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2  女友達



「お邪魔しまーす」

 昼休み中、この美術室に来るのも今日で4度目だ。

 相変わらず阿賀谷先輩は小さな部品をヤスリで削っていて、雪乃はというと、重そうなろくろを教室の隅から引っ張りだしていた。

 理奈の挨拶に対し、雪乃は一旦ろくろから手を離して挨拶を返す。

「あ、三瀬さんいらっしゃい」

「理奈でいいって言ってるでしょ。あんまり遠慮すると逆に失礼よ」

「ごめん、……理奈ちゃん」

「それでよし」

 彼女とは何回か話したが、実にいい娘だ。

 もうすっかり友達と呼べる仲になったし、いっその事妹にしたいくらいだ。

(初めは根暗な女の子だと思ってたけど、見れば見るほど美人さんね……)

 あどけなさが残る顔に、白い肌、長くて綺麗な黒髪に華奢な体躯とくれば、女の私でも間違いを起こしてしまいそうだ。

 理奈は彼女にピタリとくっつき、ろくろを運ぶ手伝いをする。

 二人の女子が重いものを運んでいるというのに、阿賀谷先輩は手伝う気配すら見せない。

 と言うか、この人はいつからここで作業をしているのだろうか。授業に出ているのかすら怪しく思える。

「よ、みんな揃ってるな」

 遅れて美術室に入ってきたのは玖保先輩だった。

 玖保先輩は制服の上着を脱ぎ、それを適当に投げ捨てる。

 上着はバサバサと音を立てながら宙を舞い、教室隅に追いやられている机の上に着地した。

「それにしてもお前、ほんとにここ気に入ったんだな。毎日来てるじゃねーか」

「悪い?」

「もしかして、友達いないのか?」

「いたら一人でこんな場所に来ないわよ」

「そうだろうな」

 小等部の頃はまだ数名友達と呼べる者はいたが、中等部に進むに連れ友達は激減し、今は一人もいない。いるとすれば、つい先日できた雪乃くらいなものだ。

 その雪乃は現在上着を脱ぎ、泥にまみれた大きめのエプロンを装着していた。

 理奈は雪乃の背後に回り込み、紐を留める手伝いをしながら玖保と会話を続ける。

「そういうあんたこそ毎日来てるじゃない。友達どころか、話し相手すらいないんじゃない?」

「……」

 私の言葉を聞いて、前にいる雪乃が何故かがっくりと肩を落とす。

 その動きの意味がわからない理奈ではなかった。

「ごめん、雪乃も友達いなかったのね」

「いいの。本当のことだし。それどころか、女子のみんなに嫌われてるから……」

「まあ、こんなのだと嫌われても仕方ないよね」

「うぅ……」

「別に貶してるつもりはないわよ。同姓に妬まれるくらい、可愛いってことよ」

「え?」

 何も、美人や可愛い女子全員が嫌われ者になるわけではないが、雪乃のように大人しくて、気弱で、気取っていないのに男の目を引く女子となると、話は違ってくる。

 やはり、コミュニケーションが上手くできないと孤立するのは当然のことなのだ。

 これがひどくなると、いじめの対象になったりする。

 もしや、雪乃も虐められてたりするんじゃなかろうか。

(……許せないわね)

 こんないい娘を虐めるなんて許されないことだ。

 むしろ私が苛めたいくらいだ。

 そんな邪な事を考えていると、雪乃は何を勘違いしたのか、私に問い掛けてきた。

「もしかして理奈ちゃんも虐められてるの?」

「いや。むしろ私がみんなを虐めてるかもしれないわ」

 ……本音を言うだけで相手を傷つけるのだから、被害者の数は結構多いに違いない。

 つい先日もホルンパートの先輩を怒らせてしまったし、今日だって数学の教師を怒鳴らせてしまった。

「理奈ちゃん、いじめっこなの?」

 雪乃は眉をひそめてこちらを見る。心なしか身構えているように感じられる。

 虐めていると言っただけでこれだけの反応を見せるということは、雪乃は結構ひどく虐められているのではなかろうか。

 真剣に雪乃のことを考えていたのに、玖保先輩は空気を読まずに根も葉もない事を吹聴し始める。

「そうだぞ雪乃。こいつは無自覚で人を傷つける生粋のいじめっ子だからな。お前なんか5秒足らずで泣かされちまうぞ」

「あ……う……」

 玖保先輩の言葉を鵜呑みにした雪乃は、私から大袈裟すぎるほど離れ、教卓の影に身を隠し、動かなくなってしまった。やっぱり可愛い。

「ま、それは冗談として……雪乃が虐められてるってのは初めて聞いたな」

 急に声のトーンが変わり、理奈は思わず玖保に目を向ける。

 玖保の表情はとても真剣で、小動物であればそれだけで殺せそうなほど、鋭い眼光を放っていた。

 玖保先輩が何を考えているのか、悩むまでもなく理奈は理解できた。

「もしかして、仕返しするつもり?」

「よくわかったな。どこの誰かは知らねーが、思う存分辱めてやる」

 何やら雲行きが怪しくなってきた。

 私もいじめっ子に制裁を加えるのは賛成だが、闇討ちなどをして問題になってはまずい。

 まずは教師に相談すべきだ。

「ちょっと待ちなさいよ。まずは雪乃から詳しい事情を聞いて……」

「オレも手伝おう」

 そう言ってこちらに近寄ってきたのは阿賀谷先輩だった。

 ずっと無言で作業をしていて、こういうことには興味が無いと思っていたが、意外と部員想いらしい。

 相手も分からぬというのに、先輩方は勝手に相談し始める。

「さて、どうしてやろうか……。暴力は駄目だし、セクハラも論外。……阿賀谷先輩は何かいい考えあります?」

「拷問……かな」

「なんですかそれ、中世の貴族でもいきなりそんな事言いませんよ」

「他にいい考えがあるんだな?」

「拷問よりもっといい方法は絶対ありますよ。……て言うか、そんなに拷問したいんですか」

「……なら、発想を変えてみるか」

「お、何かいい方法でも思い浮かんだんですか?」

「オレたちが直接制裁を加える必要はない。間接的に応援すればいい」

「と言うと?」

「雪乃を鍛えればいい。ボクシングでもやらせたらどうだ」

「それは……名案ですね」

(駄目だこの人達……)

