第9階層、エロに敗北した者の末路。約11000文字。
【登場人物】
九藤晶……主人公。異世界に来てレベルという概念を得てからは、レベル上げに勤しむ。しかし、レベルを上げて何をするかという目的などは特にない。強いて言えばレベルを上げることが目的。レベリング中毒者。レベルは34。雷を操る紫の魔法使い。
師匠……黒い靄をまとった女性。晶の前にしか姿を現さず、彼に魔術を教えている。レベルは不明。闇を操る黒の魔法使い。
学校帰りの夕方。
さて今日も楽しく迷宮に潜ろう、経験値を稼ごう、レベルを上げようと、僕は冒険者ギルドの建物を目指して意気揚々と通りを歩いていた。
道の両脇に軒を連ねるお店に目を向けると、店員が冒険者目当てに物を売りつけようと躍起になっていたり、反対に冒険者はと言えば、それをなるべく安く手に入れようとどうにかこうにか理由を付けて値切ろうとしていたりと、どちらも必死だ。生活が懸かっているのだから、ヒートアップも無理からぬことだろう。
まーそんなこんなで、フリーダの町はいつも賑やかだ。賑やかすぎて、お店が何かしらイベントをやるだけで、道を通れなくなることもしばしばあったりする。それゆえ、路地に入って迂回することも結構頻繁で、今日もそんなちょっと面倒な日であった。
「あーあ。まただよ。毎度毎度どうにかならないかなこれ……」
大店が安売りでもしているのか。客が往来も構わず、わっと詰めかけており、真っ直ぐ通るのは難しそう。ここはこんなことが頻繁にあるのだから、フリーダの行政府も道幅の拡張工事に力を入れて欲しいとは思うけど、土地が余ってるわけでもなしそれは叶わぬ願いだろうか。
あーあめんどくさいなぁダルいなぁとか思いつつ、ため息をつきながら脇の路地へと入り込む。
フリーダの路地裏は、賑やかな表と違ってかなり静かで寂れていて、汚れているところも多いし、そしてなにより危なそうな人たちとか超危なそうな人たちとかがたむろする危険地帯でもある。もちろんそんな場所を通ることなんて、臆病でヘタレな僕にはかなりのハードモードもしくはエキスパートかナイトメア。そのため、周囲の警戒は怠らないし、通るときは汎用魔法もかけまくりだ。動く速度を向上させる『超速ムービングアクセル』をかければガラの悪い人たちに絡まれてもダッシュで逃げられるし、打たれ強くなる『堅身ストロングマイト』をかければちょっとやそっと殴られてもへいっちゃらだ。
何度か絡まれたことはあるけど、逃走率はほぼ100%と言っていい。
それでも事実、回避できない恐怖というのは存在するのだけど。
「――ところでアキラ」
「どわ! 急に出てこないでくださいよ師匠! 心臓止まるかと思ったじゃないですか!」
警戒しながら歩いていても、僕の影からにゅっと飛び出てくる師匠こと、ベアトリーゼ・ズィーベントゥリアはどうにもならない。今日も今日とてどこでどうやって僕の影にとり憑いたのか、夕日で伸びあがった僕の影からひょっこりと現れた。
僕が心臓のバクバクを抑えようと胸に手を当てていると、師匠はせせら笑いながら、
「急に出てくるなと言われても困る。それはわたしに出てくるなと言っているようなものだ」
「突然視界に入って来るのを止めて欲しいんですって。びっくりするから。できれば何か前兆とか起こしてくださいよ。魔力的なのとか、震動とか、発光とか」
「わたしは自然災害かなにかかよ」
どっちかって言うとお化けですけど。とまあ師匠はそう言うが、声音はやっぱり愉快そうだ。僕をおちょくるのが楽しいのだろう。いつか見てろ。こんなこと絶対口には出せないけど。まず出したら死ぬ。いろいろと。特に股間とかは結構ヤバそうだ。ひゅんとなる。
とまあ、それはともあれ、ほんとこの人は一体なんなんだろうか。靄のような影をまとった女性。たぶん、人間の。身体は頭のてっぺんから足のつま先まで黒い靄に覆われており、その全容はまるでわからない。時折、黒い靄の隙間から、切れ長の赤い瞳や、ほっそりと整った輪郭、美しい肌が見える。目に見えてわかる若々しさとみずみずしさ。童顔だとしても、ちょっと年上くらいかと思われるが――ただ、性格が悪魔だから、本当に人間なのかどうかはまだ量り兼ねている。だから、たぶんなのだ。
