崩壊首都と教会
第一話のあかねちゃんは、笑顔の裏に策を隠すちょっと悪女風です。
ズルズルズル。
麺をすする音が聞こえてきた。
食欲をそそる出汁の香りが俺の嗅覚を刺激する。
「ちょっと、何か食べていかない?」
隣を歩く40代半ばっぽい大久保に言った。
「ぽい」そう、この世界では俺の父親と言う事で通しているが、実は赤の他人であって、その正確な年も知らない。そもそも、聞いてもいない。
「じゃあ、ちょっと食べていくか」
そう言うと大久保は「ラーメン」と書かれた暖簾がかかる屋台に向かって行った。
大久保が座った木の丸椅子の隣の空いている椅子に俺が腰かける。
その俺の隣に妹 水野あかねが座った。
40代半ばの男に、17歳の俺と15歳の妹。どう見ても親子に見える。顔つきが似ていないなんて事は誰も言いやしない。母親似。そう思っているに違いない。
俺も妹も、どちらかと言うと細面で、大きな目に通った鼻筋。
大久保は四角く大きな顔立ちに丸い鼻。父親似とは思わない。いや、思われたくない。
「らっしゃい。
お金あるんだろうね。
言っておくが、俺の店では日本銀行券は使えないよ」
屋台の親父が言った。
そう。この世界ではよく聞く言葉。
ここは以前は日本の首都圏と呼ばれた地域だが、今やその面影はなく、日本政府の力も及ばない。
「教会札かな?」
大久保がそう言って、ポケットから教会札なる紙の束を取り出した。
「OK、OK」
屋台の親父はご機嫌だ。
日本政府に代わり、この世界で勢力を持っているのは「教会」と呼ばれる謎の新興宗教集団だ。なぜだか、この教会と言う集団がお札まで発行していて、日本銀行券よりも信用度が高いのだ。
突然起きた日本の首都圏崩壊。原因は今も不明だが、なぜだか軍は時間をおかず崩壊した広大な地域を武力によって封鎖した。
軍の封鎖を越える事は、この世界の中から外の平穏な世界に向かう事はもちろん、その逆も徹底した軍の監視が行われているため、基本的には不可能なのだ。
そんな軍の監視を掻い潜り、外の世界からこの世界に俺たちがやって来れたのは、全て俺の父親の友人だと言う大久保の策と賄賂のおかげである。
俺がこの世界に来ることになったのは、首都圏崩壊直後に軍の偵察機によって撮影された爆心地の画像が原因だ。
そこには俺の父親と数ヶ月前に何者かに拉致され、行方不明になっていた俺の幼馴染 葉山凛が偶然写っていた。
なぜ、俺の父親が凛と一緒にいるのか? それは俺には分からない。
母親を亡くしてしまっている俺としては、唯一の親である父親をこの世界から救い出したいし、会って凛の居場所や一緒にいた理由を聞きたくて、この世界に入り込むことにした。
父親の友人である大久保も、その画像を見て、俺の父親を救い出したいと思ってくれて、俺たち兄妹と一緒にこっちの世界にやって来たのだ。
だが、軍が封鎖しているだけあって、こっちの世界は生易しい世界じゃない。
多くの建物が崩壊して、廃墟同然だと言うだけでなく、この世界をうろついている生き物が危なすぎ。
その姿は人間であって、きっと、首都圏崩壊の事件が起きる前はマジで普通の人間だったに違いない生き物が、今や危ない存在なのである。
かつて人間であった時には有していたであろう知性も理性も失った生き物となり、この世界をうろついている。
油断すれば襲い掛かって来て、彼らの肉になってしまう。
そんな危ない生き物たちから、生き残った人々、つまり知性も理性も失わなかった一部の人々はバリケードを築き、危ない生き物たちを排除した世界で暮らしているのだ。人々はそれをコロニーと呼んでいる。
「ここも、教会が浸透してきているのか?」
大久保が屋台の親父にたずねた。
この世界は教会が一大勢力ではあるが、点在するコロニー全てを勢力下においている訳じゃない。そして、このコロニーも教会支配下ではない一つのはずだ。
「ああ、そうだ。
だが、今、教会の司祭が不信じんな者たちを次々に改宗させている。
神の力でな」
神の力。これも、この世界のあちこちで聞く言葉。
教会に入信し、神の力を分け与えられると、奇跡の力を宿す事ができるらしく、崩壊した首都圏を取り囲んだ軍が進行して来た時、その行く手を阻んだとか。
それも、蜘蛛の糸を吐く神の使いだとか、保護色の神の使いだとか、奇想天外な話ばかり。
だから、俺は信じちゃいない。
きっと、ここには反乱軍がいて、それが教会とか言う偽りの集団なんだと思っている。
反乱軍の存在を隠したくて、軍はこの世界を完全に隔離しているに違いない。
「ここの神の力って、どんなものなんだ?」
大久保が屋台の親父にたずねた。
「人の心や記憶を読むんだよ。
つまり、人の頭の中に侵入し、読みだすんだ。
