超加速(ハイアクセラレーション)
妖精の館の南、玄関ホールに続く入り口前で俺と狼牙風子は対峙していた。
酒や着替えは入り口に置いてある。
俺は懐に手を入れる。
そしてスキットルを取り出し、ズブロッカで喉を潤す。
タリスカーも良いが、戦闘前は慣れた酒の方が良い。まろやかな香りと味が俺を冷静にさせる。
「余裕のつもりか? 折角二人きりになれたのに酒はないだろ」
人為的に作った環境を、そのように表現するのは間違えている。
「これは失礼。愛の語らいでしたね。それなら大歓迎ですよ」
俺は礼節を欠かさず応える。
スキットルを懐に入れ、左脇のホルダーから右手で、腰の後ろにあるホルダーから左手で獲物を引き抜く。両手とも握りはフォアードグリップエッジアウト。つまり順手で刃が四指側、ナイフの最もスタンダードな持ち方だ。まあ、カラテルは刃先が両刃になっているので、手首側だろうが、四指側だろうが突きとしての性能は変わらない。
俺が獲物を抜いたのが嬉しかったのか、狼牙は笑顔だ。ただし凶悪な笑顔だが……
彼女は刀を鞘から抜く。
そして鞘と靴を館の入り口に立てかけた。
「何のためにこの館に来た?」
さて、何と答えるべきだろうか?
1億円のため。これが普通な回答だ。
殺人事件を解決するため。これは俺だけの情報のはずだ。尚、外に漏れると混乱をきたす可能性がある。
死者の書のため。ネクサス氏からの情報だ。正直何のことかわかってない。迂闊に出すべき情報ではない。
「賞金のため以外に何かあるのでしょうか?」
普通に返すことにする。
「まあ、そうだな。話すわけないか……」
彼女は殺気を色濃く放ちながら、刀を両手で持ち、切っ先を天に掲げるように立てる。
示現流か?
侍かよ……軍人かと思ってた。
俺は左半身を前にし、肩幅ほどに足を開く。肘を軽く曲げ、左手の獲物は距離を測る牽制に、右手の獲物は相手から見えないようにする。
彼女は、右足を大きく後ろに引き、残る軸足である左足に全体重をかけ、腰を低くする。
あ。示現流じゃない。野太刀自顕流だ。
野太刀自顕流はただただ上段から刀を最速で体重を乗せて振り抜くだけ。それだけの剣術だ。だが、その速度と威力に特化した攻撃は、目には止まらぬ速さで、受けた刀ごと頭蓋骨にめり込ませる。己のことは顧みず、相手を殺すことだけに創られた流派。幕末では新撰組を恐れさせた剣術として有名だ。
ああ。何て相性が悪い。
俺と狼牙は互いに構えたまま、少しずつ動く。
距離を一定にして並行線を描くように。
彼女はすり足という剣術の基本歩法なのだろう。動きがとても読みにくい。
俺はなるべく左から周り込みたいのだが、彼女はそうさせてくれない。
互いに踏み込む位置取りを取ろうとしているところ、彼女が攻める気配を見せる。
「はあああああああ」
速い。
叫び声と伴に一瞬で間合いを詰める。先程のすり足との速度のギャップで動きが余計に読みにくい。
上段から物凄い速さで振り下ろされる刃。当たったら即死だろうな。
超加速!
俺は思考を加速する。
振り下ろされる刃に俺は左の獲物を側面から当てて横に弾こうとする。
重い!
弾けない。
左足を軸に高速でコマのように回転し、右の獲物も刃の側面を叩く。
ようやく、刃が外に逸れる。
しかし、刀の戻しも速い。
息をつく暇もない。
再び上段から繰り出される強力な一撃。
俺は右足を軸に回転し、左の獲物を振り抜く。
ただし、今度は、握りをリバースグリップエッジアウトにしている。つまり逆手だ。
体重を乗せて刃を打ち払い、その起動を外に逸らす。
そしてそのまま回転し、右後ろ回し蹴りを腹部に入れる。
「こほ……くっ……」
彼女は多少のダメージなどものともしないのか、再び上段に刀を持ち上げる。
しかし、遅い。現在の刃を戻すその動作は、先の戻しと違い、俺を懐に入れないようにするためには速度が足りてない。回転しながら対応した2撃による1歩分、そして今の隙による接近1歩。合計2歩分、俺は間合いを詰めることに成功した。
フォアードグリップで握った右の獲物のグリップを顎先に打ち付ける。
「ご……」
軽い脳震盪を起こしたのか、彼女はよろける。刀を握る手も甘くなる。
彼女の左足を外に蹴り払う。
バランスを取ろうとしたのか、彼女の左手が刀から離れる。
刀を握る右手に掌底を喰らわせる。
鈍い音を伴い、刀が彼女の元から離れる。
それが地面に落ちる前に俺は蹴り飛ばす。そして左の獲物を近場の地面に投げて刺す。
彼女は頭を振っている。脳震盪の酩酊状態から戻りかかっているのだろう。
俺は低い姿勢で間合いを詰めると、彼女の両足を刈り取る。
彼女は後頭部を両手で守りながらも両足で俺を挟み込む。
そして俺と彼女は倒れ込む。
「ぐはっ……」
彼女は背中を地面に打ち付けられた衝撃で声を漏らす。
当たり前だ。ここは地面だ。2人分の人間の体重をかけて倒れ込むだけでそれなりのダメージがある。
しかし、足が外れない。
大好きホールドならぬガードポジションだ。
クローズドガード。クロスガードとも言う。倒れた側が攻め手の胴体を両脚で挟み、相手の背面で足首を組んで抑えている状態のことを指す。攻め手は胴体の動きを抑え込まれているので、戦術の幅が狭まる。ただし、受け手も関節技等が狙いにくいため、一時的な防御姿勢とも言える。
俺は左手を彼女の腹に添え、右の獲物を振り上げる。
彼女は両手で顔を守る。
こらこら、俺が女性の顔を狙うとでも?
左手に上半身の捻りを伝え、密接状態での掌底を腹に叩き込む。
「ぐぼっ……ぐが……」
彼女は両脚を弛緩させ、腹を抑えて悶え苦しむ。
残念だったな。力押しの相手は得意なんだ。相性が悪すぎたよ。
カチン
俺は懐から葉巻を取り出し、キャッツアイカットを入れる。
シダー片に火をつけて、その火を葉巻にそっと移す。
葉巻のリングを摘み、口に軽く含む。
勝利の後の葉巻は美味い。
白い煙を漂わせて、俺は浸る。
さて、涙を両目に溜めならが、こちらを睨む可愛い狼牙風子がいるのだが、どなたか事情を教えてくれないか?