 勝手に話を進める男二人を無視し、理奈は雪乃の気持ちを聞き出す。

「あんな事言ってるけど、雪乃はどうして欲しい? 私も力になるよ」

「ありがとう、でもいいの。変なことすると余計にひどいことされそうだし」

「負け犬の発想ね」

 雪乃はこの言葉に過敏に反応する。

「負け犬って……そんな、ひどい……」

「事実よ。泣き寝入りするつもり?」

「でも……」

「“でも”じゃない。とにかく、雪乃を虐めてる生徒の名前、教えなさい。早く教えないとボクシングジムに通わされることになるわよ」

「うぅ……」

 どうしていいのかわからないのだろう。

 雪乃はとうとうエプロンの裾で顔を隠し、すんすんと泣き出してしまった。

「おい、お前が虐めてどうするんだ」

「ごめん。こうなると、私達で調べるしかないようね」

 地道に聞き込んで、いじめっ子を特定するしかない。

 特定できれば後は煮るなる焼くなり何でもできる。こちらには復習という大義名分があるのだし、遠慮なくやらせてもらうつもりだ。

(大仕事になりそうね)

 たとえそれが野蛮なことでも、誰かのために動くというのは悪くない。

 そう思う理奈だった。



 いじめっ子はその日の放課後までに特定することができた。

 全員で3名の女子グループで、彼女達が主立って雪乃にちょっかいを出しているということだった。

 その3名は現在下校中で、薄暗くなりつつある道をお喋りしながら歩いていた。

(こんなに早く見つかるなんて……男子の情報網も侮れないわね)

