第2階層、ダンジョンにて奴隷を助ける、その2。奴隷の首枷を外しましょう。約7500文字。
ガンダキア迷宮ではだいたい中層に位置づけられる『黄壁遺構』を抜け出して、いまは迷宮の出入口手前の階層『大森林遺跡』に到達している。
森と言っても、ここ『大森林遺跡』の安全で安心ないわゆる『帰宅ルート』は、他の場所とは違って茂みや木々で鬱蒼とした奥地っぽいところではなく、木漏れ日溢れる見通しのいい木立の中。森の奥やら遺跡やらモンスターの住処やらなら話は別だが、基本的にモンスターも少なく安全で、散歩をするには最高のシチュエーションの場所である。
とまれ、僕が経験値の狩場としている『暗闇回廊』で出会った少女の名前は、スクレール。耳長族には苗字をつける慣習がないらしく、名前はファーストネームのみだそうだ。
いまは銀色のポニーテールをリスの尻尾のように揺らし、長い耳をぴょこぴょこ動かして隣を歩いている。耳長族が例外なく美形であることもあって、とても可愛らしいことこの上ない。背は自分よりも少し低い程度なのだが、愛らしさが強いゆえ、あだ名をつけるならば『子リスちゃん』だろう。胸の方は子リスちゃんにあるまじきボリュームだが、それはともかく。
もしも彼女を連れた冒険者たちがボス攻略などに挑まず、おとなしく奴隷の枷が馴染むまで待っていたならば、彼女は自分と出会うことなく彼らの慰み者になっていただろう。
それもあってか人間に良い印象を抱いていないようで、目が覚めた時からずっとこちらを警戒していた。だが、〇ノール神の加護とベーカリーショップの塩パンのおいしさのおかげで、ある程度は気を許してくれたらしく、敵意はすでに解かれていた。
この世界だと塩が結構な貴重品らしいから、塩がたっぷりかかった食べ物はそれだけで豪勢な部類に入るらしい。彼女のささくれだった心をほぐしてくれた塩パン様様である。
……というかおしっこ漏らしそうになるくらい強烈な殺気は、ほんと勘弁してほしい。ほんとマジで。
「この白いの、スースーする」
そして当のスクレールはと言えば、そんなことを言いながら、腕に貼られた白い布を不思議そうに触っている。
「それ、湿布ね。スースーするってことは効いているってことだから、そのままはっ付けておいて」
「これ、魔法の秘薬?」
「違うよ一枚数十円――鉄貨一枚くらいのお安い鎮痛薬。痛かったのが和らいだでしょ?」
「ふーん」
湿布薬が物珍しい……というよりはその粘着性が珍しいのだろう。こちらの世界の湿布薬っぽい扱いのものは、煎じた草の余りを塗って包帯を巻くような扱いだったはずである。
本来ならばポーションか回復魔法ですべての傷を治してあげたいところなのだけれど、この世界の超不思議アイテムの一つであるポーションはこの前全部使ってしまったので、残念ながらちょうど手持ちがない状態。かといって回復魔法を使うにも、魔力を『吸血蝙蝠』とボスの『四腕二足の牡山羊』を倒すためにほとんど使ってしまったため、ひどい怪我以外はそのままにして帰りの戦闘分のために温存中なのだ。遠足は家に帰るまで遠足、迷宮探索は正面大ホールに戻るまでが冒険である。
そのため、サファリバッグに適当に突っ込んでおいた湿布薬がここで活躍したというわけだ。
迷宮から外に出たあとは、静養するなり、魔法使いに癒してもらうなりするだけ。
迷宮の出口に近づくにつれ、徐々に人が増えてくる。それに伴い好奇の視線も増えてくるが、それには気付かないふりをしてひたすら歩く。
しかし、周囲のひそひそ話は聞こえてくるもので、
「おい、あれ耳長族じゃねぇか?」
「あんなガキが奴隷持ちかよ、ひえー、よっぽどのボンボンなんじゃねえか?」
「にしてもずいぶん可愛いな、あの耳長。あーあ、人のモンじゃなかったら俺が買ってたのによ」
「酷使してるなー。迷宮から出たあとも激しい運動させるくせに、鬼畜なヤローめ」
「…………」
……違う。断じて違う。それは全くの勘違いだ。スクレールは自分の奴隷ではない。彼女は(一応経験値のついでに)助けたのだ。決して後ろ指差されたり、鬼畜とか言われたりしなければならないいわれはない。
なんかボスを倒すよりも厳しい厳しい道程を堪えに堪えながら、正面大ホールに直結する『大森林遺跡』の木漏れ日の中を歩いていると、やがて階段が見えてきた。
「着いた。いやー、今日はなんか大冒険した気分だよ……特に帰り道とか帰り道とか帰り道とかさ……もうげっそりですよ」
