第3階層、冒険者ギルドでポテチを食べる。あと勧誘。約11000文字。
――冒険者。それは異世界ド・メルタのだいたいほぼ中心くらいに存在するダンジョン、『ガンダキア迷宮』の内部の調査および迷宮素材の収集、モンスターの討伐をする、探索者たちの総称である。
潜水士と名前が当てられているのは、地下へと続く穴へ続々と降りていく探索者たちの姿が、水の中へ潜行する潜水士のように見えたかららしい。
いまはその穴も整備されており、階段となっているため、当時の名残を垣間見えることはできない。だが、当時からその呼称は気に入られていたためか、今日まで迷宮内を探索する冒険者のことを、ダイバーと呼んでいるのである。翻訳どうなってんのかは僕も知りたい。うん。
まさか当時の人間も、迷宮の出入り口が整備され、冒険者をサポートする建物が造られているとは思うまい。モンスターたちが際限なく溢れ出てくる魔の穴だったはずの場所も、いまは冒険者たちの憩いの場。冒険者たちが潜行の成果を報告するずらりと並んだ窓口はもちろんのこと、無駄にだだっ広い空間に二百席以上のテーブル席が設置され、迷宮から帰還して腹をしこたま空かせた冒険者たちに食事を提供する食堂、出入り口付近には汚れて帰ってきた冒険者の衣服を清める簡易の水場もある。
まさに至れり尽くせりだろう。当然そこに文明レベルというものがどうしてもかかわってくるため、現代の設備とは比べようもないのだけれど――
テーブル席について冒険者たちのことをぼけーっと眺めながら、日本から持ってきた固く揚げたタイプのポテチを食べる作業に没頭していると、異世界に来てから知り合った友人が隣の椅子にどっかりと腰を掛けた。
ふんわりとした金髪と、人好きそうなタレ目を持ったナイスガイ。腰には主武装である剣と数本のナイフ、右肩にだけ特徴的な肩当てを装着した同年代の少年。
彼の名前は、ミゲル・ハイデ・ユンカース。ここガンダキア迷宮を拠点にする冒険者である。
「よー、クドー。景気はどうだ? 儲かってるか?」
「まあまあだよ……っていうか酒臭っ! ミゲルってばまたお酒飲んでるの!? 昼間っから!?」
「おうよ。昼間っから酒が飲めるのは、男の浪漫ってやつだな。うん」
そんな正月のサラリーマンみたいなことを言って気分良さげに笑い出す、飲んだくれの若者。言動からもうすでにほろ酔い加減らしいことがわかる。昼間っから、しかも迷宮に潜る前から飲んだくれているダメ人間一号だ。
「お前も飲むか?」
そう言って、未成年に酒を勧める未成年。まあ、異世界ド・メルタではお酒の年齢制限なんてないし、水の方がお値段割高なので、飲み物はだいたい酒になってしまうのだけど。
飲ませるつもりで持ってきてたんだろうね、フリーダでは一般的な色のうっすいビールが入ったジョッキを目の前に置かれた。
「遠慮しておきます」
「相変わらず酒は嫌いなのか。じゃあその変わったつまみもらっちまうぜー」
「いいけど、それ結構固くて危険だから、気を付けてね」
「危険?」
「そう、注意してね」
食べていたポテチ『堅く揚げていたポテト濃い塩味』を遠慮なく奪うミゲルに対し、注意事項だけ言っておく。バリバリの食感を楽しむタイプのポテチ。油断すると口の中が血だらけに……という話もないわけではない日本が誇る食品兵器の一つだ。歯と歯茎の間や口内炎にオートでダイレクトに攻撃してくるので、ひどい目にあった人間もいるだろう。「注意しろってどういうことだよ?」と訊いてくるミゲルに、「下手すると刺さるの」と返すと、バキッと割って「ほーん……」と納得したような声を上げた。
やがて、バリ、バリ、といい音が響く。
「うめぇ」
「だよねー」
「塩もたっぷり使ってるし、歯ごたえもたまらないな……いいつまみだなこれ。お前酒と合わせないのが勿体ないぜこれ……」
「気に入ったんなら全部あげるよ」
「お! マジ? 悪ぃな、いただくわ」
ミゲルはにこにこしながら、うっすいビールとポテチとを一緒に食べ始める。
