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6  事件

 ――早朝の河川敷。

 理奈は日課のランニングをしながら一週間前のことを思い返していた。

(あれから一週間か……)

 恭平から告白され、即OKしてしまったわけだが、今思うともっと考えるべきだったかもしれない。

 あの後、恭平と雪乃の間でどんなやりとりが行われたか、私は知らない。

 恭平はというと、単に「断った」と言うだけで、深く話そうとしない。肝心の雪乃は美術室に顔を出さず、顛末を聞こうにも聞けない。と言うより、気まずくてこちらから会いに行けないのが実情だ。

 学校には来ているみたいだし、普通に授業も受けているらしいのだが……。

(って、引け目を感じることもないわよね……)

 恭平は私のことが好きで、もともと雪乃のことはなんとも思っていなかった。

 雪乃から恭平を横取りしたのなら大問題だが、そんなあくどいことはしていない。

 今日は何としても雪乃と会おう。そして、私から事情を詳しく話しておこう。

 誤解が誤解を生んで勘違いされても困るし、こういう場合は説明をきちんとしておいたほうが、後々トラブルにならずに済む……はずだ。

 考え事をしながら走っていると、やがて廃材置き場に到着した。

 恭平は廃材置き場の外にいて、私の到着を待っていた。

「今日は遅かったな理奈。ほれ、スポーツドリンク」

 こちらが近づくと、恭平はペットボトルを放り投げた。

 理奈は飛んでくるそれを片手でキャッチし、走行から歩行へ移行する。

「危ないでしょ恭平。頭に当たったら死ぬわよ」

「死なねーよ……」

 恭平は軽く笑いつつ、自分が着ていたウインドブレーカーを私に着せてくれた。

 もうすぐ秋も終わる。日中はまだ暖かいが、夜中から朝方にかけては結構冷え込む。

「ありがと」

 理奈は恭平の親切心を素直に受け入れ、ウインドブレーカーの袖に腕を通す。

 ……暖かい。それに、何だか爽やかな香りもする。

(何考えてるのよ、私)

 理奈は、無意識のうちに鼻に近づけていた袖を後ろ手に回し、先ほど受け取ったスポーツドリンクのキャップを回しながら恭平に話しかける。

「恭平、私達付き合ってるのよね」

「ああ」

「もう一週間経つわよね」

「そうだな」

「なのに、いつもと変わらなくない?」

「それは俺も思ってた。本当に何も変わらねーよな」

 別に変化を望んでいるわけではないが、せっかく付き合っていると認識しあっているわけだし、それなりの刺激は欲しい。

「……断る理由がなかったとは言え、惰性で付き合うのは駄目だと思う。今の状態は、何だか雪乃に申し訳ないわ」

 雪乃の名前が出ると、恭平は思い出したように話し始める。

「そういや理奈、あれから雪乃と何か話したのか?」

「……」

 理奈は無言で首を左右に振る。

「ま、友達から恋敵になったわけだし、そう気安くは話しかけられないか」

「そんな、恋敵だなんて……」

「お前はともかく、雪乃はそう思っているだろうよ」

「……そんなの嫌」

 雪乃とはこれからもずっと仲良くしていきたい。

 割り切るのは難しいかもしれないが、話せば分かってくれるはずだ。

「決めたわ。今日こそ雪乃に会いに行く」

 何をどう話せばいいか今の時点では分からない。しかし、会ってしまえば何とかなるだろう。

 理奈は楽観的に考えていた。



 昼休みの校舎内。

 文化祭の熱はすっかり消え去っており、今はもう跡形もない。

 生徒同士の話題も、文化祭の思い出話から、次の連休や中間テストの話題に移っている。

 吹奏楽部でも次の吹奏楽コンクールのメンバーが決まり、今は課題曲と自由曲の練習に忙しい。私も当然のようにメンバーに選ばれ、練習に余念がない。

 昼休みに練習できないのがもどかしい程だ。

(さて、行きましょうか)

