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7  不登校


 市内、住宅街の中程にある二階建ての普通の住宅。

 その家に庭は殆どなく、車庫も狭い。屋内もお世辞にも広いとは言えず、家電製品も全て数年前のモデルのものしか無い。

 そんな家の二階にある子供部屋。

 室内に備え付けられた木製ベッドにて、理奈は寝転んでぼんやりとしていた。

(今頃みんなホームルーム中かな……)

 時刻は朝の8時40分。とっくの昔に登校時間は過ぎている。

 しかし、理奈は遅刻しない自信があった。何故なら、欠席するつもりでいたからだ。

「――理奈ー、学校は?」

 階下から聞こえてきたのは母親の声だ。

 理奈はわざとらしく咳き込み、母親に応じる。

「げほっ、げほっ……今日も調子悪い。休むー」

「これでもう三日目よ。いい加減学校に行ったらどうなの?」

「だから、調子悪いんだって」

 昨日も一昨日もこれで押し通したが、さすがに今日は無理らしい。

 母親は階段を上って寝室のドアを開け、言い放つ。

「……明日は行くのよ」

「うん……」

「それじゃ、母さん仕事に行ってくるわね」

「いってらっしゃい」

 コートに身を包んだ母親は子供部屋のドアを閉め、そのまま階下へ向かう。その後すぐにドアの開閉音がし鍵を掛ける音がした。

 親には申し訳ないが、まだ学校に行ける気がしない。

 それもこれも、コンクールの時の大きなミスが原因だった。

 吹奏楽部自体は余裕で他校を圧倒し、県大会への出場権を手に入れることができたのだが、あんな大ポカをした後ではみんなに合わせる顔がない。普段偉そうにしていたぶん、何を言われるか分かったものではない。

 そして、恭平とも顔を合わせたくなかった。

 恭平と会えば絶対にあの時の雪乃のキスのことを思い出してしまう。

(雪乃……)

 それにしても、まさか雪乃があそこまで大胆なことをするとは思っていなかった。それだけ恭平の事を諦めきれず、また、私のことが嫌いなのだろう。

 雪乃のことを考えるだけで気が重くなってきた。

 ……辛い。

 今までこんなに辛い思いをしたことがあっただろうか。

 これまで私は、対人関係で問題を起こすたび、持ち前の毒舌で相手を負かしてきた。男子にだって負けなかった。

 そんな私が、雪乃に嫌いと言われただけで地獄に落とされたような辛さを感じている。ひたすら心が痛い。思い返すだけで涙が出てきそうになる。

 私は恭平と同じくらいに、いや、それ以上に雪乃の事を気に入っている。好きだと言っても過言ではない。

 雪乃は初めてできた仲間で、友達で、一番の味方だと思っていた。

 そんな人に嫌いと言われる絶望感……。

 理奈は、早くこの絶望感から抜け出したい気持ちでいっぱいだった。

(どうしたら許してくれるのかしら……)

 一番手っ取り早いのは、恭平と別れることだ。

 どうせあっちから告白してきたのだし、簡単に別れられると思う。

 しかし、別れたら別れたで、「すぐ別れるくらいなら、最初から付き合うな」と言われそうで怖い。

 仮に別れたとしても、雪乃との関係は完全には修復できないだろう。

 どっちに転んだって、どう足掻いたって雪乃とは仲直りできる気がしない。

「……」

 私はどうしたらいいんだろうか。

 ベッドの上で悶々としていると、おなかの虫が鳴った。

 何をしていなくてもお腹は減るものだ。

(朝ごはん、作ってくれてるよね……)

 理奈はベッドから降り、一階に移動することにした。

 自室を出ると、正面に二つのドアが見えた。両室とも開きっぱなしで中の様子がよく見える。

 ちなみに、この二部屋も私の部屋だ。

(そろそろ掃除したほうがいいかもしれないわね……)

