前編
この物語はフィクションです。
「……炎上?」
つい、ぽかんとした声で聞き返してしまった。
対するユミコは、昨日電話で話した時と同じ、思い詰めた声。
いつも明るくて無邪気に話すユミコらしくないとは思ったけど。
普段は絶妙なカーブをゆるく描く短めの髪も、今日は何だかぼさぼさしてるように見える。
顔色も良くないし。
目元が赤いのは睡眠不足か、それとも夜明かして泣いたのかしら。
肌もくすんで見える。一人暮らしの私の家におしゃれしてくる必要なんかないって、何回言ってもナチュラルメイクを欠かさなかったユミコらしくない。
ぐしゅ、と鼻を啜りながら、ユミコは掠れた声を出す。
「……ひどいの。信じられないような嫌なこと言われて」
私たちの周りで、イラストを描いてるのは私とユミコしかいない。
美大でもない大学生、サークルに参加してる訳でもない。
普通の女の子達は、イラストにもマンガにもそんなに興味を示したりしないのだ。
だから、問題になっているイラストアップロードサイトについても、リアルで話す相手はお互いしかいなかった。
「嫌なこと?」
「ヘタクソすぎる、とか。色遣いが狂ってる、とか。精神衛生上良くないのでもう来ないでください、とか……」
思い出し、口に出すことで、改めて辛さがこみ上げてきたらしい。
うっ……と口元を押さえて、嗚咽を噛み殺した。
「ユミコ……」
感受性の豊かな子だから、悪口雑言がモロに効いてるらしい。
私みたいなスレた人間じゃないから、本当に辛くて仕方ないのだろう。
昨晩眠れずに過ごしたことは、ほぼ確定だ。
「ねぇ、アヤちゃん。わたし、わたし……そんなに言われる程、ひどい色遣いしてる? 別にそれでその人からお金貰ってるワケでもないし、ヘタかもしれないけど、嫌なら見なければ良いだけじゃない? 所詮素人が趣味で描いてるイラストだよ? 別に批評をお願いしたワケでもないし、その人達と何の関係もないのに……なのに何で?」
普段の彼女にはありえない血走った瞳で、激した口調で延々と愚痴をこぼしてる。
まずは、落ち着かせようと思った。
彼女の言が正しいか間違ってるかは別にして、とにかく彼女は辛い思いをしてる。
その思いだけは痛いほど共感出来る。
ああでもない、こうでもないと構図を考えて。
一塗り一塗り、丁寧に。
ブラシの設定も色々とこだわって。
細い細い髪の一筋を何度も引き直した。
その数え切れない時間の全てが、目の前の通りすがりの人間に否定された。
私たち、確かに趣味で描いてるんだけど、作業の全てを楽しんでるかと言えばそんな訳なくて。
苦労も興奮も楽しさも全部、「下手」って、ひとくくりにして切り捨てられれば辛いよ。
何より。
見も知らぬ人から。
生身の触れ合いで経験したことのないような悪意を向けられれば、心が痛まない訳がない。
「ユミコ……辛かったね」
跳ねた毛先を押さえるようにユミコの頭に手を乗せたところで、彼女の瞳は決壊した。
ぼろぼろと涙を流しながら、喉がぐぅ、と唸るような音を上げる。
可哀想で、見ていられなくて。そっと引き寄せるように、身体ごと抱きしめた。
「アヤちゃあん……!」
「うん、辛いね。辛かったね。ユミコが丁寧に色を選んでること、私は知ってるよ」
「……アヤちゃ……はにゃみず付いちゃうよぉ……」
「涙でも鼻水でもいくらでも付けな。ここで全部流して洗濯しちゃおう」
「アヤひゃん、うぅぅ……つらかったおぉ……!」
子どものように泣きじゃくる彼女の涙の暖かさが、肩口に沁みた。
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「さて、ちょっと落ち着いたところで、一緒に確認してみましょうかね」
少し落ち着いたユミコにホットココアを飲ませながら、立ち上げたパソコンから例のイラストサイトに飛んでみた。
もう涙は止まっているけど、いつもは楽しそうに眺めるサイトのトップ画面を、ユミコは緊張した視線で睨み付けてる。
昨晩見た時に凄いショックを受けたらしいから、そのときの悲しさが残ってるんだろう。
よっぽどキツかったんだろうなぁ。
「大丈夫よ、ユミコ。私がついてるからね」
「アヤちゃん……」
マグカップを両手で握りしめたユミコが、私を見上げている。
凭れ掛かってくるような視線を受けて、女同士だけど、守ってあげなきゃ、って思った。
守ってあげなきゃ。
こんな辛い思いをしてる友達は。
ユミコの操作でIDとパスワードを入れてもらい、ユーザーHOMEを覗く。
「……新着コメント104件……!?」
びっくりして声に出してしまった私を見て、ユミコの眉が下がった。
私たち、別に上手いって訳でもないし、正直普段はイラストを投稿してもコメントがほとんどつかないことが多い。
お互いにコメントすることも勿論あるけど、リアルで会える分、投稿前に見せて感想言ってもらうことの方が多い。
