日常と夢と宿題#3
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:それから三日後───夢游界
惡夢が湧き出てくる。
コンクリートの地面に散らばる、黒い水溜まりのようなサークルから、伸びるように出現する。
そして形を、成す。
今回はゲル人形ではなかった。完全な人に近い。顔がのっぺらぼうなのは変わらないが、手と足に指がある。そして驚くことに……腹筋がバッキバキに割れていた。
「俺もあんな腹筋が欲しいな……」
呟いておく。願望は素直に口にしたほうが叶いやすいと、ばあばは言っていた。
奴ら惡夢は、人の負の感情から発生する怪物だ。
人の夢を侵食し、悪しき夢を見せて精神にダメージを与え続けるという怪物であり、俺たち夢守が駆除する対象でもある。
侵食された人間は体調を崩したり、心の状態が不安定になったり、酷い時には病気にすら繋がってしまうという。
自分の存在分の悪夢を見せるか、侵食された人間が死亡すると消滅する。しかし、どちらもタチが悪いため、俺たち夢守もしくは夢喰が駆除するのが望ましい。
奴らは、負の感情の密度が高い個体ほど強力だ。外見が人間に近いほど弱く、神話に近いほど強い。そして、強力な個体は、自身と同じ性質を持つ眷属を精製し従えている。
非常に強いストレスなどの負の感情で、個人の夢から発生する惡夢というのもおり、その個体は眷属を持たず非常に強力。出所の夢を巣として活動し、その個人のストレスを高める。すると、その個体はさらに力を得る。これを繰り返すため、その個人は、負のスパイラルに陥ってしまうという。最も凶悪な惡夢だ。
……以上が、レイから教えられた惡夢の概要だ。
ちなみに、この概要通りに当てはめると、目の前にいる人型の惡夢は、最も弱い惡夢だということが分かる。
レイ曰く、人型の惡夢までになると、人間の夢に侵食して及ぼす影響はかなり薄いという。いわゆる、「うーん。ちょっと悪い夢を視たー」程度の悪夢になるのだ。
なので、放っておいてもいい個体であると言える。
がしかし、あまりにも増えると合体して強力な個体になりかねない、他の惡夢の存在力を高める餌となる等の懸念があるらしい。そのため密集している人型は、殲滅するのが望ましいらしい。
俺の周囲には既に、約十体ほどの惡夢が出現していた。
練習相手には丁度いい数だと、レイが選んだ群れだ。
一体の惡夢が近づいて来た。前に交戦したゲル人形より脚がしっかりしているため、移動が速い。
俺の目前まで迫ってきた惡夢は、腕を大きく振り上げた。
近づかれて分かったのだが、こいつら……デカイ! 体長二メートルはあるぞ。
腕も太いし筋肉質な……外見だ。こいつらに筋肉というものがあるかどうかはわからないので。
とにかく、俺は回避行動をとった。
後方へのステップで、敵と距離をおく。テニスで培ったバックステップの速さを活かす。
惡夢は俺が立っていた位置に向かって拳を振り落とし、地面のアスファルトを豪快に破壊した。たかが人型だが、攻撃力は相当だ。前のゲル人形もそうだった。むやみに生身で防御はするべきではない。
さて、ゆったりしてないで、攻撃に移るか。
俺は、レイに言われたことを思い出す。この世界で、夢守にとって最も大切なことを。
───『この夢游界での戦いにおいて、最も大切なことを伝えるわ。心して聞いて』
俺は息を細く吐き、意識を尖らせるように集中する。目は、追ってくる敵を見つめたまま。
また敵が俺の前にそびえ立った。そして、予想通り殴り掛かってくる。右腕で、高い位置から叩きつけるように。
───『それは……【行動と想像の優劣】』
拳が俺の顔面に届かんとするその刹那、俺の動きは突如加速した。否、『思った通りに』動いた。
拳は俺の頭の右側を通過する。俺は左足を踏み込み、体重を乗せて前に移動した。
そして、体をひねって右手を伸ばし、敵の見事な腹筋に、手を添えた。
(……凍れ!!)