スクレールが「気分も何も大冒険だと思う」とつぶやいていた。やはり彼女もそう思うか。いわれのない言葉の雨にさらされることほど、精神的に来ることはない。
そのまま、迷宮の出入口を覆うように設置された、ガンダキア迷宮専用の冒険者ギルドの建物その窓口へと向かう。
冒険者ギルドとは、自分たちが脱出したガンダキア迷宮を擁する自由都市フリーダによって運営される冒険者たちの支援組織だ。
その業務内容はガンダキア迷宮に入る冒険者たちや、それらに関連する様々な仕事の支援にのみ当てられ、冒険者が迷宮で手に入れてきた素材や食材などを買い取ったり、武器などをレンタルしたり、ガイドを付けたり、冒険者の力量に合わせてランキング付けしたりといろいろなことを一手に請け負っている。
スクレールを伴ったまま、いつものように、いつもの窓口、いつもの受付嬢のところに赴く。冒険者ギルドでは、受付嬢はランクの査定がある関係上担当者が決まっており、毎度同じ受付嬢のところで報告をする決まりがあるのだ。
多くの冒険者やそのチームに対応するため、ずらりと並んだ窓口。その一つを目指して歩くと、窓口に他の冒険者はなく、自分の担当はちょうど手すきだった。
「アシュレイさーん! いま戻りましたー!」
少し離れた位置から手を振ると、担当の受付嬢である赤髪の女性アシュレイさん――アシュレイ・ポニーは笑顔で手を振り返してくれた。
「あ、クドーくん。お帰りなさーい。今日の成果はどう? 稼げた? いっぱい稼げた?」
「いつもとおんなじですかねー」
そう答えると、金の亡者は現金な笑顔を露骨に不満そうなものに変え、
「なーんだ。いっぱい稼いで来たら何か買ってもらおうかなと思ったのにー。つまんなーい」
「…………あの、アシュレイさん。年下にタカるのやめましょうよ」
「なに言ってるのよクドーくん。男は年上だろうと年下だろうと関係なく女の子にはみつ……ごほん、おごる義務があるのよ? 覚えておいた方がいいわね」
「ちょっと、いま貢ぐって言いかけましたよね?」
「さぁ? で、今日はどこでなにしてたの?」
露骨に話を変えたアシュレイさんに対して、ため息を吐きつつ、答える。
「暗闇回廊で吸血蝙蝠を飽きるほど狩って、レベルを上げてきました」
すると、アシュレイさんは呆れた顔を見せ、
「……そういうこと平気な顔でしてくるの、クドー君くらいだと思うの」
「高位の冒険者さんたちだって吸血蝙蝠狩りやってるでしょ? あそこ他に比べてほんと効率いいし」
「ソロでそんなことをしてるのはあなたくらいです! ……というか、そこにいる、クドー君にはものすごーく不釣り合いなくらい可愛い子は誰なの?」
「あの、さらっとひどいこと言わないでくださいよ。傷つきますよ?」
「だって耳長族の子なんて平凡でパッとしない顔立ちのクドーくんに釣り合うわけ……あら?」
アシュレイさんはひどいことを言いまくる最中に、何かに気付いたらしい。というか何かも何も、スクレールの首枷だろう。
「ああ……クドーくんがいけない手順で大人の階段を……いくらモテないからってそんな鬼畜外道人外魔境冥府魔道な手段を使うなんて……お姉さん悲しいわ」
「ち、違いますって! この子は僕の奴隷とかそんなんじゃなくて……」
「うん。わかってる。冗談よ、冗談」
「…………」
アシュレイさんは「うっそでーす」と言いながら、舌を出してぶりっ子アピールをする。そりゃあ奴隷を買っていないことはわかりきっているだろう。迷宮に潜る前後は必ず窓口に顔を出さなければならない規定があるのだ。まさか、迷宮で奴隷を買ってくるなどありえない。
それに、
「彼女、私もちょっと前に見た覚えあるもの。確か『カランカの星』のメンバーに連れられてた戦闘奴隷の子だったかしらね……」
アシュレイさんはそう言って、ちらりとスクレールに目を向ける。すると、スクレールが、
「あいつらはみんな『暗闇回廊』のボス級……『四腕二足の牡山羊』に負けて死んだ」
「そうなの?」
「ええ。僕が行ったときはすでに……まあ同情はぜんぜんできないですけど」
「そう……あとで担当に報告しとかないとね。それで、あなたはこれからどうするの? 奴隷主は死んだけど、奴隷の枷もあるし……」
「奴隷に戻るのは嫌。絶対」
声に釣られて振り向くと、スクレールは小刻みに震えていた。怒りか、屈辱か。いや、そのどちらもだろう。人にいいよう弄ばれ、使われる人生など、考えただけでぞっとする。
「それじゃあそろそろ、ディスペライしよっか」