他の人からのコメントが1件あったらお互い大喜びで、何を誉められたか、どこが良かったか、なんて分析と言う名の創作語りをし合ったり。
そんな状態から、一夜にして104件は明らかにおかしい。
新着コメントお知らせのピンク色の文字が、不気味に見えた。
「……開けるよ?」
「うん……」
ユミコの許可で、コメント一覧を開く。
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XXXX/XX/XXXX 00:03:14 不明
よくこんな下手なイラストを晒せるな、ある意味尊敬する
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XXXX/XX/XXXX 00:10:17 餓狼万事
普通はアップロードする前に自分で見て、躊躇すると思う。
美意識のないイラストレーターとか邪魔なだけなんで、消えてください。
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XXXX/XX/XXXX 00:15:20 不明
このサイトの全体的なレベルが下がってんだよな、この人のせいで
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XXXX/XX/XXXX 00:16:58 ゆずもしもし
そんなマイナスコメントばっかり付けなくても……まあ、上手くはないけど、そこまで言うほどでもないんじゃない。ありふれたテーマに初心者が挑戦しただけでしょ。
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XXXX/XX/XXXX 00:18:27 不明
いや、パース完全に狂ってるし
よくこれで気持ち悪くならないな
精神的におかしいんじゃない?
そうじゃなきゃこれで平気な精神が分からん
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XXXX/XX/XXXX 00:20:23 かやのきりん
え? 何かコメントがいっぱいついてるから見に来たんだけど、そんな言うほど……?
ちょっと変な人いるんじゃない、ここ。
私は嫌いじゃないよ、このイラスト。
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XXXX/XX/XXXX 00:25:19 不明
同じレベルの人から見ると分かんないんだよね。
自分の下手さ加減をわざわざ人のHOMEまできて告白するとは……すごいね、あなた。
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XXXX/XX/XXXX 00:30:19 山カノ
何これ。いつもの上位常連以外が上がってきてるから、何かと思えば……バカじゃないの。こんなクズ上げてくるの止めろよ。邪魔だよ。
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「……ひっど……」
「もう、ずっとこんな感じなの……。わたし、知らない内に誰かに嫌われるようなことしたのかな?」
このイラストサイトでは、直近でコメントのついたイラストほど、誰もが見る総合トップページの上に表示されるようになっている。
だから、上手なイラストはいつもコメントもらって上の方にあって、私たちはそれを見ては「いつかこんな風に皆が見てくれるようになりたいね」って言い合ってた。
だけど。
「何で『神経おかしい』とか、平気で書きこめるんだろう。そういう自分の方がおかしいよ」
「だよね、だよね? すっごい腹立つんだけど、言い返すとね、何か色んな人からいっぺんにコメントが付いちゃうの……」
その言い方からすると、もう既に一回やってみたってことなんだろう。
新着コメントを眺めるのを止めて、昨日のコメントを遡る。
――あった。
ユミコのコメントは「【OWNER】YUMI」として表示されてる。
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XXXX/XX/XXXX 21:37:54 【OWNER】YUMI
私が下手なのは自分で良く認識しています。ですので、もうその辺で止めて頂けませんか?
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XXXX/XX/XXXX 21:38:02 不明
え? 何? 分かってて上げてんの?
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XXXX/XX/XXXX 21:38:25 不明
場違いとか思わない?