バリバリ。
「ほんと塩加減が絶妙だなー。お前の持ってくるもんはいつも美味いからな。でもいいのか? ほんとに全部もらっちまっても」
バリバリ。
「僕は新しいのあるし」
そう言って、床に置いたサファリバックから『堅く揚げましたポテトブラックペッパー味』を取り出す。
ビリビリ、そしてバリバリ。
「そっちもくれよ」
バリバリ。
「いいよー」
バリバリ。
「おいこりゃあ胡椒だろ? もしかしてこれ味付けするためだけに使ってるのかよ?」
バリバリ。
「そうだよー。こっちじゃ滅多にそういう風に使えないんだっけ?」
バリバリ。
「当たり前だ。ぜーたくな使い方してるなー」
バリバリ。
異世界ド・メルタの食品保存技術や熟成技術は現代に比べだいぶ未熟である。そのため、塩や香辛料は食品の保存や有事の備蓄に優先されるのが一般的だ。もちろん庶民の間にも出回るが、やっぱり食品の保存や臭い消しに使われるため、お菓子に使うのは物珍しいのだろう。現代日本でも、ポテチが真っ当に出回り始めたのは1970年代らしいし、ブラックペッパー味が生まれたのがそれ以降なのだから、当然と言っちゃあ当然か。食生活が豊かになってやっと食の嗜好が生まれるということを考えれば、あと数百年はかかるかもしれない。
バリバリバリバリ音をまき散らしながら、カ○ビー、コイ○ヤ等、お菓子メーカーに感謝していると、
「……で、話は戻るんだけどよ、まあまあってことは、いまもそこらでちまちま稼いでるのか?」
ミゲルの言う『そこら』とは、低階層のことだろう。
「そんなところだよ(大嘘)」
「お前さ、もっと大きく稼ぎたいと思わないのか?」
「僕危ないこととか嫌なんだっていつも言ってるでしょ? 降りてすぐの『大森林遺跡』で草むしりしてるだけでも結構いいお金になるしさ。僕は基本的に身の丈に合ったことしてるだけで満足なんだよ」
「……お前いい加減薬草取りのこと草むしりって言うのやめねぇか?」
「でも草むしってるようなもんでしょあれ。庭仕事で草むしりするときも根っこから取るし」
「お前ってさー、結構変わった感性してるよなー」
バリバリ。
「それはそうと、なんで急に稼ぎの話なんかしたのさ?」
「なに、ただの会話の突端だって」
と言って、気にするなと言わんばかりに手をひらひらさせるミゲルくん。急にそんな話をしたり、話の路線を無理やり修正したり、これは絶対何かあってのことだろう。
まあそれはおいといて、
「僕はいいとして、ミゲルの方はどうなのさ? 稼いでるの? ま、ミゲルのランクだとすんごい稼いでるんだろうけどさ」
「当然だ。なんと昨日付けでチームの冒険者ランクが258位になったんだぜ?」
ミゲルはにやつきながら「いいだろー」と言って憚らない。
冒険者ランクとは、冒険者のレベルや冒険者ギルドへの貢献度に応じて、ギルドが冒険者を順位付けしたものだ。冒険者の登録数が5万近くある中で258位というのは、当たり前だが超超高位ランカーである。
昼間から飲んだくれ、赤ら顔で酒をあおって『プハー』とか言っている軽薄そうな若者がトップダイバーというのは、実に何とも言えないことだけど、
「へー、またランク上がったんだー」
「おうよ!」
「最近すごく頑張ってるみたいだけどさ、急にどうしたのさ?」
「いやなー、最近できる新顔が増えてきてな。うかうかしてられないんだよ」
「そんなランク高いんだったら気にするようなことでもないと思うんだけど」
「お前はまったり活動してるからそう思うんだろうけどな、上位はガチで一分一秒を争う競争なんだぜ? そう言って油断してると、すぐ追い抜かれる」
「そんなに?」
「ああ」
「へー、大変なんだねー。ちなみにどんな人たちが最近すごいの?」
「まず、チーム『秘水の加護』……青の魔法使いを二人も連れてるチームだな」
「あー。見たことある。青いローブを着た双子さんのいるところだ」
