サロン
石田翠に案内されて赤い絨毯の上を歩く。
玄関の向かいの扉が開かれる。
薄暗い室内はランプの暖色系の光と外から入る寒色系の光とでなんとも言えない幻想的な雰囲気になっている。右手奥にバーカウンターが見える。そこには執事服と豚のマスクを付けた大男がグラスを磨いていた。
「こちらがサロンです。参加者の方が揃われるまではここでおくつろぎください」
石田翠はそう告げると玄関ホールに戻っていく。
俺は彼女が去る前に軽く頭を下げた。
重い扉が再び音を立てて閉じられていく。
改めて室内を見回す。
サロンとは元々応接室を表す言葉である。フランス語でsalonと書く。綴は英語でも同じだ。フランスで宮廷や貴族の邸宅で社交を目的とした談話をする部屋として用いられていた。ときに有名な画家を、ときに著名な学者を招いて知的な会話を楽しむ場である。
この言葉を的確に表現したようなこの部屋には、数人で談話ができるような小さなテーブルと個人用ソファーがいくつも置かれていた。
左手奥には長い紫色の髪をしたワンピースの20代の女性と、メガネをかけたカジュアルな服装をした30前後の女性が向かい合って座っている。
目が合ったので軽く会釈をすると二人共笑顔で会釈を返してきた。
右手には本を手にしている男性がいる。彼は一人でソファに腰をかけていた。高級そうなスーツと腕時計をしている。あれはロレックスのデイトナだ。いい趣味をしている。
ロレックスは元々はイギリスで創業している。当時のイギリスは時計に対する関税があまりに高いため、スイスに拠点を移した。日本も最近は税金税金とうるさい。法人に対する税金が上がり、日本企業が海外に拠点を移してしまわないか心配だ。
左手に見える扉、たしか朝食の間に通じるドアのそばに外国人の男性がいる。扉の両脇に置かれている水色のボーリングの玉のようなものを見ているようだ。少し気になるボーリングの玉だ。穴が2つしか空いていない。
中庭では若い女性が散歩をしている。少し距離が遠い。詳細はわからない。
バーカウンターにはボンキュッボンという言葉が相応しい金髪の女性がグラスの中身をあおっていた。20代半ば頃だろう。ショートパンツとタンクトップのラフな服装だ。引き締まった肉体をしている。その佇まいはまるで猛獣のようでとても美しく、そして隙きがない。軍人だろうか。
…さて、誰に話しかけようか
考えるだけ無駄だな。答えはとうに決まっている。
俺はバーカウンターにゆっくりと足を運ぶ。
そして目的の相手に言葉を紡ぐ。
「冷えたズブロッカはありますか?」
目的の相手、豚マスクの執事は答える。
「もちろんですとも。冷凍庫でキンキンに冷やしたものがあります」
わかっている。この男、わかっている。
ズブロッカはバイソングラスを漬け込んだフレーバーウォッカだ。14世紀頃は蒸留技術が甘く、独特な匂いのウォッカが多かった。しかし、このズブロッカはバイソングラスを漬け込むことにより滑らかな口溶けと匂いを実現することに成功している。俺が最も好きなウォッカでもある。
グラスを手に取る。
持ち上げ、顔の前に運ぶ。そしてその香りを楽しむ。
いい。
やはり、この香りが良い。
俺は香りを堪能した後、一気に呷る。
喉が熱くなる。
熱い香りが口から鼻を通り、鼻孔から外へと抜ける。
酒と葉巻、そして情熱的な女性がいてくれれば、危険と隣合わせの人生だとしても俺は生きていけるだろう。
俺が幸せに浸っていると、スーツの男性が隣に座り話しかけてきた。
予定と違う。その席は女性が予約済みのはずだ。
「神風卯月と言います。唐突ですが私と手を組みませんか?」
ルールを聞いた時に、こういう輩が近づいてくると思った。しかし行動が早い。
「私は山下のりお。しがない探偵をしている。そして答えは否だ。」
怪訝な顔をする卯月氏。
「気付いてない訳がないですよね……」
「気づいているさ」
俺はそう言うと、グラスを再び呷る。
熱い。そして美味い。
「このゲームはチーム戦を前提としている。合計で30枚。2人で分ければ15枚ずつ。つまり半分で済む。時間も半分で済むかも知れない……もう一杯」
すぐさまグラスを渡される。
胃辺利己豚男……いい執事だ。
俺は一口含む。
酒を喉に通したあとに、大きく息を吐く。
吐息もズブロッカの良い香りだ。
「貢献度を報酬の分配に対し容易に計算できる。Aが20枚、Bが10枚なら、Aの取り分が6667万、Bが3333万だ」
「そこまでわかっているなら「慌てないでいただきたい」」
卯月氏の発言を遮る。俺の話はまだ終わっていない。
ゆっくりグラスに口をつける。
「私は君と手を組む気はない……その方が面白いだろ?」
口の端を少し吊り上げて答える。
そう。俺は男と手を組みたくない。女とが良いんだ。
「私は楽しみたいんだ。君と組むのが一番つまらない」
そう告げ、再びグラスに口をつける。
「……なるほど。そうまで言ってもらえるとは光栄です」
そんな感じで話を流していると2人の女性が近づいてきた。左手奥にいた2人組だ。
「あの……世界一の名探偵の山下のりおさんですよね?」
うむ。どうやら、女性に彩られ更に美味い酒を呑めそうだ。