階層外、受付嬢アシュレイ・ポニーのある日の業務。約13000文字。
登場人物。
アシュレイ・ポニー……冒険者ギルド受付嬢。赤髪、ポニーテールの女性。若いが受付嬢歴は長い。冒険者に贈り物を求めたりおねだりをするため、別名【タカリの魔女】などという不名誉なあだ名がついた。
九藤晶……本編の主人公。本編では緩いけど…………やっぱり外伝でも緩い。
ミゲル・ハイデ・ユンカース……晶の異世界での友人。高レベルのランカーで有名人。地上に出ればナンパな兄ちゃんだが、迷宮攻略には真摯に取り組んでいる。
冒険者ギルド受付嬢、七番窓口対応、アシュレイ・ポニー。
彼女は十六歳で冒険者ギルドの職員となった、勤続年数六年のベテラン受付である。
勤続六年でベテランと言うと首を傾げる者もいるかもしれないが、働き手の入れ替わりが少なくない冒険者ギルドでは、長く続いている部類に入る。
やはりネックは、業務の多さと、多くの人間関係を築かなければならないストレスにあるだろう。裏方の職員が担当する業務もそうだが、受付嬢はそれに輪をかけて多いという。
担当する冒険者とギルドの窓口に始まり。
担当冒険者の成果管理とギルドへの報告。
鑑定人など他業種との橋渡しなども、業務の範疇に入る。
冒険者のレベルや身体の状態を見て、彼らが迷宮に潜行する際は適切な階層を勧めることも、やらなければならない仕事の一つだ。
冒険者の大半は日銭稼ぎの人間がほとんどで、成果報告は総花的に行うものとされるが、新人や高い成果を上げる冒険者については、よく顔を覚え、都度のコミュニケーションもしなければならない。
潜行の成果いかんでは、ランクの上下に申し添えも行うのも受付嬢の役目だ。
あとは、冒険者に迷宮任務を課すのも、忘れてはいけない事柄だろう。
ギルド運営のために必要な迷宮素材の入手や、異常発生したモンスターの討伐など、その内容に見合った実力を持つ冒険者にクエストを委託する。
…………一部、本当に一部というか特定の一人だけ、それを面倒くさいからやりたくないといって聞かない冒険者もいるのだが。
迷宮任務がそういった煩わしいものではないと何度言い聞かせても、受けてくれない問題児だ。
どちらかと言えば、迷宮任務は冒険者たちが優先的にやりたがるクエストだ。
これを受ければ、ギルドから特別報酬が払われるため、普通に核石や素材を手に入れて、それを売り払うよりも多くの金銭が手に入るし、それが外部機関から委託されたものであれば、冒険者にとってコネクションの構築にもつながるという有益性もある。
もちろんランク上昇にも大きく影響するため、それこそメリットしかないはずだ。
だからこそ、冒険者はこれを挙って受けたがる傾向にある。
そう、いまアシュレイの目の前にいる、冒険者たちのように。
……いまアシュレイの目の前にいるのは、年若い冒険者たち。
剣士の青年。
盾持ち大鎧の女性。
探索、警戒を専門とする斥候職に。
武闘家の男。
荷運びに雇った荷駄役。
残念ながら魔法使いはいないが、彼らはつい最近、新人という枠組みから飛び抜けた有望な冒険者たちだ。
やっと初心者から一段上に上がったと言うくらいで、ベテラン中堅からすればまだまだひよっこという区分にあるが、それでも迷宮潜行に慣れが出始めて、安定感が出て来たころ。
血気盛んで、向上心に溢れている。
だがその反面、少々の無茶でも通してしまおうとする危うさもある。
今日の彼らには、その『危うさ』がチラついていた。
「――それで、あなたたちはこの迷宮任務が受けたいと」
「おう! 受付さん! よろしく!」
リーダーである剣士の青年が、快活な笑みを見せる。
年下だが、敬語はなし。冒険者は大抵こんなものだ。見下されているというわけではないが、基本は力が有り余った荒くれたち。
他の仲間もやる気に溢れているらしく、目には生気がみなぎっている。
表面上は。
……だからこそ、そんな彼らをよく観察しなければならないのだ。