 初めは女子のネットワークを頼って情報を得ようと思っていたが、こちらを特定されると困るし、男子に聞き込みをすることにしたのだ。

 男子の殆どが雪乃の事を知っており、惜しげも無く情報を教えてくれた。雪乃は結構人気があるのかもしれない。

 ただ、身を挺して彼女を守るほど度胸のある男子はいなかったようだ。

 情報によれば、雪乃を虐めている女子3名は成績優秀者らしく、クラスでも幅を利かせるとのことだ。

 相手が素行の悪い女子などなら遠慮無く仕返しできるのだが、ああいう真面目そうな生徒を相手にするのはほんの少し抵抗がある。

 しかし、制裁を加えないわけにはいかない。

「これからどうするんだ理奈」

 私に問い掛けてきたのは隣を歩く玖保先輩だった。

 玖保先輩の視線は前を歩く女子生徒に釘付けになっていた。

 ……こうやって男子と肩を並べて下校するのは初めてかもしれない。

 しかし、今はそんなことよりいじめっ子に集中しよう。

「まずは事実確認ね。多分間違ってはいないと思うけれど、人違いってこともあるわけだし」

「じゃあ、俺が聞いてこようか?」

「そうね、お願いするわ」

 理奈は隣を歩く玖保先輩の背中をぽんと叩き、前方に出させる。

「本当は、こういうのは阿賀谷先輩が得意なんだけどなぁ……」

「ない物ねだりしても意味ないわよ」

 阿賀谷先輩は今もまだ授業中だ。来るべき受験に向けて、さっさと教科書の内容を済ませてしまおうという方針らしい。

 玖保先輩は愚痴を漏らしながらもずんずんと前に進んでいき、やがて彼女達に追いついた。

 玖保先輩は女子達の前に立ち塞がり、軽い口調で質問する。

「ねえねえ君たち一年生? 俺は二年の玖保っていうんだけど、ちょっと訊いていいかな?」

 彼女達は足を止め、真面目に応対した。

「何でしょうか、先輩」

 何故か女子たちは浮き足立っている。ああ見えて玖保先輩はかっこいい部類だし、女子達が何かを期待しても仕方がないというものだ。

 3名はお互いにアイコンタクトをしてニヤニヤと笑っていたが、続いて飛んできた質問のせいでその笑顔は一瞬にして消え去る。

「……お前らが巴雪乃を虐めてるって話を聞いたんだが、本当か?」

 女子たちは少しの間言葉に詰まっていたが、10秒もすると、前髪を切りそろえた女子から回答が返ってきた。

「まさか、そんなことしてないです。巴さんとは仲良くさせてもらってます」

「嘘をつくな。本人から色々と聞いてるんだよ」

 雪乃本人から話を聞いたというのは嘘だ。

 しかし、このセリフは効果覿面のようで、呆気無く彼女達は白状した。

「虐めてるって言うより、相手してあげてるって感じなんだけど」

「そうそう、いつも一人で可哀想だから、弄ってやってるだけよ」

「だよね。別に嫌がってる感じじゃないし」

 まるで無問題であるかのような口ぶりの彼女達に対し、玖保先輩は呆れたふうに言う。

「無自覚かよ。本当に救えねー奴らだな」

 恭平先輩の言葉に苛立ったのか、彼女たちは言い返してきた。

「さっきから何なんですか? 別に一年の女子が虐められてたっていいじゃないですか、先輩には関係ないですし」

 あっけらかんという彼女に対し、理奈は言葉を抑えることができなかった。

「馬鹿じゃないの? 関係ないわけないじゃない。無関係な人間ならわざわざ話しかけたりしなわよ。そのくらい分かりなさいよ」

 今まで離れた場所から様子見していたのだが、ああ言われて黙ってはいられない。

 理奈は玖保を通り越して3名の女子に肉薄し、彼女たちを睨みつける。

 女子生徒は一瞬怯んだものの、強気な姿勢を貫く。

「あんた誰? いきなり現れて邪魔しないでくれる?」

「私は雪乃の友達よ」

 女子たちは納得したように頷く。

「なるほどね。でも残念、二年生を一人連れて来た所で意味ないわ」

「いじめを止めるつもりは全くないってことね」

 彼女達はいじめを認めたにも関わらず、それを止めるつもりはない。

 遠慮無く制裁を加えられるというものだ。

 こちらが不敵な笑みを浮かべると、彼女達の表情に焦りが見え始めた。

 玖保先輩もその焦りを見逃さなかったようで、急に押し黙ってゆっくりと彼女達に近寄っていく。

「な、何よ。何するつもり?」

「何もしねーよ。お前らが雪乃から手を引くって約束するんならな……」

 そのセリフと同時に、玖保先輩が持っていた手提げかばんから何かが地面に落下した。

 それは金属製の道具のようで、アスファルトの地面とぶつかって鈍い音を周囲に響かせる。

 見ると、地面には巨大なカッターが……ボルトカッターが落ちていた。

 それは、ペンチをそのまま大きくしたような工具で、映画などで悪党がドアのチェーンを切断するときによく使うものだった。

 そんな物騒なカッターに続いて、先輩のカバンの中からは糸鋸やバールのようなものまで出てきた。

 私は、地面に落ちているこれらが廃材アートを作るための道具だと理解できた。だが、彼女たちには分かるはずもない。

「まさかそれって……!?」

 彼女達にとって、この工具は危ない道具以外の何物でもない。

 玖保先輩はおもむろにボルトカッターを持ち上げ、その重厚な刃を彼女達に向ける。

「おう、これで色々切るんだ。結構高かったが、その分切れ味は最高だぞ」

 この言葉は、彼女達に誤解を植え付けるには十分だった。

「ヤバい、この人やばいって……」

「でも、まさか、ただのイジメくらいでそんなことするわけ無いって……」

「そ、そうだよね。そんな事して怪我でもさせたら退学だもんね」

 女子3人組はボルトカッターを持つ先輩に怯えている様子だ。

 先輩もその事に気付いたらしい。ニヤリと笑みを浮かべる。

 あれは悪巧みを思いついた時の笑い方だ。

(先輩、何するつもりだろ……)

 彼女達が内輪で何やら話している間も、先輩はボルトカッターを手に、距離をジリジリと詰めていく。

 その距離が3mを切った時、突然先輩は唸り声を上げた。

「ぅああぁぁ!!」

 その大声に呼応するように、いじめっ子たちは悲鳴を上げる。

「ギャー!?」

 どこかの三流ホラーのような芝居がかった叫び声だったが、彼女達に恐怖を植え付けるには十分だったらしい。

 彼女達は一目散に走って逃げていく。

 だが、恐怖のせいで脚が上手く動かないのか、三名ともが腰砕けになって数メートルも走らないうちに地面にへたり込んでしまった。

 そんな彼女たちに追い打ちをかけるように、先輩は至近距離でカッターの刃を打ち鳴らし続ける。

 一人は既に嗚咽を漏らしており、一人は先輩を見上げたまま奥歯をガタガタ鳴らして震えており、一人は格好も気にしないで四つん這いになって逃げようとしていた。

(うわぁ、ひどい……)

 素行が悪そうな男子高校生がいきなり凶器を持って襲いかかってくるとなると、この反応も当然のように思える。

 まあ、自業自得だ。

 玖保先輩はこの状況を楽しんでいるようで、ひと通り脅し終わると携帯のカメラで彼女達の情けない姿をローアングルからパシャパシャと撮っていた。

「先輩、調子に乗り過ぎ」

「何言ってんだ。これは証拠写真だ。これをネタにすれば色々と……」

「今すぐそのケータイ寄越しなさい。壊してやる」

「冗談、冗談だって……それより、人が来ると面倒なことになりそうだし、さっさとここから離れるか」

「それは賛成……」

 これだけやれば彼女達もおいそれと雪乃に手は出せないだろう。

 理奈は未だに立ち上がれない彼女達を若干可哀相に思いつつも、この場から離れることにした。



「――あー、スカッとしたわ」

「だな。あんな大袈裟に驚くとは思ってなかったなぁ」

 いじめっ子の元から逃げた二人は、今は夕暮れの河川敷をのんびり歩いていた。

 つい数分前に阿賀谷先輩から連絡があったのだが、先輩曰く、現場は結構な騒ぎになっているようで、パトカーまで駆けつけたらしい。路上で腰を抜かした女子高生を見て、慌てて通行人が通報したということだ。