「あとは、ソロで最近めきめきランクを上げてる耳長族の子とかな」
「あー、そうね、そうねー」
ミゲルの言った耳長族の子とは、スクレールのことだ。耳長族は人間の街には下りてこないらしいので、まず彼女しかいないと思われる。
ともあれ、奴隷の枷から彼女を解き放ったあと、二度と奴隷堕ちしないようにするのと、ここ自由都市フリーダで生活できるようにするために、冒険者ギルドに登録したのは記憶に新しい。
彼女とはよく顔を合わせるため、会うたびに気に入ったらしいコーンスープや塩パンなどをせがまれているのだけれど。
「ちなクドー、お前いま冒険者ランクどれくらいだ?」
「僕? ……ええと、32083位だね。三万二千はちじゅうさんいー」
「ひっく! ランクひっくいなお前っ!」
「そりゃ当然でしょ? 僕まだ駆け出しの冒険者だよ? フリーダに来て半年の。それでも高いくらいでしょ?」
「いやいやいや、普通なら受付の心証だけでもっと行くだろ? お前これまでろくな怪我もしてねぇじゃねえかよ? レベル登録の申請はちゃんとしてるのか?」
「あ、あれめんどいからしてない。パスパス」
「興味なさすぎだろお前……」
ミゲルは呆れが行き過ぎて肩から力が抜けたらしい。そんな彼に、
「正直ここ他にも楽しいこといっぱいあるから、ランクアップなんてそんなに躍起になってやるようなものでもないじゃん? おいしい迷宮料理とか、レベルアップとかレベリングとか、アイテムやりくりして進む縛りプレイとか」
「そんなことねぇよ……ランク上げておくといろいろな特典を受けられるんだぜ? 知らないのかよ?」
「それくらいは知ってるけどさ。でもその代わり面倒で危険な迷宮任務とか受けないといけなくなるんでしょ? ランカーのノルマだーって。やだやだ息抜きしてるのに命なんかかけたくなーい」
両手を机に投げ出して、だらけたアピールをすると、
「お前なんでそんなネガティブなことばっかりに敏感なんだよ……」
ミゲルはでっかいため息を吐く。そして、口の中んおポテチをうっすいビールで一気に流し込み、なんかいつになく真面目な顔になった。
「……なあ、クドー。お前、俺たちのチームに入らねぇか?」
「また急だね」
「急も何も勧誘はときどきしてるだろうが」
「そうだけどさー」
確かに、ミゲルとは仲良くなってから数回勧誘を受けている。どうして自分みたいな臆病レベルマックスな人間を誘いたがるのかはよくわからないのだが――今回はどうもいつもとは違ってマジが入ってるように見えた。
「――お前、変な格好してるけど魔法使いなんだろ?」
「変な格好は余計。それに僕が魔法使いなわけないでしょ?」
「しらばっくれるんじゃねぇよ。もうお前が魔法使いだってのは割れてるんだぜ?」
ミゲルは、嘘は通用しないというように、囁きかけてくる。ずっと誰にも言わないで隠していたのに、一体どこから漏れたのだろうか。
「……誰から聞いたのさ?」
「アシュレイちゃんだよ。いや、いつも気になってたんだよ。ろくな武器も持ってないお前が毎度毎度無事に迷宮から戻ってきて、毎度毎度ちゃんと素材を回収してくることがな。こいつはきっと何かあると思って拝み倒したのさ」
「それギルドの規約に引っかかるんじゃない?」
「バレなきゃいいのさ。バレなきゃな」
「あーここにー、規約違反を肯定する不良冒険者が――」
と、ミゲルの悪事を世間に明らかにするために、さらに大きな声を出そうとしたとき。
「いいのかー、そんなこと言えば俺はともかくアシュレイちゃんにも迷惑が掛かるんじゃないのかー」
「……ミゲル超ゲスいよそれ」
そう言って彼の所業を非難するが、ミゲルは口笛を吹いて知らんぷり。まったくいい性格をしてる男である。
とまれ、
「モウカッテマスカー的な話に固執していたのは、この話をするためだったんだ」
「そういうことだ」
要は、流れに乗せられてしまったということだ。さすがはミゲルである。
「なあクドー。俺たちのチームは慢性的に魔法使いが不足しているんだ」
