カラテル
「何が料理よ。食べ残しの残飯じゃない。あんたなんか死ねば良いんだ」
石田翠が男に言い放つと、皆の視線が男に集中した。
ワタワタと慌てる素振りを見せる男。意外と小物なのかも知れない。
「ああ。っと昔の女。そいつ昔付き合ってた女」
暴言が言い訳に格下げされた。
「嘘です。あんな人知りません」
それこそ嘘ですよね、メイドさん。
迂闊に口を滑らせるところだった。
「おまっ……私の中でビュッビュしてくださいって何度も言ってただろうが。この腐れ娼婦」
「「「ビュッビュ……」」」
幾人かが気になったのだろう。擬音を口に出す。俺は声に出していない。訓練されているからだ。
恥ずかしさからだろうか、男は耳まで真っ赤になっている。
「言ってない。言ってない。そんなこと言ってない!」
私の後ろに隠れている少女は震える声で無実を叫ぶ。第一印象では黒に近い灰色だ。だが、ここで真実を追求することに意味はない。
さて、話は変わるが、立位の人体の重心がどこにあるかご存知だろうか。臍のあたりと答える人は多いと思う。ただし、それは人を正面から見た場合の重心だ。立体の座標を示すには奥行きも考えないといけない。人の重心は横から見ると膝関節と股関節の真上にある。
例えばだ。俺が男の肩を強めに押す。すると男は後方に下がった重心に対し、バランスを取るために片足を後ろに下げざるを得なくなる。この場合は下げたのは右足だ。
ここで俺が残った左足を外に向けて払う。すると、重心は右斜前に傾く。しかし、そこに足を付くことができないので倒れ掛かる。
顔面から落下するのを防ぐために男は両手を前に出す。ちょうど俺から掴みやすい位置だ。
右の袖を掴んで手前に引っ張ると同時に、左前方に一歩進み出る。
この時点で男は左手を前に出して自由落下。俺は男の右の袖を持って男の横に立っている。
後は、軽く腕を捻って、その捻った腕を引っ張りあげることで倒れるのを防いでやればいい。後は五月蝿いのを黙らすために刃物でも添えてやろうか。
「いててて、何しや……」
男は文句を言うのをやめる。
自分の首に刃物が当てられているのに気づいたからだ。
カラテルは露軍の特殊部隊でも使われるナイフだ。露軍のナイフと聞けば、有識者はスペツナズナイフを想像するだろう。俺のカラテルも射出式仕様だ。カラテルのブレードガードの凹んだ部分は近接格闘時に相手の衣服を引っ掛けて利用することができる。露軍流格闘術での近接戦闘メインの俺のスタイルに合っている。
「初めまして。私の名前は山下のりお。探偵をしている。私は美味しい酒が好きなんだ。静かな空間で飲む酒は美味い。君もそう思わないかい?」
俺の問いかけに彼は何度も首を縦に振り答えてくれる。
「向こうの奥の席はどうだろうか。落ち着くのにはうってつけだと思う」
再び俺の意見を肯定してくれたので、突き飛ばすように男を開放する。
男は生まれたての子鹿のように足をもたつかせながら、指示された方向に向かっていった。
「流石ですね」
俺の凱旋を迎えてくれたのは笑顔の卯月氏だった。違う。俺が求めているのはお前じゃない。
その後ろから伺う女性陣。基本的に女性の前で暴力を振るうのはNGだ。しかし、事後を円満に解決するような行動を取っておけば、逆にプラスになる。
さて淑女の皆さんの反応を伺おう。
石田翠はほんのり頬を染めて、潤んだ瞳で俺を見ている。チョロインだ。
田中佳子と華月花は感嘆の目をしている。好感触のようだ。
池谷美香は明らかに怖がっている。マイナスだ。以後気をつけよう。
狼牙風子は特に変化がない。少しは怪しさを隠そうと演技くらいしてほしいところだ。
「自己紹介してきただけだよ……しまったな。彼の名を聞き忘れてしまったようだ」
淑女の皆さんの様子を伺っているのを誤魔化すために卯月氏に話かける。
「……彼の名は米下刻男です。」
石田翠がそう答える。
そうなると、終始無関心だった外国人の男の名前がネクサス氏なのだろう。地図の個室に書いてある名前から消去法で推測する。
「ありがとう。お嬢さん……さて、参加者が集まったようだが、どうすれば良いのかな?」
石田翠に謝礼を伝え、聞きたいこともついでに聞く。
「あっ」
石田翠はすっかり忘れていたようだ。問題があったから致し方ないか。
「みなさーん。集まってください。ゲーム開始の説明をします。」
石田翠の呼びかけに皆がのそのそと集まる。
つい先程、奥に追いやった米下刻男も来る。遠くを示してすまなかった。
そしてサロンの入り口から奥までの往復、ご苦労様。