 ……私は一人っ子だ。

 そのおかげで二階にある三部屋をほぼ独占状態で使えている。

 三部屋のうち一部屋は物置、一部屋は勉強部屋、そして私が先程まで寝ていたベッドがあるのが、最後の部屋、寝室だ。

 二階を後にし、階段を降りると微かに肉の匂いがしてきた。ウインナーかベーコンを使って料理してくれたのだろう。

 理奈はすぐにでもダイニングに向かいたかったが、それよりも自分の発する臭いが気になった。

 自室に篭っていたせいか、昨日は風呂に入っていない。

(先にお風呂かな)

 今朝は結構寒いし、シャワーでも浴びて体を温めよう。

 そうと決まると話は早い。

 理奈は脱衣所に入るとパジャマを素早く脱ぎ、朝の浴室に入った。



 私の予想通り、親が作り置きしてくれていたのはウインナーとベーコンエッグだった。

 シャワーを浴び終えた理奈はリビングにあるL字型のソファに座り、その朝食を食べながらテレビを見ていた。

 この時間帯にテレビを見ることはめったにない。

 現在は主にニュース番組が流れていて、地元の話題スポットやイベントなどが順々に紹介されていた。

 内容はクリスマスの売れ筋商品だとか、年末年始に関するイベントなどが主で、ショップモールにツリーができただとか、駅前に巨大門松が設置されただとか、そんなニュースが流れていた。

 テレビに映る人たちはみな厚着をしていて、外は寒そうだ。

 今私がいるリビングは暖房によって快適な温度に保たれている。そのおかげで、ズボンを穿かなくても全然寒くない。フリース生地のパーカーだけで十分暖かい。

 朝食を頬張りながらぼんやりテレビを見ていると、地元で開かれているとある作品展の現地取材が始まった。

 どうやら生放送らしく、レポーターはやや緊張気味に会場内を案内し始める。

 理奈はこの作品展の名称に聞き覚えがあった。

(『干支の作品展』……これってまさか……)

 理奈はテレビ画面を食い入るように見つめる。すると、一瞬だけではあるが画面に馬のオブジェを見つけた。

 綺麗で滑らかなたてがみに、流れるような尾……。

 それは、恭平が製作していた廃材アートの馬に違いなかった。やはり、テレビ越しに見てみるとより一層綺麗に見える。

 他の作品と比べて大きくて完成度も高くて、何より美しい。しかも、目立った場所に置かれているとあって、何度も何度も画面に映っていた。

 やがてカメラは動き始め、早速馬のオブジェにぐいっと接近していく。

 その際、オブジェの手前に説明書きのような物が見えた。

 そこに書かれていた大きな文字を見て、理奈は愕然とする。

(嘘でしょ……)

 そこには“最優秀賞”という四文字が書かれていた。

 レポーターは恭平の作品を背に、説明し始める。

「……そして、こちらがこの作品展の最優秀作品です。こちらは金属ゴミなどを組み合わせて作られた、ジャンクアートと言うジャンルの作品ですね。材料が材料なので、この中にあってとても目を引きます。しかし、もっと驚くべきは、これを製作したのが高校生だということなんです」

 長々と説明した後、カメラは作品を映すのを止め、再度レポーターを捉える。

 その際、先程までいなかった人物が二名出現していた。

 レポーターはその二人の学生を紹介する。

「それでは紹介しましょう。私立阿賀谷学園高等部二年生の玖保恭平くん、そして、同じく一年生の巴雪乃さんです」

 カメラを前にして恥ずかしげにはにかんでいるのは恭平だった。

 恭平はいつもとは違って制服をきちんと着ており、髪型も無難にセットされていた。隣にいる雪乃は普段と変わらぬ様相だったが、その表情は何時になく自信に満ちていた。

 なぜ雪乃までここにいるのかと疑問を抱いたが、その理由もすぐに分かることになる。

「この馬の作品を製作したのが、彼、玖保恭平くんなんです。隣の巴さんはこちらの兎の置物で優秀賞に輝きました。二人共高校生なのに、一般の出展者を押しのけてのダブル受賞です。すごいですね」