「師匠。また核石が欲しいんですか?」
「そうだ。まあ、安心しろ。今回は簡単なヤツのだから。な?」
そんな猫なで声を出して、背中からぎゅっと抱き着いてくる師匠。果たして僕は気に入られたのか、いや、それとも魅入られたのか。
……真っ当に考えて魅入られたんだろう。
それはそうと、
「その、いつもいちいちまとわりついてくるのは……」
「サービスだ」
「へ?」
「だからサービス」
ということは、
「……そ、それって、僕へのですか?」
「は? 何を言ってる。わたしへのサービスに決まってるだろ?」
「あ、そっち」
サービスというからてっきり僕への労いかと思ったけど、そうではなかったらしい。自分へのサービスということは、知らないうちに魔力かなにかでも吸収でもされているのだろうか。ときどき頬ずりしてきたり、ほっぺや首筋を甘噛みしてきたり、吸いついてきたりするから、あながちないとは言えなさそうだ。
「ま、お前がこれをサービスだと思ってるってことは、くっつかれるのは嫌じゃないんだな。くくく……」
「くっ、否定できないことがなんかすごく悔しい……」
「でも気持ちいんだろ? ん? 感じちゃうんだろ?」
「ちょっと師匠某真紅みたいな台詞と展開は勘弁してください……」
それを言っていいのは女の子だけだろう。僕は言えない。気持ち悪い。
というか師匠は身体をぐいぐいと押し付けてくる。ヤバい。主に股間が。
前かがみにならないといけなくなる前に、話題を逸らさなければと考え、すぐに訊いておきたいことを思いついた。
「師匠師匠。どうして僕が一緒じゃないとダメなんです? 迷宮に潜ってモンスター倒してなんて、足手まといの僕を無理やり引っ張っていくよりも、師匠一人でやれば済むことだと思いますけど?」
そう、師匠は強いのだ。それもめっちゃ。レベルがどれくらいあるかはわからないけど、随分前に迷宮深度30の階層に出てくる『火炎男爵』という人型の炎が貴族っぽい格好をしている意味不モンスターを鼻で笑って一瞬で消し去ったことがある。ばかりかそのあと「こんなの百や千倒したところで、経験値の足しにもならないな」とさえ言ってのけたのだ。
僕ならそれだけ倒せばレベルが10くらい余裕で上がりそうなものだけど、足しにもならないということは、ヤバいレベルであるということは想像するに難くない。
そんなわけで、一人で深い階層に行けば問題ないと常々思っていたのだが――
「できるならそうしているさ。わたし一人じゃ迷宮に潜れないんだよ」
「なにか不都合でも?」
「まあな」
そのあとは何も口にしない。なら、切り口を変えるか。
「あの師匠? いつも訊いてることですけど、師匠はどうしてそんなに核石を欲しがってるんですか? あれってモンスター除けにしか使えないって聞きましたけど」
核石を集めているからと言って、師匠がモンスター除けに使っているとは考えにくい。だって師匠ならモンスターなんて近づかせないようにするまでもなく、強すぎて近づいてすら来ないはずだ。それなら核石なんて必要ないと思うのだが――
「……いろいろあるんだ。いろいろとな。それも含めてそのうちちゃんと話してやるよ」
「またはぐらかしたー」
不服そうにぶーたれても、師匠はせせら笑いを続けたまま、全然答えようとはしてくれない。一体どうして必要なのか。理由くらい教えてくれればまた僕のやる気も違うのだけど――どうしても話したくないなら仕方ないか。
「それで、どうだ?」
どうだもなにも、いやだと言っても無理やり連れていくクセに。
こうなったら、仮病作戦である。
「あ、うう……今日はちょっと、調子が悪くて……」
「そうか? 今日も元気に迷宮に潜ろうとしてたように見えたけどな?」
さっきの軽い足取りを見られていたか。しかし、
「いやーなんか急激に体調がおかしくなっちゃったんですよ。急に、あ、いたたたた……」