「ミゲルたちだけじゃなくて、みんなでしょそれ?」
「そうなんだがよ。それをわかっていながら、ソロで活動している魔法使いのお前はなんなんだ?」
「だって、みんなこぞって危険なところに行きたがるしー、僕はやだよ。ここでの活動は僕にとって冒険者気分を味わうだけの息抜きなの」
「もったいない才能の使い方だよなほんと……で? お前はなんの魔法が使えるんだ? 火か? 水か? 俺としては風であって欲しいんだが……」
「……なんか入ること前提になってない?」
バリバリ。
「当たり前だろー? お前は俺のチームに入るの決定してんの」
バリバリ。
「で?」
「雷だよ」
「かみなり? なんだそりゃ?」
「雷は雷だよ……もしかして知らない? ミゲルは嵐の日に空から落ちる光の筋とか見たことないの?」
「……っ!? あ、アメイシスの鉄槌のことか!?」
「こっちではそう言うの? そういえばこっちの世界で雷見たことないよねぇ」
この世界で雷が落ちるのは、珍しいことなのかもしれない。現代世界ならば雷なんて結構あるし、そうでなくても動画やテレビで見られるためそうそう珍しいものでもないのだが。要は概念とか言葉とかが普遍的に広まっていないのだろう。
「アメイシスの鉄槌ね」
「ああ、じい様に聞いたことがある。世界の端っこに行くと見られるってな。紫父神アメイシスの怒り……あれのせいで一国が落ちたって話もあるんだぞ……」
「僕のはそこまでトンデモなものじゃないよ。せいぜいビリビリするくらいだって」
まあ、それは嘘なんだけど。
「マジか? マジでその……雷だったか? 使えるのか? ホラじゃなくて?」
「マジマジ、ちょうマジ」
そう言って、バチリ、と指と指の間に紫電を発生させ、手元のポテチを一枚砕く。さすがにそこまですれば、信じる気になったか。ミゲルはひゅう、と小気味良い口笛の音を鳴らす。
「つまり、お前は紫の魔法使いってことか……」
「そうなるんだろうね」
「そうなるんだろうね、じゃねぇよ。世界で初めて確認された紫の魔法使いなんだぞ?」
「世界初ってまっさかー、探せばきっとどこかにいるでしょ?」
この異世界ド・メルタの魔術は、どの魔法使いでも使うことのできる汎用魔術以外に、それぞれ生まれ持った加護によって、火、水、土、風のどれかの属性の魔術を使うことができる。そしてその四属性は赤、青、黄色、緑と色分けされており、魔法使いを色分けしているのだ。
「クドー、俺のチームに入れよー」
「えー、でもなー」
「お前が入ると言うまで俺は酒を飲むのを止めない」
「ちょっとそれ超意味不なんですけど」
そう言ってがぶがぶ酒を飲む酔っ払いのミゲルくん。飲んだあとも「入れよー、入れよー」と繰り返し言ってくる。絡み酒なのか粘り強い。そのための酒か。
「……ミゲル、どうしても引き下がらないの?」
「当たり前だ。もともとはお前の生還率の高さを見込んで誘っていたが、そんなヤベェ魔術の使い手って知れた以上他のチームには絶対やれねぇ。是が非でもうちのチームに入ってもらう」
「とはいうけどさ……」
どうするべきか、迷う話ではあった。もちろんお誘いはこちらとしても、悪くはない話ではある。むしろ誘ってくれるのはとても嬉しい。だけど、危険なところへ行く可能性があるのだ。こっちは暗闇迷宮のボス部屋手前で吸血蝙蝠を狩るだけで十分楽しいし、レベルも上げられる。レベルアップの快感に毒されただけの中毒な奴にはそれだけで十分だし、他にもやらなければならないこともあるので、やっぱりいまはちょっと難しい。
「なあなあー」
「って言われてもさー」
軽い調子で、しかし粘り強く交渉してくるミゲルに、さあてどう引き下がってもらおうかなーと考える。と、ふいにこんなときのために用意してきたものがあることを思い出した。
「……ミゲルってお酒すごく好だよね?」
「そりゃあ見ればわかんだろ? 俺から酒を取ったら女好きしか残らないぜ?」
