日常と夢と宿題#2
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さて、やっと、俺がレイから課せられた『宿題』について話そうと思う。
ちなみに先ほどの『部活の練習に対しての考え方を変えた』というのも、その宿題によるものだ。
宿題の内容、それは、
『行動を起こす前に、必ず想像をする』
というものだった。
つまり、何かをしようと思った際、その行動をする前に必ずその行動をしている自分をイメージしてから実際に行動する、ということだ。
具体的に言うならば、サッカーボールを蹴ろうと思った際、その『サッカーボールを蹴る自分』を、静止画ではなく動画で頭の中に呼び起こしてから、実際に身体でその動画に出来るだけ近づけた行動を起こす、と言えば分かり易いだろうか。
この宿題は、俺の生活習慣やら部活の取り組み方を、大きく変えてくれた。
毎日がより丁寧に過ごされるようになったのだ。
ひとつひとつに意識が回され、ぼおっとすることがなくなり、一日が長く感じるし、余計な動きをすることがなくなり、必要なことだけをすぐ出来るようになった。
何より一番驚いたことは、ソフトテニスのストロークの精度が、格段に上がったということだ。自分のフォームや打つ打点、足運びなどを、想像してから行うので無駄な動きがなくなってさらに丁寧に打てるようになったのだ。
この宿題で得たものは、現実でもかなり大きいものだった。
……まぁ、これはただの結果であって、レイの目的のそれではないわけだが。
なら、なぜ俺はレイからこの宿題を課せられたのか、だ。
それは、ある理に起因する。ある理の、夢游界での場合によるものに。
レイ曰く。
あらゆる世界は、全て『理』によって成立している、とのこと。
現実界にも理がある。
夢游界にも理がある。
夢中界にも理がある。
絶対遵守の理がある、と。
究極な例えを言うならば、世界を構成しているあらゆる物質が、その物質で在るためには、様々な原子、分子などの粒子が、複雑な構造を成していなければならない。つまりその『構造』こそが、『理』なのだ。
しかも、その構造という理がなければ物質は物質たり得ないという理にまで発展する。
そして、その『理』は、何も目に見えるものだけに限定されるわけでもなく、例えば『エネルギー』も理によって働いている。
例えばの例えばだが、エネルギーのひとつの『音』。これも、発生するために必要な条件があったり、伝わる為には空気などの物体を振動させなければならなかったりなどの、様々な『理』をもっている。
あとは、比較的小さな、しかも人為的な『理』である、いわゆる『ルール』というものも、個人的な世界を成立させる要因の一部になる。
先に描いた、水城との勝負の模様も、
・一点一本勝負。
・クロスコートのみで打ち合う。
・ロビングを打ってはならない。
などのルールという『理』があってこそ成立する。
このように、全ての世界は、それぞれの『理』のもとに成り立っているのだ。
夢游界も然り。
その世界特有の理が存在しているのだという。
ここからの詳しい話は、一週間の間にあった、俺とレイとの重要なやり取りを見てもらった方が早い。
部活の練習の風景や内容をべらべら話しても、意味なさそうだし、興味ないだろうし。
――――――
ミーティングが終わった。
「お願いします!」
の掛け声で、俺らは練習の為にそれぞれコートに散っていく。
俺らの練習は、一本打ちを、三十本を一セットとして、それを各ストローク三セットずつだ。
地味な練習だが、フォームやシュートの精度を上げるための基礎練習であるためとても大切だ。集中して取り組もう。
もちろん、宿題を実践しながらだ。
俺は準備を終えて、テイクバックしてから、練習ペアの出してくれた球を掛け声と共に、ラケットの面でインパクトした。
「ッイーチ!!」
――――――
:数日前―――夢游界
初めての夜から一日休みを挟んで、俺はまた夢游界を訪れていた。現在地は俺の部屋。もちろん、レイも一緒だ。
なぜ一日休みを挟んだのかというと、あの夜の後の目覚めが最悪だったからだ。
朝なのに、疲れが酷かった。
しかも、眠気のない疲れなんて初めてだった。一日が本当にしんどかった。
しかし、レイが言うには、
「いちおう、ぐっすり寝たわけだから、身体はぴんぴん……びんびんしてるはずなのだけれど」
らしい。
「言い直すな。まだ朝だぞ」
……ん?