「へぇ? また私が核石が欲しいと言い出したから萎えたと。まったく都合のいい身体だよ」
「なんか師匠が都合のいい身体とか言うとそこはかとなくエロく聞こえるんですけど」
「さて、そんな都合のいい身体をもとに戻すにはだ。どうすればいいかな?」
「さ、さあ? 無理なんじゃないですかね?」
だから、今日は見逃して欲しい。なんか今日は大変な目に遭いたくないのだ。今日だけじゃなくて、いつもだけども。
すると、師匠はなにか思いついたようで、
「――そうだな。今日は技を教えてやる他に、おっぱいを触らせてやるよ」
「…………へっ!?」
師匠はいまなんと言ったか。おっぱい。おっぱいだ。お……。
「お、おっぱいですかっ!?」
「ああ」
「おおおおっぱいってその、女の子の胸に付いてる、あ、ああ、あれですよね? あれ!」
「そうだ。わたしにも付いてるのは確認しなくてもわかってるだろ? さっきから当ててたんだしさ」
はい。柔らかく弾力のある感触ががっつり背中に当たってましたとも。
つまり、それを、手で触らせてもらえる……。
「ごくっ……」
「ふふん、どうだ? それなら調子もすぐよくなるんじゃないか? なんせ都合がいい身体だもんな」
「い、いやー、それはどうですかねー?」
とぼけてみるけど、ついつい動揺が表に出る。視線を逸らして、さらに泳がせてしまった。無理だ。そんなことを言われて平静を保てるほど、僕は神経図太くない。
「せっかく触らせてやるって言ってるんだ。こんな機会もうないかもしれないぜ? ん?」
「え、えーっと……」
師匠は、僕に向かって胸を突き付けてくる。靄がかかってやはり全容は見えないけれど、時折その隙間から見えるボリューミーな双丘が、僕の本能をダイレクトに刺激してくる。
「ほら、うんって言ってしまえよ。うんって」
「ししししし師匠! 迫ってこないで!」
叫んだけど、師匠は聞いてくれない。圧倒的な力で押し切るつもりか。
だけど、僕も男。そうそう簡単に頷くとは思わないで欲しいね。
●
とまあ結局のところ、迷宮に行くのか行かないのかどうなったかと言えば。
「おっぱいには勝てなかったよ……」
僕は師匠の提案を飲み、迷宮に来ている。つまり、誘惑に堪え切れず頷いてしまったのだ。仕方ない。世の男の子ならわかってくれるだろう。スケベだって言いたいなら言うがいいさ。男がおっぱいの誘惑に勝てないのは恥じることじゃないはずだ。
「それで今日の敵はなんです? 今日はもうなんでも倒しちゃいますよ? こいやおらー!」
「さっきとは打って変わって随分とやる気を出したなおまえ。そんなにわたしのおっぱいを触りたかったのかよ?」
「え? あ、あはは……」
もうその件については触れないでください。あ、もちろん触る件はなかったことにはして欲しくはないんですけど。
「だけど、そうだな。この手は使えるな」
「そう簡単に釣られると思わないでください。――がんばりますよ?」
「おい、前後の文脈が合ってないぞ?」
それは仕方ない。僕は正直なのだ。己の欲望に。
ともあれ、今日来ている階層は、ガンダキア迷宮は第1ルート、迷宮深度14の『巨像の眠る石窟』。レベル10~20前後の低、中級冒険者たち狩場であり、迷宮の観光スポット階層ともいえるような場所だ。巨大な洞窟の中に、10メートルを超える人を模した巨大な像が並んでいる。イメージは地下に造られた霊廟とかそんな感じ。いるだけで圧倒されるすごい場所。次の階層は第1ルートの鬼門なのだが、それについては、今日は関係ないので割愛しよう。
ここは低、中級冒険者の狩場であるため、それよりも多少レベルが高い僕にとっては難度の低い階層である。だからと言って油断はできないけど、まあでもここに出てくるモンスターのほとんどは余裕で倒せてしまうのは事実だ。
「師匠、それで」
再度今日のターゲットは何なのかと訊ねると、師匠は一歩前に歩み出て、暗がりの石窟の隅の方を見やる。そして、
「あいつだ」
そう口にした。