見なければならないのは、顔色と怪我をしていないかどうかの二つ。
冒険者のコンディションは、必ず顔に現れる。
疲れていれば瞼が下がり気味になり、体調がすぐれなければ血色が優れない。
食事を満足に摂っていないときもそう。肌の色味が失せていたり、表情が悪かったり。
もし怪我を隠しているのなら、必ず動きに現れる。
動きに怪我をした部位を庇うような素振りが混じり、意図せずバランスに欠いた動きをしてしまうのだ。
アシュレイはこれらが重なった状態を、『危うさが積もっている』という風に考えている。
迷宮での全滅は、これらの要素の蓄積だ。これらが見過ごせない状態にまで及ぶと、冒険者は七割の確率で遭難する。
これまで何度そういった冒険者を見て来たことか。
件のチームのメンバーに指示を出して、一人一人顔を近付けさせたり、チーム全員を適当に動かしてみたりする。
結果。
「ダメね。この任務を受けるのは、許可できないわ」
「な、なんでだ!?」
「盾持ちのイレーちゃん、怪我してるわね? ダカットさんも顔色がちょっと良くないわ。ご飯ちゃんと食べてないんじゃない?」
「こ、これくらいの怪我なんともありません!」
「俺は朝飯は抜きにする主義なんだ」
「ふーん」
二人に視線を合わせようとすると、どちらも気まずそうに目を逸らす。
すると、剣士の青年が二人を庇おうと、
「確かにイレーは怪我してるし、ダカットはご飯食べてないけど、二人とも心配するようなものじゃないって言ってるしさ、ここは……」
「ダメよ。体調が悪いとき、それに対処できる状態にないときは、実力と同等のクエストを受けてはいけないの」
アシュレイルールではあるが。
「いやでも、その迷宮任務を受けないと、今度のランク査定のときに落とされるかもしれないし……」
「あー」
そういえば、と。彼らは今月あまり迷宮任務を受けていなかったことを思い出す。
ギルドの中央大ホールに貼り出されるランキング表は、ひと月に一度行われる、ランク査定で変動する。受付嬢の印象はもちろん、どのグレードの迷宮任務を何回こなしただとか、階層ボスを倒しただとか、ギルドにレアな迷宮素材を売却したとかでポイントが蓄積し、上がり下がりが変わる。
冒険者稼業は競争相手が多いため、変動は激しい。ちょっと気を抜いていると、すぐ下にいたチームに追い抜かれてしまうほど。
みな自分のランクを保つ、もしくは上げるのに躍起になっているのだ。
だから彼らも、こうして迷宮任務にこだわっている。
だが、今回彼らが受けようとしているのは、第4ルート途上、迷宮深度18『水没都市』。レベルが平均15程度である彼らには、ちょうどいい階層だが、それは健康であったならのこと。怪我人、体調不良の人間を抱えての攻略は、死への階段まっしぐらだ。
「受付さん! 頼む! この通りだから!」
剣士の青年が頭を下げて頼み込んでくる。
他の仲間たちも、彼と同じように頭を下げた。
そこまでしてランクを落としたくないか。
まあランクが冒険者にもたらす恩恵は大きなものだ。攻略物資を優先的に購入できるし、フリーダにある一部施設も無料で使用できる。ランクが落ちれば、その特権の恩恵を受けることができなくなるため、必死になるのも無理はない。
頑として忠告を聞き入れないチームに困っていると、ふと迷宮の出入り口にあるものを見る。
そして、息を一つ吐き出して、
「――そう。じゃあ訊くけど。あなたたちはあんな風になりたいの?」
「あんな風?」
青年の問い返しを受け、迷宮の出入り口に視線を向けるよう促す。
「――ッツ!?」
さすがにそれを見れば、動揺せずにはいられないか。
チーム、全員が固唾を飲み込む。
しかしていま迷宮から出て来たのは、冒険者の死体だった。
無残に食い荒らされた亡骸が、荷車に載せられて、仲間たちに運ばれている。
目を背けたくなるような惨状だ。あんな風に死ぬなんて考えたくもないほど、ひどい有り様。