いや……朝だからか?
ああ、こっちの話。男だからこその話。朝起きたら……な。
「なになに? 詳しく聞かせ───
「ねーよ!!」
「あぅっ……」
目を光らせて身を乗り出してきたレイに、俺はデコぴんをかました。
つまり、身体と実際の脳はしっかりと現実で眠りについているので、意識的にのみ疲れた気分になってしまうだけということらしい。
慣れればノープロブレム、感じなくなるだとさ。
さて、と俺の部屋にある椅子に座っているレイが、話を切り出した。
「じゃあ、早速……しましょうか」
とても蠱惑的な声だった。
「何をだよ。うんって簡単に言えない言い方すんな」
俺は落ち着き払っていなす。
無表情だったから、何にも感じなかったけれど、受け取りようによっては、ここから先一般向けじゃあなくなるぞ。
主語と喋り方は大事!
俺の言葉に対してレイは、きょとんとして首を右に傾げた。
「え? もちろん、えっちなことだけど」
「まんま十八禁だった!」
訊いた俺が馬鹿だった!
お前は本当にエロエロだよっ!
「お前、それ、本気で言っているのか?」
真剣な顔をして訊く。
「ご冗談を」
無表情で返された。
「……だよな」
無表情で受け取った。ナイスキャッチ。
「清じゃないと嫌にきまってるじゃない」
驚愕して取りこぼした。エラーだ。
「お、おい……! なに考えてるんだ? なに構えてるんだ!?」
俺はわなわなと身を震わせる。
そして……。
「御覚悟っ!」
「いやぁぁぁあぁぁああ!!!!」
「なあんてね」
結局、冗談だったらしく、飛び付かれただけで何もされなかったのだが……精神的に負けた。
早く免疫がついてほしいものだ……。
うなだれている俺をよそに、レイは真面目に話し始めた。俺の伸ばした両脚の膝の上で。まずは世界についてだ。
「清たちと私たちにとって世界とは、大きく分けると三つ存在するの。
一つは『現実界』。いわば、ただの現実ね。
もう一つは、『夢中界』。人々が視る夢ひとつひとつがそうよ。
そして最後の一つがここ、『夢游界』。現実界と夢中界の狭間の世界ね。廊下と言ってもいいかも」
レイは目を閉じて淡々と説明する。薄くて柔らかそうな唇が、近い距離で忙しなく動いているのは、なんだか艶っぽい。
「じゃあ、現実界は言うまでもないから、夢游界の特徴から話しましょうか。清は、ちょっと体験しているから、話は早いわ。ここ、夢游界は、さっきも言ったけど、現実と夢中界との狭間、混ざり合う位置にある世界よ。だから、人間の思考が及ぼす影響が中途半端で、惡夢が発生して蔓延るの」
「中途半端だと発生するのか?」
俺は疑問を口にした。レイが人差し指を立てて、質問に答えてくれる。
「夢は個人のもの。現実は誰のものでもない全体のもの。個人の負の感情は、本来は個人で解決するべきなのだけれど……それが出来ないと夢の中から漏れて現実側――夢游界に流れちゃうの。漏れた分の負の感情は、もう個人のものではなくなるから、誰も処理出来ない。そうやって溜まっていった中途半端な負の感情が、堆積して惡夢という怪物に変わってしまうの。
感情が怪物に変わるっていう非現実的な現象も、夢という、有り得ない現象が起こる世界が混ざっている『誰のものでもあるもの』夢游界だからよ」
成る程な、と俺は思った。レイの説明は分かりやすい。定期考査の平均が五十点台の俺でも、大半は理解できる。
「ううん、と……。ちょっと惡夢よりの話になっちゃった。話を戻しましょう。
夢游界は、常に現実と同じ景色形態をとろうとするの。清がお家の壁に突っ込んで破壊した後、周囲はどうなってたかしら?」
俺はそのときのことを思い返す。
あのときは……ゲル人形惡夢のボディアタックを食らって、吹き飛ばされたんだ。そして家に激突して、壁を崩壊させた。死んだかと思ったけど、案外大丈夫で……。
「ああ、そういえば、泡みたいなものが発生して、瓦礫は消えていき、穴はどんどん塞がって……いや、元に戻っていったな」
現実と同じ状態を取り戻す過程が、あれなんだろう。