しかしてそこにいたのは、ここ『巨像の眠る神殿』の代表的なモンスター『苔むした石獣』だった。見た目は、東南アジアにあるようなデフォルメされた魔除けの像に、大きな台座と緑の苔が追加されたような灰色の置物で、普段は見た通り石像に擬態しており、近づくともともとの色身を浮き上がらせて動き出すという、トラップじみた性質を持ったモンスターだ。もちろん、ガーでゴイルなヤツかお前は的なツッコミは前に一度入れた。
通称『もっさん』。デフォルメされた獣の顔がどことなくおっさんっぽいので、もっさんと名付けられたらしい。日本語と異世界言語の翻訳関連に関しては非常に疑問を抱かざるを得ないけど、それはともあれ。
この『苔むした石獣』。一見して石像にしか見えないけれど、精錬された鉄のように固く、やたら頑健という特徴を持つ。そのため、戦士職などはバトルハンマーやメイスなどでしこたま殴らないと倒せないし、仲間も呼び寄せるという能力を持つことから、めんどくさい敵とされている。
なのだけど――
「あいつ?」
「あいつだ」
「……え? ほんとにあれですか?」
「そうだ。簡単だろ?」
「いや、まあ確かに簡単っちゃあ簡単ですけど……」
そう、簡単なのだ。それは僕のレベルがこの階層の適正レベルよりも高いからというわけではない。単にあの『苔むした石獣』こともっさんが、魔法にやたらと弱いのだ。それも、鉄の如き堅さを持つ石像にもかかわらず、火力が低いとされる緑の魔法でも、簡単に輪切りにできて倒せてしまうという難度の低さ。僕も雷をちょっぴり打ち込むだけで、砕くことができてしまう。堅いんだか脆いんだか。
そして僕の困惑の理由は、師匠が提案するものにしてはあまりに簡単すぎるところにある。だって師匠はいつもいつも強い敵、面倒臭い敵と戦わせるのだ。にもかかわらず、こんな魔法使いウェルカムな敵を指定するなど、不思議で不思議でならない。
ともあれ、師匠としては、
「魔法使いでなければ強敵なんだがな」
「確かに」
まあ苦戦するだろう。破壊が間に合わなければ、どこからともなく仲間が湧いてくるのだから大変なことこの上ない。僕も魔法使いじゃなかったら、この階層に踏み込んだあたりでかなり警戒していただろうね。
「相手としては不服か?」
「いえ不服というわけではないですけど……」
「簡単すぎると。じゃあお前がよく言う『縛り』とやらをやってみようか?」
「うえ!? あれにですか!?」
「ああ。汎用魔術を使ってもいいが……そうだな、素手で倒せ。殴るか蹴るかだ。それなら、簡単じゃないだろ?」
「うわ、やぶへびだったかも……」
「汎用魔法でしっかり強化すれば倒せないほどじゃないはずだ」
「でも石像を殴ったり蹴ったりって見た目的になんかアホっぽいような」
「その光景は生温かい目で見てやるよ。バカっぽいなーって感じでな。バーカ」
先に言うのか。
「ひどい」
生温かい目で見るというよりは、それは面白がって見る方ではないか。薄く笑い出す師匠。
とまれ、僕もやぶへびとは言ったけど、この縛りの条件でもちゃんと倒せる。魔術で強化していいという時点で、縛りの難度は格段に下がっているのだ。だけどここで「あんなの軽いっすよ。ザコザコザコザコよゆーよゆー」なんて調子に乗って言ってしまうと、次はもっと難しくされてしまうことは目に見えているため、ちょっと自信なさそうにしておいた。これは自衛だ。決して卑怯ではない。……いや別に卑怯でもなんでもいいんだけどさ。
さて、
「魔術階梯第三位格、雷迅軌道!」
「む?」
僕が魔術を使ったおり、師匠が声を出して反応する。師匠の予想に反し、汎用魔術を使わなかったためだろう。
そう言えばこの魔術、師匠の前では使ったことがない。初出である。
――雷迅軌道。以前は醜面悪鬼と戦った際に使っただはずだ。汎用魔術の『超速ムービングアクセル』からヒントを得て作った属性魔術で、使用すると雷光の如き移動速度と打撃力を獲得できる。もちろん『超速ムービングアクセル』に比べて必要魔力はすんごい多いんだけど、その効果は絶大だ。いまのところではあるけれど、これまで戦っているほとんどのモンスターは、この速度について来られていない。ただ、あまりに動きが速くなってしまうせいで、移動が直線的になってしまったり、制御が難しかったりするのだ。あと靴の底がすごい勢いですり減るから、僕のお小遣いもすり減る。それがこの魔術のネックだろうか。完璧な魔術を作るには、僕にはまだ戦闘の経験が足りなすぎる。
