侵食―――仕業と使命
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クラスメイトの女子──里中 茜は、今日も学校を欠席した。
つまり、俺のお気に入りの折り畳み傘はまだ返ってこないということだ。
無念である。
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午前の授業を終え、昼休みに入った。
皆、各々に昼食を摂り始める。ひとつの席を囲んで雑談に花を咲かせながらゆったりと食べるグループや、解放された体育館で遊ぶために急いで口にかき込む男子たちなど、様々な光景が教室に広がっている。
そんな中。
俺は机に力無くうなだれていた。
「どうしたの? 清。そんなにぐったりして……大丈夫?」
クラスメイト、そして元カノである愛が俺の前の席から声を掛けてきた。
「眠そうなのはいつもの通りだけど、なんかお前、今日はずいぶんと疲れてないか?」
同じくクラスメイトである水城も、らしくない心配そうな声で訊いてくる。
どうやら俺は、目に見えるくらいわかりやすく疲弊しているらしい。
俺は机の表面に指で文字を書いて意思を伝える。
「……大丈夫だ。門題ない」
「問題に問題があるよ、清」
「口が抜けてるぞ、阿呆」
ふたりからツッコまれる俺。いや、一人は罵倒か。
くそ……。ツッコミ担当がツッコまれるなど、一生の不覚……。
「違うよ、今のはツッコミじゃなくて、誤りの指摘だよ。清の頭はお粗末だもん」
「つーか、マジで大丈夫かよ……? 風邪か? バカなのに風邪なのか?」
何だか散々言われているような気がするが……いや、きっと心配してくれているのだろう。
うん、きっとそうだ。そうに違いない。
……泣いてない。泣いてないぞぉ。
俺は昨日も……いや、今朝までと言った方が正確なのだろうか。とにかく、また夢游界にて惡夢の群れを相手に立ち回りを演じてきたのだ。
昨日は部活がきつかった上に、さらに夢游界での戦い……。
疲れを『気のせい』にするなんて、不可能だった。
……慣れるかよこんなのっ!
そして今、俺はこの通りである。
ちなみに今日も部活はある。なかなかの地獄デイズだった。
レイは解っちゃいないんだ。大会前だからとはいえ、部活がどれだけきついものなのか、夢游界での戦いがどれだけ精神力を消耗させるものなのかを。
そして俺がこんなことをしている今も、あいつはきっと俺の家でぐうたらしているに違いない。脳裏にその光景が鮮明に浮かんでくる。
何だか腹が立ってきた。
「んがーーーっっ!」
「ゆーゆ! 清が壊れたっ!」
「た、叩けっ! 叩けば直る筈だっ!」
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「茜ちゃん? あ~……。なんだか最近体の調子が悪いみたいだよ。朝、頻繁に嘔吐しているとか」
ひとしきり愛と水城に昔のテレビよろしく袋叩きにされた後、やっと復活した俺は、ふたりに里中 茜のことについて訊ねてみた。
どうやら、今の口ぶりからして、愛は茜とそこそこ仲が良いようだ。連絡もいくらか取っているらしい。
「休むようになる前は? 何かおかしなところはあったか?」
もし、惡夢に精神が侵食されている影響で体調を崩しているのなら、学校を休む前に何かがあった可能性が高い。とレイは言っていた。惡夢は弱った精神を狙う。精神が弱る程の何かが、茜にあったのかもしれない。
まぁ、ただの体調不良であって欲しいが。
「ん~……。理由は分からないけど、茜ちゃん、学校でもなんだか元気は無かったな……」
「そうか……」
……元気は無かった、か。可能性はやっぱり捨てられないのか。
愛はこれ以上のことは知っていないようなので、今度は水城に視線を向けた。
すると、水城は俺から恥ずかしそうに目を逸らした。……なぜだ?
「水城は、何か知っているか? 気になったこととか、あるか?」
訊ねると、ゆっくりと口を開いた。
「仲違い、だろ」
……はい?
予想外の答えに、俺は思わず訊き直す。愛も水城の方を見て、きょとんとしている。
「だから……要は喧嘩よ。後は、それによって生じた結果が、里中を追い込んでいるんだろうよ」
…………。
「まさか……ずばり解答を持っているなんてな」
「ゆーゆ……わたしのアンサータイムが全部無駄になったんですけど……?」
愛のきょとんとしていた理由は置いておいて……。とにかく驚きを隠せなかった。
さすがは情報通、といったところか……。
「い、いやいや。そ、それほどでも、ないわよ……」
しかも謙遜しやがった。いつものこいつならまずあり得ない光景だった。誉められたら肯定していい気になるような奴なのに……。
やっぱり、最近の学校生活でいちばんおかしいのは、こいつかもしれない……。惡夢に侵食でもされているのだろうか?