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XXXX/XX/XXXX 21:39:00 不明
頭おかしい
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XXXX/XX/XXXX 21:41:13 KASUMINO
おかしいのは、こんなん必死に書き込んでるお前の頭だ
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XXXX/XX/XXXX 21:43:49 【OWNER】YUMI
やめてください。ここはイラストサイトじゃないんですか。
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これが、昨晩ユミコも入ってやり取りしだした始まり。
その後もユミコがコメントすると、直後に大量の反論コメントがついてる。
こんなこと何度も繰り返して徐々に疲労していく様子が、その時のユミコの表情が、容易に想像出来た。
折角少し落ち着いてたユミコは、コメントを見たことで、またうるうると涙を盛り上がらせてる。
だけど、やっぱ確認して良かった。今まさに標的にされてるユミコには分からなくても、落ち着いて見てる私には分かることがある。
書き込みしてる名前が「不明」になっているのは、外部から書き込みをしている人。
時々名前がきちんと入っている人は、自分のIDでログインしてから書き込みしてる人。
ユミコのイラストにコメントしてる人は、ほとんどが不明――つまり、このサイトに自分のイラストをアップしてないか、またはアップしててもログインせずに書き込みしてるか、だ。
同じ手口で何度もネチネチいびってくるってことは、たぶん1人のヒトが延々と書き込んでるだけなんじゃないだろうか。
まあ、それはそれでストーカーチックで嫌ってのもあるけど。
「ユミコ、安心して良いよ。結局これ、悪いこと言ってるの、この『不明』のヒト1人だけだよ。変なストーカーに付きまとわれてるようなもんだけど、向こうはユミコの住所も名前も知らないから、これ以上変なことにはならないよ」
「え!? 1人だけ……? 『不明』さん……?」
「ちょっとずつ変えようとしてるけど、結局同じようなこと言ってるじゃん。口調も何か似てる気がするし」
ユミコはじっと画面を見つめてから「そうかも……」と呟いた。
声が少しだけ明るくなってる。
瞳に少し力が戻ってきて、私のことをじっと見つめた。
「あっ! でもさ、こういうのって炎上って言うんだよね? わたし、どうすれば良いんだろ。もうこのアカウントごとイラスト削除するしかないのかな?」
言いながらまた、途中で、うっ、と声が詰まってる。
私はユミコの頭をなでながら、片手でキーボードを操作した。
自分のHOMEへログインしなおして、そこからユミコのイラストへ飛ぶ。
「大丈夫だよ、ユミコ。心配せずに、今夜はゆっくり寝な」
繰り返される罵詈雑言の最後に、コメントを追加した。
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XXXX/XX/XXXX 00:56:43 アヤ
人が一生懸命作ってるものに対して、良くそんなこと言えますね。
ほとんどの書き込みがIDなし「不明」ってことは、あなたは自分では描いてないんですね?
それとも、あなたの描いてる作品は、それを背負って喋れない程の駄作なんですか?
いずれにしろ、頑張ってる人を攻撃するなんてお門違いです。
これ以上やりたいなら、私のイラストでやりましょう。
ユーザーネームからリンクを踏めば見えるでしょう?
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「――アヤちゃん!」
エンターを押して書き込みした瞬間に、ユミコが悲鳴を上げた。
「大丈夫、ほら、これでぐっすり眠れるね?」
笑いかけた私を見て、ユミコは大きな瞳を歪めている。
「アヤちゃん……!」
「大丈夫、大丈夫。私はこういうの大して気にしないから」
「……ごめんね、ごめんね?」
「ああ、もう。そんなに泣いたら、おめめが溶けちゃうよー。ほら、今夜は泊まっていきなよ」
ぼさぼさ頭のユミコが、両手を広げて抱き着いてくる。
そんなユミコに笑いかけながら、私はパソコンの電源を落とした。
この物語によって、特定の作品作者を貶める、または支援する目的はありません。
また作品内で発生する状況・利用されているサイトに、実在のものではありません。
サイトの総合トップページの仕様なども、実在のイラストサイトを意図的に参考に致しませんでした。結果としてリアリティに欠ける設定となっていることをお詫び致します。
『炎上』という社会現象については、下記の書籍にて現在の傾向・分析等一定の見解を得ることが出来ました。見解の一致しない部分もありますが、ここに参考文献として掲載させて頂きます。
■田中辰雄/山口真一 著『ネット炎上の研究』勁草書房
■小峯隆生+筑波大学ネットコミュニティ研究グループ 著『「炎上」と「拡散」の考現学 なぜネット空間で情報は変容するのか』祥伝社
■宮田 穣 著『ソーシャルメディアの罠 (フィギュール彩)』彩流社