 あの時のことを思い出すと、自然と笑いがこみ上げてきた。

「んふふ……」

 私の声につられるように、玖保先輩も笑い声を漏らす。

「ふふ……」

 しかし、笑い声はそれ以上大きくはならず、やがて溜息に変換された。

「ふぅ、とにかくこれで安心だな。雪乃にも連絡しといてやれよ」

「だから、私はケータイ持ってないって言ったでしょ。明日、学校で伝える」

 雪乃は喜んでくれるだろうか。

 喜ばれなくても見返りを要求するつもりだし、あまり考えなくてもいいだろう。

「……ところでお前さあ、運動部でもないのに毎朝この辺り走ってるよな。もしかしてダイエットか?」

 先輩に話しかけられ、私は河川敷の公園に目を向ける。広い公園には小学生らしき集団が見え、楽しそうにボールを追いかけていた。

「日課に近いかもね。走ると気持ちいいし、鍛えると体調もすこぶるいいのよ」

 律儀に答えてやった所で、今度はこちらから質問する。

「あんたも毎朝廃材置き場で作業してるみたいだけど、何のためにあの作品作ってるの?」

「それは……」

 玖保先輩は語尾を伸ばし、暫くの間首を傾げて悩ましい表情を浮かべる。

「言われてみれば、考えたこともなかったな。……俺も日課みたいなもんかもな」

「何の目的も無しにあれだけの物を作ってるだなんて、にわかに信じがたいわ」

「きっかけはどうであれ、日課ってそういうもんだろ」

 玖保先輩はそれ以上この話題に触れたくないのか、会話を中断して前方にあるコンビニを指さす。

「小腹も空いたし何か食うか? 奢ってやるぞ」

「いい。太るから」

 即答すると、玖保先輩はニヤリと笑う。

「やっぱダイエットの為に走ってるんじゃ……」

「しつこいわよ。そんなに奢りたいのなら奢られてもいいわよ」

「そうこないと」

 先輩は嬉しげにいい、足早にコンビニに向かっていく。

 私もその後を追い、数十メートルの小走りの後ようやくコンビニに到着した。

 店内は明るいものの閑散としており、店員さんも暇そうにあくびをしていた。

 先輩はすぐにレジに向かい、暇そうな店員に注文する。

「肉まんとあんまん、一つずつ」

「かしこまりましたー」

 店員は慣れた手つきでトングを扱い、温蔵庫から紙袋に肉まんと餡まんを移し替える。

 精算が済むとすぐに先輩は商品を受け取って外へ出た。

 コンビニの外にでると、先輩は早速紙袋から白い物を取り出し、こちらに手渡した。

 見ただけでは肉か餡か判断できなかったが、手に持つとすぐにどちらか判断できた。

「どうしてあんまん?」

「要らないのか?」

 先輩は既に肉まんを齧っており、満足気に咀嚼している。

 今さら交換できないし、甘んじて餡まんを受け入れよう。

「……もちろんいるわよ」

「正直なのはいいことだな」

 先輩は店のすぐ近くに設置されたベンチに座り、足を組む。

 理奈は両足を揃えて隣に座り、早速餡まんをかじる。

 餡まんも悪くはないが、やはり肉まんの旨味の方が好みだ。

「奢ってくれたのはありがたいけれど、何で選ばせてくれなかったのよ。肉まんのほうがよかったわ。あんまんは4番目くらいに好き」

「4番目ならいいじゃねーか……。ところで、一番は?」

「ピザまん。他のランキングも聞きたい?」

 特にチーズたっぷりの物がいい。そのまま食べ物の話でもしようかと思っていると、先に先輩が別の話題を振ってきた。

「ランキングっつーと、結構注目されてるらしいぞ、お前」

「私が?」

「先生にも先輩にも物怖じせずにはっきりと文句を言うし、口も達者。その上容姿も悪くない。注目されて当然だろ」

「なにそれ、結構嬉しい」

 別に進んで人気者になりたいわけではないが、ちやほやされたい願望はある。

 女子ならみんな、多かれ少なかれそういう願望はあるはずだ。

 理奈はふと玖保がどう思っているのか気になり、ストレートに質問を投げかける。

「先輩、私の事どう思ってる? 特に容姿について」

「お前、男相手によくそんな事聞けるな……」

「いいから言ってみてよ」

 理奈は餡まんを口元から離し、短い髪をおもむろにかき上げ、にまりと笑いながら玖保の顔を覗き込む。

 玖保先輩は視線を前に向けたまま、淡々と述べる。

「まあ、可愛いかな。……雪乃には劣るが」

「それは、認めざるをえないわ……」

 雪乃の美少女レベルを95とすると、私は良くても75か、大目に見ても80くらいだ。好みは人それぞれと言うが、やはりある程度の基準は存在する。少なくとも私の顔面はその基準は越えていると思うし、それで満足しておこう。

 理奈は餡まんをぺろりと平らげ、ベンチの上で膝を抱える。

 すると、自然と感情が言葉になって口から出てきた。

「あー、楽しい」

 誰かと一緒に下校して、買食いするなんて初めてかもしれない。

 その相手が気の合う人間なら、その楽しさも格別だ。

「先輩といると気が楽かもしれない。案外気が合うのかもね、私達」

 玖保は黙ってこちらの言葉に耳を傾けていたが、間を置いて小さく呟く。

「気が合う、か……。否定できないのが悔しいな」

「やっぱり、そっちもそう思ってたんだ」

 理奈はベンチから立ち上がり、玖保の正面に立つ。

「私ってこんな性格でしょ? 誰かと普通に会話するのは難しいと思ってたし、理解者なんて現れないと思ってた。でも、先輩にならなんでも話せそう。ホント不思議」

「お前、本当に思ったことそのまま口にする奴なんだな。ここまで裏表ないと逆に清々しいぞ……っと」

 それだけ言うと、玖保先輩もベンチから立ち上がった。

「そろそろ帰るか」

 気が付くと空はすっかり暗くなっており、街頭にも明かりが灯っていた。

 遅くなる前に帰宅せねばならないと分かっているのに、理奈はこの時間を終わらせたくないがために、尚も話し続ける。

「ねえ、あの作品を見せてくれるって約束、忘れてないわよね?」

「もちろん。次の日曜日……3日後、楽しみにしてろよ。具体的な予定は明日の昼休みに……」

「どうせ日曜日なんだし、ついでにどこか遊びに行かない?」

 こちらから提案すると、玖保先輩は小さく笑った。

「何だ、妙に積極的だな」

「いいじゃない。で、どうなのよ」

 再度問うと、玖保先輩は仕方がないという感じで首を縦に振った。

「別にいいぞ。でも、遊ぶのは午後を過ぎてからにしてくれよ」

「なんで?」

「午前中は例のごとく製作活動で忙しいんだ」

「ふーん、まぁ、会えればどっちでもいいわ」

 せっかく了承してくれたのだ。あちらの都合に合わせるのが道理である。

 話がついた所で、理奈は家に帰るべく西へ向かう。

 玖保先輩も同じ方向に歩き始めた。

「先輩の家ってどこなの? まだ遠い?」

「いいや、ここから北に徒歩10分ってところかな」

「え、方向違うけど……?」

 事実を述べると、玖保先輩はさも当たり前のように言い放つ。

「家まで送ってやるよ。夜道は危ないからな」

「先輩と夜道歩いてるほうが危ないと思うんだけど?」

「思ってもないこと言うなよ……。つーか、いい加減“先輩”って言うのは止めてくれ」

 話を逸らされた気がするが、私もこの意見には同意だった。

「私も“先輩”っていうのはちょっと違和感があるって思ってた。……なんて呼ぼうか? 玖保さん? 玖保先輩?」

「恭平でいいぞ」

「分かった。恭平ね」

「本当に遠慮ないやつだなお前は……」

 呼び方が決まった所で、理奈は同じ話題を問い返す。

「そういえば、恭平って私を名前で呼んだこと一度もないよね」

「え? 理奈って何回か言った記憶があるんだが?」

「無いわよ。この歳で痴呆とかシャレにならないわよ」

「マジか……」

 ……それから自宅に到着するまで、理奈と恭平は他愛のない会話を続けていた。



 日曜日。

 理奈はいつものようにジャージに身を包み、朝のランニングを行っていた。

 休みの日くらい休んでもいいように思えるが、日課なのだから仕方がない。逆に、ランニングしないと落ち着かない気がする。

 特に今日は落ち着く必要がある。

 何故なら、今日はどこかに遊びに行くと恭平と約束した日だからだ。

 予定としては、昼前に恭平の作品を見せてもらって、そのまま午後から街の方に行く予定だ。

 何だかんだで中心商店街までは結構近いし、移動もそれほど苦にならないはずだ。

(さて、どんな服を着て行こうかな……って、これじゃまるでデートね)

