殺し屋Aの苦悩
ーーーー俺は殺し屋だ。今まで数え切れないほどの人の命を奪ってきた。俺も一緒だって?…そりゃお前だってそうだけどよ、俺のほうが殺ってる数は上だと思うぜ。
ーーーー確かに俺が殺してるのは、依頼にあった生きててもしょうがないような奴らばっかりだ。だけど、だけどよ。仕事のあった日の夜は必ず、夢に殺した奴らが出て来るんだ。俺の手は、洗ったって一生落ちないくらい血の匂いが染み付いちまってるんだ。
どしゃ降り。
夏のある日、天気予報は見事に外れ、窓には強い雨が打ちつけていた。
ざあああ。
「…うるせぇ…」
黒いソファで寝ていた青年Aはゆっくりと体を起こした。一人きりの部屋に、雨の音がよく響く。二人の同居人は外に出て行ったまままだ帰って来ていない。
がちゃ。ざあああ。
「うわーなんなんだよこの雨!夏とは言え濡れるとちょっと寒いな!」
うるさい雨音と共に、うるさい青年Cが帰ってきた。Cはどこで何をしてたら急に雨が降ってきた、なんて話を延々と話し続ける。
Aが鬱陶しそうに右から左へと言葉を流していると、また、ドアの音。二人目の同居人が帰ってきた。Cが玄関へ向かう。
「おーおかえり!なぁなぁ雨すごいよなやばいよな‼︎」
「あ、うん。朝晴れてたから急にびっくりした」
青年Bは黒いパーカーのフードをかぶっていたが、そんなものは全く意味を成さず全身びしょ濡れだった。
二人が話す声を途切れ途切れ聞きながら、Aはテーブルに移動して、たばこに火をつける。
かちん、しゅぼっ。
そして黒い物に手を伸ばす。拳銃。
この家に住む三人は、殺し屋だ。
それぞれがそれぞれの過去を持って、この場所に集まった。
一匹狼な殺し屋A。
温和で冷静な殺し屋B。
バカでうるさい殺し屋C。
バラバラのパーティーではあるが、これはこれで意外とバランスは良かった。
だが、そのバランスが崩される。
というか、Aの何かが崩される。
「うはーかわいー!」
Bの高い声が耳に飛び込んでくる。
ばたばたばたっ。
「見てみ!ほら、あいつが拾ってきた、な、な!」興奮気味にCが何かを抱いてAに近づく。Bもタオルで頭から落ちてくる水滴を拭きながら続く。
「雨の中で捨てられてたもんだから、つい」
「にゃあ」
三人の殺し屋のもとに、子猫が一匹。
静寂の中で小さな声はよく響いた。
「捨ててこい」
部屋の隅のテーブルで愛銃のリボルバーの手入れをしながら、Aが言い放った。静かだが勢いのある言葉が、弾丸のごとく部屋を突き抜ける。
「こんな大雨の中もっかい捨ててこいとか!鬼畜か!人でなし!」
人を殺すことを生業としてる時点で人でなしであることは明白だと、この中の誰もが思っていただろうが、誰も口には出さず、論争は続く。
「そんなもん拾ってどうすんだよ。世話するのもタダじゃねぇんだ、邪魔だから捨ててこい」
「いや、さすがに飼うのは難しいという意見には賛成なんだけど、この雨の中震えてたから…。まだ小さいし、飼い主探そうかと思って」
優しい殺し屋のBが子猫を受け取り、タオルで丁寧に体を拭いてやる。両手に収まってしまうほどの子猫は、雨に濡れて冷え切っており、毛はぺたりと体に張り付いて小さな体を更に小さく見せている。
みゃあ。
小さな命が小さく鳴く。Aは「俺は知らねぇからな」と呟き、自分の部屋にこもってしまった。
一週間が過ぎた。
子猫はすっかり元気になった。BとCが餌やトイレなど必要最低限の物を買い揃えて、毎日世話をしたおかげだろう。小さな足でそこら中をひょこひょこ歩くと、二人は嬉しそうにはしゃいでいた。
一週間のうちで、Aはほとんど自室から出てこなかった。一度仕事で外出して行くときに顔を出したが、それっきりだ。
二人の殺し屋は顔を見合わせた。
「いくらなんでも頑なすぎないか、あいつ。部屋からも出てこないし…」
「んー、一回抱っこすればこいつの可愛さにぞっこんだと思うんだけどなー」
ねーっなんて声を高くして、子猫と額を合わせるC。すると、あっ、と何かを思い出したようだ。
「そういえばこの前あいつと飲んでた時、何か言ってたなぁ。手が汚れてるとか。」