大抵一日一度は、ああやって死体があがる。三日に一度は、チームが全滅。迷宮探索は過酷意外のなにものでもない。
「たぶんあれ、あなたたちが行こうとしてる『水没都市』の『奇怪食花』にやられた死体ね。他人事じゃないんじゃない?」
「う……」
さすがにあんなものを見れば、二の足も踏むか。死体から目を逸らす者、あまりのむごたらしさに顔を青くさせる者。やはり彼らも、ああはなりたくないと思うのだろう。
「あのね。体調の悪いときは出来る限りダイブして欲しくはないの。特にあなたたちは、最近トントン拍子で階層攻略を進めているから」
「で、でも、ノルマが」
「ノルマがそんなに大事? 自分の命よりも?」
「それは……」
こだわる。
冒険者の全員が全員、怪我とノルマをきちんと天秤にかけられる人間であればどんなにいいかと、何度思ったことか。
その点で言えば、あの少年は評価できるのかもしれない。
そう、いまちょうどギルドに入ってきたあの少年だ。
大きなバッグを背中に背負い、頭には大きな帽子、ベルト付き淡い茶系の服装い身を包み、足には質のいいブーツ。ここ冒険者ギルドでは、いやフリーダであっても、あまりに浮いた服装を着こなしている。
名前を、クドーアキラ。半年ほど前にこのフリーダに現れた、魔法使いの少年である。
彼にとってはノルマなんて関係なしだ。
まったく気にせず、むしろ煩わしいと思っている節さえある。
そんな彼は、運ばれてくる例の死体の横を通って、受付に並ぼうとしている。
それも、至って平然とした様子でだ。
(…………)
彼は、初めて見たときからああだ。普通はあんなむごたらしい遺体を見たら、驚くし、怖れもする。迷宮探索だって、二の足を踏みたくなるだろう。しかし、何故か彼はそんな死体を見ても、ああいう風に至って平然と素通りするのだ。
たとえそれが、自分のすぐ近くを通ったとしても。
初めは、見たくないものを意図的に無視しているのかとも考えたが、そうではなかった。ときおり、変わった祈りの姿勢を取って、黙とうを捧げたりしているため、目に入っていないわけではない。
(すっごいビビりなのに、あれはどうしてなのかしら……)
クドーアキラは、やたらと臆病だ。どうして冒険者になったのか疑問を覚えるくらいに。顔の怖いモンスターやレイス系のモンスターは大嫌いだし、自分より強いモンスターが出る階層には絶対に行かない。ときには顔が怖いだけの冒険者だって怖がって涙目になる始末。それなのに、迷宮探索に出るのだ。レベル上げが楽しいからと。迷宮の景色がきれいだからと。迷宮で取れる食材が、おいしいからと。命の危険を顧みずに。
普通、冒険者が迷宮に潜る理由としては、食い扶持稼ぎか、深階層へ潜っての荒稼ぎか、名誉のためかのどれかになる。
みなモンスター以外に、死や怪我の恐怖や明日生活できるかという不安と戦っているのだ。レベルにしたって、普通は遊びに行く感覚で上がるようなものではない。モンスターと戦い、それを倒す苦労を経て、初めて上がるものなのだ。普通に生活する分なら無理して上げなければならないものではないし、兵士などのように戦闘を生業としないのならばレベル10だって要らない。
なのに、何故かレベルを上げたがる。不必要に強くなりたがる。
その結果が、魔法使いであって現レベル34という驚異の数値だ。世界を見渡しても二十人いるかいないか。御年86歳になるメルエム魔術学園の学園長が、レベル40というのだから、その異常性がわかるだろう。ここフリーダでも、35越えは『炎似隼』『翠玉公主』『天魔波旬』の3人しかいない。それに匹敵するのが、あのフリーダに来てまだ半年程度の少年なのだ。一体どんな無茶をやらかせばあれほど強くなるのか。『四腕二足の牡山羊』『溶解屍獣』などの並みいるボス級を撃破できるその手腕を持っているのにもかかわらず、その性格が釣り合っていないのは不思議という他ないが。