 そう思った瞬間、理奈はこの事態の重大さを再認識する。

(いや、間違いなくデートだわ……)

 しかし、恭平はそうは思っていない可能性が高い。こちらが変にめかし込むと笑われてしまいそうだし、普段着で行ったほうがいいかもしれない。

 でも、それだと先輩に対して失礼な気がする。

 仮にデートじゃないとしても、私も一応女子高生なわけだし、男女で歩いても恥ずかしくない格好をしたほうがいい。

(可愛い服、家にあったかなぁ……)

 最後にひらひらの服を着たのは1年前、従兄の結婚式に参加した時だ。それ以来、制服と部屋着しか着ていない。

 一応、母親の勧めもあって、顔に関しては、眉を整えたり化粧水を使っているが、おしゃれに関しては本当にそれだけしかやってない。

 髪は毎日適当にセットしていて、ヘアアイロンだとかヘアスプレーなどは一度も使ったことがないのだ。

 雪乃みたいな長い髪なら嫌でもセットする必要があるのだろうが、万年ショートカット&癖っ毛の私には無縁な話だから仕方ない。

 雪乃のことを考えたせいか、理奈は昨日の昼休みの事を思い出した。

(そういえば雪乃、かなり喜んでたわね……)

 この間の恭平の脅しの効果は絶大だったみたいで、いじめっ子達は雪乃に話しかけるどころか、近付いてすらこなかったらしい。

 今までどんな事をされていたのか気になるが、下手に過去を掘り返さなくてもいいだろう。

 雪乃の悩みが減ったのなら、私としてはそれで満足だ。

 考え事をしつつランニングを続けていると、やがて河川敷の公園に到着した。後はここを数周回ってうちに帰るだけだ。

 走りながら廃材置き場を見てみると、フェンス越しに恭平の姿を確認できた。

 やはり私と同じく、平日休日関係なく日課を続けているらしい。

「……」

 会う約束をしているのは11時なのだが、別に今行っても問題ないだろう。

 理奈は一旦公園から出て、隣の廃材置き場に足を踏み入れる。

 中に入ると、廃材やスクラップ、ボロボロになった家電製品などが私を迎えてくれた。

(それにしても、よくこれだけゴミが集まるわね……)

 ゴミの殆どが無造作に積み上げられており、今にも崩れ落ちそうな感じだ。

 廃材置き場とは言え、野ざらしで放置は不味い気がする。せめて、倉庫か何かを作れないのだろうか。

 周囲に広がるひどい有様を見ていると、聞き慣れた声が聞こえてきた。

「誰かと思ったらやっぱり理奈か……。集合時間は11時って言ったはずだよな?」

 声に続いて姿を現したのは恭平だった。

「別にいいじゃない。作業をちょっと見学するだけよ」

 恭平は、後頭部を掻きながら答える。

「見学しても問題ねーけど、地味でつまんないと思うぞ?」 

「そんなことないと思うわよ」

「お前がそう言うなら止めはしねーけど……邪魔だけはしてくれるなよ」

「はいはい」

 恭平はすぐに踵を返し、奥へ戻っていく。

 恭平の背中を追って暫くの間スクラップのジャングルの中を進んでいくと、やがて開けた場所に出た。

 広さは普通の教室くらいの広さだろうか。

 周囲にはこれでもかとばかりゴミが積み上げられており、外からは見えないようになっていた。

「へー、なかなかいい場所じゃない。隠れ家みたいでいいわね」

「だろ?」

 恭平は自慢気に言い、その空間の中央にあるオブジェに向かい合う。

 まだ制作の初期段階のようで、細長い金属の棒が数本立てられているだけだった。ここから何ができるのか、想像するだけで楽しい。

「あれ? この前の熊は?」

「あれはもう倉庫に移した」

「残念、もうちょっと見たかったのになあ」

 倉庫内にはあの熊以外にもたくさん作品が保管されているのだろうか。

 もしそうなら倉庫の中も見てみたいものだ。

 しかし、理奈は不平を言うでもなく恭平に問いかける。

「今は何作ってるの?」

「んー、まだ考え中。色々手を動かしてるとたまにパッと思いつくんだが……今日はそういう気配しねーなぁ……」

 設計図とか、綿密にスケッチをしてから組み上げるのかと思っていたので、この答えは予想外だった。

 もしあれらの作品を場当たり的に組上げているのだとしたら、まさしく恭平は……

(天才ね……)

 人間、誰しも何らかの才能があるらしい。

 私もそれを信じて疑わないが、重要なのはその才能が何なのかを探し当てることだ。

 私には音楽の才能はない。それはよく自覚している。でも、才能の有無にかかわらず、好きなものは好きなのだから別にそれでいい。

 人生、割り切って楽しむことも大事なのだ。

「……で、どうする」

「何が?」

「俺がこうやって悩んでる様子をずっと見学するつもりか?」

 恭平はオブジェの近くにあぐらをかいて座り、頬杖を付いていた。

 私も地べたに腰を下ろし、膝を抱える。

「こうやって、悩んでる恭平を見てるのも楽しいかもしれないわ」

「悪趣味なやつだな……。気が散るから向こう向いてろよ」

「はーい」

 恭平の作業の邪魔をしてはいけないと思い、何気なく周囲に視線を巡らせる。

(それにしても、いろんなごみがあるなぁ、ここ)

 何かの配管のような物があったかと思うと、幼児が使うような玩具もあるし、ぺしゃんこになった車があったかと思うと、新品同然の家電機器などもある。

 色々とゴミを見ていると、その中に黒い光沢を放つ物を見つけた。

(あ、ピアノだ……)

