日常と夢#3
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「と、いうところで起こされた」
そう愚痴りながら俺は背を丸めて、目の前の座っている人物に上目遣いで抗議の眼差しを向けていた。
あと数秒で、面白いことが起こりそうだったっというのに。
「絶妙なタイミングだったんだねぇ。さすがわたし!」
俺と机を挟んで向かい合わせに座っているのは、ひとりの女子だった。
名は譲葉 愛という。
全体的に明るい印象を受ける雰囲気。その中心にあるのは、一際輝く大きな双眸だ。髪型は藍色のセミショートヘアで、横髪は前にくるほど長くなるように斜めに切り揃えられている。前髪も、パッツンとはいかないが、まっすぐめに揃えられ、眉毛をうっすらと隠している。
背は低めで、体格も小柄。すっきりとした首から小さな鎖骨までのラインが美しい。色白の肌でほくろが全く見当たらず綺麗だ。ちなみに言ってしまうと、胸は少ないほうであ──
「ホアチャ!」
「あだっ!」
チョップされた。しかも結構強めに。すみませんでした、もう触れません。でも、いま俺、口に出したか?
「わかればよろしい」
テレパスかお前は。そういえば、レイも口に出していない俺の考えを読んでいたな……。女子とはそういう生き物なのだろうか。
それに第一、これは読者の方々に向けての説明のはずで、実際に物語中の俺がそんなことを思っているわけではない。……なのにチョップされた。理不尽、不合理だろ。
「?」
愛が首を傾げた。いかん、また変なことを考えていると思われたか。
「わたしって目ぇ大きいの!?」
「そこ!? ってか、気づいてなかったのか。自分の顔だろうが」
愛はそれを聞いて瞬き三回分、考えた。
「わたし、鏡嫌いなのよね」
「それって意外と生活に支障をきたすんじゃないか……?」
「無理があったか」
声を出して朗らかに笑う愛。この屈託のない笑みこそ、愛の一番の魅力であると思う。
愛の性格は、一言で言えば明朗活発。少女らしい少女だ。
「ぷぷっ 魅力ないひとに魅力あるとかわかるの?」
「な……! じ、じゃあ、なんで俺が魅力ない人間だなんて言えるんだよ。根拠は何だ」
「顔もスタイルも良さげなのに、全くモテてないから? それって魅力ないからじゃない?」
「(声にならない声)」
T.K.O. 本日、俺は自身に関する衝撃の事実を知りました。
それにしても、今日も冴えてるなぁ……。悪意ゼロに見える笑みから放たれる毒舌。こっちが本性なんじゃないかって、たまに思う。それに、顔とスタイル……『良い』じゃなくて『良さげ』って言われたのもややダメージ。誰か、ケアしてくれ。
でも、まてよ?
見て呉れは良いのに、魅力が足りないから、モテないということはだ、裏を返せば魅力さえ磨けば、俺はモテるということに……!
「まぁ、無理だ」
「言い切りますか愛さん!?」
しかも、真顔かよ! 本気で現実的に無理なのか!? そりゃないぜ……。
しかし、それならそれでこっちにも言い分があるぞ。
俺は嫌味を吐くように、わざと相手に聞こえる声で呟く。
「でも……。そんなに魅力のない俺に、惚れて告白してきた女子は、どこのどいつだろうなー」
「いないよ、そんな人」
「こいつ、記憶を抹消しやがった……!」
なんでめちゃくちゃ笑顔なんだよっ。
というのも、何を隠そう、こいつがその『告白してきた女子』である。
愛とは中学校が同じで、一年生の頃に知り合い、二年生に上がるときにあちらから告白され、付き合い始めた。
そして去年、別れた。関係解消である。