とまれ、必要なスペルを唱え終わると、僕の身体から稲妻が立ち昇り、薄暗かった洞窟内が一気に明るくなった。やがて身体にほどよい電気刺激が伝わり、魔術が完全に乗ったことを把握。一度助走をつけるため、後方に大きく飛んで着地、そして目標めがけてダッシュし、地面を蹴って飛び上がった。
「イナヅマキィィィィィィィック!!」
もっさんに食らわせるのは、体重をしっかりと乗せた飛び蹴り(ラ〇ダーキック)。遠間から、それこそ雷光の速度で、ぶち当てる。ヒーローキックの練習は小さなころに幼馴染みに死ぬほど付き合わせられたため、フォームは完璧。
もちろん『もっさん』に完璧なそれをかわす術はない。『巨像の眠る石窟』の不思議モンスターは僕に気付くこともなく、さりとて石像に擬態しているため動くこともできずに、岩壁までぶっ飛んで行った。遅れて、衝突音と破片が暗がりから跳ね返ってくる。命はない。もとからもっさんに命というものがあるのかどうかは定かではないけれど。
すぐに砕け散ったもっさんのもとに駆け寄って、核石を回収する。
そして、師匠の方を振り返ると、どこかいつもと違う神妙な雰囲気をまとっていた。
「…………」
「どうです? いまのなら、縛りの条件が達成されてると思いますけど?」
接近戦を肉弾戦のみとするならば、これは離れた間合いからぶっ飛んで攻撃しているため、もしかしたら遠距離攻撃のカテゴリーに入るかもしれないけど――一応蹴って倒したのだからOKだろう。
「そうだな。合格としておこう」
「やった!」
師匠から合格と言われ、反射的に喜びの声を上げてしまう。これまで褒められること自体が少なかったし、なにより師匠みたいにめちゃくちゃ強い人から合格とか言われると、やっぱり嬉しくなってしまうのだ。これまで及第点が多かったしね。
すると師匠が、
「今回はこれに関する技術を教えようと思ったんだがな」
「これって」
「接近戦だな。だけど、お前にはそれほど必要はなさそうだ」
そうなのだろうか。魔法使いできる接近戦の技術というのには、少なからず興味があるけど――
「アキラおまえ、わたしに言われなくても接近戦闘の技術を取り入れたのはなぜだ?」
「だって魔法使いが接近戦をするのって、ロマンあるじゃないですか?」
「ロマンか」
「ええ。遠距離専門の人間が敵に突っ込んで無双するのがカッコイイっていうか、そんなヤツです」
「ガキっぽい理由だな。だが、それでおまえも接近戦闘を?」
「僕のはただ猛スピードで突っ込んでぶっ飛ばすだけだから、接近戦闘なんて言えるようなものじゃないですけどね。さっきのだって、正直言えばグレーだったんじゃないですか?」
僕がやる接近しての攻撃は、雷迅軌道を用いて、イナヅマキックをぶちかますか、以前使用した『浸透せし遠雷の顫え』を最接近して使うかの二種類しかないのだ。基本一撃離脱で、格闘しているわけではないため、師匠の考えているものとは齟齬があると思われるのだけど。
「いいや? 私はそうは思わないけどな?」
「そうなんです?」
「お前、自分で作っておいてわかってないのかよ?」
「ええと……」
「その魔術は、要はムービングアクセルの延長線上のものだろ? 多少動きの自由度は下がるかもしれないが、応用はしやすいはずだ。お前みたいにどれだけ格闘技術がハナクソでも、適当に殴るだけで大抵のヤツはいまみたいに倒せてしまう。違うか?」
「確かに……言われてみればそうですね」
雷迅軌道を使えば、動きがやたら速くなる。師匠が言うのは、それを利用して敵に張り付き、目にも止まらぬ動きで相手を倒してしまえということなのだろう。相手がついて来られないような動きであれば、よほどの相手でない限り、分はこちらにあるということだ。