 昼休みが始まって十分。

 今頃雪乃は教室内で昼食を食べているはずだ。

 理奈は自教室を出て、上の階にある8組の教室へと向かう。

 廊下でたむろっている生徒たちの合間を縫って移動し、8組まで到着すると、理奈はその入口の前で立ち止まり、深呼吸した。

「ふぅ……」

 正直、緊張する。

 雪乃は私を見て何を思うだろうか。そして、どんな言葉を投げかけてくるだろうか。

 雪乃にとって私は、告白の寸前で恭平を奪った略奪者である。

 多少の罵倒は我慢するつもりでいた。

(よし)

 理奈は意を決すると8組のドアを開け、中に入る。

 教室中の視線が一瞬こちらに集まったが、二,三秒もすると全員が視線を外してくれた。その中で唯一私を見続けていたのは雪乃だった。

 雪乃は教室の真ん中辺りでクラスメイトと食事をしているようで、その手には可愛らしい弁当箱が見えた。

 理奈は教室の後ろから前へ移動して雪乃に近付き、話しかける。

「……久し振り、雪乃。最近美術室に顔出していないらしいけれど、どうかした? 恭平も心配してたわよ」

 話している間、雪乃はじっとこちらを見ていた。

 眼鏡のレンズ越しに見える瞳はひどく冷たく、顔も恐ろしいほどに無表情だった。

 雪乃は、こちらの話にすぐに反応することなく、一旦弁当箱を置いて一言だけ発する。

「話しかけないで」

 この言葉だけで、雪乃がこちらのことをどう思っているのか、理奈は瞬時に悟った。そして、何も言い返せなかった。

 理奈が黙っている間、雪乃と一緒に弁当を食べていた女子生徒は怪訝な表情を浮かべていた。

「誰? この人。美術部員?」

 この問いに答えたのは雪乃ではなく、また別の女子生徒だった。

「三瀬さんじゃない? ほら、1組の、毒舌とかで有名な……」

「えー、なにそれ、知らないんだけど」

「吹奏楽部の先輩とよく喧嘩してるって有名だよ。……でも、まさかユキちゃんと知り合いだったなんて、知らなかったなぁ」

 勝手に話すクラスメイトに対し、雪乃は笑いながら言う。

「ちょっと二人共誤解しないでよ、この人とは知り合いでも何でもないよ」

(え……?)

 他人のふりをするだなんて、やはり雪乃はかなりご立腹の様子だ。

 何か言われるのではないかと身構えていたが、まさか拒絶されるとは思ってなかった。罵倒以前の問題である。

 この雪乃の言葉には女子生徒も驚いたのか、雪乃に訊き返す。

「あれ? そうだったんだ。じゃあどうしてここまで来たんだろ」

「さあ分からない。ちょっと話聞いてみるから、廊下に出るね。……あ、勝手に弁当食べないでよ?」

「それは保証できませんなー」

「できませんなー」

 二人の女子生徒の冗談に対し雪乃は軽く応じる。

「はいはい。じゃ、ちょっと出てくるね」

 そして、席を立つと一人で廊下に出て行ってしまった。

「……」

 理奈も来た道を戻り、教室から廊下へと移動する。

 廊下では雪乃が待ち構えており、腕を組んでこちらを睨んでいた。

 気弱で頼りなかった雪乃からは想像もできない鋭い視線に、理奈は臆してしまう。

「あの、雪乃……」

 それでも話しかけようとすると、いきなり雪乃は捲し立ててきた。

「一体どういうことなの!? 私が先輩のこと好きだって、知ってたでしょ!!」

 やはりというか何というか、私の認識が甘すぎた。

 あれだけのことをしておいて怒っていないわけがない。

 怒った顔も意外と可愛いなと思いつつ、理奈は弁解する。

「勿論知っていたわ。でも、恭平に告白されたんだから仕方ないじゃない」

「仕方無くないよ。告白を断れば良かったのに」

「それは無理よ。だって、恭平の事を気に入っていたのは事実だったんだし……」

「だったら、最初からそう言ってよ。……やっぱり最低な人だね、理奈ちゃんって」

 雪乃は吐き捨てるように言う。

「先輩が自分のことを好きだって分かっていて、私を応援するだとか言ってたんだよね。必死にアピールしてる私を見て、内心では笑ってたんでしょ?」

 それは大きな勘違いだ。

 あの時は本気で応援するつもりだったし、その気持ちは今でも変わらない。

 しかし、その気持ちを伝えるには、私は口下手すぎた。

「そんな……。待ってよ、私はただ正直に……」

「もう話しかけないで。部室にも来ないで。私は、あなたのことは友達とも何とも思ってなかった。敵にしたくなかったから仲良しの振りをしてただけ。でも、仲良しごっこももう終わり。……理奈ちゃんなんて大嫌い」