いや、変わっているという次元でなく、人間としておかしいのではないだろうか。
まるで、頭の大事な部分を留めておく何かが、外れてなくなってしまっているかのよう――
「アシュレイさん……」
ふと、そんな考えに浸っていた折、例のチームが声をかけて来る。
だが、
「いい? この任務を受けるのは認められないわ。いくらノルマがかかっているって言ったって、死んだら元も子もないもの。ダメなものはダメよ」
許可を出せないことを告げると、青年は目に見えて肩を落とした。
「いいじゃない。いまさら少しランクを落としたって、環境が大きく変わるわけでもなし。だからこそ飛びぬけたいって思うのかもしれないけど、それで死んじゃったら何もならないじゃない」
「まだ死ぬと決まったわけじゃ!」
「そうね。今回は大丈夫かもしれない。でも次は? その次は? こんな慎重さに欠けた潜行なんかしてたら、あたなたち必ず死ぬわ。私がそういった冒険者をどれだけ見て来たと思ってるの?」
「う……」
「悪いことは言わないわ。今日は『大森林遺跡』とか『霧浮く丘陵』で我慢しておきなさい。軽くお金稼ぎするだけでやめておくの。いい? 私だってイジワルしてるわけじゃないの。あなたたちに無事でいて欲しいから言ってるのよ?」
さすがにここまで言うと、彼らも聞き入れざるを得なかったらしい。
静かに、そして重く、頷いた。
「……わかった」
「よろしい。ここで踏み止まれる理性を持っているところは、ちゃんと評価しておくから」
一応、そんなフォローも入れておく。踏み止まれることは大事なことだ。こればかりは冒険者にとって絶対に必要な資質であると言えるだろう。
彼らが離れていくと次、その後ろに並んでいたクドーアキラが前に来る。
「アシュレイさん。今日も来ましたー」
そうあっけらかんと言うクドーアキラは、にこやかだ。こんな風に心の底からの笑顔で迷宮にやって来る人間も珍しい。
「…………クドー君、あなた最近ほぼ毎日ね。毎日探索なんて飽きない?」
「いえいえ、冒険とか超楽しいですし」
「じゃあ疲れない?」
「一晩眠ればだいたいオッケーですよ」
その辺りのタフネスさは、高レベルの為せる技か。彼くらいのレベルになると、疲労の溜まり具合や、回復速度などがかなり上がるらしい。レベルが30を超えると、二晩三晩の徹夜さえ可能とし、睡眠時間がいつも通りでもへいっちゃらなのだとか。うらやましいことこの上ない。もし自分がそれだけの力を得たならば、まずは溜まっている書類仕事をやっつけてしまうだろうに。
ともあれ、
「クドーくん、今日はどこに行くの?」
「今日は……特に決めてませんね。日がよろしくなさそうだったら森で草でもむしって引き返してきますよ」
「そう。気を付けてね。おみやげよろしく」
「えー、またタカる気ですかー? もー」
クドーアキラは頬を膨らませて口をとがらせ、ぶうぶうとぶー垂れつつも、なんだかんだ手を振って去って行く。
軽い。先ほどのチームへの厳重な忠告は何だったのかというほどに軽く、応対する時間も短い。
本来ならば、本来ならばだ。もっと担当している相手の状態を確かめ、忠告なり注意喚起なりをするところなのだが、彼にそんなのはほぼ無駄なことなのだ。ああやって適当に答えていても、彼の潜行計画の綿密さは、受付嬢如きが口出しできるレベルではないのだから。
クドーアキラが迷宮に入って行くのを眺めていると、同僚が声をかけて来る。
「あしゅれー」
「なに? ネム」
「うんうー、いまマーヤと話してたんだけどねー」
そう言うと、彼女と話すために席を立って行った別の同僚が、渋い表情を向けて来る。
「あのさアシュレイ。いまの彼、大丈夫なの? さっきの怪我人抱えたチームよりもずっと頼りなさそうだったけど」
「そうそうー。ときどき見るけどー、なんか足が浮ついてるっていうかー。油断してやられそうっていうかー。あれー、ほっといたら死ぬんじゃねー? てきなー」
