背反的愛情論
突発的に書いた物。
それは、彼の望む愛情の在り方。
話があると、親友から連絡があった。どうやら付き合っていた彼女に振られたらしい。
他の人であれば気の利いた言葉や慰めの一つ、簡単に言えるのだろう。が、俺としては『ああ、そう』としか思わないし何も言葉にできない。それを彼は知っているはずなのだが、彼は『俺の話を聞け』と憚らなかったので、その日の夜に適当に居酒屋で飲むこととなった。
現地で顔を合わせた彼は、思いの外明るい顔をしていた。憑き物が取れた、とは違うな。悟った。そう、悟ったような顔をしていた。
その割には、最初の方、酔いが回るまでは彼らしい、しかし表情らしからぬ愚痴をうだうだと聞かされていた。おいおい、と思いながらちびちびと俺もつまみと酒を口にしつつ、彼の酔いが回るのを待つ。
そして彼は漸く、こう口にした。
「まあ、俺が悪いとは、思うよ」
それは今までの元彼女への軽い悪口などではなく、ただ事実を淡々と述べたような無機質な口振りだった。
「俺の求めている在り方と、彼女が望んている在り方が、違っていることに気付いてた。それを無視して、我を通そうとした俺が悪いんだろうさ」
居酒屋の安いモスコミュールを呷る彼に倣って、俺も二杯目のビールを飲み干す。続きを促しつつ、ベルを押して店員を呼んだ。
「俺の欲した在り方がどうかは分からないが、彼女は、まあ女としては普通の、男女の在り方を望んでいたと思うよ」
「ふぅん?」
「互いに支え合う関係でいたかったんだとさ。それは、俺のとは違う」
「はあん。……あ、ジントニックとモスコミュール一つずつ」
恋人なら、支え合うのがベストな在り方ではないのだろうか。生まれてこの方彼女のいない俺は、少なくともそう思っていたのだが、どうやら彼はそう思っていないらしい。
「じゃあ、お前が望むのはどんな在り方なんだ」
「……」
黙って、酒を呷る。先ほどまでは聞こえていなかった周囲の喧騒に、飲み込まれてしまいそうなほど小さく、彼は。
「背中」
と一言だけ告げた。
「背中?」
「――お待たせいたしました」
尋ね返したタイミングで、酒が運ばれてくる。ついでに、いくつか空皿を下げてもらう。空いたスペースに、行儀が悪いが、肘を置いて頬杖をついた。
「背中合わせでも、まあ構わないと思えるのが、俺の思う在り方だよ」
背凭れに背を預けた彼が、虚ろを眺めて呟いた。
「それは、寄り添いあうことと何が違う?」
「……勘違いしてるね。俺が言う背中合わせっていうのは、単純に反対向き合ってるってことだよ」
おっと。それは、言うとおりに勘違いをしていた。俺が想像していたのは、互いに背中を合わせて凭れかかっている姿だった。それとは、違うのか。
「お互いを、見つめ合う」
彼は自分の人差し指同士を、くっつけ合う。
「同じ方向を、見つめる」
それを今度は、両方俺へと向ける。
「それも、時としてありだろうとは思うよ。時として」
でも、と逆接した彼は頭を振った。
「ずっと、そうしていろと言われると、甚だ疲れるだろ。同じ方向を向くのも、お互いを見つめ合うのも」
「だから、背中合わせがいい?」
「それでも構わない、と思えるような、ね」
ふうん、と。溢す俺はジンのグラスを傾ける。汗だけかいたモスコミュールを見つめて、彼の言葉を反芻する。
背中合わせでも、十分。それはつまり。
「自分勝手か」
「……なんとでも言えよ」
口にした俺に、しばらくぶりに彼は薄く笑った。
「それでも、互いの意志を押し殺してまで、同じ場所を見続けたくないだろ?」
「まあ、それは思うさ」
でも、支え合うことの何がいけないのか? 視線でそう投げかけた問いは、確と彼に受け止められた。
「……大学受験の時、親に放っておいて貰いたいと思うことはなかった?」
「それなりに」
「簡潔に言えばそれと同じさ」
……それだと、凄く、ダサいぞ? 微妙な顔をした俺に、彼も同じような顔になって頭を掻いた。
「ああ……心配してるぞってポーズとか、どうも俺は苦手らしいんだ。悪く言うと、心配してる私、献身してる私っていい女、みたいなのが、嫌なんだ」
「言い方に悪意がありすぎるだろう」
「そこは目を瞑ってくれ」
瞑れと言うくせに耳を塞ぐ振りをする彼に、アホかと一言置いてから続ける。
「お節介と言えばいいだろうに」
「ああ、そうそれ。それが苦手」
無機質な彼は鳴りを潜めたのか、苦笑を浮かべてモスコミュールを口にした。
「心配してくれるな、ってわけじゃない。けど安易に、全てわかっているかのような口振りで慰めてくれるな、励ましてくれるな――関わってくれるな、と思う。なんで態々そこまでして、他人のやることに熱心に関わろうとする。関わりがあるのなら、まだしも」
「関わりなら、あるじゃないか」
「なにさ?」
「自分の愛してる人がやっていることだぞ。関係、あるじゃないか」
「どこに?」
