第1階層、ダンジョンにて奴隷を助ける、その1。耳長少女。約6500字。
――それは、いつものようにガンダキア迷宮で『吸血蝙蝠』をちまちま狩っていたときのことだ。
暗がりの中、やたら器用に飛んでくる『吸血蝙蝠』を、お得意の雷の魔術で「飛行属性は雷属性に弱いのは常識だよね常識ー」と冗談アーンド鼻歌交じりに倒していると、階層の先から数人と思しき悲鳴の重唱が、石の壁面を反射して飛んできた。
ははーんこれは強いモンスターに襲われてピンチなんだろうなー、危なそうだし行きたくないなー、でもモンスターが手負いだったら経験値ゲットのチャンスもとい救助できるかもしれないなー、よし! まだ余力もあるし経験値ゴチもとい人助けをしちゃおう、と、一通り脳内で現状把握と今後の指針を閣議決定し、階層の奥へと踏み出した。
いつもは相性のいい『吸血蝙蝠』ばかりをセコセコ狩っているので、この先の階層にはそう頻繁には踏み入ったことがない。
ここガンダキア迷宮の『暗闇回廊』は、地上に比べ頭オカシイくらいにじめじめしており、この階層特有のすえた臭いとあいまって不快指数が上限を突破。先を進む冒険者の足を阻む一番の強敵はモンスターではなく、その臭いと足もとのネバネバだともっぱらの評判なくらいひどい環境で、それは先に進むほどに強烈になり――つまりあんまり先には進みたくなかったから進んでいないだけなのだ。先に進んだこと自体はちゃんとあるけれど。
ともあれ、
「うっげー、気持ち悪い。なにここなんでこんなに臭いがキツイのさ。いつものとこの比じゃないよこれ。ファンタジー世界で廃墟臭とか勘弁してよ」
などと幻想世界に抱いていた少年の夢がまた一つ壊されて、そろそろ鼻の方もぶっ壊されそうだなーというとき、ドーム状に開けた広場があるのが、暗がりの先に見えた。
サファリハットに装着した登山用ライトをひねって光量を目一杯に上げ、サファリジャケットの着心地を確認。手に持った『長万部のお土産』付きの杖を、一、二回ぶんぶんと振って具合を確かめ、光の示す先へと踏み出した。
――果たして『暗闇回廊』のボス部屋らしき一画、ドーム状の広場には、巨大なボス級モンスターと銀髪の少女が、死闘を繰り広げている真っ最中であった。
「あっちゃー、まずったかも」
経験値に釣られてノコノコやって来たことをちょっとだけ後悔しながら、通路脇の物陰に隠れて、ボス部屋の様子を窺う。
ここ『暗闇回廊』のボス級モンスターは何体かいるが、目の前のボスは山羊の頭を持った四腕二足の巨大な魔人で、筋肉隆々超隆々。ボディービルダーも裸足で逃げ出すような見た目であり、その体躯に見合った大きさのハルバードをぶんぶんと振り回していた。
一方そのボスモンスターと戦っている少女は、同年代くらいの年のころ。長い銀髪を大きなポニーテールにしており、先をくるりとカールさせ、さながらリスの尻尾のよう。拳を武器に格闘戦を挑んでいるのにもかかわらず、身にまとうのはぼろきれのような薄い粗末な服で、身体を鎧うのはゴツゴツとした黒い手甲と脚甲のみである。
そしてそれ以上に特徴的なのは、両の耳が異様に長いことだ。細長くとがった耳の先が下方へ伸び、おそらく十五センチから二十センチほどの長さがある。
「耳長族か……」
――耳長族。ここ異世界ド・メルタでは、美と戦いを司ると言われる『青女神サフィア』に最も愛されていると言われる種族だ。男女にかかわらず美しい見た目を持ち、強い魔力を持ち、強い力を持ち、高い知能を持ち、持ち持ち持ち――つまりなんでも持っているとされるとんでもなく優れた種。そう、ここ異世界ド・メルタの誇るチートなのである。
ただ唯一、持ちすぎているために、他の種族――主に人間から羨望と嫉妬を買い、そのため息が出そうなほどの見た目もあいまって、よく奴隷として取引されているという不遇の種でもある。
いま戦っている少女も、よくよく見れば魔力が付与された首枷と鉄球が付いている。迷宮内に連れてこられているため、おそらくは戦闘奴隷として買われたクチだろう。
「で、その奴隷主は、と……」