 よく見ると、雪乃は掌の上にその兎の置物を乗せていた。

 サイズは掌から少しはみ出るくらいの大きさで、躍動感にあふれた兎が台座に固定されていた。アレが陶器だというのだから驚きだ。

(いや、素直に感心してる場合じゃないわ……)

 今考えるべき問題は、何故二人が一緒にテレビに映っているかということだ。

 出展するとは聞いていたが、まさかここまで優秀な成績を収めるとは思っていなかった。

「……どおりで、家にも来ないわけだ」

 そもそも私が三日連続で休んでいることを知っているかどうかも怪しい。

 番組の中でレポーターはしゃべり続ける。

「実は駅前の陶器のオブジェを製作したのも彼女なんです。当時小学生だった彼女を取材した時の映像がこちらです」

 そう言った途端、画面が切り替わって過去のニュース映像が流れ始める。

 小学生の頃の雪乃はあまりレポーターの質問に答えられず、ずっと困り顔を浮かべていた。

 そんな映像が終わると、レポーターは二人にマイクを向ける。

「それでは改めてお話をうかがいましょう。……このたびは受賞おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 恭平は丁寧でいて上品にお辞儀し、レポーターと相対する。

「今の気分はどうですか?」

「とても嬉しいです」

「こういった作品を作ったのは初めてなんでしょうか?」

「いや、別に初めてじゃないですけど」

 恭平は無難に答え、余計なことを口にしない。 

 それが気に入らなかったのか、レポーターはマイクを雪乃に向ける。

「巴さんも受賞おめでとうございます。それにしても繊細な作品ですね」

 恭平とは違って、雪乃は笑顔で応える。

「はい、何度も失敗して諦めかけたんですが、恭平先輩が色々と教えてくれたり、一緒にデザインを考えてくれたりしたので、何とか完成させることができました」

「なるほど、同じ部員同士、協力したということですね」

「はい、ですから、今回の受賞は恭平先輩のお陰だと思ってます」

 雪乃はそう言いながら視線を恭平に向ける。

 その視線を追うようにカメラも恭平に向けられる。

「協力して作品を作る……お似合いのカップルですね」

 ここで時間が来たのか、レポーターはカメラに顔を向ける。

「……この作品展は2月の中旬まで公開されるそうです。……以上、文化会館からお伝えしました」

 その言葉を最後に画面がスタジオに戻り、続いてスポーツのニュースが流れ始める。

 野球の試合結果をぼんやり見つつ、理奈は先程のレポーターの言葉を反芻していた。

「お似合いのカップル、か……」

 ……確かに二人はお似合いだった。同じ美術部員だし、似た感性を持っているのだろう。

 正直、私なんかとくっつくよりも、奥ゆかしさのある、大人しくて可愛らしい雪乃とくっつくほうがあいつの為になると思う。私といても疲れるだけだ。

 そもそも、恭平と付き合い始めて結構経つが、恋人らしいことなんて一つもしてない。

 雪乃も虎視眈々と恭平を狙っているみたいだし、ここは素直に身を引いたほうがいいのではないだろうか。

 ソファーの上で膝を抱え、悶々としていると、インターホンからチャイム音が聞こえてきた。

(こんな朝早くに誰かしら……)