二人とも、受付嬢の視点からの言葉だろう。確かに表面を見た限りでは的確だが、クドーアキラは表面だけでは測れはしない。
「大丈夫よ。あの子、どうせ今日もいつものように経験値稼いで、いまみたいに軽い足取りで帰ってくるから」
「ねえ? さすがにもっと心配した方がいいんじゃない? いくらなんでもあれはヤバいわよ?」
「いーのよ。大丈夫。あの子には結局何言っても無駄になるんだから。そういうのは最初の二か月で諦めてますー」
そう、クドーアキラにはすでに腐るほど忠告した。
ソロはやめておけ。
毎日潜るのはいくらなんでも無茶だ。
どこかのチームに入れ。
迷宮任務を受けろ。
きちんとランクを上げろ。
それらの忠告は何も、本気で自分の評価を上げたいからしたものではないのだ。
チームに入れば言わずもがな生存率は上がり、迷宮任務を受けて貢献度を増やせば、怪我や病気をしたときに生活が保障され、時にはポーションだって支給される。もちろんランクを上げれば、その恩恵を優先的に受けやすい。
しかし、彼がそれらの言葉を訊くことはなかった。死んだらそれまで、自己責任だから、と。
確かにそうだ。迷宮探索に関連する冒険者の怪我や死亡は、誰が責任を問われることでもない。それでも、受付嬢はなるべく引き留める。引き留めなければいけない。
「ほんと大丈夫なの?」
「大丈夫よ。あの子、自分のレベルに見合わないところには絶対行かないし」
「でもソロだよー?」
「ソロだけど。チームには入りたがらないしね……」
クドーアキラ。別に協調性がないわけではないのだが、あまり他人に気を遣ったりしたくないからだろう。なんでも訊いたところによると、潜れる時間に融通が利かないとかで、週の大半は午後にしか来られないのだという。そのため迷惑が掛かってしまうからと、チーム加入の積極性はほぼ皆無なのだ。
それならそれで、迷宮傭兵をやるなり、仲間に日を選んでも貰うなりすればいいとは思うのだが。
ふと、マーヤが厳しい顔を向けてくる。
「…………ねえアシュレイ。思うところがあるんなら、強権使いなさいよ」
――強権。それは受付嬢に与えられた権限のようなものだ。
受付嬢は、担当する冒険者の迷宮潜行を強制的に制御する執行権を行使できる。
そのため、その気になれば、冒険者に迷宮任務を強制的に課したり、適正なチームに無理やり加入させたりすることも可能なのだ。冒険者を守るため、ひいては冒険者ギルドの利益確保のために。
受付嬢はこれを行使できるからこそ、冒険者たちから尊重され、対等な関係が保たれるのだ。
だが、
「私は強権を使う気はないわ。私はなるべくあの子の邪魔はしないってことに決めてるの」
それは、クドーアキラには必要ない。いや、そうではないか。それをやってしまったら……という懸念の方が強いのだ。
もしそんなことをして、彼が迷宮に来なくなってしまったら、と。
あの自由な性格だ。無理強いすれば、二度とフリーダに現れなくなる可能性だってある。
本人が生活のためでなく、楽しみに来ている以上は、その邪魔をするつもりはない。
だから、いくつか上から言われていることも、無視しているのだ。誰も倒しに行きたがらない、倒すことがほぼできない『溶解屍獣』の核石の安定した取得、高栄養価で美味、金持ちが欲しがってやまない『グレープナッツ』『真珠豆』の大量採取、彼が持っているモンスターや階層に関する詳細な絵と特徴をまとめたレポートの提出はその最たるものだ。
彼がそれをやるだけで、ギルドが抱える長年の悩みがいくつも解決される。
この前のゴールドポーションに関しては、絶対に交渉をまとめろと強く言われたため、さすがにどうにもできなかったが――あれは仕方ない。ギルドが高ランク冒険者たちから激しい突き上げを食ったのだ。冒険者は生存率に関わることには、過剰なくらいに敏感なのだ。
だが、それらをこなせば、ランクはすぐに300、いや200位台になるだろう。