この場においては一番にめんどくさそうな相手である奴隷主を探して、ボス部屋内に視線をさまよわせると、銘々武器や鎧を装備した男女が石畳の上に転がってこと切れているのが見えた。おそらく先ほどの悲鳴は、彼らのものだったのだろう。ボスに遭遇して戦ったが、奮戦むなしくご臨終。種族的に優位であった耳長族の少女だけが、生き残って戦っているといった状況に間違いない。合掌。なんまんだぶなんまんだぶ。
とまれ、少女の方もさすがに劣勢だ。奴隷の力を制限する魔力の枷がつけられているため、力を思うように発揮できず、ボスに押されてきている。
「べ、別にかわいい女の子だから助けるとか、奴隷ってやっぱりかわいそうだなとかそういうのじゃないし。経験値。僕は単に経験値が欲しいだけだし。それがここまで来た目的だし」
とかなんとか、口が勝手に言ってしまう。なんとなく善意で助けるというのが、気恥ずかしくなっただけであった。
ともかく、魔力を溜める。ボスはいまもって耳長族の少女に気を取られており、部屋の外のことなどまるでお構いなし。こちらは魔術の使用に伴い魔力の光が漏れてしまうが、ボス部屋はご丁寧に火のついた燭台が大量にあるため、多少光が生まれても気付かないだろう。
あとはボスだろがそうでなかろうが一撃で撃破できる高威力の魔術を放つために、魔力を必要分チャージするのみ。
そしてあとは、少女が倒されないことを祈るだけ。
間に合わなかったらごめんと心の中で呟いて、チャージに集中。
そんな中、少女がボスの強烈な一撃に吹き飛ばされ、壁に叩き付けられた。床に臥す少女。ボスが巨大なハルバードを振りかぶる。少女は動けない。絶体絶命。
――しかし、間に合っちゃうのが、お約束なのである。
「チャージ完了……魔術階梯第四位格、|稲妻の跫音よ突き刺され(アメイシスボルト)!」
杖の先に広がった魔法陣に巨大な雷球が生まれ、そこから幾条もの紫電が迸る。魔力を十分蓄え込み、力となしたそれは過たずボスの方に向かっていき――ボスを貫いた。
紫電がボスの身体を内側から焼いていく。その身が滅び去るそのときまで決して止まぬ稲妻が、断末魔の絶叫を強要させ――やがてボスはその場に倒れて砕け散った。
……後に残ったのは、モンスターの核の部分である結晶と、倒れ伏した少女と自分、そして。
「よし、レベルアップ! ……って、ちょっとなにこれ? 『吸血蝙蝠』狩りなんて馬鹿らしくなってくるぐらい入ってきたんですけど……」
ボス撃破に伴い入ってきた経験値量に目を丸くして、僕、九藤晶は倒れた少女の下へと歩み寄ったのだった。
●
――物憂げなまどろみから、ふいに目が覚める。
どうやら、寝ていたらしい。朦朧とした意識のまま、起き上がって状況を確認する。
果たして、ここはどこか。見回せば、ここがガンダキア迷宮の『暗闇回廊』ではなく、その手前の階層の『黄壁遺構』であることがわかり、その通路の端のくぼんだ空間にいるということもわかった。
おそらく、階層に点在する安全地帯だろう。モンスター除けの晶石杭がびっしりと打ち立てられている。ここであればモンスターが入り込むこともないため、寝ていたとしても襲われる心配はない。
だが迷宮内で寝ていたこと、そして奴隷にもかかわらず眠りに落ちていたことに震えを覚え、無意識に身体を抱くと、過度に柔らかく厚みのある布をかけられていたことに気付く。
布の柔らかさに心をとらわれそうになっていると、すぐ近くに人の気配を察知。そちらへと目を向ければ、見知らぬ少年が不思議な魔道具を使って、お湯を沸かしていた。
「ん? 気付いた? ちょっと待っててね。いまコーンスープ作ってるから」
少年は目を覚ましたことに気付き、そんなことをにこやかに言ってくる。
彼の言う『こおんすうぷ』というのがなんなのかはわからなかったが、人の声を耳にしたことで、徐々に頭にかかった靄が晴れてくる。
「あー、まだおとなしくしていたほうがいいよ? 僕も魔力使いすぎちゃって回復魔法を十分かけてあげられなかったから、ところどころ痛いでしょ?」