 特に疑問を感じることなく理奈はインターホンに出る。

 カメラ付きのインターホンには見慣れた学生服が映し出されていた。

「あれ? 阿賀谷先輩……」

 もう一限目も終わり、二限目が始まっている時間だ。何のために家まで来たのだろうか。

 阿賀谷先輩はインターホン越しに話しかけてくる。

「おはよう三瀬。今日もサボりか」

「風邪よ」

 何がしたいのか不明だが、わざわざ出て行くこともないだろう。

 理奈は一方的にインターホンを切り、ソファに戻って食べかけのウィンナーにフォークを突き刺す。

 どうせまたチャイムを鳴らすのだろうなと考えていると、今度は窓の外から先輩の声が聞こえてきた。

「見舞いに来てやったんだ。その態度はないんじゃないか?」

 庭側の窓を見ると、ダッフルコートに身を包んだ阿賀谷先輩がいた。立派な不法侵入である。

 阿賀谷先輩はそのまま窓越しに会話を続ける。

「それはそうと、コンクールですごいミスをしたらしいな。聞いた話によると、ホルンを投げ飛ばしたんだって?」

「……」

 やはり、私の大ポカは学校中に知れ渡っているみたいだ。

 学校に行っていたら今頃笑いものにされている所だ。

「もう……それ以上覗き見してると警察呼ぶわよ」

 これ以上阿賀谷に寝間着姿を見られたくなかった理奈は、カーテンを閉めるべくソファを離れて窓際に立つ。

 その時、綺麗に磨かれた窓ガラスに自分の姿が映った。

 その姿を見て、理奈はハッとする。

(あ、着替え……)

 私が着ているのは寝間着ではない。大きめのサイズのフリース生地のパーカーだった。

 裾が長いのでパンツは見えていないだろうが、生足の大部分が露出していた。

 しまった、と後悔したところで既に時遅し。

 阿賀谷先輩の視線はこちらの脚に向けられていた。

「フッ……。その格好、贔屓目に見ても、学校を三日も休んでいる病人には見えないなぁ」

 阿賀谷先輩はこちらの脚を見た後、馬鹿にするように鼻で笑った。

 まるで、そんなものは見慣れていると言わんばかりの態度だ。

(……実際、見慣れているんだろうけれど)

 金持ちでイケメンの阿賀谷先輩のことだ、彼女の一人や二人簡単にできるに違いない。

 そう思うと、とたんに恥ずかしくとも何とも無くなった。

 理奈はカーテンから手を離すと腕を組み、窓越しに冷めた目で阿賀谷を見つめる。

 暫くすると居た堪れなくなったのか、阿賀谷先輩はこちらから目を逸らした。そして、手に持っていた紙袋を窓の手前に置く。

「まあまあ、そんな目で見るな。見舞いの品も持ってきてやったから、これで機嫌を直すといい」

 紙袋を置いた先輩は、そのまま後退して窓から距離をとる。

 その動きに応じるように理奈は窓を少し開け、紙袋を室内に取り込む。

 再度窓にロックを掛け、紙袋の中を見ると、そこには有名洋菓子店の銘が刻まれた箱が入っていた。

 理奈は間を置くことなく箱を取り出し、中身を確認する。

「……わ、チョコレート」

 それもただのチョコレートではない、間に濃厚なフルーツジュレを挟んだ人気商品だ。この前テレビでやっていたからよく覚えている。

 こんなものを貰っておいて、先輩を寒い外に放置しておくのも失礼かもしれない。

「……玄関、開けてあげるからちょっと待ってて」

「お前、わかりやすい性格してるな」

 阿賀谷の呆れ口調のツッコミを聞き流し、理奈は玄関へと向かった。



(うわ、美味しい……)

