第27.8階層 ギルドの邪悪なおじいちゃん
僕が冒険者ギルドに入ったときのことだ。
入り口付近で他の入場者の邪魔にならないよう、さて今日はまずなにをしようか、飲んだくれや食いしん坊を探しておしゃべりでもしようかと、正面大ホールでキョロキョロしていた折のこと。
ふいに近くで立ち話をしていた冒険者チームの話し声が聞こえてきた。
「食堂に新しいメニューが追加されたらしいぜ?」
「お? マジか。ずいぶんご無沙汰だな。えーっと、この前はなんだったんだっけ?」
「グレープナッツとはちみつのプディングだ」
「食堂にしてはまたえっらいまともなメニューだな。っていうかそれ、怪着族が押しかける案件だろ」
「案の定押しかけて絶賛売り切れ中らしいぜ? いまは調達先を探してる最中だと。そんで、今度もまたデザートらしい。前のが大好評だったからこの流れを切らずにどうにか乗っかろうって魂胆なんだろうな」
「おいしいものでありますように。おいしいものでありますように」
…………一部、ものすごい切実な声が聞こえてきたような気もするけど、僕もそれに関してはまったく同意だと言って置きたい。というか作ったらまずきちんと味見してくれと切に願う所存だ。ちゃんとテストキッチンでトライアルに掛けてくれ。上司に試食させろ。ぶっつけ本番で冒険者を実験台にするような無慈悲な暴挙を働きまくるのはどうか本当にやめて欲しい。世の中どこでも下っ端にシワ寄せがいくなんて話、ファンタジーな世界で聞きたくない。
そんなんだから食堂のごはんがフリーダで活動し始めたばかりの新人冒険者に立ちはだかる関門の一つとして数えられるのだ。これで篩に掛けてるんだって? ほんと物は言い様だよ。
そんなことを考えて、まあどうせこんなのは僕の儚い願いなんだろうなと諦め気分でギルドの食堂を覗くと。
――新商品、ゼリー味のスライム。
「…………」
もうね、こんなの見ると言葉失くすよね。
っていうかなんなんその究極なネーミングはさ。う〇こ味のカレーとか、カレー味のうん〇に通じるものがあるよ。そもそもゼリーに味はないし、これはスライムを食えということなのかどうなのか。まったくもってわかりにくい。ゼリー味とか要らないこと書いて商品を優良に見せかけようとするなんて、景品表示法的に不当表示の規制で一回行政指導を受けた方がいい。むしろ受けろ。そしてどうか健全になって欲しい。
うん。だってこの世界でスライムって聞くと、どうしても僕は【粘液汚泥】を思い出してしまうのだ。こいつは冒険者を毒で動けなくしたあと、人体を溶かして吸収してしまうというおしっこちびりそうなくらいヤバめの巨大アメーバ状生物だ。たとえ女の子が捕まっても薄くてえっちぃ漫画みたいにはならない。僕はすぐに倒しちゃうから見たことないけど、取り込まれると骨まで見えちゃうらしい。しかもポロリもあるそうだ。それがどことは口に出すのも憚られる。こわい。ぐろい。
そもそもだ。この食堂は僕ら冒険者にあんなものを食えというのか。これまでも『草のスープ』や『謎のお肉』の販売など、この食堂が取った暴挙にはそれこそ枚挙に暇はないほどだけど、今回のは群を抜いてヤバめである。
食べたら最後、内部から溶かされそうな気がしてならない。本当に食べてしまったのかとか言ってる暇とかない。原料が【粘液汚泥】でないことを切に願う次第。
……まあ、なんだかんだ結局買うんだけどさ。
「おばさんおばさん、この新商品ちょうだい」
「アキラくんはこういったものにもの怖じしないわねぇ」
「僕、冒険者ですから……っていうか冒険者が怖がるもの売らないでくださいよ」
「あはははは!」
「ちなみにこれ、原料【粘液汚泥】じゃないですよね? 毒キノコみたいに湯でこぼししたからとか、フグの卵巣みたいにぬか漬けにしたからとか、そんな毒抜きしたから大丈夫大丈夫無問題とかじゃないですよね?」
「あははははは!」
食堂のおばちゃんは笑うだけだ。いやこれほんと笑い事じゃないんだってば。
まあ、いいよ。人生なんでもチャレンジが必要だ。当たり前だけど命掛けない程度にっていうのを僕は強くそれはもう強く推奨するけども。食堂で出せるってことは一応食べられるってことだから、やってみるしかあるまい。
さて、このゼリー味のスライム、どんな味がするのだろうか、僕は興味本位のみでパンドラの箱を開ける。一見、無着色の透明なゼリーだ。むしろ色味がないので味すらないような気にさせられるけど、まさか本当に味がないってことはないはずだ。きっと。