「げへへ、そんな旦那にぴったりのとっておきのブツがあるんですよー」
「お前がゲス笑いと揉み手とか似合わねぇわ。大根」
「よけいなおせわですー」
そう言って、虚空から魔法で酒瓶を取り出し、ごん、とテーブルの上に置く。
「便利だよなディメンジョンバッグ」
「まあねー」
「で、これは……なんだ? こんなのフリーダじゃ見たことねぇぞ?」
「これは異世界の酒の神サン〇リーが作ったと言われる幻の銘酒オー〇ド。いや、伝説かな? 今日はこれで手を引いて欲しいな」
赤い蓋と丸みを帯びた黒い胴体の酒瓶。それを珍しそうに撫でるミゲルは、
「へぇ? このフリーダの酒をすべて飲みつくしたミゲル様に幻の銘酒と言い切るとはな。俺の眼鏡にかなわなかったら、わかってるよな?」
チームに入れということだろう。にやりと自信満々に笑うミゲルに、
「あ、いややっぱり自信ないっていうか……」
このお酒は、父さんの酒をちょろまかしてきたものなのだ。当然だけど、僕は飲んだことがない。味なんてわからないし、絶対にうまいという保証なんてもちろんできないため、現代日本の品スゲー的な自信がみるみるしぼんでいく。
切るカードを間違えたかとミゲルの不敵な笑顔に慄いていると、彼はコップを取り出してウイスキーを注いでいった。
「そこまで言っておいていまさら自信ねぇとか言うなよ……じゃあここでいただくぜ?」
「う、ウイスキーは度数きついって話だから気を付けてね……」
「何言ってやがる、俺はフリーダ最大の酒精を誇る『火紋鷹』を一晩で一本飲み切った男だぜ?」
それは、すごいことなのだろうか。よくわらないけど、ミゲルはウイスキーの入ったコップを持ち上げ、
「……いい香りだな。強い酒のツンと来る刺激が感じられる」
匂いを嗅いでなんか急に批評家になり始めたミゲルさん。彼は一通り香りを楽しんだあとコップを口に付け――
「ご、ふ……こ、こいつはっ!」
一瞬むせたのかと思ったけど、そうではなかったらしい。飲み口に衝撃を受けたのか、目を見開いてグラスを回し始める。
「なんだこの飲み口は、ねっとりとしていて甘い……そして最後にぐっとくる酒精の強さがある。だが、こんな酒飲んだことねぇ……」
よほど衝撃的だったのか、半ば放心状態でウイスキーを見つめている。この世界にもいろいろとお酒はあるようだけど、この手のお酒はなかったのかもしれない。
すると、ミゲルは何かに気付いたように突然動き出し、勧誘してきたとき以上に身を乗り出して――彼にガシッと肩を掴まれた。
「お、おいクドー! お前これどこで手に入れた!?」
「え? いや、父さんのちょろまかしてきたっていうか……」
「お前の父親って何者だ? ものすげぇ金持ちなんじゃねぇか?」
「いや、全然普通のサラリーマンですけど……」
「さらりいまん、だと? 聞いたことねぇ職業だな……」
当たり前だ。そんな職業がこの異世界にあったならば、夢の崩壊は免れない。役所勤めの文官さんとかが社畜にしか見えなくなるだろう。
……いや、サラリーの語源は塩であり、給金の代わりに塩で支払いをされたのがサラリーマンの大元だから、塩が貴重品なこの世界でも探せばいるのかもしれないけど。
「これ、まだ持ってるか!?」
「手持ちはこれだけだよ」
「じゃあ手に入れられるか!? もし手に入れられるんなら買う! どうだ!?」
「それは……まあできなくはないだろうけど」
まあできなくはない。父親の持ち物をちょろまかしたものだが、近所の酒屋に行けばおそらくは売っているだろう。もちろん未成年では購入できないが、魔術を使えばワンチャンある。もちろん魔術をかけて購入するのだちょろまかすわけではない。万引き絶対ダメ。
しかし、ミゲルはこちらが言い淀んだことで勘違いしてしまったらしく「そうだよな、難しいよな……」と言って引き下がった。……うん、また機会があったら持ってこようかな。
「しっかしうめぇなこれ」
「気に入った?」