 見たところどこにも傷はないし、まだ使えそうだ。周辺を見ると、他にも楽器が多く捨てられていた。

 理奈はその辺りに目を向けつつ、恭平に提案してみる。

「ねえ、楽器とか使ったらどう?」

「いきなりなんだ?」

「ほら、あの鉄琴とか鳥の翼っぽくない?」

 ゴミの山の中腹辺りに埋もれている鉄琴を指さすと、恭平も楽器の方に目を向けた。

「鳥……鳥か……」

 恭平は私の言葉に応じるでもなく、一人でぶつぶつと呟く。

 何か反応が欲しかった理奈は、恭平に再度問いかける。

「恭平、聞いてる?」

「……」

 反応はない。

 もっと近付いてやろうかと思ったが、理奈は途中で考えを改め、恭平を暫く放っておくことにした。

 下手に邪魔をして、いいアイデアが霧散すると勿体ないし、私としてもそれは避けたい。

(確かに、地味でつまらないわね……)

 相変わらず恭平は楽器を見つめたまま独り言を呟いている。かなり集中して考え事をしているに違いない。

 昼になれば遊びに行けるのだし、暫く放置しても大丈夫だろう。

 ……そうやって気楽に構えていたのだが、恭平は昼になってもぴくりとも動かず、結局夕方になるまで、ずっと楽器とむかいあっていた。



「――もう、ほんとに信じられない」

 休み開け、月曜日の昼休み。

 校舎三階奥の美術室にて、理奈は愚痴をこぼしていた。

「そうしたの理奈ちゃん?」

 その相手は色白メガネの一年生、雪乃だった。

 室内には理奈と雪乃しかおらず、雪乃はいつものように線の細い足でろくろを回して、粘土の椀を作っていた。

 慣れた手つきで太くて長い粘土の棒を弄る様は、いつ見ても艶かしい。

 でも、それ以上に雪乃の陶芸の技術には驚かされる。ただの粘土が綺麗な椀になる様子は、まるで手品か魔法のようだ。

 陶芸についてはともかく、いじめは完全に無くなったようで、心なしか性格も明るくなった気がする。

 そんな雪乃に理奈は昨日のことを話す。

「聞いてよ雪乃、日曜日に恭平と遊ぶ約束をしてたんだけど……」

「え?」

 急に雪乃は驚いたふうに声を上げ、ろくろを回す足を止める。

 手元も狂ってしまったらしく、綺麗な形をしていた粘土の椀がぐにゃりと変形する。

 そんな椀を気にする様子もなく、雪乃は話す。

「先輩と遊ぶって……すごいね理奈ちゃん」

「何が?」

「だって先輩だよ? そもそも、男の人と遊ぶなんて考えられない。それってつまり……デートでしょ?」

「まあ、そうなるわね」

 雪乃は意外とこういう話が好きらしい。口では否定的な事を言っているが、目はランランと輝き、白い頬も紅潮していた。

 しかし、その興奮もすぐに冷めてしまう。

「……でも、やめたほうがいいよ理奈ちゃん。相手はあの玖保先輩だよ? 何されるかわからないよ」

「あいつはそんなことしないわ。見た目は不良っぽいけど、そこらの男子よりいい男だと思うし」

「そ、そんな恥ずかしいセリフ、よく言えるね……」

 雪乃は顔を真っ赤にし、長髪やメガネを忙しなく弄っている。

 私は単に思ったことを言っただけだ。間違いなく恭平には魅力がある。

 しかし、だからと言ってどうこうというわけでもない。少なくとも、雪乃が考えているような事にはならないのは確かだった。

 そんな話をしていると、室内に誰かが入ってきた。

 ……噂をすればなんとやらである。

 現れたのは恭平だった。

 恭平は私を見つけるやいなや、挨拶もなしに話しかけてくる。

「よう理奈。昨日は……」

「謝ったって無駄よ」

「ごめんくらい言わせろよ……」

 一応、恭平も悪いことをしたという自覚はあったようだ。

 しかし、そんな謝罪だけで許すつもりはない。

「駄目。あんな事して許されるとでも?」

「やっぱり、先輩に何かされたんだ、理奈ちゃん」

 雪乃はまだ勘違いしているらしい。

 その誤解を解くべく、理奈は雪乃に話しかける。

「だから違うって言ってるでしょ。むしろ、何もしてくれなかったというか……」

「なるほど、放置プレイか」

 意味も意図もわからないセリフとともに室内に入ってきたのは3年生の阿賀谷先輩だった。

 阿賀谷先輩は、入り口で立ち止まっている恭平の脇を抜け、美術室内中央へ移動する。

「盛り上がってる所悪いが、今から放課後の予定について確認するぞ」

「……そうだ。今日は月イチの美術館見学の日だったな」

(美術館見学……?)

