Nightmare #2
――しかし、痛みは痛みとして確実に存在するのに、俺の命の火が消えてしまうことはなかった。
いや、むしろ……。
生じた痛みさえすぐに薄れていく……?
「……生きて……る……?」
体に積もっていた瓦礫が、どういう原理がわからないが、泡となって消えていく。
ふと起き上がった時には、俺はすでに五体満足だった。
「……?」
不思議だと思いポカンとしていると、頭上で甘い声が囁かれた。
「今は考えなくていいわ。とにかく、お家が再生しないうちに出て」
「あ、あぁ……」
なんでもかんでも後回しだな。と思った。
周囲を見渡すと、テーブルやらテレビやら、生活感溢れる景色が広がっていた。
ここは……居間か。そして……。
光……いや、白い闇が濃くなっている方に目を移す。
……案の定、壁が破壊されていて、しかも泡が広がるようにその元の形を取り戻そうとしていた。
再生……している。
とにかく、閉じてしまう前に出なくては。俺は穴に向かって駆け出す。
まだ、人が通り抜けるには、十分な大きさだ。
「!!」
そのときだった。
轟っっっ!!
と。
またもやゲル人形がこちらにボディアタックを仕掛けてきた。再生中の壁の穴を通って、胸を反らし、硬質化させて。
もう、こりごりだぁ!
俺は、怯えて顔ごと目を背け、情けなく両腕を突き出した。
しかし、すぐに失敗だと気付いた。あの衝撃力なら、簡単に両腕を折られてしまう!
すぐさま腕を引こうと、そう思ったところで……。
「そのままでいて!」
唐突に耳元に叫ばれた。
俺は言われた通り……ではなく、身を強張らせる形で、腕を引かなかった。とめた。
ゲル人形の胸辺りの部位に、両の掌が触れる。
鋼鉄の壁のような感触が俺の腕を砕き、また体を吹き飛ばす――かと思ったそのとき。
「……冷……たっ!!」
掌から、強烈な冷気を感じ、思わず腕を引いた。まるでドライアイスを触ったときのような、冷たいというより熱いような痛みが生じた掌を、急いで確認する。痛みはたちまち消えていったが、掌はぼろぼろになっていた。
……あ! ゲル人形の惡夢は!?
今更ながら思い出し、焦りに焦りばっと振り返る。
「……え……!?」
俺は目を丸くした。
ゲル人形は――
――凍りついていた。
全身が刺々とした波状の鎧を身に纏っているかのように、見事な氷の彫像に変貌していたのだ。
呆気にとられていると、不意に、首に後ろから腕が回された。
抱き着かれるように。
抱き憑かれるように。
感触はないのに、冷たい体温を感じる。
その冷たさに反して、何かに包まれているような、全身に染み渡る謎の温もり。
それが何なのかは、すぐに察しがついた。
「やっとひとつになれたわ……♪」
「……最適化が終わったのか……?」
まさしく『力』というような、凄まじい奔流が、身体中を駆け巡っている。
「ちょっと太くて長くて大変だった」
「もはやR18だなその表現」
お前が喋るとたちまちシリアスは消え失せるな。ある意味欲しいスキルだ。
さて。
無事にツッコミを入れるだけの気力を取り戻したところで。
「反撃に移りましょ〜」
レイが高らかに、しかしゆる~く宣言した。
俺もそれに勢いづけるように、湧き出してきた感情を、沸きだしてきた心情を、叫びとして吐き出した。
「散々悪夢を見せられたんだ! 今度はこっちが、てめぇら惡夢に悪夢を見せてやるっっっ!!」
先ほど氷ついたゲル人形を一気に蹴り砕き、民家から外に出た。
─────ん?
「あれ……?」
「あら……」
そこで目にした光景に、俺たちは思わずきょとんとした。
…………多い。
「おい、数が……」
「えぇ、増えてるわ」
辺りが真っ黒で埋め尽くされていた。
軽く三十は越えているだろうその数を前に、俺は竦み上がった。
これは……無理だろう……!
冷静になって思い出したけど、俺、まだ能力の使い方解らないし!