レイが絹糸のようなさらさらの髪を弄りながら、続きを話す。
「あとは、たとえ壊した場合でなくとも、現実と異なった景色になってしまったら、自動的に修復がかかるわ。現実で閉まっているはずのドアを開けたりしても、動かした本人が手を離したそのときから修復が始まるの」
さすが狭間の空間といったところだ。どれだけ非現実な現象が起こっても、せめて現実に忠実な景色だけはとろうとしているんだな、と俺は思った。
「ということは、現実側が変わってもこっちの景色は変わるんだな? 起きてる人間はいるわけなんだし」
「ええ、その通りよ。ただ、生き物がまだその物質の動きに関わっている間は、何も起こらないわ。例えば、運転されてる車はこちら側には反映されないの。
要は、完全に動きが止まって数秒経過したもの、そして、生命体でないものが、こちらに反映されるわ」
そういえば、この世界で植物なんて見当たらなかったな。……酸素はどうなっているのだろうか。
ふと思ったが、そんなことを考えている余裕はなかった。レイの話は止まらない。
「次は訪れ方の話ね。この夢游界を訪れる権利を持つ者は、例外を除き、次の三つに限られるわ」
レイが、俺の目の前に、人差し指を立てた右手を差し出す。白くて細くて、綺麗な指だ。
「一つ、夢喰と契約している者。清は私と契りを結んでいるから、これに該当するわ。
二つ、惡夢に侵食されている者。高位の惡夢は、人の思考を喰らい、夢游界に引きずり出すことがあるの。
三つ、覚夢を有している者」
覚夢? 新たな単語に、俺の眉がピクリと反応する。
「……今知ってもどうしようもないことよ。やめておきましょう」
「お前がそう言うなら、別にいいや。それより、また一つ疑問に思ったことがある」
俺は、頭に引っ掛かっていた一つの出来事を、提示してみることにした。
「俺、お前と出会ったあの日、学校で居眠りした際にひとりでここ──夢游界に一度来たんだ。契約さえ済んでいれば、ひとりでもここに来れるのか?」
質問を言い終えて、俺はレイを見つめる。
レイも俺を見つめ返した。
交わる視線。緊張の糸が両端から引っ張られていく。
レイがゆっくりと口を開いて、言った。
「ごめんなさい。私には分からないわ。けど、あなたが特別な存在だということは確実だと思うわ」
「……そうなのか。お前でも分からないのなら、どうしようもないな」
俺は息をついた。レイにも分からないことがある……。そう分かったことで、少し落ち着いた。
あまりにも何でも知っていると、かえって怖く感じてしまうからだ。
手で、レイに話の続きを促した。
レイはうっすら微笑むように、口角を微妙に上げた。そして頷き、話を再開する。
「次は……そうね。『存在』についての話でもしましょうか」
「存在? この世界に関係のある話なのか?」
レイは、首を傾げた俺の言葉を聞いて、目を細めた。なんだか睨んでる感じだ。
「大アリよ。ちょっと質問が多いわね。後でまとめて受け付けるから、しばらく黙って聞いててもらえる?」
「……わりい」
突っ掛かることが多かったのがまずかったらしい。少々機嫌を損ねてしまった。さっき笑ったのになぁ。
仏頂面になったレイが話の続きを口にした。これもこれで珍しい。
「世界を構成する大事な要素の中のひとつに『存在力』というものがあるの。存在力とは、存在の『濃淡』のこと。これがあるほど、その世界において強く在れるわ」
俺はぽかんとした。今回ばかりは、レイが何を言っているのか理解できない。
レイもそれに気付いたのか、細めた目のまま眉間にシワを寄せて、顔を詰め寄せてきた。
「そうね……。別に分からなくても良いかもしれない。これは私たち夢喰が、人間を頼る理由なのだけれど」
「……取り敢えず、最後まで話してみてくれ……」
俺は思わず体を引く。レイの迫力に少し気圧されてしまった。
「まぁ、理解してもらえないことを説明するのは嫌だから、ざっくりと大雑把に言いましょうか。
清、あなたたち人間は、この夢游界においては存在力が有りすぎる生き物なのよ」
ほう……有りすぎる、とな?