「は?」
「え?」
二人して「何を言っているんだコイツ?」と言いたげな表情を向けてくる。もちろん二人とも、ディスペライというのが何かを知ったうえでそんな顔をしているのだろうが。
――ディスペライとは、魔法の効果を打ち払う効果を持つ汎用魔術である。正式名称は『祓魔ディスペライ』。魔術の強弱により必要分の魔力が変わるため、ここまで使用を控えていたけれど、ここはもう迷宮内ではないので、魔力を温存する必要はない。向こうの世界に帰るための魔力が必要といえば必要だけど、そっちはちょっと休めばいいので度外視である。
手を握りしめたり開いたりを繰り返しながら肩を回してウォーミングアップもどきをしていると、スクレールが首を横に振る。
「奴隷の首枷は、ディスペライで外せない」
「そうよクドーくん。厳しい話だけど、奴隷の首枷は一度つけたら二度と外せないのよ?」
「そんなの誰が決めたんですか? 要はそれだって、魔術がかかって外せなくなっているだけでしょ?」
「そうなの?」
「……えー、なんですかアシュレイさん? 適当言ってたんですか? うわー、ひくわー」
ちょっとオーバーな感じに肩を抱いて非難の視線を向けると、アシュレイさんは自分のせいじゃないと言い訳するかのようにバタバタと騒ぎ始める。
「だ、だって奴隷の首枷が二度と外せないのは常識なのよ!? 私だってずっとそう聞いてきたし、ギルドのマニュアルにだって……」
「でも僕はそんなこと聞きませんでしたよ?」
「それ誰情報なの?」
「言葉を返すようですが、アシュレイさんの方は?」
「冒険者ギルドの、戦闘奴隷に対する基礎情報だけど……」
「ふぅん」
と、適当な息を吐いて、それっぽいことを口にする。
「――魔術とは、魔法使いが因と果の間に綱を渡すことによって、尋常ならざる結果を生み出す行為である。つまりこの首枷にも、彼女を束縛する魔術がかけられている――束縛されているという事実があるため、因と果、原因と結果の間に渡された綱が確固として存在する。なら、それを断つことができれば、結果を断つことも可能である……ってね」
……とかなんとか、ちょっと大きいことを言ったが、これ全部師匠の受け売りである。現代日本の高校生である僕がこの世界で魔法をちょっと他より上手く使えるのも、この世界に来たときに魔法を教えてくれた師匠のせいなのだ。……そう、「おかげ」ではなく「せい」なのが、まあ大変なところなんだけど。
いままでの会話を黙って聞いていたスクレールが、不安そうな目で見つめてくる。
「……ほんとに、大丈夫なの?」
「まあまあ僕に任せなさい。そのためにここまでマジックポーションを温存してきたんだから」
そう言って、サファリバッグではなく、魔術の収納空間『虚空ディメンジョンバッグ』から、ありったけのマジックポーションを取り出して、がぶ飲みする。もちろんマジックポーションとは普通のポーションと違って魔力を回復するだけのポーションだ。がぶがぶがぶ。
「うっぷまずっ……あー、こんなにマジックポーション飲んだの初めてだよーげぷーっ」
「ちょちょちょクドーくん! それハイグレードマジックポーションじゃないの! 一瓶金貨五枚する!」
さすが金の亡者は高価なものに敏感だ。フラスコ四つ――お値段日本円価格二十万相当も一気に飲んだため、見過ごせなかったのだろう。
空になったフラスコをディメンジョンバッグにしまい、首枷に手の平をかざしてディスペライをかける。
「~~~~~~~」
みょうちきりんな発音の呪文を唱えると、首枷は淡い光に包まれ、スクレールの首から分離。カラン、カランと床に転がった。
「外れた……」
「よかったー。二十万円無駄にしなくて。ほんと学生には目玉の飛び出る金額だもんねー」
おどけながら、ほっと一息つく。任せなさいと言った手前、外れなかったら超かっこ悪いし、それにハイグレードマジックポーションの無駄になる。それは金銭的も精神的に痛いことだ。お金は全部迷宮で稼いだものだから、そんなに未練はないのだけれど。
目を向ければ、スクレールは外れた首枷を呆然と眺め続けている。
そんな中、アシュレイさんが、
「すごい……というかクドーくん。そんなすごいことできるんならもっと早く外してあげれば良かったんじゃない?」
「あのアシュレイさん? 無茶言わないでくださいよ。ボス級倒して、回復魔法かけて、魔力超少ない状態だったんですから。その上ディスペライなんてどんだけ魔力消費するかどうかわからないような魔術かけたら、迷宮で遭難決定ですよ。いまだってもう魔力だいぶ少ないんですからね? ハイグレードマジックポーション四つも飲んだのにですよ?」