「…血でってこと?」
「俺も酔ってたから細かく覚えてないけど。殺した奴が夢に出てくるとか…?確かにあいつ、一番仕事してるもんな。」
一番仕事をしている。いい言葉ではあるが、それは、人を殺めた数を示す。
「…汚れた手で子猫は抱けないってことかな。あいつらしいや…」
「下手に何かに情が湧くと、仕事に支障が出ると思ってるんじゃないの。殺せなくなったら食えなくなるからな、俺らは」
真面目だねぇと呟き、Cと子猫は鼻でキスをする。隣でBは一人考え事を続ける。三人は長い付き合いではあったが、Aが生き物に触ったりしているところは見たことがない。
命を奪ってきた自分には、命に触れるなんてことはおこがましいとでも思っているのか。
「そんなこと…ないだろ」
Bはある作戦をCに語り出した。その目にはいつもより強い光が宿っていた。
三日後、子猫の引き取り手が見つかった。Bは電話の向こうの相手に、すぐに連れて行けますとか何時ですかとか丁寧に対応していた。その隣ではCが涙を浮かべながら、子猫との別れを惜しんでいた。
Aは、まだ出てこない。
ーーー猫、いなくなるのか。
自室でBの会話の端々を聞いて、たばこに火をつける。
かちん、しゅぼっ。
扉の向こうでは、Cが子猫へ別れの言葉を丹念に贈っている。Aは馬鹿馬鹿しいといった表情を浮かべるも、灰色の煙が立ち込めてよく見えない。
こん、こん。
「入るよ」
返事を待たずにBがAの部屋の扉を開け、きぃ、と鳴った。
「子猫の引き取り手が見つかったんだ。これから会いに行って来ようと思う。」
会話は聞こえていた。Aは何も言わずタバコをふかし続ける。
「……お前、本当にいいのか?」
「…?」
「その、ちょっとくらい触ったっていいだろ、お前拾ってからほとんどこっちの部屋にも来ないし、そんなに避けなくてもいいだろ」
「…うるせぇ」
寂しそうな表情を浮かべ、Bは語り続ける。
「確かに俺らは殺し屋だ。依頼のためとはいえ人を殺してきたことには変わりない。…でも、その…そんなにお前だけが責任みたいなものを感じてるなら、それは間違いで、えっと……」
昨日考えたはずの台詞も、いざAを前にするとうまく言葉にできない。もつれながらも必死に何かを伝えようとするBを見て、Aは顔をしかめる。
「お前、何言って…」
ばたんっ!!
「あーもうお前話長いよ!ほらっ、お前も!つまりちょっとぐらい触れ合っとけってことだよ、ほら!!」
Cが作戦より少し…というかかなり早く、登場した。無理矢理子猫を押し付けようとAに詰め寄る。
「待て、やめろお前!」
Aはタバコの火を灰皿にうずめ、慌てて立ち上がる。
「やめないね、ほらほらほら!」
「ばかっ、てめぇやめ…‼︎」
くしゅんっ
Aがくしゃみを一発。
「お前…もしかして…」
二人が呆気にとられているのをよそに、Aはくしゃみを連発し、がしがしと乱暴に目をこすっている。
「……猫アレルギー…?」
部屋の隅まで後退りし、肉食獣のような目で二人を睨みつけるA。もちろんその目はうさぎのように真っ赤なのだが…。
「くっそ、だからそっちの部屋にも行かなかったのに…!抜けてる毛だけでダメなんだよ!なのにてめぇら余計なことを…」
Aは鼻粘膜の刺激により、反射的に鼻から息を吐き出す。ティッシュで豪快な音を出しながら鼻をかんでいる。
「あっはははははは!!もうお前…そのオチ最高すぎるだろ…!ひひひっ…」
Cが腹を抱えて笑いだした。Aと同じように目に涙を浮かべながら…。
二人を呆然と見比べていたBだが、やがて自分が全く見当違いなことを語ろうとしていたことに気づき、顔を熱くする。
子猫は知らん顔で、Aの部屋からひょこひょこ出て行く。気を遣ったのか、なんてのは考えすぎだろうか。
部屋に残った子猫の毛で苦しむAと、
Aを見て馬鹿笑いするCと、
二人を見て呆然とするB。
なんだかんだでやっぱり三人はいいパーティーなんだと、Bは内心微笑んだ。
「それにしても、結構可愛いくしゃみするんだね」
「うっせ!!」
くしゅんっ。