彼はそれを隠したいようだが、いずれ周知されるのは目に見えている。
本人は気付いていないかもしれないが、いま巷でまことしやかに噂される迷宮幻想の一つ、『一人歩きの小人』が、おそらく彼のことなのだ。
バッグを背負って迷宮を歩き、怪我人を魔術で癒したり、水や食料を分けたり、ときには不思議な物品や高い知識を使って人を助けたりするという、迷宮に現れる救助者の伝説だ。いつの時代も、妖精や小人にたとえられ、ダンジョン内をうろついているという。
実際、そうやって彼に助けられたとかいう冒険者もよくいるし、間違いはないと思われる。スクレールを助けたこと然り、新人冒険者を連れ帰ったこと然り。
そのおかげなのか、この前などは、ホールで王国の第二王女付きの近衛とトラブルになった際、彼に助けてもらった中堅層の冒険者たちが怒涛の猛抗議を入れたという。
あれで一時ギルドがてんやわんやになったくらいだ。
話が王国王族の出入り禁止にまで行きそうになったときは、あの少年の影響力の強さに驚いたほどでもある。
そんなことがあっても、彼に勧誘がほぼ来ないのは、やはり先行している迷宮幻想のせいだろう。
一部冒険者たちからは、話し掛けたり、手を出したりすると消えてしまう、幻想上の生物めいた扱いを受けているのだ。その正体を知られると、いなくなってしまうおとぎ話めいたものだ。冒険者は基本的にそういった迷信には敏感だ。自分たちを助けてくれるというものに関しては特に。昔はよく神様がそれを行っていて、人間が欲を出したためにあまり姿を現さなくなったということから、特に気を付けるのが暗黙の了解となっているらしい。
だが、あながちそれは間違っていないと思う。先ほども言ったが遊びにきているというあたり、遊べなくなると、きっと彼はここからいなくなるはずだ。
例外として、彼の噂を知らなかったり、噂が出てくる前からよく関わっていたりする者たちがあるが、それはともかく。
なんだかんだ隠れファンが多い人物でもある。主に彼に助けもらうことの多い中堅層がその中心だ。
「……あのさマーヤ。話は変わるんだけど、烈風陣――リッキー・ルディアノって子、あなたの担当だったわよね?」
「え? ええ、そうだけど」
「すごく優秀な魔法使いだって噂だけど、どのくらい強いの?」
マーヤに訊ねると、彼女は腕を組んで鼻息ふふん。得意げな顔を見せる。
「聞きなさい。リッキー君は緑の魔法使いで、レベルは26。魔法使いで26! しかもメルエム魔術学園主席卒業で、この前なんと、一人で採掘場の『火炎男爵』を倒したのよ! それで付いた通り名が、その『烈風陣』なの!」
「おおー」
ネムのやる気のない声が響く。しかし、これでも彼女は驚いているのだ。
「すごいでしょー! 私が担当してるのよー! えへん!」
「マーヤが自慢することじゃないけどー」
「あはは……ま、そうなんだけどねー。でも、すごいでしょ? リッキーくんは」
「そうね」
確かにすごい。レベルもそうだが、単独で準ボスクラスである『火炎男爵』倒せるとは頻繁に訊くような話ではない。
魔法使いでも、そんなことをできる人間はそうそういないはずだ。
ふと、マーヤが怪訝な表情を向けてくる。
「……アシュレイ、なんかそう思っていないような感じね」
「そんなことないわよ? ただ、ね」
比較する相手がアレだ。相手が悪い。
だが、ときおりそのリッキー・ルディアノが、クドーアキラにくっついて潜っていると聞いている。クドーアキラはめんどくさいとよく言うのだが、なんだかんだ仲良くしているらしい。
二人でやいのやいの言いながら、一緒にいるところも、見たことがある。
……ともあれそれが、一般的に優秀と言われる魔法使いのレベルなのだ。
「よーっす、マーヤちゃーん」
ふいに、そんな呼びかけの声が聞こえてくる。