 雪乃は一方的に会話を終わらせ、すぐに教室へ戻っていく。

 私も弁解を続けるべく教室に入ろうとしたが、何故か足が動かない。

(どうして……)

 理奈の頭の中では、雪乃の言い放った“大嫌い”という言葉が何度も何度も繰り返し反響していた。



 雪乃に絶交されてから一ヶ月が経った。

 ……この一月は本当に酷かった。

 何をするにも上の空で、授業も頭に入ってこないし、部活中も何度もミスをしたし、会話も成立しないくらいぼんやりしていた。

 コンクールも近いというのに、こんなことではメンバーに選ばれた意味が無い。

 自分でも分かっているのに、どうしても雪乃の怒った顔や“大嫌い”というセリフが頭をよぎり、集中できないのだ。

 この現象には驚かされたが、それよりも、こんな反動を受けるほど雪乃のことを大事に思っていた自分自身に愕然としていた。

 まだ仲良くなって数ヶ月しか経っていないのに、心の中にぽっかりと穴が空いている感じだ。

 その穴は自分では埋められそうにないし、ましてや恭平にも無理そうだった。

「理奈……理奈、聞いてるのか?」

「はへ?」

 不意に話しかけられ、理奈は飛びかけていた意識を引き戻す。

 現在、私は廃材置き場で恭平と二人きりで朝の時間を過ごしていた。

 既に季節は冬に差し掛かり、11月の朝の空は澄み渡っている。

 理奈は厚手のパーカーを羽織り、恭平は値の張りそうなフライトジャケットを着ていた。

 恭平は相も変わらず作業に没頭しており、スクラップを器用に切り貼りして動物の形に仕上げている。

 今回のモデルは馬らしい。

 フサフサのたてがみやさらっとした尾が、細かいバネや細長い部品で見事に再現されていた。

 恭平は馬のたてがみ部分を指さしながら再度こちらに問いかけてくる。

「“はへ?”じゃない、その角度から見てたてがみのバランスは大丈夫かって聞いてるんだ」

「あ、うん。ちょうどいい感じだと思うわ。グッドグッド」

 親指を立てて返事をしたが、恭平の反応は芳しくなかった。

 恭平は脚立から降り、缶コーヒー片手にこちらに近付いてくる。

「……もともと変だとは思ってたが、ここ最近は特に変だぞ。何かあったのか?」

「別に」

「別にって……何かあったんだろ?」

「だから、何でもないわよ!! ……放っといて」

 少し口調を強め、理奈は自分が座っているトラック用のタイヤをばんばんと叩く。

 この動きに恭平は「おお怖い」と呟きながらも、遠慮する様子もなく隣に腰を下ろした。

 思い切り叩いてしまったが、このタイヤは椅子にするには程よい弾力を持っており、中々座り心地がいい。

 恭平もそう感じたのか、溜息を付き、缶コーヒーをぐいっと飲む。

「ま、理奈がそこまで言うならもう言わねーよ。でも、相談して欲しいならいつでも言えよ?」

「……うん。ごめん」

 何だか諭されてしまったようで恥ずかしい。

 理奈は話題を変えるため、改めて馬のオブジェに注意を向ける。

「毎度毎度うまく作るわよね。馬か……確か来年の干支よね」

「おー、良いところに気がついたな」