───『世界にはそれぞれ、この二つの優劣が決まっているわ』
教会のステンドグラスが崩壊したような甲高く壮大な轟音。
瞬間、惡夢が氷の彫像と化していた。作品名、ボディービルダーの右パンチ。作者、氷室 清。
今回はレイによるものではない。俺の意思による攻撃だ。
俺が、この惡夢を凍らせたのだ。
「へへっ。どうだ、レイ!」
「お見事。キレイな作品ね」
無表情のレイからお褒めの言葉を頂きました。誠に嬉しいです。
ふと気が付くと、他の惡夢もずいぶんと近づいてきていた。
一体が突撃してくる。
―――『まず現実界は、行動が想像より遥かに優位な位置にあるわ。これは簡単。重力、空気抵抗、筋肉量、筋肉の質、身体の強さ、質量、密度など、地球上のあらゆる科学的現象、物理的要素が現実的に作用しているからよ。いくら緻密な想像をしても、所詮は妄想。現実的に無理な動きを起こすことは出来ない』
がっちりと腕を組んだ、アメフトのようなタックルを、俺はひらりと相手の背中側にかわし、その背中をなぞるように掌で触れた。
轟音と共に瞬く間にアメフト風の氷像が完成し、前傾して倒れた。
俺はひとつ息をついた。一体氷漬けにするだけでも、結構な神経を使うのだ。
そして辺りを見回す。すると、よほど学習能力がないのか、また一体の惡夢が俺目掛けて走って来ていた。
惡夢が腕を振りかぶる。俺は動かなかった……右腕以外は。
───『そして夢游界ね。夢游界は、行動と想像の優劣が、同位になっているわ。よって、身体能力や物理法則を越えた想像でも、その通りに行動として起こすことが出来る』
突き出される拳。俺は───それを掌で受け止めた。
少し目を瞑ってしまったが、快音が響いたのを聞いたので、ちゃんと掴めているのだろう。
開けたときには既に、惡夢は氷像と化していた。
───『これが私たちにとって最も大切なこと。惡夢を圧倒することのできるカギよ。例えば、普段、現実で歩いている速度の何倍もの速度で足を動かしている自分を想像する。そして、その通りに歩こうとすると、現実界では決して変化は起こらないのだけれど、夢游界では想像通りに早く歩くことが出来るわ』
次は俺から攻撃を仕掛けた。
スタンディングスタートで、約三十メートル先の惡夢に向かって前屈みに地面を蹴り出す。
すると、なんと一秒余りで惡夢の直前まで到達した。歩幅約三メートル。もはや跳んでいるようなものだった。
そして、惰性で走ってしまうこともなく、ぴたりと足を止め──惡夢のがら空きの腹に掌底を叩き込んだ。後は先ほどまでと同様に。
───『でも、想像力の程度にもよるから、想像力が弱いと元の身体能力と対して変わらないなんてこともあるわ。強くはっきりとしていて、尚且つ繊細な想像であるほど、凄まじい行動を起こすことが出来るの。だから私は、清にあの『宿題』を課したのよ。いつでも高い効果のある想像が出来るように……つまり訓練ね』
俺は惡夢が繰り出してきた蹴りを、跳び上がってかわした。そして、相手の頭を鷲掴みにし、片手で逆立ちするような姿勢をとってから、相手の背後側に着地した。
我ながら見事なアクロバットだ。もちろん、惡夢は氷漬けにしてある。
「よし、あと五体!」
俺が調子良く声を上げると、半透明のレイが、耳元に顔を寄せてきた。
「さぁ、残りの惡夢には、私たちの本来の力を魅せてあげましょう」
その言葉に、俺は力強く頷く。
そう。俺たちの能力は、相手を氷漬けにするなんてものではない。それはただ、人型程度の弱い惡夢を楽に倒すためのオプションに過ぎないのだ。
俺たちの本来の能力。それは……。
───『【想像冰創造】。それが、私たち【憑依型:眞白】の能力の名称よ』
俺は右腕を掌を上にして前方に差し出した。
力を抜き、その抜いた力を全て想像力の向上に回す。
───『【想像冰創造】。作りたい氷の造形物を想像して、その通りに創造する。やり方は、想像×行動と同様よ。ただ、少し精度が要求されるわ。慣れるまでは、余裕をもってから使いましょう』
俺は、想像する。鋭利な刃とその柄を。
刃の長さに反りの程度、峰の高さ。
柄の形状、厚さに長さ。装飾はほぼ不必要。
よし、完成だ。あとはこれが自分の掌から生えるように、創造させる!
