9 新たな春
――季節は巡り、春。
私は2年生になり、恭平は3年生になった。
あれからも私は猫をかぶり続け、何のトラブルもなく学生生活を送っている。
地の私を見せられるのは今や恭平と雪乃の二人だけだ。
司先輩はあっという間に留学を決めてしまい、碌な挨拶もなしにスイスへ行ってしまった。別れ際に「お前は3割だと言ったが、オレは6割だったぞ」と言われたが、何のことやら分からなかった。
まああの人のことだ、あちらでも問題なくやっていけるだろう。
それはそうと、早朝のランニングも再開させた。今まで色々あってサボりがちだったが、春に入ってからは毎日欠かさず走れている。
今も朝日を浴びながらおなじみのコースを走っていた。
だが、今日はいつもとは事情が違っていた。
「待ってよ、理奈ちゃーん……」
背後から聞こえてきた息苦しそうな声に、理奈は振り返る。
「もうギブアップ? 昨日はもっと走れたじゃない」
「だってぇ……」
後ろを走っているのは雪乃だ。
雪乃は今学期から学園近くに下宿し始め、こうやって朝早くから二人で会えるようになった。これも、あの干支の作品展のお陰だ。
……と言うのも、あのニュースの後、雪乃の実家に相当な数の注文が入り、嬉しい悲鳴を上げているとのことだ。
恭平もたまにどこかの雑誌に取り上げられているようで、その筋ではちょっとした有名人になっていた。
そんな事を考えている間にも私と雪乃の距離は開いていく。
「仕方ないわね……」
理奈はスピードを落とし、とろとろ走る雪乃にペースを合わせることにした。
だが、歩調を合わせたことによりさらに雪乃はスピードを落とし、とうとう歩き出してしまった。
こうなるともう走るのは無理だ。
理奈も走るのを止め、雪乃の隣を歩く。
「ま、今日はこのくらいにしておきましょ」
「もう今日で止めていいかな……」
「一緒にランニングするって言い出したのは雪乃でしょ。最低でも一ヶ月は続けてもらうわよ……」
「うわぁ……」
雪乃は肩で息をしながらあからさまに嫌な表情を浮かべる。
「ほら、そんな顔しないで。残りはウォーキングよ」
「……」
とうとう無言になってしまった雪乃を強引に歩かせ、理奈は目的地へと向かう。
(廃材置き場……今日は到着が遅れそうね)
クリスマスを過ぎてからというもの、理奈は毎朝あの場所に顔を出していた。
当然、恭平とは仲直りし終え、今はなんとなく付き合っている感じだ。あいつが私の事を好きだと言ったのはあれっきりだし、特に改まって告白してくる気配もない。
私から言うのも癪なので待っているのだが、このまま待っていると高校生活が終わってしまいそうで怖い。
(今日こそ何とか言わないとね……)
ぶっちゃけ、恭平とは仲を深めたいと思っている。まだまだ知りたいこともあるし、何よりあいつの作る作品をもっと見てみたい。
作る過程まで特等席で見られるのだから、今のこの状況はかなり幸せだと思う。
恭平の事を考えていると、あっという間に廃材置き場に到着した。
雪乃の背中を押しながら中に入って行くと、見慣れた景色が見えてきた。
周囲をガラクタの山に囲まれたこの場所は、簡単にいえば秘密基地のようなものだ。秘密のアトリエと名付けようともしたが、それはちょっとアダルトな感じがしたので名称については保留状態だ。
今日はその秘密基地に恭平の姿はなかった。
いつも私達よりも先に来て作業をしているのに、今日に限って寝坊でもしたのだろうか。
色々な可能性を考えていると、不意に恭平の声が聞こえてきた。
「誰か……ヤバい……助け……」
「!!」
理奈はその声にいち早く反応し、雪乃をほっぽり出して声がした方向、秘密基地の奥へと進んでいく。
ガラクタの山を越え、ガラクタの密林を抜けると、恭平の姿が見えた。
あちらも私の存在に気付いたようで、安堵したように言う。
「理奈か、助かった。早くコレ持ち上げるの手伝ってくれ……」
恭平は大きなドラム缶を抱えており、中腰のまま停止していた。
デジャブを感じながらも、理奈は素早く恭平の反対側に取り付く。
そうすることでドラム缶は安定し、取り敢えず危機は去った。
バランスが安定したところで、恭平は改めてドラム缶を地面に置き、それにもたれ掛かりながらため息をつく。
「あー、危なかった……」
「何してるのよ、全く」