目を向けると、そこには短く切りそろえた金髪とタレ目、整った鼻筋が。マーヤが担当する冒険者、ミゲル・ハイデ・ユンカースが気安げに手を上げて歩いてきた。
この冒険者ミゲル。若干17歳と若いながら、『赤眼の鷹』というチームを主宰している少年だ。戦闘技術の高さ、的確な指揮能力もそうだが、高い迷宮攻略のノウハウを持ち、1~4まである迷宮ルートを手広く攻略している。
彼はにこにこと人好きのするような笑顔を浮かべながら、近づいてきた。
「あら、ミゲルくんじゃない。どうしたの? なにかあった?」
「いいや、今日はオフだから、ちょっと顔出そうと思ってな」
「デートのお誘い? またレヴェリーさんに縛られるわよ?」
「ははは。本望さ」
などと言って、マーヤと会話に興じ始める。
相変わらずマメな少年だ。仲良くしている者や、お世話になっている者のところには頻繁に顔を見せ、こうやって信頼関係を築いていくのだ。ある意味、冒険者らしくないともいえるが、そのせいか女癖は悪いにもかかわらず評判の方は悪くない。
もちろん、冒険者としても優秀だ。彼を含めてたった四人のチームであるのにもかかわらず、258位という超高位ランクに君臨している。上位のチームからは常に誰かしらに引き抜きがかかっているし、下位の冒険者たちは彼らのチームに加えてもらおうとよくアピールしにきているのを見る。
「おーっと、そう言えば、アシュレイちゃーん」
「あら、なに?」
ふとした呼びかけに応えると、ミゲルはいままでの軽薄なナンパ顔から一転、真面目な顔を作る。
そして、その神妙な面持ちから飛び出たのは、
「――この前、頼まれた件なんだけどさ」
頼まれた件、それはクドーアキラについてのことだ。
「あ、あれね。どうだった?」
「感触は良かったぜ? 一応、加入に関しても取り付けた」
「ちょっと!? それほんと!? あの子頷いたの!?」
「ああ」
まさかあの頑固者が加入の件で頷くとは。
ダメもとではあったのだが、やはり友人であることがよかったのかもしれない。
「ただ、入るのはもう少し待ってくれって話だ。なんでも、やることがあるんだとよ」
「そっか。まあそこは仕方ないわね……」
だが、これでひとまずは安心だ。高ランクと探索するようになれば、高深度階層探索によるリスクは付くものの、それでもいまのような魔法使いがソロで動くようなリスクからは解き放たれるはずだ。安定感は更に高まるし、もっと多くのボス攻略もできるようになる。
そんな話をしていると、マーヤが聞き耳を立てて近づいてくる。
「お? お? なになに? お二人でなんの話?」
「いやな。アシュレイちゃんから、とあるヤツをメンバーに誘ってあげてくれって頼まれてな」
「誰を?」
「いま話してた子よ。クドーくん」
「いま話してた子って、え? さっきのぽわわんとした男の子!?」
「そ」
そう言うと、やはりと言うべきか、マーヤだけでなくネムの方も、困惑した表情を見せる。
クドーアキラの様子から、二人とも彼のことを強者とは思っていなかったためだろう。確かにあんな見た目や態度が、強者という言葉に結びつくはずもないか。
「いや、俺もクドーのことはアシュレイちゃんに言われる前から誘ってたんだけどな。アシュレイちゃんが、俺たちがよくつるんでるの見て、声をかけてきたんだわ。勧誘に本腰入れてくれって」
「それ、だいじょうぶなのー」
「いくらなんでも力量釣り合わないんじゃない?」
「ん? その点は心配ないさ。この前、チームメンバーとも顔合わせして、一緒に迷宮潜ったしな」
「あの子そこまでしたんだ。意外ね」
「たまたま迷宮ん中で一緒になったからさ。つーかアシュレイちゃんもひどいぜ。あいつのレベルを黙っておくなんてよ」
「驚くかなーと思って。それに、レベルがわからなかったら、素のあの子のことがわかるかなって思って」
「あいつの素? あいつがんなもん見せるタマかよ。毎度のことの、のらりくらりさ」
「それで、どう?」