俺は愛に訊いてみる。
「水城……最近おかしくないか? ネットで変な事でも吹き込まれたんじゃ……」
「確かに……。もしかしたらゆーゆはイメチェンでも考えているんじゃないかな……。まさか……恋!?」
「無いな。こいつに限ってそんなことは、有り得ないだろ」
「分かんないよ〜? ゆーゆ、意外と乙女脳なんだから」
「なぁ、お前ら。なんかアタシのことを誤解してねぇか……?」
眉をピクピクと痙攣させ、もうお怒りになる寸前の状態の水城……。
確かに、それもそうだった。簡単に人間性を決めつけてしまうのは、良くない。反省しよう。
隣の愛がまだにやにやしているのが気になるが……。まぁ、いい。それよりも本題だ。
「で、その喧嘩とやらの詳しい内容は分かるか?」
水城が表情を戻し、答える。この辺りの切り替えは上手い。部活で養われている。
水城はこう言った。
「喧嘩の発端は分からんが、言い争いの果てに、里中が友達を階段で突き落としてしまったらしいんだ。四組に中山 朝陽っているだろ?」
いるのか? 知らねぇ……。よく同じクラスになったことのない生徒の情報を持っているものだと感心する。
「落ち方が悪かったらしく、頭を打ったうえにどこか骨折して、今入院しているらしい」
「じゃあ、茜さんが体調を崩して学校を休んでいる理由って……」
「……罪悪感、だろうな」
罪悪感。後悔や不安か。故意に突き落としたのでなければ、なおさら酷いものに襲われているのだろう……。
更に、水城は眉をひそめて言った。
「あとは噂なんだが……。酷い夢にうなされ続けているのだとか。精神的にかなり参ってるらしい」
「!?」
夢? うなされている?
核心的なものを掴んだような気がした。
それと、愛が言った朝の嘔吐と、罪悪感……。これはとうとう……奴等の仕業か……?
夢を侵し、人を貶める夢喰たち。その実際の恐ろしさがこれなのか?
ならば、放ってはおけない。俺は夢守なのだ。人の夢を守るのが使命なのだ。
疑問が、確信に変わったことで、俺は覚悟した。考えを決めた。
夢守として茜を救うことを。
「清、どーしたの? なんかすっごく真剣な顔つきになってるけど……」
愛と水城が、訝しげな顔で覗き込んでくる。俺は思わず慌てて目を逸らしてしまった。別に、レイは隠せとは言っていなかったが、話してもどうせ意味は通じない為、言わない方が賢い選択なのだろう。
すると突然、愛がはっとして、そして目を潤ませた。
「もしかして、清……茜ちゃんのコト……?」
「なっ……!? そ、そうなのか氷室!?」
何故か水城も狼狽え始めた。どうやらふたりは、とっても愉快な勘違いをしているらしい。
「そっか……。もうわたしたちは付き合ってるワケじゃあないけど……。なんか、さみしいなぁ……ううぅ」
「た、単刀直入に言ってやろう! お前に里中は合わん! 絶対合わないわよっ!」
「愛、全然そんなんじゃないっつーの。そして水城。それはさすがのお前でもわかるはずないだろ……」
なんでも恋愛関係に持っていく考え方は好きじゃないんだよ。
「えっ……じゃあもしかして、既に清と茜ちゃんは……? う、うわ~ん!!」
「……拡散して、操作して、ぶっ潰す」
「ちょ……! ふたりとも、し、シャレにならねぇって!」
……真面目な話をしていたはずなのに、今日も結局、騒がしい昼休みになってしまっていた。
体力……持つだろうか?
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善は急げ、だ。今夜から早速、俺たちは夢游界に繰り出した。
白き闇を纏う住宅街を歩く。案外、俺らの家から近いところに茜は住んでいるようだった。
ちなみにレイは既に俺に憑依している。事前にレイに事情は説明しておいた。そのときレイは、
「それはもう確定ね。連続で悪夢を見て、体調を悪くしているなら、それはもう惡夢の仕業と見て間違いはないわ。積極的に調査するのが良しね」
と言っていた。
やはり、悪い夢を視ていると言うのが、被害者に共通するスタンダードな症状らしい。
そして、その悪夢によって精神が掻き乱され、体調を崩したり、奇行に走ってしまうのだとか。
そしてレイのもう一言。
「ただ、一週間以上も侵食され続けているとなると……。これはとうとう、強力な惡夢が出てくる可能性があるわね。気を引き締めてね、清」
今まで相手にしてきた人型の惡夢はどれも結局、最も弱いランクであると言える。今回は、全く勝手の違う相手が予想されるというわけだ。
油断は禁物。奇襲も警戒。危うくなったら撤退も選択肢のひとつ。
心してかからねば……。最初からこれは、遊びやゲームではないのだから。
愛から教えてもらった位置情報によると、この辺りが茜の住んでいる家のある地域だ。白壁に赤い三角屋根の家が連なる、統一性のある美しい景観の住宅街だ。
この家々の中で、唯一庭に犬小屋があるのが、茜の住む家らしい。