「そりゃあもう。しかもこれだけってことは……レヴェリーには言えねぇな……」
レヴェリーさんというのは、酒飲み仲間の名前だろうか。どうやらミゲルはウイスキーを独り占めするらしい。この男、お酒に関してはいじきたない。女の子関係もだけど。
「だがこのつまみには合わねぇな」
「だろうね。ポテチはビールとかがいいんだろうねー。あ、あとそれ、ロックで飲むといいらしいよ?」
「ロック?」
「あー、なんか大きめの氷を入れて溶かしながら飲むんだって」
「そんなことしたら酒が薄くなるだろうが」
「なんか溶かしながら飲むとまた違った味わいになるらしいよ?」
「らしいって、飲んだことねぇのかよ?」
「僕未成年だし」
「ミセイネン?」
「……いまのは聞かなかったことにしといて。まあ生まれた土地の風習で、お酒はまだ飲めない年齢ってことで一つよろしく」
「ふん。俺にはよくわかんねぇが……おーい! 誰か氷作れる魔法使いはいねぇかー!?」
ミゲルがそう叫ぶと、近くにいた青の魔法使い(女性)が、笑顔で氷を作ってくれる。そしてそのまま和やかに会話をしたり、自分の口をつけた酒を少し飲ませてみたりと昼間っからやりたい放題。周囲の男どもから殺気を浴びせられているミゲルくん。爆発しろ。
これ以上うらやましい光景を見ていたくなくて、別の方向を見ていると、ふと知っている人の姿が目に入った。
いま冒険者ギルドに入ってきたらしいそのシルエットは、他の大人が子供のように見えてしまうほど巨大で、筋骨隆々な体躯。それだけならまだよくいる冒険者の一人だが、そこにライオンの頭が乗っているというならば話は別だ。
異世界ド・メルタに存在する『獣頭族』と呼ばれる亜人種族であり、僕がこの世界に来たばかりのころ、お世話になった先輩冒険者である。
「――あ、ライオン丸先輩だ」
その先輩冒険者ことドラケリオン・ヒューラーさんのことを、僕はそう呼んでいる。だって見てくれが完全にそうなのだ。人の身体にライオン頭が乗っていれば、誰だってなんとなくそう思うはずである。
先輩がいることに気付いて手を振ると、先輩も豪快な笑みを浮かべて軽く手を突きあげ、応えてくれる。
のっしのっしと近づいてくるライオン丸先輩に、ミゲルが声をかけた。
「うっス、ドラケリオンのアニキ。これから潜りっスか?」
「おう。がははははは!」
なんだか愉快そうに豪快な笑い声を響かせるライオン丸先輩。その笑い声でさえすでに破壊力を持っているとか相変わらず超ヤバイ。音波がコップや窓ガラスをビリビリと揺らしている。さすが超高レベル。
先輩は、ミゲルとも知り合いだ。というかだいたいの人間はライオン丸先輩のことを知っている。彼は現在フリーダのガンダキア迷宮の一番深くまで潜ることのできる人間なのだ。フリーダ一の勇者として有名で、その実力もピカ一である。
挨拶の一幕なのか、ミゲルがライオン丸先輩にウイスキーを勧め、その美味さにライオン丸先輩も満足そうしている。どうやらこの世界の人間にもおおむね好評らしい。
そんなやり取りが終わると、ふいにライオン丸先輩がこちらを向く。そして、その大きな手のひらで肩をガシっと掴まれ、鼻先まで顔を近付けて――
「ひぃっ!?」
ライオン顔が目の前まで迫ったせいで、ついつい上擦った情けない声が出てしまう。先輩はとてもいい人で、しっかりしているが、顔はやっぱりライオンさんなのだ。間近まで迫ればそりゃあ恐ろしいことこの上ない。
そして、もっと恐ろしいことに、大きな口がゆっくりと開かれる。びっしりと生えそろった牙が近づき、
「クドー」
「ははははははははい! 先輩食べないでください! お願いします!」
「誰が食うか。俺が言いたいのはな」
「は、はい」
ついつい食べられそうな気分になって一人勝手に慄いていると、ライオン丸先輩はニカっと豪快で気風の良い笑顔を見せ、
「最近人助けをしたそうじゃないか。人助けはいいことだぞ、うん」
人助け――おそらくはスクレールを助けたことを言っているのだろう。
