を模した影』を斜め上に突き出す。それに、僕も手に持った杖を交差させるように打ち鳴らす。
「――では始める。これよりお前はまた一つ、魔術の高みに昇るのだ」
それは、師匠がこの儀式っぽいことをしたあと、必ず言う言葉だ。どことなく、これから行うことへの重みを感じさせるし、純粋にカッコイイと思う。
それゆえなのか、自然と彼女のことを師匠と呼んでしまうのだ。悔しいけど。
「――死と誘惑の黒母神オーニキスの加護を受けし魔導の輩、ベアトリーゼ・ズィーベントゥリアが参じて紡ぐ」
「――全能と裁きの紫父神アメイシスの加護を受けし魔導の輩、九藤晶が拝して唱える」
そんなこんなで、師匠との修業はいつものようにへとへとになるまで続けられたのだった。