そして、想像を創造に変えた。
生えきって宙に浮き、横殴りにパシンと掴み取ったその氷の造形物は、想像していたものと同じ形態をとっていた。
俺が造り出したものは、鍔無しの日本刀だった。
真っ白な氷で作られた刃は、冷たく光り、冷気を纏っている。柄は模様がなく、ただ持つためだけにあるような形状だった。比較的作り易いものから始めていこうと考えた末に、思い付いた武器だった。
創造に成功すると、耳元からレイが囁いてきた。
「上出来ね。よく切れそう」
「なら、早速試して見ようぜ」
言うなり俺は、一気に地を蹴って飛び出した。もちろん、一直線に惡夢のところに。
惡夢はそれに気付き、身構えるような仕草を取ったが、
「遅いぜっ!」
擦れ違いざまに左薙一閃。
俺は惡夢の後方で動きを止めた。
振り返ると、惡夢が胴体から二分され、上半分が地に落下した。下半分も、転がるように臀部から倒れる。
そして、灰のようにぱらぱらと崩れ、風で飛ばされるように舞い上がり、空間に溶けてしまった。あれが、惡夢の本来の消滅の仕方である。氷漬けにした惡夢も、時間が経てばあのように溶けて消えてゆく。
消滅するのはすなわち、惡夢の存在力がゼロになったということだ。
残り、四体。
【想像×行動】と【想像冰創造】この二つを身に付けたことで、俺は大きな自信を得ることが出来た。
自信は、勇気へと繋がる。これならある程度の敵にも臆さない。
目の前の人型なら余裕だ。
俺は刀を漫画の主人公のように構え、駆け出した。
結論。夢游界ではつまり、いわゆる厨二病と呼ばれる人たちに近いほど強いということだった。
―――『駄目よ、清。想像力豊かな人って言わなきゃ』
―――『ん……? ああ、悪かったよ』
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:現在──────現実界
部活を終え、家に帰って来た俺はシャワーを済ませて、うなだれるように居間のソファーに深くもたれ掛かっていた。
疲れた。非常に。
足が重く、肩に何かのし掛かっているように感じる。目も平時より開くことができず、身体全体がだるい。
春の大会が近く、練習がとてもハードだったからだ。
こんな日だと、夕飯を作る気も起きない。
気づけば、俺は手に出来ているマメをじぃっと見つめていた。
ラケットを振り続け、ボールを打ち続けた、努力の証。
足の裏にも、駆け、踏ん張り、コートを蹴り続けた、忍耐の証。
頑張れば、頑張っただけ身体に刻まれる、誇れる証。
俺を支える、道標だ。
だけど、あの世界での戦いは?
努力しても、誇れるのだろうか?
証など、何も残らないのに。
誰の記憶にも―――夢にも残らないのに。
頑張る意味は、何なのだ?
