パートナー
ふと、頭の中で声がした。
「パートナーの婚約を、君は素直に祝福することができるのかい?」
この声が言うパートナーと言うのは、長年共に何でも屋を営んできた一人の女性の事だ。
彼女は恐ろしいほど行動力に溢れた小学生の頃からの幼馴染みで、高校でそれぞれ別の学校に進学してからは、僕が家から出なくなったのもあってしばらく疎遠になっていた。
僕が高校を中退し、十九歳になっても引きこもりを続けていると、都心に就職していた彼女が突然我が家に押しかけてきて、「何でも屋になろう」と提案してきた。
…何でも屋。
探偵みたいなこともすれば、アルバイトのヘルプ、行方不明のペット探し、壊れたメモリーの修復、家電の取り付け、エトセトラ、エトセトラ。
この仕事を通じて色々な出会いをし、この仕事を通じて色々な事を学び、この仕事を通じて彼女とはより絆を深めた。
そんな僕ももう34歳。元来白髪が多いのも相まって、すっかりオジサンになってしまった。
彼女も同じ34歳だが、何故か未だ20代前半に勘違いされるほど若々しい。その子供っぽいとも言えてしまう底知れぬ活力は、彼女の身体を離れて僕にまで元気を与えてくれる。
ずっと二人でやって来た。
僕は彼女に引っ張られ、彼女がつまずいた時には僕が手を取り、この肩を貸す。
そうやって、あっという間に15年の時が過ぎたんだ。
彼女が引っ張るから走り続け、僕が支えるから歩き続け、たまの休みだっていつも二人だけで過ごし、毎年何度か旅行にも行っていた。
…間に誰かが割って入っているだなんて、気がつかなかった。
…彼女が誰かのものになるだなんて、思ってもみなかった。
…僕だけ取り残されることになるなんて、未だに信じられない。
二人で過ごしたプレハブ小屋には、無数の段ボールが並んでいる。
ブラインドのシャッターの隙間からは悪あがきのように赤く燃え立つ夕陽の日射しが射し込み、もの寂しい空気が漂う段ボールだらけの空間を、やんわりとオレンジ色に照らしていた。
僕はソファに腰掛け、この15年間の思い出を振り返る。
最初の仕事は迷子の子犬探し。報酬は、相場がよくわからなかったので五万円ほど。
見つかるまでに二週間かかり、ドブや田んぼに落ちたり、色んな人に頼んでビラを貼らせてもらったりと、中々に面倒くさい仕事だった。
でも彼女が隣で笑ってるから、僕も笑いながら頑張って、ついには仕事をやり遂げられた。
次の仕事はアルバイトの手伝い。
ビラを貼らせてもらう時に挨拶もして回ったから、最初の仕事の最中に、既に相談はいくつか来ていた。
日給8000円で一日六時間のピンチヒッター×二人。
とは言え役に立てたのは何をやらせても上手くやれる彼女だけで、僕は皿洗いに没頭するしかやれることがなかった。
狭い町だからか噂はたちまち広がり、しばらくはアルバイトのピンチヒッターをして過ごす。
その延長で色々な細かい依頼も頼まれたりして、全部やってる内に二人で大体のことはこなせるようになっていた。
今やこの町で、僕ら二人の便利屋のことを知らない人はいない。
「…よく、このソファで寝ちゃってたな。」
自分が腰かけている大きなソファを、ポンポンと撫でるように叩く。
ソファ2つに事務机、それと長机以外、今や全ての思い出が段ボールの中だ。
結婚して家庭に入る以上はと、彼女は何でも屋を引退する旨を僕に伝えてきた。
今ごろは大きな式場で、今まで出会ってきた沢山の人達に囲まれて、幸せな結婚式を挙げていることだろう。
反対に僕は、二人で同じ何でも屋をしていた筈なのに、いやだからこそ、一人でこんな寂しい場所に居る。
…あれ、式は午前中に済ませるとか言ってたっけな。
じゃあ今ごろは三次会かな。それでも充分、賑やかそうだけど。
「“…パートナーの婚約を、君は素直に祝福することができるのかい?”…か。」
…苦笑いすらできない。口元は苦笑いを浮かべようと口の端を吊り上げかけてはいるけれど、眉間にはひどくシワが寄り、自分が酷い顔になっているのが見なくてもわかる。
鼻で短いため息をついて、ソファの上で仰向けに寝転がった。ギュウと、安い皮が悲鳴を上げる。
「………できない。…できないよ、そんなの。」
僕は腕を顔に被せて、ごろりと横に寝返りをうつ。
こうして横を向いて寝ていると、向かいのソファではいつも彼女も横を向いて寝ていたから、最初の内は目があう度に一人で慌てていたものだ。
他愛ない話をして過ごしたり、互いになんとなく黙って見つめあったり、なんとなく目があっただけで笑いあったり、彼女の寝顔を見つめたり。
思春期の片想いのように思いを募らせつつ、今の関係が心地良いからと、僕は何もせずにいた。
これは怠惰じゃない。本当に、本当に、それで満足だったんだ。
…満足、だった?