レイの様子を窺ってみると、何やら右のこめかみに人差し指を当てて、考える仕草をとっていた。
俺は声を絞り出す。
「どう……するんだ?」
「致し方ないわね」
レイはそう言うと、俺の右肩に左手を置いた。優しく柔らかで、おぼろげな手が、なぜか力強く感じた。
「今回は例外よ。付け焼刃の能力の使い方じゃあ、こんな数は相手に出来ない」
「……だから、どうするんだよ」
不安げに訊くと、レイは一呼吸おいて、きりっと顔つきを変えた。無表情なのに、何かが違う。何なのかは、解らない。
その口が、おもむろに開かれる。
「だから、例外よ。今回は、私から力を使うわ。さっきみたいに」
「さっき……?」
やはり、民家の中でのあの冷気や、ゲル人形を氷漬けにしたのは、レイの仕業というわけだ。
「はっきり言うと、あいつらは惡夢の中でも最底位、つまり雑魚なの。私からの力でも、一撃でさっきみたいに氷漬けに出来るわ」
「おぉ!! なら、さっさとやってくれ!」
感心してそう言うと、レイは自分の身体を抱くように腕を組み、上目遣いで俺を見上げた。
「この結果を招いたのは、調子に乗ってしまった私。責任は出来るだけ取るわ。だから……清は身体を貸してね。頼りにしてるから」
「……あ、ああ」
やっとシリアスモードに入ったレイを見た俺は、事の重大さをここに来てようやく感じたような気がした。
こっからが、本当の正念場。という……わけだ。
じりじりと迫り来るゲル人形の部隊。密度を増した強烈な悪寒を前に、俺は身を震え上がらせた。
だが、不思議と落ち着いている。
最適化が終わる前より、レイの存在感がより近く濃く感じられるのだ。
ひとりじゃない。
それだけで、ここまで平静でいられるなんて、少し驚きだ。
「……俺は何をすればいい?」
「簡単よ。ただ、敵に触ればいい。掌で、一瞬でいいから。後は私が敵を凍りつかせるわ」
「了解!!」
俺は駆け出した。
そしてすぐさま、最も近くにいたゲル人形に接近し、右腕を伸ばして掌で押した。
すると、ステンドグラスが砕けたような甲高い音を鳴らし、ゲル人形が瞬時に凍結した。
こいつら、思っていたよりずっと反応が遅い。気をつけるべきは体当たりのみなので、先手を取った方がいいと、俺は思ったのだ。
「次ぃ!!」
「後ろ、体当たり来てる!」
レイのナビゲートに咄嗟に反応し、左腕を後ろ手に伸ばす。
甲高い音と共に、ボディアタックの体勢でゲル人形が凍りつき、静止した。さっきもそうだったが、凍結攻撃は勢いも殺せるらしい。
俺はここから、自分でも驚異を感じるほどの立ち回りを見せた。右に左に、敵の部位を全く確認することなく、腕を伸ばし触れ続ける。
「レイ、まとめてはいけるか?」
「複数体が接触していれば余裕よ」
ゲル人形に蹴りを入れ、別のゲル人形に向けて倒す。二体のゲル人形を巻き込み、重なって倒れたところで、すかさず掌の一撃を加える。
奇妙な形の氷像が出来上がり、俺はそれを踏み砕いた。
「左右、体当たり来てるわ」
「!!」
横目で確認して、掌を双方に向けて伸ばす。ぞっとはしたが、問題なく攻撃を防いで返り討ちにした。
息が切れる。体力は体力で、痛みとは別らしい。肩を上下させながら、深く息を吸い込み、強く吐いた。
やっと半分ほど倒すことができた。あと二十くらいといったところだろうか。
睨むように辺りを見回す。と、あるものに気がついた。疑問に思い、口に出して訊いてみた。
「なぁ、あいつは何だ? すこしだけ様子がおかしいような……?」
俺が指差して、レイに見るように促す。
レイはすぐに従うと「あっ」と声を漏らした。
「すぐに倒して!」
俺が見つけたのは、ゲル人形たちの最後方に控えるように佇んでいる、不思議な個体だった。
体は他と同じだが、顔に口があった。
妖怪の口裂け女のような、横長の口だ。
すると、こちらの目線に気づいたのか、その口裂けゲル人形は、舌なめずりをした。舌もあったのか。凶悪そうな見た目だった。
すぐに倒せと言われたので、俺は一直線に走り出した。
が、そのとき。
「――――――!!」
口裂けゲル人形が、大きく口を開き、耳が痛くなるほど奇妙な咆哮を上げた。そして──
──突然、頭を巨大化させ、近くにいたゲル人形を頭から飲み込んだ。
「うおっ!? なんだ? 共食いか!?」
「やられた……」
背後でレイが唸った。
俺は驚いて思わず足を止めた。
かなり凄惨な光景だった。口裂けゲル人形が、走り回っては残っているゲル人形を、たちまち全て喰い尽くしてしまったのだ。
しかも、喰うごとに容姿が変形していく。
一体に収束されていく、悪寒を感じるプレッシャーを前にして、俺はごくりと唾を飲み込んで、ただ見ていることしかできなかった。
「あれは……何だ。どうなってるんだ」
恐る恐る訊くと、レイは敵を見つめながら、答えた。
「あれも、同じ最低位の惡夢には変わりないわ。けど『喰欲体』っていう、特殊な個体よ。集団で行動せず、他の惡夢を喰らって形態を変化させる惡夢なの」
「進化するのか……?」
そう言っているうちに、口裂けの惡夢は進化を終えていた。
その姿は──マジシャンのような格好だった。
長いシルクハットに、紳士服を思わせる線。そしてステッキを持ち、様になったポーズを決めていた。
やがて、裂けた口を気持ち悪くめいいっぱい開くと、ゲラゲラ笑い出した。挨拶のつもりなのか、ハットを軽く上げて、再び被り直した。
…………。
……なんだろう。
全然容姿は怖くない。むしろふざけているようにしか見えない。
なのに……。
見ているだけで、頭から手で押し潰されているような、そんな重さを感じる。
「あれは……倒せるのか?」
耐えきれなくなり、レイに言葉をふった。
レイは意外なことに、頷いた。頷いて見せた。
「進化して強くなっても、基本の質は変わらない。触れば一撃で凍結させられるわ」
触れることが出来ればねと付け足して言うレイの表情は、険しいものだった。
「でも、やるしかないんだろう?」
俺は、構えた。
口裂けマジシャンは、こちらに向かって颯爽と駆けてきた。
ハットを左手で押さえ、右手に持ったステッキを引きずるくらい垂らして、非常に素早い足回しで接近してくる。よく見ると革靴のようなものを履いていた。
より人らしい動きを見せた敵に、俺は一瞬たじろいたが、後退りするのをこらえ、むしろ一歩を力強く踏み出した。
「こいっ!!」
こちらの声に応えるように、ステッキで突きを放ってきた。とっさに体を左にずらす。
反応できない速度ではなかったが、かわしきれない速度ではあった。
左肩の辺りに抉られたような痛みを感じた。いや、実際に抉られたかもしれない。
しかし、間合いは詰めた!