果たしてこれは、ドラゴンのしっぽをくすぐるような行為なのか。
まあ【粘液汚泥】が出る階層のデカいゾンビーな怪獣は倒したことがある僕だけども、スプーンがマイナスドライバーにならないことを祈りつつ、椅子にお尻をランディングさせた折のこと。
ふと、視界の端になんかすっごいヤバめなものが映った。
――そう、そこにいたのは、途轍もなく邪悪な存在だった。
僕が目の当たりにしてしまったのは、食堂の端のテーブルを何食わぬ顔で陣取った杖を持ったご年配の方だ。それだけなら、ただのどこにでもいそうなおじいちゃんだけど、身体の周りに濃密な邪悪オーラをまとい、何と言っても白目の部分――強膜が真っ黒に染まっているという形容がオマケでくっ付いている。
もう見た目がすっごく怖い。ぬらりひょんとか可愛いもんだよってくらいヤバい。ぬらりひょんなんて実際見たことないんだけどさ。
しかも、しかもだ。僕にはなんか見えてるけど、なぜか他の人間には見えないらしい。誰もあの見た目のインパクト強烈な存在に気付いていない。そこだけ、みんなまるで「俺たち護身が完成しちゃってまーす」みたいに避けて通って、別の席に座っている。
マズい。マジでヤバイ。師匠並にヤバそうな存在だ。
「――そこの若いの、わしの姿が見えるのか?」
たぶんこの声は僕に掛けたものだろう。ふいに目が合ってしまったので、すぐにぷいと目を背けた。ここは気付いていないふり一択だろう。見えるのを悟られてはいけないタイプのホラーを僕はいまリアルに味わっている。僕は見える子じゃない見える子じゃない。
「お主、わしのことが見えるんじゃろう?」
「いえ、全然見えません。全く。めちゃくちゃ邪悪そうなおじいちゃんなんてまったく全然見えるわけないじゃないですかーやだなー」
「いや認識しているから受け答えができていると思うんじゃが……?」
「あーあー! 幻聴が聞こえる! 幻聴が聞こえるなぁー!」
耳を手のひらでぽんぽんしながら喚く。うん、ちょっとわざとらしかっただろうか。
そんな間も、邪悪おじいちゃんはずっとこちらを見て、全然目を離してくれない。僕のどこがそんなに気になるのか。別に僕の顔はイケメンとか可愛い系とかじゃなくて普通で十人並だし、食べてもおいしそうには見えないだろうに。
ずっと注目されててもスライムだかゼリーだかが食べにくいから、ちょっと近寄ってみる。
すると、
「お主も新商品に進んで挑もうとするなど、勇気があるの」
「いえ、これは勇気とかじゃなくて、おいしいもの食べに来た人間の義務と言いますか」
「開拓精神に溢れるの。そういう生き方見習いたいわい」
そんなの年齢的に今更なんじゃないかという突っ込みは一応喉の奥に引っ込めた。
ともあれ、
「……あの、急に襲いかかってきたりしませんよね?」
「心配せずともそんなことはせんよ。わしはほれ、こうして周りの人間たちを見ているだけじゃ」
おじいちゃんはそう言って笑い出す。
その笑い方がまた邪悪でさ。骸骨がケタケタと嗤うような感じなので、もうホント怖いったりゃありゃしない。なんだか最近のフリーダはホラー要素が多過ぎくないだろうか。いや、僕が自ら踏み入っているっていうのも少なからずあるんだけれどさ。
「心配せずともって、そんなに悪っそうな力を出しといてですか?」
「仕方なかろう。わしはそういった存在なのだからな。そうであろう? 生まれは誰も選ぶことはできんのだ」
「確かにそれはそうですけど」
「そんなところにいないで、もっと近う来い少年」
「いえ、僕は小心者でして、あまり刺激の強いところにはいかないようにしてるんです」
「よく言うわ。本気で小心者ならわしに声を掛ける前に卒倒しておるぞ?」
「あっ、じゃあこれからするということでその辺一つどうかよろしくしたいです。うわー、めまいがするよー」
「どうしてそんな風に自分を小心者枠にはめようとするんじゃお主は……」
ふらふら千鳥足という僕のいつもの小市民的ムーヴに、おじいちゃんはものすごく困惑している。僕は別に他の冒険者さんたちと違って見栄で生きてるわけじゃないから、小心者だろうが臆病者だろうが全然いいのだ。命あっての物種。生きてるだけでなんとやらである。