 恭平は勢いをつけてタイヤから立ち上がり、馬のオブジェの隣に立つ。こうやって改めて見てみると、本物より一回りくらい大きいかもしれない。

 そのまま恭平は馬の足の部分を軽く叩きながら嬉しげに話す。

「実はこれ、人に頼まれて作ってるんだ」

「依頼されたの?」

 恭平は頷き、話を続ける。

「文化祭の時、正面に鷲を飾ってただろ? あれを見た美術の先生が関心持ってくれてさ、なんかの作品展に出展してみないかって勧められたんだ」

「“なんかの作品展”って……、そのくらい把握しておきなさいよ」

 思わず突っ込んでしまったが、出展を勧められるなんて凄い。

 恭平はそこまで光栄に思っていないようで、後頭部を掻きながら応じる。

「長ったらしくて覚えられねーんだよ。知りたいなら雪乃に聞けばいいさ」

「雪乃に?」

「そうそう。あいつも同じ作品展に陶器製のオブジェ出すらしいぞ」

「そうなんだ……」

 雪乃も美術部員なのだし、別に不思議ではない。

 しかし、続いて発せられたセリフは無視するわけにはいかなかった。

「作品展、干支の動物がテーマなんだが、雪乃は皿や壺しか作ったことなくて、部活中に色々と教えてやってるんだよ。これが中々上手くてな……」

 話を聞く限りでは、恭平は雪乃と普通にコミュニケーションをとれているようだ。それどころか、手解きするくらい普通に接しているらしい。

「え? 何? 恭平は雪乃にわだかまりとかないの?」

「まだそんな事気にしてたのか。……あの時は“付き合えない”って言っただけで、別に“嫌い”とは言ってないからな。今まで通り色々話したりするし、何も変わらねーよ。ま、昼休みは来なくなったけどな」

 当たり前のように話す恭平を見て、理奈はめまいを覚える。

 雪乃は私にだけあんな態度を取っているみたいだ。それに、まだ恭平を諦めていないようにも思える。

「そんな……」

 私の異変に気付いたようで、恭平は疑い深い表情でこちらを見つめる。

「もしかしてお前、あれから雪乃と話したりしてないのか? 随分前に仲直りに行くとか言ってただろ」

「行ったわよ。でも、その時に大嫌いって言われちゃったのよ」

「あー、それでか。お前が最近変だったのは」

「多分そう」

 それ以外に理由が見つからない。

 恭平は難しい表情で唸りつつ、シンプルな感想を述べる。

「厄介だなぁ、女同士ってのは」

「本当にそうね。それが嫌だからこんな性格で通してるけど、素のままを受け入れてくれた友達を失うのはかなり堪えるわね……」

 理奈は肩を落として俯く。

 すると、早速恭平が慰めに入る。

「そんなに思いつめるなよ。そうだ、俺からそれとなく雪乃に話しておいてやろうか。俺がお願いすれば雪乃も気持ちを変えてくれるかもしれないぞ」

「やめてよ。自分で何とかするから」

「そうか? まあ、コンクールも近いんだし、無理はするなよな」

「わかってるわよ……」

 恭平が間に入ったら余計状況がこじれるに決まっている。

 だからと言って、いい方法があるわけでもない。

(あぁ、どうしよう……)