どこに、と言われて俺はすぐに返せず口ごもった。同じことを、繰り返しかけたからだ。
「愛しているから、心配するのが当然、なのか?」
まあ、それもそうかもしれないが、と彼は間に挟んで。
「それでも、無理にそこに関わろうとするのは、少し違うと思う。そんなことをされても、君の応援のおかげ、なんて、俺は思えないよ。……だから、支え合うことに、二人三脚に、意味が見いだせない」
「苦痛を分け合う、という意味ならあるんじゃ?」
「そういう感覚を分け合えると、お前、思ってたか?」
「まさか。無理に決まっている」
問い返されて、俺は断言した。そして、俺に代わって彼が答えた。
「“他者の感情の理解に、完全はありえない。即ち、感情を分け合うことなど不可能だ”」
彼が口にしたのは、そんな俺の持論だった。
「耳タコだったお前の言葉、漸く、俺にもすこーし分かった」
「それは重畳」
「まあ、それは置いておいてだ」
彼がモスコミュールを手にするのにつられ、俺もジントニックのグラスを掴む。カランと鳴った俺のグラスは、生憎、空だった。そっと置いて、ポンとベルを押した。
「俺の頑張りを、それに割いた労力を、伴った苦労を、分かったような顔で言葉をかけないで欲しい」
「なるほど」
「だから、彼女とは合わなかった」
来た店員に、同じオーダー。モスコミュールは、頼まない。
「俺には、そしてお前も、別々にやりたいことがある。進みたい道がある。……彼女にあったかどうかは、分からない。けどそのように、人間は関わり合いの存在である前に、やはり個として存在するはずだろ。あまりにも多く人間はいるから、進む先が重なって関わり合うことは、必要で当然のことにはなってくるだろうさ。けど、それでも、向かう先は違ってくるはずだ」
……ああ、だから。
「各々進む先で、もしかしたら隣り合うだろうし、見つめ合うだろうさ。そして時に、“背中合わせ”にもなると思う。常なんてなく、あっちこっちに俺らは色んな方を向く」
高々と彼は呷る。空になったグラスを置いて、締めた。
「それでも、構わないと思える人と、俺は一緒にいたいんだ」
「……」
「トイレ行ってくる」
席を立った彼の背を目で追わない。感じる違和感への思考に、ただただ没頭する。
愛とは、献身だ。だからこそ、愛する人のためになりたいと、そう思うことこそ正しいことなのだと、俺は勝手に思っている。
だが、彼曰く、それは望ましいものではないらしい。支え合うこと、そしてそのための互いの献身。それらは些か、邪魔であり、無意味であり、疲れるものであるらしい。
可笑しくないだろうか。よく分からないが、どうにも釈然としない。……だから、彼の一時の感情から来た戯言ではないか、とも疑ってみるが、それもそれで釈然としない。
なんだ。何が釈然としない。何かが足りてない。足りてない。言葉が足りてないのか?
「お待たせいたしました」
運ばれたジントニックを口にする。なんだか、少し味が薄い。考え事の所為だろうか。単純に、薄く作られてしまったのか。――ん? ああ、思いついた。
互いに必要な存在でありたい。と言うことを、彼は否定する。それはつまり、常に必要とはしていない、と言うことだろう。そうだろう。
そうしたらそれは、恋人の関係としては、愛し合う者同士の関係としては些か不安定で希薄すぎやしないだろうか。
恋人が支え合おうとするのは、献身するのは、変な話、自分も愛されたいからだ。愛する者のために何かを成すことで、愛を深めようとするからだ。
その過程の一切を否定するその在り方は、とても薄弱な関係性に見えて仕方がない。そんな愛情は希薄なのではないかと、思えて仕方がない。
「いや、待て、そうか」
違う。希薄などでは、ない。俺は気づいた。背中合わせでも構わないと思える、その在り方。それは。
「――おう、なんだ? 独り言か?」
「そんなところだ」
戻ってきた彼に、俺は微笑で返す。酒がない、と文句を垂れて彼がベルを鳴らしたから、俺もついでに頼もうとして手にした薄い酒を一気に呷った。
「どうした、急に」
「いや、なに。少し分かって、気分が良くなった」
「あ、そう」
そして再び各々酒を頼んで、それを待つ。酒が来たら、それを飲む。
「お前の考えに、全て賛同できるわけじゃあないが」
「んん?」
「――まあ、一々確かめ合う様な真似する間柄よりかは、断然いいな」
「……だろ?」
俺と彼の話は終わった。後は、ただ只管に、飲み明かすだけとなり、そして気持ちよく、俺たちは酔い潰れたのだった。
確かめ合う愛を、彼は好まない。男はそれに肯くけれども、彼の思う在り方とは違うらしい。
――もしかしなくとも、望む愛は人それぞれ。じゃあ、貴方はどんな愛を望みますか?
P.S.
なんでこんなの書いたか分からない。でも、できたから上げとく。
20150315_各箇所微修正
〃 0316_同上