 部屋着に着替え、阿賀谷を家に迎え入れた理奈は、早速チョコレートのお菓子に舌鼓を打っていた。

 ただ甘いだけではない、フルールの酸味が絶妙にマッチしていていくら食べても飽きない味だ。

 ソファーに座り、無心にチョコレートを食べていると、阿賀谷先輩が申し訳なさげに話しかけてきた。

「なあ三瀬、さっきから無言で菓子を食べているが、オレと何か話す気はないのか?」

 家に上げられたのに、放置されているこの状況に困惑しているみたいだ。

 それでも理奈は阿賀谷を突き放す。

「無理。これ食べる終えるまで黙ってて。……あ、テレビなら勝手に見てていいわよ」

「わかった、暫く好きにさせてもらう……」

 阿賀谷先輩は力なく笑い、通学用のカバンから何か道具らしきものを取り出す。それはいつも昼休みに使っている細かい作業用の道具だった。

 その道具類をキッチンテーブルの上に置くと、先輩は何も言わずに作業を開始した。

 ……それから20分後。

 一人で一箱分のチョコレートを平らげた理奈は、阿賀谷の手元を眺めていた。

 黙々と作業している様子を見ても仕方ないと思っていたのだが、これが意外と見ていて飽きない。

 しかし、横からじっと見ているのも何だか気まずい。

 そう思った理奈は遠慮なく話しかける。

「ねえ、何か話さない?」

 阿賀谷先輩は作業の手を止め、こちらをちらりと見てため息をつく。

「……ついさっき、黙っててと言ったのはお前だろう。もう忘れたのか」

「食べ終わるまで黙ってて、って言っただけで、ずっと黙ってろなんて言ってないわよ」

 こちらの言い分に、阿賀谷先輩は目を閉じ、首を左右に振る。

「確かに、言われてみればそうだったな。……分かった」

 阿賀谷先輩は作業道具をテーブルの上に丁寧に並べて置き、さっそく話題を提供してくれた。

「それじゃあ、お前の彼氏についてお喋りするか」

「恭平のことよね?」

「当たり前だろう」

 こうやって改めて他人から言われると何だか気恥ずかしい。

 私自身はあまり交際している実感はないので、そう認識されていると思うと何だか不思議な感じだ。

「……だが、この間の正門の前のインタビューの様子を見る限りでは雪乃のほうがお似合いな感じがするな」

 阿賀谷先輩は冗談めかして言う。

 私もそれが冗談だと理解していたが、あながち間違いとも思えなかった。

「そうね。あの二人お似合いよね……」

 沈んだ口調で告げると、慌てた様子で阿賀谷先輩がフォローに入った。

「待て待て、そこは否定するところだろう。自信を持って“私のほうが相応しい”だとか言ったらどうだ」

「……あの恭平に相応しいかどうかなんて分からないわよ。蔑ろにされてる感じだし」

「そりゃあ、病気で寝込んでるはずの彼女を放置してるんだから、そう思って当然か」

「そもそも、欠席してることも知らないでしょうね」

 話が進むにつれ、二人の間の空気が重くなっていく。

 そんな時、阿賀谷先輩が急に関係のないことを告げた。

「……前から言おうと思ってたんだが、苗字じゃなくて名前で呼んでくれないか」

「先輩の下の名前って何だっけ?」

「司だ」

「司……」

 よくある名前だが、阿賀谷にぴったりな名前だと思う。

 しかし、“司”と呼べと言われるとちょっと躊躇う。

「三年生相手に名前で呼ぶのはちょっと……」

 断ろうとすると、阿賀谷先輩は早速譲歩してきた。

「なら司先輩でいい。自分で言うのも何だが、阿賀谷っていう苗字、凄く呼びにくいだろう。利便性の問題だ。別に他意はない」

 呼び方が変わった所で別にどうこうというわけでもないし、提案を受け入れよう。