まあこのおじいちゃん、敵意がないので大丈夫だろう。邪悪な気配バリバリで悪の波動が感じられるけど、僕の悪人センサーには引っかからないからまあきっと悪いことはしない人だと思われる。むしろそれがないから近づいてみたまであるのだ。
ただね、気になるのはさ。
「……あの、ちなみにですけど、こうしてお話して呪われたりとかはしないですよね?」
「残念じゃがもう遅い。わしと話をしたら他にわしが見える者を三人見つけてわしと会話させなければお主に不幸が訪れてしまうのだ」
「……おじいちゃんおじいちゃん。不幸の手紙は書いちゃいけないって昔学校の先生に習わなかった?」
「ふむ? 似たようなものがすでにあるのか。では三人ではなくて十人に……」
「ダメって言ってるのに増やすなし! というか僕を不幸にする気満々か!」
「カカカ。まあ、冗談はさておき、話をしようではないか。誰もわしのことが見えんからな、誰かと話すのも随分と久しいのよ」
「え? なにそれじゃあ僕いま独り言喋ってる痛い人になってるんじゃ?」
「そうじゃな。哀れな少年じゃの。可哀想すぎて涙が出てくるわい」
「それおじいちゃんのせいでしょ!」
突っ込みを入れると、おじいちゃんはまた「カカカカ」と不気味に笑い出す。
周りを見てみるけど、誰も僕とおじいちゃんのことは見ていないし、話もしていない様子だ。
「っていうかおじいちゃん、どうして他の人には見えないのさ?」
「見えないようにしているからじゃよ……まあ、なぜかお前さんには見えるみたいじゃがの」
ならその術を解いたらいいんじゃないのとか思ったけど、それを解いたらギルドは大パニックだ。こんなとんでもない邪悪オーラをガンガン放出しているおじいちゃんがいたら、大騒ぎになること請け合いである。
「というか、おじいちゃん一体ここで何してるの? もしかして冒険者ギルドの壊滅を虎視眈々と狙っているとか?」
「そうそう。まさにその通りよ。にっくき冒険者たちに悪夢を見せるために日夜ここでその動向を窺っているのよ。カカカ……」
「おじいちゃん結構ノリいいね」
「そうじゃろう? こう見えて昔はくっそ真面目だったんじゃが、主上ほんとノリ悪いですよねーとか部下に言われたのが結構ショックでな。極力冗談には合わせるようにしているのよ。部下に見放されたら終わりじゃからの。ワンマンはいつか滅びを招くぞ」
「なんか上に立つってのも大変ですね」
「ほんとにのう。だからいまは楽隠居で悠々自適よ」
なんというか、よく聞きそうな苦労話の一端だ。いや、きっと全世界どこでもある話だろう。下も大変だけど、上も大変というわけだ。
「じゃあホントに悪いことは考えてないんだよね?」
「そうとも。わしはこう見えて平和主義なんじゃ。暴力はあまり好きではなくての」
「うん、絶対説得力ないよね。おじいちゃん世界の果ての大きなお城で豪華な椅子に座って沢山の怪物従えてるとか、あとは大都市の一画の地下で秘密の実験を行ってる超絶邪悪マッドとか、千年生きた大妖怪とか、そんな類でしょ? お前に世界の半分をくれてやろうとか素で言ったことありそう」
「……カカカカ」
「いや、笑ってないで否定してよ。どれか当たりなの? ねえ? 洒落になんないんですけど」
「まあ、わしが悪さをせんというのは本当に本当じゃよ。ここにいるのが楽しいんじゃ」
「ここで座って冒険者を見てるのが?」
「おお、そうじゃよ。冒険者たちの人間模様は楽しいし、時折溢れてくる嫉妬や恨みを吸い取ったりするのがこれがまあやめられんのよ」
「前半はまあわかるとしても後半すごくきついですね」
確かに邪悪さマシマシだ。そんなの吸い取るなんて……いやまあ以前そんな奴ヒロちゃんがぶっ倒してたけどさ。
……とまあそんなこんなで最近僕は、邪悪で愉快なおじいちゃんと知り合いになってしまったのだ。
あと、あれ。一番重要なスライム味のゼリーだかゼリー味のスライムだかの話。
諸兄はご安心召されよ僕の身体が内部からどろどろに溶けてしまうとかそういうバッドエンドはなかったから。
「おばさんごちそうさま。はっきり言っておいしくなかったー。っていうか味がまったくしないのはマズいよりも犯罪的だと思うんだけど」
「だろうねぇ。あはははは」
おばちゃんおいしくないって言われてなぜ笑顔でいられるんじゃい。
おいしいもの作る努力をして、ほんとして。だから毎度毎度迷宮に潜ってもいないのにひん死になる人がいるんだぞ。そこんとこよく考えて欲しい次第。