痛みをこらえ、歯をくいしばって右手を伸ばした。
(とらえた!!)
と思ったが、マジシャンは、こちらと同じように体をずらした。しかし、かわしきれず、俺の指の腹が相手の胸部に触れて少し凍りついた。
指し分けっていうのか?こ れ。
「くっ……。指じゃダメみたい。掌で触れてっ!」
さすがに、さっきまでのゲル人形のようにはいかないか。やつらのように『襲う』ためだけの攻撃の仕方ではなく『勝利』するための攻撃になっているし、きちんと回避のことも考えているらしい。
賢いのだ。
次々とステッキによる殴打を、左右または正面から繰り出してくる。
俺は集中して、適宜しっかり見てしっかり動く。腕でステッキを防ぎ、弾き、隙をつくろうと試みる。隙だと思えば、すぐに掌打や平手打ちを放った。
しかし、相手もしっかりこちらの攻撃を防いでくる。掌に触れないように、手首や上腕を弾いてくる。蹴りは腕で防いだり、かわしたり……。
本当に一筋縄ではいかない。
ゲラゲラ笑いを浮かべるマジシャン。その顔に、俺の右手の指がかする。
指じゃ駄目だ……! 掌じゃなきゃ駄目なんだよ……!
一瞬だけでいい! 掌でしっかり触れられれば、それで仕舞いなのに!
「ちぃっ!」
くそ……!
五分五分みたいで嫌だな……。
俺は、勝負やスポーツ──特に、ソフトテニスをするにあたっては、勝ちにこだわるタイプだ。勝ちにこそ、最大の価値があると考えている。
しかしそれは、試合自体の勝利ではなく、その試合中においての、何か複数の要素を抜き出して、その点において勝るという意味だ。
例えば、声。
例えば、正確さ。
例えば、シュートボールの低さ。
例えば、サーブのコースの的確さ。
例えばそう――速さ。
動きの速さ。
走りの速さ。
フットワークの速さ。
テイクバックの速さ。
ラケットのトップスピードの速さ。
切り返しの速さ。
速さ。
速さ、速さ、速さ。
速さ速さ速さ速さ速さ。
「まだまだぁ!」
「頑張って! 清!」
速さ速さ速さ速さ速さ速さ速さ速さ速さ速さ速さ速さ速さ速さ速さ!!
極限の攻防の中、何かが覚醒したように、表情ひとつ変えずにアクションを起こし続ける自分がいた。
心の内では、そんな自分に戸惑っているのだが、頭と体は無意識にアクションを止めない。
瞬きを忘れたかのように、眼中に常に敵の姿のみを捉えていた。
しかし、この感覚には、覚えがあった。
あれは、中学のときの県大会の──三回戦であったか。
デュースが続き、点を取っては取り返され、取られては取り返して。まさに極限の集中下にあった試合。
瞬きすらままならず、心臓も止まっているかのようで、ただ──
──ただ、見ている世界の速さだけを追求していった。
加速していく世界についていき、相手より速くなることのみを考える。
敵より速く。
敵より速く!
敵より速く!!
加速しろ!
加速しろ加速しろ!
加速しろ加速しろ加速しろ!!
希望するのではない。想像するのだ。
想像して、行動するのだ。
次々と浮かぶ想像を。
次々と超えた行動を起こせ!
世界がさらに加速した──。
速すぎて、スローに見えるくらいに──。
その刹那──。
水っぽい音と共に、マジシャンのステッキの一撃が、俺の右脇腹の一部を爆散させた。しかし──
──しかしそれは、かわしきれなかったのではない。相手の次の行動より先に、行動を起こしたが故だった。
気づいた頃には、俺は、マジシャンの速さを超えていた。テイクバックを済ませていた右手を、相手の顔に──
「オォォォオオォォオォオォォォ!!!!」
──叩きつけるように炸裂させた。