 吹奏楽部とは違い、美術部は何だか面白そうな事をやっているみたいだ。

 話が逸れるのは不本意だったが、理奈もその話題に加わることにした。

「美術館って、もしかして県立美術館のこと?」

 恭平は自慢気に答える。

「その通り。あそこは複数のホールでいろんな企画展示をやっているから、毎月通っても飽きないんだ。凄いだろう?」

「そのくらい、この辺りに住んでる人ならみんな知ってるわよ」

 私も、小中と何度か見学に行ったことがある。とにかく広い美術館で、大人でも簡単に迷子になれるくらい入り組んでいる。

 最後に見に行ったのは“山の動物の剥製展”だった気がする。お調子者の男子が剥製にベタベタ触って怒られていたのをよく覚えている。

「今は何の展示をしてるの?」

 流石にそこまでは把握していないようだ。恭平は阿賀谷先輩に話を振る。

「先輩、今日はどんな展示を見学するつもりなんですか」

「日本の地蔵展だ」

「あー、地蔵か……」

 質問を後悔している恭平をよそに、阿賀谷先輩は話を進める。

「オレもあまり行きたくはないが、これも美術部の取り決めたことだ。サボるんじゃないぞ」

 阿賀谷先輩は恭平と雪乃を見た後、こちらにも視線を向ける。

 ……もしかして、見学メンバーの中に私も含まれているのだろうか。

 何だか雲行きが怪しくなってきた。

 面倒なことにならないうちに美術室から出ようかと考えていると、恭平がとんでもないセリフを口にした。

「あ、阿賀谷先輩、こいつも連れて行っていいですか」

「へ!?」

 こいつ、とは勿論私のことだ。

 私は咄嗟に恭平の言葉を取り消す。

「何言ってるの恭平。私も部活があるんだし、そもそも美術館に行く気なんてないわよ」

「え……理奈ちゃん行かないの?」

 私の否定的な言葉に反応したのは、恭平でもなければ阿賀谷先輩でもなく、雪乃だった。

 雪乃は私も当然来るものだと思っていたようで、私のセリフに対して悲観の表情を浮かべている。

 雪乃となら見に行っていいかもしれないが、やはりそれでも吹奏楽部の練習を休むわけにはいかない。

 返答に困っている間も、二人の勧誘は続く。

「雪乃もこう言ってるんだ、一緒に行こうぜ理奈」

「あの、理奈ちゃん、一緒に行こう? いろんな物を見て体験するのはいいことだし、きっと吹奏楽の演奏にも役に立つ……と思うよ?」

「お地蔵さんを見たからって、演奏に役立つわけ無いでしょ」

「絶対、何かあると思うから。例えば、インスピレーションとか……」

 地蔵から得られるインスピレーションとは果たして一体なんだろうか。想像もできない。

「ねえ理奈ちゃん、お願い……」

 インスピレーションが得られるかどうか考えるまでもなかったが、必死に訴える雪乃を見て、理奈は断ることができなかった。

「わかったわ。やっぱり私もついて行ったげる」

「やった、ありがとう理奈ちゃん」

 こちらが折れると、雪乃は満面の笑みを見せる。

 おまけに、目元には涙も浮かんでいた。嬉し泣きだろうか。

 ……本気でこの娘は私の事を好いてくれているようだ。間接的にではあるが、彼女をイジメから救ったのだし、頼られても何ら不思議ではない。

 それが嬉しくもあり、同時に重くもあった。



 ――学校を出てから20分。

 地蔵展が開催されている県立美術館は、市内中心部に建てられていた。

 美術館の佇まいは堂々たるもので、全面ガラス張りの壁面はいつ見てもインパクトを受ける。

 基本的な構造としては、このガラス張りの立方体状の建物が敷地内に四棟、四隅に設置されていて、それぞれが連絡橋で繋がっている感じだ。

 この連絡橋が中々厄介な存在で、毎年大量の迷子を発生させる原因となっている。

 私もあの罠のせいで迷子になったことがある。

 案内通りに進んでいたのに、いつの間にか真逆の方向に進んでいた、なんてことはよくあることだ。

 そんな立方体の建物の中、唯一入口がある北棟にて、理奈と美術部一行はブースに展示されている地蔵を淡々と眺めていた。

(これ、勝手に展示してバチとか当たらないのかしら……)

 展示室内にはところ狭しと地蔵の石像が並べられ、美術部員たちはそれぞれの場所でそれぞれのペースで鑑賞していた。

 しかし、こうしてみると意外と美術部員の数が多い事に気づく。

 全部で15名はいるだろうか。しかし、その中に女子は私と雪乃の2名しかいなかった。

 雪乃が私を誘った理由は、女子一人だけだと心細いと思ったからに違いない。

 その雪乃はというと、一体の地蔵の前で立ち止まり、スケッチブックに何やら描いていた。

 鑑賞に飽きてきた理奈は彼女に近付き、こっそりとスケッチブックを覗きこむ。

 そこには、目の前にあるのと寸分違わない地蔵のデッサン絵が描かれていた。陶芸しかできないと思っていたが、スケッチも意外に上手い。

 私自身が素人なのでどの程度上手いか判断しかねるが、明らかに経験者の絵であることは間違いなかった。

「結構本格的なのね」

 背後から声を掛けると、雪乃は「ひゃっ」と可愛い悲鳴を上げ、身を縮こませる。だが、声を掛けたのが私だとわかると、恥ずかしげに警戒態勢を解いた。

「うん、実はひと通りのことは習わされてて……。今もたまに絵の先生に教えてもらったりしてるんだ」

「あれ、陶芸教室とかはいいの?」

「それは、毎日お爺ちゃんと一緒に練習してるから大丈夫……」

「なるほどね」

 私の疑問に答えたところで、雪乃はスケッチの作業に戻る。

 理奈は特にすることもないので、雪乃のそばにいることにした。

(こうやってじっくり見てみると……ほんとに勿体無い娘よね、雪乃って)

 せっかく綺麗な顔立ちと細身でいて均整のとれたボディラインを持っているのに、格好や雰囲気が地味すぎる。

 制服は少しサイズが大きいし、髪も伸ばし放題で前髪で目元が隠れているし、さらには猫背気味だ。メガネもデザイン性の欠片もない物を掛けているし、雰囲気もまだまだ暗い。

 暇を持て余していた理奈は、邪魔にならない程度に彼女に手を加えることにした。

(えーと、ヘアピンヘアピン……あ、あった)

 理奈はポケットからヘアピンを取り出すと雪乃の側面に立ち、彼女の前髪をこめかみ辺りに寄せ、ヘアピンで留める。さらに、メガネも外した。

 ただそれだけの事をしただけなのに、雪乃は見違えるように綺麗になった。

 前々から美人さんだという認識は持っていたが、こうやって実物を目の当たりにすると嫌でも驚いてしまう。言葉を失うとはこの事を言うのだろう。

 髪をいじられ、メガネも奪われた雪乃は困り顔で私に訴える。

「もう、理奈ちゃん、真面目にスケッチしてるんだからいたずらしないで……」

「やっぱり雪乃は可愛いわ」

「はへ……?」

 可愛いといった瞬間、雪乃は体を隠すようにスケッチブックを胸元に抱えこむ。

 そんな雪乃の長い髪を、理奈は遠慮なくいじる。

「やっぱり、髪型を変えるだけでだいぶ印象も違うわね。……メガネもこんな四角いフレームじゃなくて、楕円だとか、丸っこいの掛けなさいよ。そっちのほうが多分似合うと思うわ」