「それならいいんだけれど……。あ、そうだ。だったら私も理奈でいいよ。こっちのほうが呼ばれ慣れてるし」

「分かった」

 お互いの呼称を確認した所で、理奈はふと司に興味がわき、色々と質問してみることにした。 

「ところで司先輩、そろそろ受験シーズンだけれど、志望大学は決まってるの?」

 恭平から聞いた話だと、司先輩は文武両道の模範生らしい。さぞ、大学も名門を受験するのだろう。

 ……と予想していたのだが、私の予想は外れてしまう。

「大学には行かない。スイスに留学する」

「へー、留学かあ……留学!?」

 予想外の答えに驚く間もなく、司先輩は相槌を打つ。

「そうだ。向こうの語学学校で半年間勉強して、時計の職人学校に入る。悠長に大学でだらだらしてる暇はないからな」

「すごいわね。確かスイスはドイツ語だっけ?」

「いいや、オレが行く場所はフランス語圏だ。……と言うか、今のレベルでも日常会話なら余裕でこなせる。あっちでは主に文化、慣習、マナーを勉強するつもりだ」

「へー……、本格的ね」

 やはり、学園を経営している金持ちの家系となるとその夢も大きい。

 進路を聞いて適当に話そうと思っていたのだが、今度は司先輩に質問を返されてしまう。

「そういうお前はどうなんだ。毎日熱心にホルンを吹いているみたいだが、演奏家になるつもりなのか?」

「確かにホルンは好きよ。でも、これを仕事にできるほど上手くないわ」

「上手いかどうかじゃなく、どれだけ人生を捧げられるかだろう。半分以上捧げられるなら、仕事にしていいんじゃないか」

「何かすごい理論ね」

「伯父の受け売りだ。あながち間違ってないと思うんだがなぁ……」

 司先輩はそう言って笑う。話半分で聞いておこう。

 そんな話をしていると、またしても恭平が槍玉に上がる。

「雪乃は家の窯元を継ぐとして……、アイツはどうするんだろうな。何か聞いてないのか?」

「……知らないわよ」

 そもそも、恭平についてあまり知らない。

 家が明治の武家屋敷だったのも知らなかったし、干支の作品展とかで最優秀賞を取ったことも教えてくれなかった。

 これで本当に彼氏彼女の関係と言えるのだろうか、甚だ疑問だ。

 そんな事を考えていると、本日二度目のチャイム音が鳴り響いた。まだ午前中だというのに、こうも来客があるなんて珍しい。

 居留守をするわけにもいかず、理奈は席を離れてインターホンに出る。

 応答のボタンを押してすぐに聞こえてきたのは、先程まで噂をしていた人物の声だった。

「理奈、いるんだろ? 見舞いに来てやったぞ」

 玄関にいたのは恭平だった。

 先程までテレビに出演していたはずだ。あの後急いでここまで来たのだろうか。

 話したいこともあるし、とにかく玄関に行こう。

 理奈はリビングから小走りで玄関に向かい、ドアを開ける。

 そして、一言だけ告げた。

「……入って」

「お邪魔します」

 こちらが招き入れると、恭平は遠慮なく室内に入り、勝手にリビングへ進んでいく。

 先にリビングに入った恭平は「うおっ」という声を上げていた。多分、先客の司先輩に驚いたのだろう。

 驚く恭平を尻目に、理奈は司の隣に座り、早速恭平を責め立てる。

「で? 何で今日になるまで家に来てくれなかったの?」

「別にいいじゃねーか。……とにかく、元気そうで良かった良かった」

 私が元気に喋るさまを見て安堵したのか、恭平は笑みを浮かべてテーブルを挟んで向かい側の椅子に腰掛ける。

 コンクールでミスをしてから恭平とは会っていなかったが、こうやってそばにいるだけで心が落ち着くから不思議だ。先程まで散々恭平のことを否定的に考えていたのに、今はもうそんな事は考えられない。