それだけじゃない。間違った考えを消し去り、精神を洗い清め、改宗させてくれるんだ」
屋台の親父が自慢げに言うが、それってうさん臭すぎ。ただのサクラだろ? としか思えない。
「それはどこで、いつ見れる?」
眉唾物だと言うのに、大久保は屋台の親父にたずねた。
それからも、大久保はラーメンを食べながら、ここの教会の事を色々とたずねていた。
屋台を出ると、俺たちは屋台の親父に教えてもらった教会が神の力を示す場所に向かった。
そこはかつては何かの中規模のホールだったと思える場所だった。
少し高いステージと、その正面を取り囲むように配置された多くの椅子。
とは言え、椅子の多くは破壊されている。きっと、崩落した天井に押し潰されたのだろう。
今はその崩落したのであろう天井の構造物も取り除かれ、青空がのぞく天井の下、大勢の群衆がステージを見守っている。
ステージの中央に立つ50代半ばと見える小太りの男が、このコロニーの教会を率いる司祭と呼ばれる者らしい。そこから少し離れた位置に立つ20代と思しき男。
俺たちの目の前で、屋台の親父が言った三文芝居が繰り広げれていたが、それももう終盤だ。
「どうかね、君。
今でも、我が神を信じないのかね?」
自信ありげに司祭が言う。
「僕が間違っていました。
僕も教会に入れて下さい」
若者が深々と頭を下げると、ステージを取り囲む者たちから拍手と喚声が上がった。
「なんで、こんな臭い芝居に喜べるかなあ」
俺がそう言い終えた時、あかねが俺の服の裾を引っ張ったので、視線を向けると、あかねは若い男のはるか頭上を指さした。
「あれは」
パラボラアンテナをイメージさせる形状の物体がステージの上部につりさげられていた。
俺にも、あかねにもそれに心当たりがあった。
俺の父親は研究者だった。その開発テーマは、iPS細胞と3Dプリンタを使った生きた人間のコピーだと聞いている。
コピーの際、記憶も移すため、人間の脳細胞ネットワークの結合細部までを読み出し、別の脳細胞に同じネットワークを形成させる技術も開発していた。
そこで使われるシステムの一つがそのアンテナである。
「これは神の力でも、いかさまでもないって事か」
俺の言葉にあかねが頷いた。
「君のお父さんが、この教会に関わっていると言う事か?」
俺たちの言葉から、全てを大久保は読み取ったらしい。さすがは俺の父親の友人らしく、そのあたりの知識は持っていたようだ。
「それは分からないが、どうも技術はそうじゃないかな」
俺的には父親がこんに怪しげな組織に関わっているなんて、信じたくはない。
「いや、それ以前に、電気があるのか?」
「教会あるところに灯りありだよ」
「なんだ、そりゃあ」
「知らないのか?
この世界ではそう言われているらしいぞ。
失われた灯りがあると言う事も、教会に人が惹きつけられる理由の一つかも知れないな」
大久保が言う言葉を信じれば、教会は電気をこの世界でも持っているらしい。
「お兄ちゃん、私、行ってくるよ」
横にいるあかねが突然言った。その声は明るく、迷いもない。何か知っている場所に気軽く行くかのような感じだ。
「どこに?」
「あそこ」
あかねはステージを指さした。
「待て、それって、お前自身で試してくるって事か?」
「うん」
「なんで、そんな事するんだよ。あれがそうだとしても、お前が試す必要ないだろ」
「私にはあの装置は通じないし」
あかねは迷いもなく言い切った。
「なんで?」
俺の問いかけに、あかねはきょとんとした。自分でも、理由が分かっていない事に気づいた感じだ。
「なんでだろう?
でも、大丈夫」
「んな訳ないだろ。
それに、そんな事する意味ないだろ」
「だって、あの人に聞きたい事いっぱいあるじゃない。
普通に聞いても教えてなんかくれないよ。
それどころか、会ってくれることも無いんじゃないかな」
あかねの言葉の意味が俺には分かった。
あの装置が通じないとしたら、そんなあかねの登場は、あの司祭に恥をかかすことになる。そこで、あかねは神の力にかかったふりをしてやってもいいから、言う事を聞けと脅すと言う事だろう。
「待て、あかね。
それは脅すって事か」
「うん。そう。
利用できそうなものはなんでも使っちゃわないとね」
にこりとした笑みで、そう言った。
かわいい笑顔の裏に隠した恐ろしい策。
悪女だ。俺の妹は悪女になってしまった。
でも、こんな悪女になら、手玉にとられてもいい。
いや、待て。
妹が悪女になるのは止めたい。
俺の思考がようやく正常に戻った時はすでに手遅れだった。
あかねはステージの手前まで行って、司祭に向かって叫んでいた。
「私はそんないかさま信じないんだから。
あなたが言う神なんて、いないんだから」