「有りすぎるとどうなるんだ?」
「傷の回復力や、生体維持能力が、異常なほど優れるのよ。だから、簡単には死なない。死ににくい」
「…………!」
ああ、成る程。だから、壁に激突したときも、瓦礫に押し潰されたときも、脇腹をえぐられたときも、一時の激痛はあれど無事で済んだのか。
「でも、私たちは違う。死ぬわ。いとも簡単にね」
レイは無表情で、しかし凄惨に言った。その言い方に、俺は少し寒気を感じた。もしかしたらレイは、その光景を何度か見たことがあるのかもしれない。
仲間の夢喰が死んでいく、光景を。
そのまま、話は続く。
「だから私たち夢喰は人間に頼る。自分たちの力を託して、戦って頂くの。申し訳ない限りよ」
俺から目を背けてそう言うレイは、なんだか悔しそうな様子だった。
しばしの間が、空間を静める。夢游界の中の一室は、異様なほど物音に欠けていた。現実の夜ではまだ、起きている人や虫や鳥、風やそれでなびく植物などの気配や、遠くで車の走る響きが感じられるはずなのだが。ここには本当に俺とレイしかいないのだなと、気付かされてしまう。
ここで話が中断されてしまうかもしれない……が、しかし。
「……なあ」
「……なに?」
「こっち……夢游界で俺──人間が死んだら、どうなるんだ?」
これは……これだけは、訊いておかねばならない。
レイは左横顔を見せたまま、目をこちらに向けた。そして、言う。
「死に方によって、精神に大なり小なりダメージを受けて目を覚ますわ……現実に」
…………!
それは、つまり……!
「現実では死なないんだな!?」
俺は思わず、身を乗り出した。突然のことだったようで、レイはびくっと体を弾ませ、目を見開いて驚いた表情を見せた。体も引いている。
「え、ええ……そうよ。私たち夢喰はここがホームだから、完全に存在が消えるけれど……人間は、要は夢を通常よりはっきり意識しているだけに過ぎないから」
それを聞いた俺は、にやりと口角をこれでもかと上げて、声を張り上げた。
「なーら良いじゃんか! どんどん頼れって! 使えるものはどんどん使って、何が悪い? それに、惡夢って人間の負の感情から出来てるんだろ? なら、自分たちの不始末は自分たちで着けるべきだろ、な?」
レイは口を半開きで唖然としている。どうやら言葉を失っているようだった。
そんなレイに、俺は笑顔を向ける。
「すっきりしたぜ。自分たちに関係のないことの為に戦うなんて、気乗りしないもんな~」
レイはニ、三度瞬きをして、やがて小さく吹き出した。
「ふ……ふふっ。そうね。その通りね。むしろ何で私たちが力を貸さなければならないのか、って思っちゃうわね」
本日始めて、やっと声を出して笑ってくれた。
やっぱり、気にしてたんだな。俺を巻き込んだことを。
やはりレイは笑顔の方がずっと可愛い。見てて和む。普段もそうしていればいいのに。
普段は白いはずの頬をほんのり紅く染めたレイが、俺の顔に手を差しのべてきた。
「なんだか、真面目さを欠いちゃった。今日はここまでにしましょうか。続きはまた明日」
手がでこぴんの形を成し、弾かれた。