だけど――
「どうした?」
「いえ、師匠が接近戦とか重視してるのがちょっと意外で」
「そうか? 魔法使いが近付かれたら不利を被るのは常識だろ? だから、接近戦が出来なくても、対処法は必要なんだ。それに魔法使いが接近戦にも対応が利くというのは、対人戦にも効果があるしな。まさか魔法使いがこんな戦い方をって思わせることができるだろ?」
「そりゃあ魔法使いが接近戦闘なんて考えないから虚は突けるでしょうけど、僕は人相手に戦ったりはしませんよ」
「強くなれば、そうも言っていられなくなる。そうじゃないか?」
「まあ、いろいろ絡まれたりは……するんでしょうね」
「する。それは絶対だ。人と嫉妬とは決して切り離すことはできないものだ。どんな聖人君子だろうと、少なからず嫉妬を持つ。持たない者は人ではないが――ま、それはいまはどうでもいいな。強くなれば、自分の力量を見せる機会も出てくるし、それが人の目に晒されれば、嫉妬からは逃れることはできない。では、そうなったとき、だ。お前の嫌いな面倒なことになるのは目に見えているってことさ」
「後学のためにそういったときの解決策を教えて欲しいでーす」
「そんなの簡単だ。殺せばいい」
そうですねー。殺せばいいですよねー。殺してしまえば死人に口なしで……。
「…………」
「どうした? 急に黙り込んで?」
「あの……師匠? 殺すっていくらなんでも物騒すぎやしませんかね?」
「そうか? それが一番手っ取り早いだろ?」
「いやダメですから。殺すとか人道的にいかがなものかと思うなー僕なー」
「この世の中、人道もクソもないと思うけどな」
「まず第一にどういう思考をたどったらそうなるんですか?」
「絡まれたらムカつく。ムカついたら殺す。以上」
なにこの論法。超怖い。
「師匠、もっと別の方法とか模索しましょうよ?」
「じゃあ再起不能だ。これなら後腐れない」
「……いや、あの、ですね。まず物騒なところから離れて下さいよ。ほんとお願いしますから」
しかし、僕の涙の訴えが聞き入れられることはない。師匠マジ非道。考えを変えるつもりはないようで、殺すか再起不能のどちらかしかないの一点張りだった。
「――だが、魔法使いがいつか直面する危機は、何も近接戦闘だけじゃない」
「あ、この件、流しちゃうんですね」
「ああ」
有無を言わさない一言が返って来る。もうこの件は触れるなということか。もう議論して仕方ないか。
「…………それで、魔法使いの危機というと?」
「そのまま、魔法使いだ」
「自分よりレベルが高い魔法使いってことですか? 出くわさないのは不可避だから、それに逆転できる一手を持っておけと?」
「それもあるが、そういった小癪なのはお前の専門だろ? そこはわたしが教えなくても考えろよ」
「ま、そんなのに会ったら逃げるんですけどね」
「お前らしいな」
「僕に殺す覚悟とかまだ早いですし」
「じゃあ訊くけど、もしそのときが来たらどうするんだよ?」
「それはそのときに考えますよ。別に無理していますぐ答えを出しておかなくったっていいじゃないですか。きっとなるようになりますって」
「楽観的だな」
仕方ない。だってそんなの起こってみないとわかんないし。
「……それで、師匠が言いたいのは?」
「魔法使いに数で取り囲まれたときにどうするかだ。……そうだな。もし包囲されて、一気に魔術を撃たれてしまったら、お前はどうする?」
「防御の魔術を使いますね。バリアーとか、シールド的な」
「なら、そのあとは?」
「そのあと、ですか?」
「そうだ。防御の魔術を使ったあとのことを考えてみろ。お前はどうなる?」
「防御の魔術を使ったあとは…」
そんなもの、相手の魔術が止むまで、防御に徹するだけだ。
「あ――」
「気付いたな。そうだ。そこで防御に徹してしまうと、お前は倒れるまで魔術を撃たれ続けることになる」