「えっと……ポーションの話はこの際置いとくとして……四腕二足の牡山羊を倒したの? 逃げてきたんじゃなくて?」
「そうですよ。そうじゃなかったら、彼女を連れて帰ってこれるわけないじゃないですか」
当たり前だ。あんなの倒さず逃げられるわけがない。自分より動きの良さそうなスクレールが逃げ出さなかった時点で、どうにもならないことは明白なのだ。
「……あのー、クドーくん? レベルはおいくつになられたのかなー? お姉さん気になるなー」
「33です。はいこれ証明書」
証明書。この世界に来たときに神様から渡された、レベルとモンスター撃破数が自動記載されたこの世界で生きる者の金属板を見せる。すると、アシュレイさんが大きなため息を吐いて、
「ねぇ、もうそろそろランク上げようよ。レベル33の魔法使いでランク3万台なんておかしいのよ? そこわかってる?」
「わかってますけど、めんどいんでいいです」
「相変わらず変わってるわ、クドーくん」
アシュレイさんはそう言って、また大きなため息を吐く。聞こえよがしに。その気持ちはわかるけど、ランクの順位を上げると面倒なことに巻き込まれるのは火を見るより明らかなのだ。勧誘ならまだしも、やっかみや嫌がらせ等々、そんなことあったら正直チキンの僕には堪えられない。僕はこの世界でまったりとした異世界冒険者ライフとレベリングの快感を楽しみたいだけなのだ。
とまれ、いまはそれよりも、だ。
「それでアシュレイさん。急で申し訳ないんですけど、彼女を冒険者登録してあげてくれませんか?」
「……っ、勝手に」
呆けていたスクレールが、勝手に話を進められたせいか怒りを表情に出す。だがそれには、アシュレイさんが口をはさみ、
「確かにそれはしておいた方がいいわね。冒険者として登録すれば、一応ギルドの管理下に入るから、おいそれと奴隷にはできないわよ?」
冒険者になれば、その時点で冒険者ギルドの管轄下となり――ギルドの人的資産となる。迷宮から貴重な素材やモンスター除けに使われる核石を持ち帰る人員だ。それを無視して勝手に奴隷にすれば、奴隷商人が冒険者ギルドにケンカを売ることになるのだ。誰だって資産を横からかすめ取られれば、怒るのは当たり前。さすがにそんな無茶なことをする奴隷商人も、いはしないだろう。
冒険者ギルドも、相応の金と権力というやつを持っているのだ。
「それでこれ、登録に必要な担保金……の代わり」
「これは……」
「四腕二足の牡山羊の核石……」
ボスを倒して確保していた核石を、一時担保金としてアシュレイさんに渡す。冒険者登録をするのにも相応の手間がかかるし、冷やかし悪戯防止のため、一時的な担保金を供出する義務があるのだ。もちろん、今後本格的に冒険者活動が開始されると、素材や核石の交換時にちゃーんと返って来る。
そしてモンスターの核石はモンスターの体内にある結晶で、特殊な魔力を持っているため相応の価値があり、売買の対象になる。特殊な加工をしなければいけないが、これの持つ特別な効果は主にモンスターを寄せ付けない『モンスター除け』であり、大きければ大きいほどその効果は高い。
加工しないと迷宮内では効果を発揮しないから、出るまで大荷物になるんだけどね。
「じゃあ僕これから試験勉強しなくちゃだから、あとお願いしますね」
そう言って踵を返し、早々に退散することにする。憂鬱だが、勉学は学生の義務であるため、帰らなければならないのだ。
あとのことは全部アシュレイさんに丸投げして、そそくさといなくなろうとすると、袖がくいっと引かれた。見返れば、うつむいたスクレールが袖をぎゅっと握りしめていた。
そして、
「……どうしてここまで? 奴隷一人に、こんなバカみたいにお金使って」
「ちょうど懐具合に余裕があったからね。お金に困ってたらこんなことしてなかったかも」
「でも」
「……僕は迷宮に来るのが楽しみなんだ。そんなところで後味悪いことは極力ごめんなの。ほとんど自分のためだから気にしないで」
この世界で手に入れたお金は全部あぶく銭って割り切っているし。
それでも何か言いたげだったので「じゃあ少しずつでいいから、冒険者として稼いで返して」と言うと、スクレールは袖を放してくれていた。
ギルドの出口でふと何気なく振り返ると、彼女が深々と頭を下げていたのが見えた。