確かに、身体に痛みが残っている。ボスの大打撃をもろに受けた記憶があるため、おそらくはそうなのだろう。
それはともかく、
「ここは、どこ? 私は確か、ボスと戦ってたはず……」
「暗闇回廊のボスはめでたく僕と君の経験値になりました。もういません」
「倒したの?」
「君が引き付けててくれたから、魔術を撃つのに必要な分のチャージの時間が十分取れてね。撃破よゆーでした」
少年はなんとも奇妙な口調でそう返す。言葉の通りならば、彼は魔法使いで、助けてくれたのだとも取れるが――
「……あのさ、殺気しまいなよ。まあ、君が人間相手に警戒する気持ちはわかるけどさ」
「うるさい。お前は何者? 助けたのは、奴隷にするためか?」
拳を顎に向かって突きつけると、不思議な格好をした少年は臆病なのかひどくびくついて、焦り出し――
「いえいえいえ! 僕は単にボスの経験値が欲しかっただけですほんとです! キミを奴隷にしようなんてこれっぽちも思ってません!」
「……ほんと?」
「…………すいませんちょっと奴隷にしたらどうなんだろうなーとか妄想しちゃったりしました。てへへ」
正直に白状した少年の首を両手で掴み、無言のまま力を入れる。
「しししししし死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬから! ごめんごめんごめんごめんさない!」
ささやかな抵抗か、わめいてもがく少年。そんな中、怪我のせいか、ふいに腕に痛みが走った。
もういいかと思い手を放すと、不思議な格好をした少年が涙目になって訴えてくる。
「ひどい……結果的に助けたようなものなのに」
「それに関しては、礼を……それよりも」
「それよりも?」
「あいつらは?」
その問いかけで、理解できたらしい。彼は「ああ」とどこか白けたような声を上げて、階層の奥へと目を向ける。そして、
「お亡くなりです。僕が着いたときには手遅れだった。あの様子じゃ迷いなく逝ってるだろうね。あー、こっちで言うと、黒母神オーニキスの御許に抱かれたって言うんだっけ?」
「そう……」
気のない返事を返したが、奴隷主が死んだということで安堵はしていた。これで、奴隷にされたときから一番に恐れていた『奴らの下卑た求め』に応じる必要もなくなったからだ。
すると、少年が、
「やっぱり戦闘奴隷として連れてこられたの?」
問いかけに頷く。そう、自分はつい先日奴隷としてこの町に連れてこられ、あの冒険者たちに買い取られた。そして奴隷の枷が馴染むまでは戦闘奴隷として迷宮で戦うことを強要され、『暗闇回廊』の奥まで行ったのだが――
「ボスが、あいつらの手に余る相手だった」
「耳長族を連れているから、調子に乗っちゃったわけだ。冒険者あるあるだね。強い人間がチームに入ったから、強くなったって勘違いしちゃうやつ」
「たぶん」
そう、彼の言った通りだろう。奴らは手に入れた奴隷が強いから、強い力を手に入れたと錯覚し、警戒を怠ったのだ。迷宮に潜ることを生業とする『冒険者』にあるまじき失態だろう。不思議な格好をした少年も暗闇回廊に向かう通路を、ひどく冷めた視線で見詰めている。ヘタレな性格のようだが、確かに冒険者の目つきに相違ない。戦いに慣れて、いや、迷宮に潜り慣れてドライになった者の目である。
ともあれだ。やはり、気になることと言えば、
「お前は、私をどうするつもり?」
「どうしようかな。僕魔法使いだし、これから無理やり奴隷契約するって言ったら?」
「ブチ抜く」
「ごめんなさい嘘ですすいません許して下さいちょっと出来心で言ってみたくなったんです。殴らないでほんとやめてド・メルタで一二を争う最強種族に殴られたらマジで死んじゃうから」
「…………」
自分で冗談を言っておいて、泣きながら平伏して平謝りをしだす少年。なんのつもりなのかよくわからない。魔法使いなのだから、奴隷を戒めることなど簡単にできるはずなのに。ひどい臆病者なのだろうか。こんな迷宮深くに一人で下りてきておいて臆病者というのもおかしい話だが、こちらの放った武威と殺気に本気で怯えているため、演技ではないのだろう。