 雪乃との関係修復に思い悩む理奈だったが、恭平に打ち明けたことで少しだけ気が楽になった気がした。




 12月初旬、吹奏楽コンクールの練習は佳境を迎えていた。

 放課後は勿論のこと、短い休み時間の間にも練習が行われ、吹奏楽部員は細かい修正に追われていた。

 演奏自体は既に出来上がっており、問題なく発表できるレベルに到達している。

 しかし、賞を狙い、県のコンクール、全国区に行くためにはもっと完璧に仕上げる必要がある。

 優秀な顧問のおかげか、吹奏楽部の演奏は高い水準を保っており、安定感もある。

 今の状態でも余裕で市のコンクールは突破できるだろう。全員その自信があるみたいで、演奏にもその思いが表れていた。

「ふぅ、疲れた……」

 休み時間の練習を終え、理奈は教室に戻って一息つく。

 この練習も今日で最後だ。何故なら、コンクールは明日行われるからだ。

 体調を崩さないように注意しておこう。

 残り10分の休み時間をのんびり過ごそうと思っていると、何やら外が騒がしいことに気がついた。

 クラスメイトの大半が窓に張り付いて外を見ており、物珍しそうな視線を送っている。

 私には関係のないことだ。

 気にせず仮眠を取ろうと机に突っ伏すと、そのタイミングでクラスメイトの会話が耳に入ってきた。

「なあ、何でテレビ局が来てるんだ?」

「ん? この間の文化祭の時美術部が無駄にでかい鷲の像作ってただろ? あれ作った部員を取材してるんだとよ。ほら、像の横にいる二年生、確か名前は玖保とか」

「あー、知ってる。あれ、よく出来てたよな。高校生のレベル超えてるって」

 この会話を聞くやいなや、理奈は席から離れて勢い良く窓に張り付く。

 庭園にあった鷲のオブジェは再びその姿を校門前に出現させており、カメラマンはその周囲をグルグルと回りながら撮影を行っていた。

 オブジェの横には恭平先輩がいて、レポーターらしき男性にマイクを向けられていた。

 恭平は今はきちんと制服を着ており、前ボタンをしめ、襟の部分まできっちり閉めていた。

 距離があるので声は全く聞こえないが、受け答えする様子からは余裕が見て取れた。

「あれ? 隣にいる女子は?」

「さあ、顔も見えないし分からないなぁ……」

 クラスメイトの言葉で、理奈はその時初めて恭平の隣に別の生徒がいる事に気がついた。どうやらオブジェの影に隠れて見え難くなっていたようだ。

 この角度からでは後ろ姿しか見えないが、その後ろ姿を私は知っていた。

「雪乃だ……」

 すらっとした体躯に艶のある長髪、スカートから伸びる白くて細い脚。そして、オドオドした態度。……間違いなくあれは雪乃だ。

 私のつぶやきはクラスメイトに聞こえたようで、すぐに話しかけられた。

「雪乃って……美術部の巴さんのこと?」

「そうだと思う」

 クラスメイトは確信を得たような表情で語る。

「なるほど、確か巴さんも陶芸で新聞とかテレビに出てたもんね」

「そうそう、駅前のアレも……」

 クラスメイトの会話を耳にしつつ、理奈は雪乃を観察する。

 どうやら雪乃も取材を受けているようで、マイクに向かって一生懸命に何かを話していた。

 雪乃も何だかんだ言って陶芸の分野では有名人だ。同じ美術部員としてついでに取材されているのかもしれない。

 二人共すごいなあと思いつつ眺めていると、気になる点を見つけた。

(あれ、何で腕が……)

 自然すぎて気付かなかったが、何故か雪乃は恭平にぴったり寄り添い、腕を組んでいた。恭平はレポーターの受け答えに集中しているようで、雪乃を気にしている様子は全くなかった。

 クラスメイトもその点が気になったのか、間もなくその話題が会話の中に出てきた。

「あれ、腕組んでない?」

「ホントだ。カメラの前で腕組とかすごいな。付き合ってんのかな」

「いや、普通付き合っててもカメラの前であれはできないでしょ」

「無理やりやらされてるのかな。“美術部カップル”とかさ」

「あー、あり得るかも」

 無理やりやらされていたとしても、雪乃が恭平にくっついているのは事実だ。

 私というものがありながら、どうして恭平は平然と受け入れているのか。しかも相手は一度振った女子だ。普通の神経ならあんな事できない。

 ……もうこれ以上は見てられない。

 理奈は窓から離れ、自分の席に戻る。

 ……やがて休み時間も終わり授業が始まったが、数分ごとに雪乃と恭平の情景がフラッシュバックし、教師の話は全く頭に入ってこなかった。



 吹奏楽コンクール当日。

 市民会館のメインホールには大勢の高校生が集まっていた。

 既にコンクールは始まっており、ホール内には金管楽器の奏でるメロディーが響いている。

 観客席に座っている高校生たちは、その演奏を静かに聞いていた。

 理奈はそんなホール内の様子を、舞台袖から眺めていた。

(いよいよ次ね……)