「もとから来て欲しかったからな。今回の件でその意思が強くなった。むしろ他には絶対やれねぇ。もちろん、うちのメンバーからの評判もいいぜ?」
「そこまでなんだ」
「言うさ。魔法使いで、あれだけの実力だ。しかも支援させても前に立たせてもイケるぞあれは。アシュレイちゃん、あいつが一度に使える汎用魔術の数知ってるか? 属性魔術の枠を抜いても六は使えるんだぜ? あいつが来れば全員分の支援が賄える。しかもそのうえで属性魔術も撃てるとかあり得ないほどさ」
「やっぱりそれだけできると欲しいもの?」
「欲しいさ。レベルだけ見たってどこだって欲しがるだろ。あいつくらいのレベルでフリーの魔法使いなんかいない」
「そうね。『天魔波旬』くらい?」
「そうだったはずなだな。ま、俺があいつを欲しい理由はそこじゃないんだけどな」
「え? そうなの?」
「アシュレイちゃん、あいつ、いつもどうやって潜ってるか知ってるか? 目的地まで、魔術をほとんど使わないで行くんだぜ? 使っても一、二回だ」
「は? え? なに、どういうこと?」
「そのままさ。戦闘はほとんど避けて、『催眠目玉』を倒したくらいだ。『石人形』なんて、機会やルートを見て遭わないようにするんだぜ? それで、『吸血蝙蝠』をしこたま狩ってるんだ」
「……私も彼の潜行計画の綿密さは知ってたけど」
「あれは。高ランクでもそうはいないぜ」
まさかそこまでとは。
だが、それがあのほぼ毎日潜行にもかかわらず100%の生還率と、やたらと早いレベルアップの秘訣なのか。確かに低階層で魔力を温存できれば、その分、経験値稼ぎに専念することができる。
常々『吸血蝙蝠』を一人で狩れていることを不思議に思っていたが、そういったカラクリなのか。
すると、マーヤが、
「……ねえねえ『吸血蝙蝠』を狩ってるって、さっきの子が?」
「そう聞こえたけどー、マジ?」
「うん、マジよ」
「あ、アレを!? うそでしょ!?」
マーヤが叫ぶのも、無理はない。
冒険者たちの記録書を見れば、『吸血蝙蝠』と遭遇すると、すぐに数十体にたかられるという。取りつかれれば逃げることは難しく、魔法使いにだって払いのける術はない。暗く狭い石の回廊の中で、『吸血蝙蝠』安全に狩る手立てはそう多くないそうだ。
もちろん、魔法使い一人にそれが不可能なのは、言わずもがな。
そして、『吸血蝙蝠』に殺された冒険者の惨状もむごたらしい。これまで、干からびてしわだらけになった遺体が運ばれてくるのを、何度となく見てきた。それは、同僚たちも同じ。だからこそ『暗闇回廊』まで行く冒険者には、『吸血蝙蝠』の危険性をよく言って聞かせるのだ。
同僚二人は信じられないというような面持ちだ。
伝え聞いた話だけでも、『吸血蝙蝠』が何かしらの援護を付けなければ戦えないモンスターだということはわかっているのだ。
「アシュレイさーん」
そんな中、迷宮入り口から聞こえてくる暢気な声。
何故かこのタイミングで、話の焦点である当人、クドーアキラが戻って来た。
迷宮に入って行ったのはつい先ほど、一体どうしたのか。
「クドーくん、またなにかあった?」
「いえそうじゃなくて、ちょっと忘れ物をしちゃいまして。すぐ買って戻ってきまーす」
「あなたはほんとのんきね……」
「……?」
緊張感のなさに呆れていると、ミゲルがクドーアキラに挨拶をする。
「よう」
「あ、ミゲルだ。ちわー。いまから?」
「いや、今日は挨拶だけさ」
「相変わらずマメだねー」
などと受付前で緩い会話を交わしている少年二人。これで本当に高レベル同士なのか。いろいろと頭が痛くなりそうだ。
「あ、ちょうどいいや。前に頼まれてたお酒なんだけどね……」
「手に入ったのか!」
「二瓶、銀貨四枚ねー」
「うっしゃあ! クドー! やっぱりお前は最高だぜ!」
「うっぷ! ちょっとやめて! 男に頬ずりされる趣味はないから! ぎゃー!」
…………こんな緩い連中も、フリーダには珍しいのではないだろうか。