ふと、そんなことを思い、正面で氷をバリボリ食しているレイに訊ねてみた。
レイは、顎に手を当てて、考えるような仕草をとった後、噛み砕いた氷を飲み込んで、言った。
「そうね……。そろそろ、夢守としての役目を全うしてもよさそうね」
「役目って、悪夢を退治することじゃないのか……」
レイは、テーブルに置いてあるガラスのコップに手を伸ばした。コップにはいっぱいの氷。そこからひとつつまみ出すと、それを口元に持って行きながら、答えた。
「それはそうだけれど。退治する意味は? 解っているの?」
「惡夢が人の夢を侵食するのを、未然に防ぐため、だろ?」
「ええ、それは確かで間違ってはいないわ。でも、もうひとつあるの。解るかしら」
レイは口に氷をポイと放り込んだ。バリボリと音を立てて、無表情で食べる。
俺はレイの質問に対して首を大げさに傾げ、解らないことを示した。疲れてて考えるのが億劫だ。
レイはそう、と呟くと、答えを述べた。
「夢を侵食された人を助けるため、よ。つまり『人助け』ね」
「あ、そっか。侵食された人間って、その侵食している惡夢を倒せば、助けられるんだったな」
当たり前じゃない、とレイは目を細めてこちらを見つめた。
ああ……確かに、思い返してみれば最初からレイも『人助け』って言っていたな。
「でも、そうそう頻繁に侵食されるもんじゃないんだろ? しかも、俺たちが未然に防いでいるわけなんだし」
俺はさらに深くソファーにもたれて、気だるそうに言った。
それを聞いたレイは、首をふるふると横に振ると、テーブルに手を着いて、身を乗り出してきた。
「ところがどっこい!そうでもないの!」
「……」
「なぜなら……なぜならぁ~!!」
レイはそう言うと、身体を縮めて、震えだした。これは、あれか……溜めて……いるのか。
突然のテンションの上昇についていけなかった。というか、それをやるなら表情ももっと変えろよな。
とりあえず、これでは続かないので合いの手を加える。
「……なぜなら?」
レイは待ってましたと声を張り上げる。
「なぜなら人間の生活リズムは、皆それぞれ異なっているからよ!」
「溜めるほどのことじゃなかったな」
なんだこいつ。さらに俺を疲れさせたいのか? だったら、張り倒すぞ?
レイは、やりきった感満載の満足気な様子だ。顔は変わっていないが雰囲気はそう感じる。
いや、全然やりきってなどいないのだが。
くだらなくてやってられない。放っておいて、そろそろ夕飯でも作るとしよう。
俺はゆっくりと立ち上がり、台所につま先を向けた。
そこを、レイが呼び止めてきた。なんだよ……。
「ところで、清。最近、学校で変わったことはあるかしら?」
俺は眉間にしわを寄せた。それは必要な確認事項なのか?
俺の気持ちを察したのか、レイが質問の意図を補足する。
「いや、思春期の学生って、精神が不安定だから、惡夢に夢を侵食されやすいと思うの。何かない?」
どうやら先ほどまでの話と関連した質問らしかった。俺は納得し、考えた。最近の学校での周囲の様子を思い出す。特に、親しい間柄の人物のことを。
「……ないな。怪しい言動や様子、事件は何も。俺が知ってる限りでは」
「そう? ならいいわ。平和なのね、清の周りは」
さすがに異なる学級や学年の様子はわからないが……。
……あ、ひとつあった。多分、惡夢とは関係ないだろうけどちょっぴり気になることが。
あの雨の日から、一週間余り……。茜に貸した折り畳み傘が、いまだに返ってきていない。
より詳しく言うと。
彼女はあの日の翌日から一度も───
───学校に来ていないのだ。
まぁ、ただの風邪らしいが……。
早く元気になって、あの折り畳み傘を返して欲しいものだ。あの傘、お気に入りの一品だからな。頑丈な高いやつなんだ。
……ああ、そういえば、あの日は。
「ところでレイ、なんでお前は氷を食ってんだ? 母さんに見つかったときも、食ってたらしいが……」
レイはまた氷を口に含んでおり、バリボリ噛み砕いていた。
今度は飲み込む前に答える。
「存在維持。毎日欠かさず摂取しなきゃいけないの。全然美味しくはないけど、こればかりは仕方ないわ。消えたくないから」
「……つまり、必要事項なんだな……?」
「アイスを買ってきてくれるとありがたいわ。アイスクリームじゃ駄目よ。アイスキャンディね。もしくはかき氷。毎日食べるとは言わないけど」
「……まぁ、考えといてやるよ」
……きっと、氷を使う夢喰だから、氷を食べるという存在維持方法なのだろう。
まだ見ぬ他の夢喰にも、それぞれ決められた方法があるのだろうか……?
……つくづく夢喰というのは不思議な生き物だなと、俺は思うのだった。