 この演奏が終われば、次は阿賀谷学園高等部の出番だ。

 吹奏楽部員は顧問を先頭して整列して並んでおり、理奈達ホルンパートは後方に待機している。

 ドキドキするが、不安はない。

 市レベルでは私達に敵はいないし、目を瞑っていても当たり前のように県のコンクールに出場できるだろう。

 大きな自信を胸に出番を待っていると、背後から囁き声が聞こえてきた。

「おーい、理奈、応援しに来たぞ」

 忍び足で近付いてきたのは恭平だった。

 別に立ち入りを禁止されているわけではないが、演奏前のこのタイミングで現れるとは思っていなかった。

「遅いわよ。今まで一体何してたの?」

 演奏前に、できれば会場に入る前に来て欲しかったが、今文句を言っても仕方がない。

 恭平もそれを重々承知のようで、言い訳をすることなく話を進める。

「別にいいだろ。それより、いい土産を持ってきたぞ」

 恭平はそう言いつつ、背後に向けて手招きをする。

 すると、物陰から眼鏡が似合う美少女、雪乃がでてきた。

 雪乃はこの暗い舞台袖にいても分かるくらい肌が白く、その長い髪も目立っていた。

「雪乃……」

 喧嘩別れした友達のいきなりの登場に、理奈は言葉に詰まってしまう。

 そんな私とは違い、雪乃はごく自然に話しかけてくる。

「頑張ってね理奈ちゃん。応援してるから」

「あ、うん……」

 不自然な態度に疑問を持ったのか、雪乃は演奏の音に負けじと声を張る。

「理奈ちゃんが緊張するなんて珍しいね。リラックスして頑張って」

 雪乃に続いて恭平も励ましの言葉を告げる。

「応援もらえてよかったな理奈、雪乃は別にお前を嫌ってるわけじゃないみたいだぞ」

 そう言って恭平はこちらの肩をばしばしと叩く。

 恭平の言葉で合点がいったのか、雪乃も笑顔で言う。

「私、先輩と理奈ちゃんが付き合ってること、全然気にしてないよ。むしろ理奈ちゃんなら安心して先輩を任せられるっていうか……、これからも仲良くしてね」

 雪乃は屈託ない笑顔をこちらに向けている。

 本当にあの時の事は気にしていないようだ。一切合切水に流してくれたのだろう。

「――おい、お前ら、そろそろ始まるから、後の応援は観客席からやれ」

 ここで、顧問が恭平達の存在に気付いたようで、注意が飛んできた。

 この注意をきっかけに、恭平と雪乃は舞台袖から出て行く。

「理奈ちゃん、私達、前の方で応援してるからね」

 それだけ言うと、二人は観客席の方へ戻っていった。

 ……結局、この間の正門での取材のことは聞けず仕舞いだったが、雪乃が仲直りしてくれたので別にいいだろう。

(雪乃……良かった……)

 本当に嬉しい。

 大嫌いと言ったのも、一時の気の迷いだったに違いない。

 本番直前の激励に元気付けられ、理奈の体に自然と力が入る。

 ……時を同じくして演奏が終わり、ようやく出番がやってきた。

 吹奏楽部員は、先ほど演奏していた高校と入れ変わるように舞台に出て、手早く楽器をセッティングしていく。

 理奈はいち早く準備を済ませ、パイプ椅子に腰を下ろす。

 舞台からはホール内がよく見渡せた。

 先ほどまでは一階部分にしか気が回らなかったが、上を見ると二階席、三階席があり、一般の人が座っていた。多分保護者か何かだろう。

 ……雪乃はどこにいるのだろうか。

 少し探すと手前の方で眼鏡がキラリと光り、すぐに二人を見つけることができた。

 雪乃は恭平の隣の席に座り、こちらに手を振っている。

 やはり、誰であれ応援されると嬉しい。それが雪乃とあれば、嬉しさも格別だ。

「――それでは阿賀谷学園高等部吹奏楽部の演奏です」

 課題曲が始まり、顧問の音楽教師が指揮棒を振る。

 そのタイミングに合わせ、部員全員が演奏を開始する。

 瞬間、完璧に調和がとれた音色がホール内に優しく響き渡った。

 ……課題曲は大人しい曲調のクラシック曲だ。

 この曲は賑やかな曲とは違って勢いで誤魔化すことができず、技術と調和性が浮き彫りになる、一瞬足りとも気の抜けない曲だった。

 出だしは好調で、滑らかでしっとりとした音色が壁にぶつかって反響し、ホール内の空気に染みこんでいく。顧問も手応えを感じているのか、どことなく満足げだ。

 恭平も演奏に感心しているようで、目を瞑って演奏に聞き入っていた。

 しかし、雪乃は恭平とは全く違っていた。

 雪乃は私を見つめ、不敵な笑みを浮かべている。まるで演奏など関係ないみたいだ。

 理奈は演奏を続けながらも雪乃の動向を観察する。

 やがて曲はとても静かな場面に突入し、ホール内はさらに静寂に包まれていく。

 ここが一番神経を使うシーンだ。一つのミスでもかなり目立つし、もしそれが連続して起きれば大減点は免れない。

 そんなシーンだというのに、雪乃はとんでもない行動に出た。

(え……)