つまり『元カノ』である。
しかし、別れたとはいえ、こうやって今も仲良くしている。『恋人関係』は解消したが、『友達未満』になることはなかったのだ。面と向かっても気まずくなってギクシャクするというのは、ほとんどない。
それは、譲葉 愛という人間が、いかに明るい人間であるかを表している。
俺が受けた影響も、少ないとはいえない。愛と接するようになってからというもの、俺は随分と明るくなったような気がする。別に特段冷めていたわけではなかったのだが、友達はかなり増えた。感謝してもしきれない。
いい加減まとめると、愛は俺にとって、健と同じくらい大きな存在であるということは間違いない。今までも、そしてこれからも。
「何、やさしー顔になってるの? 端から見たら血色悪いよ?」
「病人にみえるのか!? 普通は『気色悪い』だろ」
「でも、デフォルトでそうだった気もする」
「やはり、この体温は病のせいだったのか……!?」
「わかった! 冷え性だ!」
「軽症だな。めっさ安心したよ」
「慢性冷蔵庫症候群」
「ヘンテコ病を作るな。何を冷やしているんだそれは」
「……臓器?」
「そこは真面目に答えるなよ。せっかく振ったのに……」
俺は肉屋の冷蔵庫か。
「慢性冷臓庫症候群!」
「『蔵』を『臓』に……! 巧いな」
どうでもいい会話が楽しい楽しい。このために学校に来ていると言っても過言では……あるが、毎日の楽しみとは言い切れる。笑顔にも癒されるし。
幸福な時をしっかりと噛み締めながら、俺も大いに笑い、愛のボケにツッコむ。愛となら漫才で将来食っていけそうな気もしなくない。まぁ、芸能界はそんなに甘くはないと思うが。
愛が、鼻歌交じりに机の上の巾着袋から弁当を取り出した。
それを見た俺も、つられるように自分の鞄から弁当箱を取り出す。
そのときだった。
「あだっっっ!!」
ゴンッと、側頭部に強烈な衝撃を受けた。何かが横から飛んできて、頭に直撃したらしい。
俺は、直撃した箇所をさすりながら、床に落ちた飛来物を拾い上げる。
中身の入ったペットボトルだった。道理で、衝撃が重いはずだ。液体って案外固い。
誰だ。お昼時の日常的な光景に、水ならぬお茶を差してきたのは。
「何すんだよっ!」
俺は、お茶ボトルが飛んできた方向に、怒りの睨みを向けた。
カツカツと、足音が近づいてきた。何故学校の上履きでそんなハイヒールのような音が出るんだ。
「戦利品を分けてあげる。ありがたく思えよ」
歩み寄ってきたのは、背の高い女子だった。
出やがった。この学校の生徒の中でも、おそらく最も『名前負け』しているヤツが。
シャギーのかかったセミロング黒髪と、鋭い眼光を放つ切れ長な目、そして見下すような不敵な笑みが印象的だ。
―――その容姿は、同学年からの人気が高く、『学校一の美女』と称されており、特に『四肢の美しさ』に定評がある……らしい。実際、わざと短くされたスカートから覗かせる大腿、下腿もといふくらはぎは、ほどよく引き締まっており長く綺麗で、美脚と呼ぶに相応しい。腕は、今は冬服だが、それでも細いのはわかる。指もシャープで美しく、刺されたら痛そう。
女性なら誰もが羨ましく思うその佇まい。
そんな彼女の名は水城 優癒という。
しかし『優しい癒し』なんて甘美な響きの名前に、惑わされてはいけない。この女、前述した通り、学校で最も『名前負け』している生徒なのだ。
そう、性格がわるい!
「やっぱりお前か。水城。何だよ、その大量のお茶は」
水城は、両腕で抱え込むようにして、小さな段ボール箱を持っていた。中身は全てお茶。戦利品とか言っていたが……?