確かにそうだ。多数の魔法使いを相手にしているのだから、タイミングをずらされて絶え間なく魔術にさらされることになる。相手方の魔力の総量よりも、魔力が多ければ問題はないだろうけど、そんなことはまずあり得ないわけで、連続エネルギー弾の如く撃ち込まれて動きを封じ込められる。受け手に回った時点でまず間違いなくジリ貧だ。抜け出す機会も見つけられず、そのままゲームオーバーだ。
「これからお前に教えるのは、そんな状況を打破するための手段の一つだ。もっとも、そうなった場合逆転ではなく逃げるために使うことになるだろうけどな」
「さすが師匠! 是非教えてください!」
「現金だよなお前。安全とか、逃げるとかって話になると特に」
「だってその方がいいじゃないですかー。相手を痛めつけるよりも安全だしー」
「人間相手だと嫌か。臆病だな」
「僕がヘタレなのは師匠も知ってるでしょ? それで、その技っていうのは」
「ちゃんと教えてやるよ。だが、その前にまずは、だ」
「あ、あれですね」
師匠が言わんとしていることを察し、彼女から距離を取る。そして、
「――死と誘惑の黒母神オーニキスの加護を受けし魔導の輩、ベアトリーゼ・ズィーベントゥリアが参じて紡ぐ」
「――全能と裁きの紫父神アメイシスの加護を受けし魔導の輩、九藤晶が拝して唱える」
カツン、と杖を伸ばされた影へと打ち付ける。この中二的なやり取りにも慣れてきた。
……決して開き直ったわけではない。決して。
「では、これからお前に教える魔導、それはフォースエソテリカ」
「フォースエソテリカ……」
「そうだ。体内で圧縮させた魔力を一気に爆発させて放出し、相手が放った魔術を消し飛ばす技だ」
「いまいちピンとこないんですが、それで相手の魔術を相殺できるんですか?」
「もっともな疑問だ。まあ多少かっこはつけたが、要するに相手が放った魔術に強力な魔力をぶち当てて、因果の綱に綻びを与えようってことだ。魔術に魔術をぶつけると、相殺することができるだろ? 要はそれと同じだ」
それなら、魔術をぶつけるのと結果変わらないと思われるが――
「なるほど、魔力を素のままぶつける分、魔術を使う手間が省けるから、すぐに次の行動に移れるってことですね」
「そうだ。それで相手を吹き飛ばすこともできるしな。もちろん相手の使った魔術の位階が高ければその限りじゃないが」
「そのときはどうせ負け決定でしょうしね」
「そうだ。じゃ、やるぞ」
「へ――?」
気付けば、師匠の周りには黒い闇の力がいくつも漂っていた。
――いつの間に魔術を使ったのか。洞窟内の暗闇とはまた別種の真っ黒な魔力の塊。まるで目玉の抜け落ちた眼窩のさながらにがらんどうとしており、のぞき込めば吸い込まれてしまいそうなほど深くある――
いや、いまはそんなことを考えている場合じゃない。
撃たれる前に、先ほど言われたように体内の魔力を一気に身体の外側に開放しなければ、大怪我じゃすまないことになる。
ふと、黒い靄の隙間から見える師匠の口元が、ニヤリと弓なり釣りあがった。
「うわぁあああああああああああああ!!」
殺到する黒の魔術に間髪も容れず魔力を放出する。
死に物狂いで放出した魔力は、なんとか師匠の魔術を相殺した。
「そ、そんな、いきなりやるなんて……」
「いきなりもなにも、やると言ったじゃないか?」
「だからってこの威力のヤツのこんなにしたら死ぬわー! このドS鬼畜魔法使い!」
「おいおい、おまえ、叫んでていいのかよ? わたしが一回だけで終わらせると思ってるなら、勉強不足だぜ?」
「ま、待って! ちょっと待って!」
僕は切羽詰まった声を出したけど、当然聞き届けられるわけがない。
師匠はニヤッと笑って、
「やだねー」
「この鬼ー! あくまー!」
「ほら、頑張れよ? 生き残らないとおっぱい揉めないぜ?」
「うぉおおおおおおおおおおおお!!」
倒すモンスターはそれほどでもなかった。だけど、師匠のしごきは地獄だった。人生そんなに甘くない。本日の教訓である。
……あと、このあと師匠におっぱいは触らせてもらったかどうかは、語るようなことではないだろう。
師匠はちゃんと約束を守る人だ。それで十分だと思う。ごちそうさまでした。