彼のころころ変わりすぎる態度にこちらが困惑していると、少年は何かに気付いたように顔を上げ、
「ほ、ほらほら! お湯も沸いたし、コーンスープコーンスープ!」
彼はそう言って、バッグから取り出したカップに、黄色い粉末を入れ、沸かしたお湯を注ぎ始めた。
「なに? 薬?」
「いえいえ、あったかい飲み物です」
渡されたカップに鼻を近付け、すんすんと匂いを嗅ぐ。お湯を注いだ瞬間からおそろしくいい匂いが漂っていたが、この状態はさらにすごかった。身体がそれを欲しているかのように、口の中に唾液が溢れてくる。
……そういえば、まともな食事をしたのはいつ以来だろうか。奴隷に落とされてからは、ずっと粗末な食事しか与えられていなかった。
そんなことを考えていた折、つい喉を鳴らしてしまった。
カップの中身を見ると、そこには湯気を立ち昇らせる黄色いスープと、パンのかけらにも似た小さな粒が入っていた。
カップを傾けると表面がゆっくりと動いたため、とろみがついているのだろう。それを濃厚そうだと思ってしまった瞬間、歯止めが利かなくなる。
見知らぬ人間に渡された飲み物に対して抱いていた危機感が、みるみるうちに溶かされていった。
「飲んでいいから。あ、おかしなものは入ってないからね」
「……もらう」
そう言って、口をつけた瞬間だった。
「!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」
「あー、すごくいいリアクションありがとう」
口の中をねっとりとしたスープが占拠すると、口の中に甘味のようなうまみが広がって……あとは幸せだった。
そして気付けば、カップの中身は空になっていた。
「その様子だと、お気に召したみたいだね」
「これ、なに? こんな飲み物、知らない」
「これの名前はコーンスープ。これは異世界の神ク〇ールが多くの人々とからくりを用いて作り出したと言われる伝説の飲み物なんだ。冬場にホットコーヒーと並んで電車通勤、通学する人々の心を温めることで重宝されている」
「こおんすうぷ……」
伝説の飲み物。大げさな文句だが、嘘には思えなかった。これだけ美味なのだ。伝説と語られても過言ではない。
だが――
「そんな貴重なものを、私に?」
「実を言うと昨日特売で安売りしてたんだよね。ひと箱百円切ったら超安いよね」
「…………騙した?」
「ご、ごごごめんって! 悪かったから拳突きつけないで! ストップストップ! ほ、ほら! もう一杯! もう一杯あげるから!」
そう泣き言のように言って、少年は再び黄色い粉末をカップに入れ、お湯を注ぐ。
「……おいしい。私クノー〇教に宗旨替えする」
「いやクノールなんて神様いないから」
「神様を騙るなんて罰当たり……ええと」
そういえば、この少年の名前を聞いていなかった。
口ごもっていると、少年の方も察しがついたようで、
「僕の名前は九藤晶。九藤が姓で晶が名前ね」
「私は……スクレール」
「スクレールだね。帰り道だけだろうけど、よろしく」
クドーアキラと名乗った彼は、気安げに挨拶をしてくる。不思議な雰囲気を持っている少年だった。いままで会った人間たちは、自分が耳長族とわかれば目の色を変え、下卑た視線を向けてくるにもかかわらず、この少年はそういったいやらしさが感じられなかった。
「それと、これ塩パンね。お腹空いてるっぽいし、食べておきなよ」
「……うん」
アキラからパンをいくつか受け取り、乱暴にかぶりつく。口に入れたパンは非常に柔らかくておいしかった。
ふいに、涙が溢れてくる。
「しょっぱい」
「あるある。ときどきやったら塩がかかり過ぎててしょっぱい塩パン。下手なのに当たったね」
彼は自分の分のスープを作りながら、背を向ける。そんな彼に、ふと、吐息をこぼすように口にした。
「…………ありがとう」
「いえいえ……落ち着いたら、ここを出よっか」
彼の言葉に小さく頷き、やけに塩辛く感じるパンにまた一口、かぶりついたのだった。