 何も言わずにじっとしていると、司先輩が恭平に話を振った。

「干支の作品展、色々と大変だったみたいだな、恭平」

「滅茶苦茶大変でしたよ。でも、まさか、あんなのがテレビで取り上げられるとは思わなかったなぁ」

 恭平は今やちょっとした有名人だ。一週間も経てば、テレビで取り沙汰されることもなくなるだろうが、少なくとも学園の生徒の間では数ヶ月は話題になるはずだ。

 もちろん、恭平だけでなく、雪乃もそうだった。

「そう言えば雪乃はどうしたの? さっきまで一緒にいたじゃない」

「お、生放送見てくれたんだな。どうだった?」

「どうだったと言われても……、まあ、ハキハキ答えられてたと思うわ。……それはいいから、雪乃は?」

 しつこく問いただすと、恭平はやっと答えてくれた。

「雪乃は終わってすぐに学園に戻った。大事な授業があるんだとよ」

「ふーん……」

 授業をサボってまでお見舞いに来るわけがない。そもそも、嫌いな人間のお見舞いをするわけがない。

 理奈は雪乃に関して、さらに詳しく恭平に訊く。

「ところでさ、恭平は雪乃のことどう思ってる? 私と比べてみてどう?」

「そりゃあ、雪乃はいい子だと思うぞ。綺麗だし、一芸に秀でてる。面倒見もいいから将来はいい嫁さんになるだろうな」

 べた褒めである。

「私は……?」

「うーん、動物に例えると狼かな」

 いきなり例えられても困る。しかもそれが獰猛な肉食動物とあっては、文句を言わずにいられない。

「なによそれ、わけわかんない」

「すまん、さっきまで干支の動物に囲まれてたから、つい……」

 犬ならまだしも、狼はない。そもそも干支に入ってない。

 不平不満をぶつけようかと思っていると、恭平は自分なりの解釈を垂れる。

「でも、間違ってないと思うぞ。……一見自由な存在に見えて、確固たるプライドを持っているというか、気軽に近寄れない感じがするんだよな」

「ふざけないでよ。こっちは真面目に聞いてるのよ?」

「別にどうでもいいじゃねーか。俺はお前のことが好きなんだ。その事実は何があっても変わらないからな」

「……馬鹿みたい」

 好きと言われて一瞬狼狽えてしまったが、理奈は気を取り直して恭平を責める。

「好きだ好きだ言ってるけど、一体私の何が好きなの? どこが好きなの?」

 答えが返ってくる前に、理奈は矢継ぎ早に続ける。

「私の性格が珍しいから。学校で浮いた存在だから、興味本位で付き合ってるんでしょ。狼とか言ってるのがいい証拠よ。……どうせ私のことなんか、珍しい動物程度にしか思ってないんだわ」

「考えすぎだろ理奈。風邪のせいでおかしくなってるぞ。薬飲んで寝てろよ」

「風邪なんか引いてない。私は真面目に話してるの!!」

「何ムキになってんだよ。落ち着けよ」

 ここまで言っても恭平はまともに取り合ってくれない。

 もう、苛立ちを通り越して逆に悲しくなってきた。怒っていいのか泣いていいのか分からない。

 そんな微妙な感情は、理奈に本心を告げさせる。

「ねえ恭平、何でお見舞いに来てくれなかったの? 私、凄く寂しかったんだから……」

 寂しかったのは本当のことだ。

 できればコンクールでのミスを慰めて欲しいとも思っていた。

 そんな気持ちが篭った言葉だったのに、恭平は嘲笑を返してきた。

「寂しい? お前が? ……本気で言ってるのか? それ」

 馬鹿にしたようなその言葉に、とうとう理奈は感情を爆発させてしまう。

「出て行って……」

「……?」

「出て行ってよ!! この無神経の馬鹿野郎!! あんたなんか大っ嫌い!! ……絶交よ!!」

 理奈は席を立ち、大声で恭平に罵倒の言葉を浴びせる。ついでに近くにあったお菓子の空箱も投げる。

 恭平は動じていない様子だったが、無表情になっていた。

「……分かった。そんなに出て行って欲しいなら出て行ってやるよ」

 恭平は沈んだ声でそう告げると、何を言うでもなく家から出て行く。

「おい待てよ恭平……」

 司先輩も、恭平を追う形で外へ出て行った。

 来客者が二人共いなくなり、理奈は再び一人になる。

(……)

 それ以降、先輩たちが戻ってくることはなく、理奈は母親が帰ってくるまでソファの上で蹲っていた。


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