周囲を警戒しつつ歩みを進める。白い闇が靄のように先を霞ませるので、見通しはあまり良くない。既に、敵のテリトリーには侵入している為、どこから攻撃されてもおかしくはないらしい。
車道の中心をゆっくりと歩く。端を歩けば、突然横から惡夢が飛び出してくる危険があるためだ。
憑依しているレイは、半透明の体をゆらゆら揺らしながら、俺の右肩に両手で掴まってぶら下がっている。しかし、体重はかかっている感じがしない、触れられている感触もないあたり、本当に霊体のような状態なのだろう。
ただ、気配と音と呼吸が、レイが確かにそこに存在していることを分からせてくれる。体温も、感じる。とても……冷たい。レイは俺とほぼ同じような体質らしい。汗もかかないとか。
安心する。レイが憑依していると、どうやら冷静さを増すらしい。初めての戦いのときも、レイが完全に憑依してから、俺の心情といい動作といい、確かに普段……いや、それ以上の状態でいることが出来た。
そして、能力『想像冰創造』。イメージしたものを氷で造形する力。不純物を全く含まないその氷は非現実的な密度を持ち、どんな薄さ、大きさでも強度は鋼鉄を軽く凌駕する。白く輝き、冷たく敵を拒み、清らかな勝利をもたらす氷の力は、まさしく俺たちふたりに相応しい。
敵など恐れるに足らない。俺は自信を持って、前へと足を伸ばせる。
───しかし、その自信は、すぐに崩れるように壊れてしまうのだった。
「!!」
住宅街を十数分歩いたところで、レイが何かに気付いたように周囲を見渡した。
「どうした?」
俺は足を止め、警戒を崩さずに訊く。レイは俺の耳元まで顔を寄せてきた。
「突然、気配が複数……。既に囲まれているわ」
「やっぱりもう気付かれていたのか。で、そいつらが、茜さんの夢を侵食している惡夢なのか?」
俺の質問に対し、レイは首を小さく横に振った。
「いいえ。ひとつの夢に侵食できる惡夢の数は一体のみよ。今私たちを囲んでいる敵は、誰の夢にも手を出していないの……。ただ……」
「……ただ?」
眉をひそめるレイの様子に、俺もしだいに緊張していく。
「気配がどれも、あまりにも同じなの。おそらくこれは……!」
「!!」
レイが急に視線を上方に向けた。俺もすぐさまそれに続いて、同じ方に目線をやった。
すると、その先──周囲の家の屋根の上に、縦に長い影を捉えた。影はゆらりと長い体躯を揺らし、次の瞬間、俺らのいる位置に向かって飛び掛かってきた。
「っっっぶねぇ!!」
俺は大きく前方に飛び込み、上方からの奇襲から逃れた。すぐに体勢を整え、降ってきた敵に目と身体を向けた。
「な……!?」
視界に入ってきた光景に、俺は思わず目を見張った。それがあまりにも、非現実的であったためだ。
そこにいたのは、二足で直立し、ヒトのような肢体を持つ……キリンだった。身の丈は三メートルほどで、眼は青く光り、指が蹄のようになっている。これまでとは明らかに雰囲気の異なる、敵。
足が───すくむ。
手が───震える。
息が───詰まる。
人の形をしていないだけで、ここまで恐怖心を与えてくるのか。絶望させてくるのか。
「アガアァァァアァァァ!!」
吠える、敵。残りの奴らも次々と姿を現し、屋根から地上に降りてくる。同じ姿をして、同じ恐ろしさを放つ。
「清……? 清!」
まるで本物の草食動物のように、奴らはこちらの様子を窺い、動かない。
これが……悪夢。
───惡夢か……!
「清っっっ!!」
「───!!」
レイの大声が右耳を貫き、俺はハッと我に返った。
忙しなく周囲を見渡しながら、訊く。
「レ、レイ……! な、なんなんだこいつら!?」
「落ち着いて。プレッシャーは人型の比じゃないけれど、苦戦するほどの敵ではないわ」
「なんなんだって訊いてんだよっっっ!!」
動揺を押さえられず、思わず怒鳴ってしまう。レイがびくついて、俺から少し離れた。少し恐れを含めた困り顔で、こちらを見つめている。
「あ……」
その不安そうな視線で、少し頭が冷えた。……また、悪い癖が出たようだ。
俺は、表情をほぐす努力をして、訊き直した。
「わ、悪い。……で、あいつらは、何だ? 茜さんを陥れている惡夢ではないんだろう?」
レイは胸を撫で下ろして、俺の側まで戻ってきた。俺の肩に手を置き、答える。
「……眷属よ。私たちが倒そうとしている本命の、眷属。つまり、手下よ」
「眷属……? じゃあ、やっぱり茜さんは、惡夢に侵食されているのか。そして、その惡夢はこいつらの主……」
ということは、本命の惡夢もキリンで、こいつらよりも数段強いのか。力も、存在力も、影響力も、……この気が狂いそうなプレッシャーも。
冗談きついぜ……!
「レイ、こいつら……どのくらいだ?」
「楽勝。……あなたが本来の力を出すことができれば」
そうかよ。お前は、またそう言うのか。
俺は何とか左足を一歩前に出し、拳を握り締めて震えを減らし、深呼吸をして肺に空気を取り込んだ。脳に酸素を送り込むイメージで感情の起伏を抑える。
そして、敵───キリンマンを、強く睨み付けた。
さすがに今回は、コメディ要素は封印だ……!