「……あの、理奈ちゃん、そろそろ……」

 雪乃はこちらの手にあるメガネに手を伸ばし、再度訴える。

 理奈はその訴えに応じ、メガネを返却した。

「ごめんごめん」

 メガネを受け取った雪乃は早速顔に掛け、地蔵が入っているガラスケースに向かい合う。どうやら、ガラスを鏡代わりに使っているみたいだ。

「そんなに変かな、このメガネ……」

「うん、変えた方がいい」

 きっぱり言うと、雪乃はメガネのつるを持ったまま、こちらに顔を向けた。

「でも、そんなに急に変えられないよ……」

「急に変わるからいいんじゃないの。男どもはそういうギャップに弱いんだから」

「そうなんだ……?」

 雪乃は男というワードに過敏に反応し、メガネを弄りながら急にそわそわし始める。

「でも、そういうのは高校を卒業してからでも……」

「何とぼけたこと言ってるの? まだ入学から1ヶ月しか経っていない今だからこそ、イメチェンのチャンスなのよ」

「でも……」

 なぜこんなにも着飾ることに対して臆病なのか。やはり、女の私の言うことなど信用できないということなのだろうか。

 ならば、男のサンプルを持ってくるだけのことだ。

「ちょっとここで待ってなさい。恭平に見てもらうから」

「え、何で先輩を……」

「分かった?」

「……うん」

 理奈は雪乃に強引にうんと言わせ、早速恭平の姿を探し始める。

 展示場内は種別ごとに区分けされていて、部屋全体を見渡すことができない。一箇所一箇所中に入って確認するしかなさそうだ。

 まず一番近い区画に入ろうとすると、すぐ近くから恭平の声が聞こえた。

「おーい理奈、迷子になんなよー」

「ならないわよ……」

 案外早く見つかり、理奈は自分の運の良さを心のなかで自画自賛する。

 理奈は近寄ってきた恭平の腕をがっしり掴み、そのまま雪乃が立っている場所まで連行していく。

「何だ何だ?」

「いいから、こっち」

 数メートルも歩くと雪乃がいる場所に到着した。

 理奈は彼女の両肩を掴んで無理矢理振り返らせ、自慢するように恭平に見せつけた。

「みてみて、こんな雪乃どう?」

「うん、可愛いな」

 恭平は悩む素振りすら見せず即答した。

「え……そんな、可愛いだなんて……」

 この答えに、雪乃の顔がみるみるうちに紅潮していく。

 そんな雪乃とは対照に、恭平はなぜか難しげな表情を浮かべる。

「いや、待てよ……」

 そう言ったあとで、恭平は顎に手を当ててまじまじと雪乃を見る。

 頭の天辺からつま先までじっくりと観察した後、恭平は改めて答えを出す。

「やっぱり可愛いな」

「何やってるんだか……」

 さて、雪乃もかなり迷惑しているだろうし、そろそろ誂うのもやめにしよう。

 理奈は恭平を追い払うべく話しかけようとしたが、それより先に雪乃が恭平に話しかける。

「あの!!」

「うおっ、いきなり何だ?」

 雪乃は声のボリュームを落とし、続ける。

「あの、先輩、可愛いっていうの本当ですか?」

 雪乃の顔が茹でダコのように赤に変色していく。相当に恥ずかしいのだろう。スケッチブックを握る手にもかなり力が入っている。

 恭平は少し間を置いて、同じ台詞を繰り返す。

「本当だぞ。少なくとも嘘でこんなことは言わねーよ」

「!!」

 恭平がそう言った途端、雪乃はか弱い声でうめき声を上げつつ、その場から逃げた。

 急な展開に理奈も恭平も呆気にとられてしまったが、理奈はすぐに雪乃の後を追う。

(どうしちゃったのよ、雪乃……)

 見た感じでは、恥ずかしさのあまり逃げ出したように思えたが、そんな単純な問題でもなさそうだ。

 暫く後を追って走っていると、すぐに雪乃の姿を捉えることができた。

 既にその手にスケッチブックはなく、何かから逃げるかのように必死に走っている。

 途中で人と何度かぶつかっていたが、止まる様子は無さそうだ。

 危なっかしげに走る雪乃に、理奈は遠くから声をかける。

「雪乃ー!! 待ちなさい!!」

「ごめん理奈ちゃん!! 今は無理!!」

 何が無理なんだろうか。

 雪乃はこのやりとりをきっかけに更にスピードを上げる。しかし、上げていたのも数秒ほどのことで、すぐに足を止めてしまった。

(行き止まりみたいね……)

 雪乃は左右を見て迷っている様子だったが、すぐに曲がり角の先にあるトイレに駆け込んだ。

 もう逃げ場はない。

 理奈は走るのを止め、息を整えながらトイレに向かう。

 美術館のトイレとあって、女子トイレ内はかなり清潔に保たれていた。

 大きな鏡の前を抜けると、個室が3つずつ両翼に並んでおり、そのうち一つのドアが閉まっていた。

 理奈はそのドアの前まで進み、軽くノックする。

 すると、中から雪乃の声が返ってきた。

「……入ってます」

「わかってるわよ。いきなりどうしたの?」

 早速先程の逃亡の件を問うと、雪乃は落ち着かない声で応えてくれた。

「初めてかも……」

「何が?」

「男の人に、可愛いって言われたの……」

 そう言ったきり、雪乃は押し黙る。

 恭平のあの発言は、雪乃にとって衝撃的な体験だったに違いない。そうでなければいきなり走り出したりしない。

(これはチャンスかもしれないわ)

 雪乃は男の人を意識している。つまり、着飾る意欲はあるということだ。

 今までは綺麗なのにオドオドしているからイジメられていたのだ。いい具合におしゃれして、自信を持てば誰からも文句を言わなくなるはずだ。

 それどころか、人気者になれるかもしれない。

「ねえ雪乃、今から私の家に来ない?」

「え……理奈ちゃんの家に?」

 こちらの意外な提案に驚いたのか、雪乃は個室から出てきた。

 その瞬間、理奈は両腕を広げて雪乃の体をがっしりと掴む。

 いきなり捕獲され、雪乃は体をビクリとさせたが、抵抗する様子はなかった。

「捕まえた。嫌でも家に来てもらうわよ」

「別に行ってもいいけれど、今からでも大丈夫なの? もう6時だよ?」

「大丈夫大丈夫。髪留めとか化粧水とか、必要な物渡すだけだから」

 この言葉に雪乃は目を丸くしてこちらを見る。

 昨日今日でイメチェンする勇気が今の彼女にあるのだろうか。

 しかし、そんな悩みは杞憂に終わることになる。

「わかった……」

 雪乃は何かを決意したような表情を浮かべ、強く頷く。

 人が変わろうとする瞬間を初めて目撃した理奈だった。

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