「担任の依頼の報酬よ。愛にも分けてやるよ」
「おおっ! それはわたしが一番好きなメーカーの『おっ茶ん』! ありがとう~、ゆーゆ♪」
むさい名前のお茶だな、と心の中で苦笑いした。お茶だけに。しかも、軽くパロディ。あれはジュースだったはずだが。みかんのが好きだ。十五秒だけどシンデレラ~♪ってわかる? 古いか。
「随分上機嫌だな。担任からの依頼って何だ。その様子だと大成功だったみたいだけど」
いつになく上機嫌そうな水城を見て、俺は尋ねてみる。
水城は軽い物言いで、答えてくれた。珍しい。
「うちのトロい担任と、あの性格悪い物理の女教師がさ、些細なことで押し問答になっちまったとかで、アタシは担任に弁護を任されたんだ。口論の内容は口外禁止だから教えないけど」
「物理の女教師……キチガイ斎藤か。それで……勝ったのか」
水城が、そのときの光景を思い出したのか、会心の笑みをもらした。相変わらず、悪い顔だ。
「アタシをナメんなよ。あんな勘違い教師なんか、アタシの足元どころか、地下二〇〇メートル下にも及ばねぇぞ」
「窒息or圧死だな。ご冥福をお祈りするよ」
高笑いをする水城を横目に、俺はおっ茶んの蓋を開けて口をつける。ん、うまいな。愛が好むのも納得。
「あんときの斎藤の情けないこと、滑稽だったなぁ! 担任に向かって泣きっ面に土下座で許しを請うててさ、笑いを堪え過ぎてお腹痛くなっちまったよ」
教師に土下座させたのか。そりゃあまた……。
その光景を想像するとともに、いつだったか見たこいつの容赦ない言葉責めを思い出し、改めて俺は恐怖を覚えた。
水城の性格を一言で表すならば『慇懃無礼』。
人使いが上手く、最後には必ず自分に利するように仕組む。そして、心の中では決して誰にもへりくだらず、常に最低一センチメートル上から見下す姿勢を崩さない。他者に優位を与えない。つまり、相当な負けず嫌いなのである。
そして、その負けず嫌いは、勉学とスポーツにも活かされている。成績は常にトップクラスで、去年の考査は五回中三回、学年の頂点に立っている。部活動は俺と同じくソフトテニス部。しかも、部随一の才能の持ち主なのだ。九年間続けてるとか。俺の三倍くらいか。
更に、水城は『歩くサーバー』という裏の顔も持っている。それを知っている生徒、教師たちは、どこから仕入れたのか分からないその情報を、有料で買っているのだという。さっきの水城の話も、その情報収集能力を担任に買われて依頼されたのだろう。
これでわかる通り、水城はこの学校で最も名前負けしている、もとい敵に回してはいけない人間なのである。
あ、捕捉。武道にも秀でて精通しているので腕ずくで制すのも不可。こわいこわい。
しかし、負けず嫌いで傲慢な性格な水城だが、短気なわけではない。女子たちにとっては『姉貴分』と言われているほど、器は大きい人間のようだ。優しい面も沢山持っている……らしい。まぁ、その表情を見せているときは、名前の通りに優しい癒しの香りを漂わせているもんだから、クラスのやつらからは嫌われていないみたいだが……。ちなみに、他の学年の一部のやつらには、ものスゴく嫌われている(もち被害者)。
俺はというと、水城の優しさは本性ではないと思っているので、あまり好ましく思ってはいない。利用されたことが何度もあるのに加えて、ちょっと個人的な迷惑事があるからだ。まぁ、それはいずれ話すことになるだろうから、今は置いておく。
「時に、さっさと席を空けろ氷室。昼休み時、愛の正面はアタシの席よ。異論は認めん」
にやにやしながら俺に命令を下す水城。こいつに優しさなんて、本当にあるのだろうか。いや、ないだろう。あってもせいぜい、こいつの少ない胸くらいだろうな。
……あ。ヤバい?
「成敗!」
「のぁっ!」
脳天への踵落としを食らった。美しいフォームかつ高い精度と凄まじい速度だった。痛いってもんじゃない。全身が麻痺したような感覚に陥り、視界がぼやける。危うく意識が飛びそうになった。
「こ、殺す気かぁ! そして頷くな!」
「清って周りの女の子をテレパスにしちゃうのかもね♪ ところで、今日のゆーゆのパンツはどんなのだった?」
「大人っぽい黒だったぞ。……あ」
「チェストォ!!!!」
おかわり脳天踵落とし。先生……俺は今日、腹黒天使と残虐悪魔の貧乳コンビににイジメられたよ。
俺は、本日二度目の眠りについた。永眠でないことを祈る。心残りがあるんだ。
昼飯……食い損ねた。
気を失う直前。いつの間にやら、俺は床に仰向けで放り棄てられ、水城は俺の席に足を組んで腰かけていた。眠る直前の幻覚だろうか。水城が頬を赤らめ、舌をべーっと出しているように見えた。
愛が腹を抱えて大笑いしているのが幻覚かどうかは、言う迄も無いと思うが。
……おやすみ~。
健……いや誰でもいい。出来れば保健室に運んでくれ。たのんます。
はぁ、やはり今日は厄日らしい……。