「あ……いやあれはその、経験値が欲しくてですね」
「照れるな。迷宮から助け出したあともちゃんと面倒見て、冒険者として活動できるようにしてやったそうじゃないか。アシュレイが言ってたぞ?」
先輩から、バンバンと背中が叩かれる。痛い。高レベルの冒険者、しかも体格の良さとごつい筋肉のおまけ付きなのだ。痛くないはずがないもみじができる。あとアシュレイさんはいい加減なんでもかんでもしゃべり過ぎである。
「まあ、良いことをしろっていうのは、よく言われますし」
「そうだな。俺と初めて会ったときのことをちゃんと覚えていたか。嬉しいぞ」
また「がはははは!」と大声で笑いだす先輩。褒めてもらえるのは嬉しいけど、その破壊力抜群の笑い声を耳元で響かせるのは勘弁していただきたい。鼓膜が超絶ピンチである。
とまれ「悪いことをするな、良いことをしろ」というのは、先輩にも言われたが、他にもいろいろな人そう言われている。この世界に来る直前に会った神様しかり、ヒーローの幼馴染しかりである。特に先輩に言われると、やらなきゃいけない気分になる。
やがて伝えることを伝え終わったか、ライオン丸先輩はのっしのっしと受付の方へ去っていった。
すると、ミゲルが意外そうな顔を向けてくる。
「はー。相変わらずだなアニキは。しっかしお前、随分とお節介焼いたんだろ?」
「いや、そこまででは」
「いやドラケリオンのアニキがあんなに褒めるなんて、珍しいことだからな?」
「まあ……」
そうだろう。スクレールを助けるために、手持ちのマジックポーションは消費したし、レアなボス核石も譲ってしまった。この世界で金貨二十枚は一家族が二、三ヶ月楽に生活できるくらいのお金なのだ。そこまでやって人を助ければ、褒められるようなことなのかもしれない。
そんな話をしているうちに、ポテチの方がなくなった。お休みの時間は終わりである。
「よいしょっと……じゃあ僕はそろそろ行くよ」
ちょっとジジ臭い掛け声を口にして、床に置いたサファリバッグを背負い、サファリハットをかぶる。
「なんだ、お前もこれから潜るのかよ?」
「うん。そろそろお金がいい具合に溜まりそうだから、ちょっと頑張ろうかなって」
「なにか買うのか?」
「買うっていうか……ほら、あれ。『白角牛』のステーキが食べたくてね」
「あー、あれかー」
ミゲルも聞き覚えがあるらしい。というかあるだろう。『白角牛』のステーキとは、ここ冒険者ギルドの最上階にある最高級レストランでしか出していない、超有名ステーキのことだ。迷宮の最高級食材の一つである『白角牛』の肉を冒険者から仕入れて最高の環境で調理、提供しているためまさしく絶品。その分お値段も目玉が飛び出るくらいにバカ高いのだけど、一度食べてからあの味が忘れられない。
一応、高級な和牛も食べたことはあるが、『白角牛』の肉はあれとはまた別のおいしさがあった。和牛が脂のうまさで至高と言うのならば、牛は赤身のうまさの至高だろう。とんでもなーくアメリカンなステーキと言えばいいかもしれない。
「じゅる……僕はあれをもう一度食べるんだ。今度はめちゃくちゃジャンキーな食べ方でね」
「なんかいつになく野望に燃えてるなお前。まあ欲があることはいいことだな。うん」
ミゲルはそう言って、ウイスキーのロックをあおる。どうやら、明確な変化があったらしく、少々驚いたような顔を見せ。
「お、なんだこりゃあ。味わいが変わったぞ? 氷が解けて飲みやすくなった……いや薄まったが悪くない。むしろ新しい……」
「お酒の感想どうも。それで、今回は見逃してくれる?」
「……他のチームに入らないのが条件だ」
「大丈夫だよ。僕が誰かのチームに入ったときは、無理やりかそうせざるを得なくなったときだろうから」
「よし。今回はあきらめる。だがお前は絶対俺のチームに入れるからな」
「はいはい」
魔法使いにご執心な冒険者友達は、上機嫌でウイスキーを呷っていた。