下手をすれば大怪我をしていたところである。無茶はしないで欲しいものだ。
恭平は「ごめんごめん」と適当に謝りつつ、ドラム缶の片側を少し持ち上げ、その場で回転させる。すると、ドラム缶は動き始め、秘密基地内の広い空間がある方へ転がり始めた。
「じゃ、戻るか」
「うん」
理奈はドラム缶を器用に運ぶ恭平の後を追い、雪乃がいる場所まで戻る。
恭平は雪乃に軽く挨拶すると、その空間の中央にドラム缶を設置し、その上にどこから取り出したのか、リボン付きの白い箱を載せた。
箱の大きさは少なくとも50センチ四方はあり、中身は全く想像できなかった。
「なにこれ?」
質問すると、恭平は待っていましたと言わんばかりに自慢気に答える。
「聞いて驚くなよ……クリスマスプレゼントだ」
「4ヶ月近く前の話を持ちだされてもねぇ……」
「準備するのに4ヶ月掛かったんだよ。……ほら、文句言わずに受け取れよ」
確かにプレゼントをくれと言った記憶はあるが、ここまで時期がずれているとムードもあったものではない。
まあ、進級祝いだと思って受け取っておこう。
理奈は早速リボンを解き、包装を剥がしていく。
「気に入らなかったらそこのガラクタの山に投げ捨てるからね」
「相変わらずひでえ女……」
恭平の愚痴を適当に聞き流しつつ、理奈は箱を開け、とうとう中身とご対面する。
中に入っていたのは複雑に絡み合う金属の管、その集合体はある楽器を形造っていた。
理奈はすぐにその中身を取り出し、興奮気味に声を上げる。
「うわぁ、コレってホルン? もしかして手造り!?」
「スゲーだろ」
すごいと自慢気に言うのも納得できるほどの出来栄えだ。
表面は綺麗に磨かれているし、パッと見たところ歪みもない。
(すごい……あ、そうだ)
理奈は一旦脇にホルンを抱えると、マウスピースをポケットから取り出し、吹き口に嵌める。そして、恭平に問いかけた。
「吹いていい?」
私の問いかけに対し、恭平は静かに首を左右に振る。
「……イミテーションだから無理」
「あ、そうなの……」
やはり、あれだけの楽器を一人で何の工作機械も無しに作るのは不可能だ。と言うか、機械があっても技術的に無理だ。
それでも、恭平が私のために贈り物をしてくれた事実は変わらない。
理奈はホルンのイミテーションを抱きしめ、恭平に礼を言う。
「ありがと、大事にする」
「ん、部屋にでも飾ってりゃいいさ」
小っ恥ずかしいのか、恭平は視線を上に向けて頬をポリポリと掻いている。心なしか口元もにやけているように見える。
「先輩、私にはプレゼントないんですか?」
ねだるように言葉を発し、恭平の背中にピタリとくっついたのは雪乃だ。
あれだけ散々振り回されたというのに、雪乃は相も変わらず恭平に対して積極的だ。雪乃曰く、ああやってわざと誂って恭平を困らせているらしい。
面白いので放置しているが、たまに本気の目をしているので侮れない。
そんな雪乃をひらりとかわし、恭平は廃材置き場の出口に向かう。
「また今度準備しといてやるよ。……ほら、学校行くぞ」
(もうそんな時間……)
理奈はホルンのイミテーションをドラム缶の上に戻し、恭平の背中を追う。
それにしても恭平から贈り物をされるなんて思っても見なかった。というか、何かを贈られるのは始めてかもしれない。
私も今度、何かプレゼントしてあげよう。こういう地道な努力が二人の関係をより密にしていくのだと思う。
(でもその前に取り敢えず……っと)
理奈は前を歩く恭平の隣に並び、強引に腕を組む。そして、そのまま腕を引っ張り顔を引き寄せると、恭平の頬に軽く唇を付けた。
「!!」
恭平は驚いた顔でこちらを見る。だが、その後すぐに呆けた表情を浮かべ、自分の頬を撫でる。全くもって初な反応である。
一連の表情の変化が可笑しく思え、理奈は吹き出してしまった。
「ふふ……」
「……何だよ」
「何でもない」
理奈は笑顔を返し、視線を前に向ける。
今までの私は常に受け身で、事あるごとに恭平の背中を追いかけてきた。しかし、恋路に関しては恭平の前を歩かせてもらおうではないか。
と言うか、私がリードしないといつまで経っても前に進まない気がする。
(ま、ゆっくり歩けばいいかな)
……それから学校に到着するまでの20分間、理奈は恭平の腕から手を離さなかった。