「…過去形にしちゃ、いけないかな。 ……そうさ。15年も満足な時間が過ごせたんだ。なら僕は、まだ恵まれているほうかもしれない。」
ただ、満足しながら過ごす15年と、過ぎてから満足だったと気づいた15年じゃ、正直満足度の度合いが違うのでは、とも我ながら思ってしまう。
同じ満足でも、満足だったと気づいてからもうその時間が来ないんじゃ、それはもう満足ではなくなってしまう。
この部屋で二人で笑いあうことも、軽トラの助手席で彼女が笑いながら僕を見つめていることも、ソファで二人、ただ見つめあって夜を明かしたり、色んな仕事を二人で汗だくになりながら、なんだかんだで笑ってこなしたり。
たまの連休には二人で旅行に行って、出先で結局困っている人を見つけて、彼女は何でも屋の出張営業を始めてしまう。
それから日が暮れる頃にようやく宿に行って、結局休めなくてごめんね、なんて申し訳なさそうに笑う彼女を、僕もまた、笑いながら受け入れるんだ。
あとは、あれかな。
この町の、ごくありふれた、なんでもない道を。
夕暮れに伸びる影を見つめながら、ただ。ただ二人で、並んで歩き続けるんだ。
伸びた影が重なって、手と手がたまにぶつかって、彼女が僕をいたずらっぽく茶化して。
…そういったもの、全部。
全部がもう無くなるんだって思ったら、目から溢れるこの熱い汗だって、僕は受け入れることができなくなってしまう。
最初から、満足だと思いながら過ごす15年だったなら。
そうしたら今ごろはお腹いっぱいで、素直に彼女の婚約を祝福できたんだろうけれど。
「寂しい………っ。…寂しいんだ、あぁ…! ………ちくしょう………ッ!」
大切な人の幸福を、僕は祝福できない。
何故ならこれは彼女にとっての幸福ではなく、僕にとっての失恋に過ぎないから。
涙を流して歯噛みして、拳を作ってわなわな震えて、そして、そして、思いを馳せる。
君の笑顔を思い浮かべながら。君が隣に居たのを思いだしながら。君と過ごしたこの場所で、僕は。
僕は―――。
………
……
…
「あのー、何でも屋さんの場所って、ここであってますか?」
プレハブ小屋の扉が開き、顔を覗かせた小柄で愛嬌のある少女が問いかける。
部屋にある2つの大きなソファの内の一つで、その中年は昼寝をしていた。
白髪は多いが身体は年のわりに引き締まった、作業着姿の男。痩せている、とも言える。
「あのー!聞こえてますかー!? お母さんから、ここならバイト募集してる筈だって言われたんですけどーッ!」
少女は愛嬌のある顔を不満に歪ませ、少し怒気のこもった声で再び問う。
その声に目を覚ました中年は小さく欠伸をし、伸びをしながら身体を起こすと、寝ぼけ眼のまま少女のほうを見た。
「んん…? 悪いけど、うちバイトは……。………あれ、君は………。」
少女の姿を見て、中年は呆気に取られた様子で言葉を失う。言葉を失いながら目を擦り、また少女の姿を見ては、また言葉を失って、呆気に取られる。
少女は少女で、知り合いだったかなと言わんが様子で、訝しげに小首をかしげた。
それは50歳のしがない何でも屋の中年が、16歳の行動力溢れるあどけない少女と、比較的再会に似た出会いを果たした瞬間。
本当はファンタジーとかの舞台でやりたかったネタ。
ほら、普段は賑やかで楽しい物語なのに、急にこういう真面目な話入れると、ダメージ倍増じゃないですか。
だから短編でやってもあんまり意味が無いとわかりつつ、やってしまいました。
校正構想無しなので見苦しいかもしれませんが、読んだ人が何か思うものになっていれば幸いです。
本当。本当は賑やかで楽しい物語の中でやりたかった。
こうどっかの領主の娘とかがパーティーに居て、ヒロインかと思ってたら家の為に結婚しなきゃならなくなって。それまでヒロイン何人もはべらせてたバカな主人公は考え直すことになる、的なやーつ。
だってそしたらきっと寂しくなる。死人を出さずに読者にダメージを与えられる話が書きたい。
あぁくそ、賑やかで楽しい物語の中でやりたかったなぁ…。
そしたら批判もありそうだけど、書いてる側は最高に楽しいんだろうなぁ…。
ちなみに今回は短編なので、オチ代わりに救済措置入れときました。ではでは、感想など頂けたら益々幸いでございます。
読んでいただき、ありがとうございました。