 なんと、目を瞑る恭平に身を寄せたのだ。

 勿論これはわざとだ。その証拠に、ここからでも分かるほど雪乃の顔は真っ赤になっていた。

 あの大人しい眼鏡っ娘の雪乃がこんなことをする理由は一つしかない。大嫌いな私を動揺させるためだ。

 やはり、雪乃はまだ私のことを嫌っていたみたいだ。先ほどは恭平の前だからあんな嘘をついたのだろう。

 心が乱れ、ブレスも乱れそうになったが、理奈は何とか平静を保ち、演奏を続ける。

 だがそれも長くは続かない。

 続いて雪乃が恭平の肩に自分の頭を載せたからだ。

 その有り様を見て、理奈はとうとう音を一瞬外してしまう。

「……!!」

 瞬時に顧問の目がこちらに向けられる。

 顧問は指揮を続けながら、私を落ち着かせるようにゆっくりと瞬きをする。

 普通の部員ならこれで落ち着きを取り戻せただろう。しかし、私の場合は事情が全く違う。

 頭を載せられた恭平は目を開けて雪乃を見たが、雪乃は寝たフリをしており、恭平はそのままの体勢を維持していた。

(恭平、何してんのよ……)

 こんなことをしている間にも、雪乃は恭平に対してアクションを仕掛け続ける。

 恭平が再び目を瞑ったのをチャンスと判断したのか、とうとう雪乃はきつく目を閉じ、恭平の横顔にグッと顔を近づける。

(まさか雪乃……!!)

 間違いなく雪乃は恭平にキスをするつもりだ。

 今すぐにでも止めさせたかったが、この状況では不可能だ。

(やめて雪乃……お願い……)

 こちらの思いなど届くわけもなく、無常にも雪乃と恭平の距離はどんどん縮まっていく。

 やがて雪乃と恭平の距離はゼロになり、そのまま唇が頬に当たる……かと思われたが、目を閉じたせいで狙いがズレたらしい。

 雪乃の唇は恭平の首元、耳の下あたりに命中した。

 いきなりの感触に驚いたのか、恭平は目を開けて雪乃から離れる。

 無論、驚いたのは恭平だけではなかった。

「ッ!!」

 ……それは一瞬の出来事だった。

 静かな雰囲気をぶち壊すかのごとく、甲高いホルンの音がホールに響く。

(しまった!!)

 理奈は咄嗟にマウスピースから口元から離し、音を止める。

 これで何とか曲調を乱さずに済んだ。が、その時に大袈裟に動きすぎてしまったらしい。

 ホルンは私の手を離れ、重力に従って落下していく。

 練習の時には落下防止のためのストラップを付けているのだが、今はそんなものはない。

(待っ……!!)

 理奈はホルンを追うように両手を伸ばす。

 だが、そんな努力も虚しく、やがてホルンは床に衝突して鈍い衝突音を発生させた。

 ……それは、この場に最も似合わない、下品な音だった。

 その下品な音は瞬時にホール内に響き、会場内の空気を凍り付かせる。

「あ……ぅ……」

 理奈は慌ててホルンを拾い、演奏に戻る。

 しかし、落ちた時に何処か損傷してしまったらしい。吹けども吹けども正確な音は出ず、外れた音がさらに演奏をかき乱していく。

 ……これ以上は駄目だ。

 理奈は自ら楽器を腿の上に置き、演奏を放棄する。

 部員たちの間には険悪なムードが流れており、それは演奏にも表れているように思えた。

(どうして、こんな……)

 理奈はこの事故の原因となった雪乃に視線を向ける。

 既にそこには雪乃の姿はなく、それどころか恭平の姿もなかった。

「……」

 理奈は顔を両手で覆い、俯く。

 ……その後の自由曲の演奏の際、理奈の姿はステージの上になかった。


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