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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第三章
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越えてはいけないライン

 交渉の結果は、もちろんこちらの予想通りだった。内情はどうあれ彼は頷くしかなかった。そう、それ以外の選択肢はない――私は彼にとって、最も忌避すべき事態を引き合いにだしたのだ。当然の結果と言えるだろう。

 あの始まりの部屋で、誰にも邪魔されない時間を過ごすこと。たったひとり、他の何も考えず、ただひたすらに答えを求めて。それは世界を救わないために必要なことであり、そしてその成果は、お互いにとって大きな意味を持つ筈だった。



「商売繁盛のお守り、ですか」

「全財産つぎ込んだので、丁重に扱ってください」

「……。ちなみに、いつかの夜の神子が持ち込んだものと言われているようですよ」


 すっとぼけた私の発言を華麗に黙殺しつつ、宰相補佐官は彼の手の中にある小さな懐刀をじっくりと観察しながら言う。


「今考えると不思議ですね。どう見ても短剣の亜種に違いないのに、あの日貴女がそれを刃物として扱うまで、そうと認識していなかったように思います。ただの……迷信じみたお守りだと」

「でも、本物よりは小さいんじゃないですか」

「知っているんですか?」

「特に詳しいわけではないですけど。まあ、一般的なものだと、護身用――みたいな?」



 懐刀、あるいは懐剣と呼ぶのが正しいだろうか。自身の適当な知識を披露するわけにもいかず、当たり障りのない説明でお茶を濁す。護身とはいえこの小ささでは、相手が屈強な身体をしていた場合、筋肉に阻まれそうである。

 もっとも私は、そういう意味での護身をそれに求めたわけではなかった。自身の薄っぺらい胸を、痩せた首を、難なく貫けるくらいの力はあると思わせられれば――――上等。



「今は観賞用とか、歴史的価値のある骨董品とか。色々と規制もありますし、本来の意味で持つようなことはないと思います」

「…………」



 もしかしたら地域によっては、商売繁盛のお守りとして祀るところもあるかもしれない。守り刀と表現すれば、いかにも邪気を祓えそうだ。案外、そういう用途で作られたものが持ち込まれた可能性もある。と、私が大人しく在りし日に思いを馳せていた時だった。



「――ラギ。ひとつだけ、いいですか」


 固さの残る声が、私の耳を打った。


「? はい。なんでしょう」

「私の仕事は、この国を守ることです」


 唐突にも思える不自然さを隠さずに彼は言う。


「それが外敵でも、身内でも。また他の何かであっても。この国を脅かす全てのものから、私はこの国を守ります。己のすべて、己の使えるものすべてを利用して」



 それは単なる宣言のようでいて、しかしまったく異なる意味を含んでいると気付いたのは、彼の声音が今まで耳にしたことのないくらい温度を失っていたからか。無感動な色、いや、逆に激情を押し隠しているようにも聞こえる。



「今回はまだいいでしょう。落ち度はこちら側にありますし、そもそも衝動的なものであったと明らかです。……覚えていない貴女にこう言って通じるかは疑問ですが」

「…………」



 確かに私はこの状態に陥った理由について見当をつけた。だが、それだけだ。その原因についてはまったくわからない。考えようともしなかった、と思う。こうして意味深に水を向けられた今でさえ、さほど気にならないので聞き返さなかった。

 私の沈黙をどうとらえたのだろう。宰相補佐官は軽く首を振ったあと、布越しに強い光が降り注ぐ窓へと近づいた。――光と影のコントラストが、一瞬、彼の表情を覆い隠す。



「私にとっての最悪は――この世界が『救われる』ことではありません」



 勘違いをなさっているようなら、訂正しておいてください。そう続いた言葉に、私はひとつ、瞬きをした。咄嗟に返すべき言葉が浮かばず、沈黙が部屋に満ちる。彼の、強く断言するような口調に気圧されたわけではない。意外だとか、そんなことを思ったわけでもない。どちらかというとそれ以前の話だった。


(……でも、だって)


 宰相補佐官の言う最悪とは何か? 冷静になって考えてみると、その答えは自ずと知れる。問題はそこじゃない。重要なのは、彼がどういう意図をもって、今、私にそう告げているのか、だ。



 夜の神子の祈りの間で、抜身の刃物を手に国側の人間と向かい合った。それからの、商売繁盛のお守りと嘯きつつ肌身離さず過ごした日々。

 根底には、この世界に蔓延る『災厄』の記憶をちらつかせ、自分が優位に立とうという思惑があったことは認める。確かに今日この日だって、ひとつの意思表明として、象徴として、彼から見ればちっぽけな小さな刃に重要な意味を持たせた。それでも、と私は思う。でも彼は知っているのだ。脅しは脅しであって、それ以上でも以下でもない。切り札は永遠に切り札のまま。

 秘密箱の中身を使って命を落とした夜の神子たちが確かに存在したのなら、私が“やらかした”だろうことでさえ、愚にもつかない茶番でしかない、と。


(でも、その言い方だと、まるで――)


 まるで私が。



「もし、貴女が、明確な意思をもってそれを天秤にかけるのなら。私はこの国を守るものとして動かざるを得ません」


 頭の中で渦巻く思考を読み取ったかのようなタイミング。言葉を挟む隙がない。


「ああ、その場合は、やむをえず確証のない可能性に賭けることもあるかもしれませんね。……たとえば、災いを引き起こす『直接的』な原因について検証する、というのはどうでしょう?」

「――――」



 ちなみに彼の持論はこうだ。“災いの原因は、夜の神子の自殺ではない”、“夜の神子の『死』ですら、災いには関係がない”、“夜の神子の強い『意志』によって、引き起こされたもの”。それを前提として、この嫌味たらしいほどに婉曲的な言い回しを曲解すれば、だ。


 ――朝日を拝めるとは思うなよ、というやつである。


 いや少なくとも私はそう解釈した。現状、私がかの藤堂兄妹に匹敵するだけの『強い意志』とやらを持ち合わせていないだろうことを思えば、彼の言う可能性に賭ける価値は十分にある。鍵のかからない部屋、傍にずっと人が居ても気付かず眠りこける私。ああ、まったく何の障害もない。気付かぬうちに終わるのなら呪う暇もないということ。

 まあ彼が言いたいのは、世界の存亡を取引に使うなという忠告なのだろうが……うん、なんていうか、これは。



「びっくりするほどえげつないですね!」

「貴女には到底かないませんけどね!」



 はは、うふふ。薄ら寒いにもほどがある会話を交わしながら、おかしな冗談であったかのように私達は笑う。ううむ、流石は一国の宰相補佐官と言うべきか、いやに現実味のある話をしてくる。ど素人の私とは違って脅し方が半端ない。

 ひとしきり笑いあった後、宰相補佐官はおもむろに懐刀を持ったままこちらに背を向けた。その背中をじとりと眺めつつ、思うことはひとつ。


(…………怖っ!)


 事前通告してくるだけ、まだマシなのかもしれなかった。





 あれから特に会話を交わすでもなく、お互い所定の位置に戻った。彼は書類に向き直り、私は再び本を手に取る。時間は取らせないと言った以上用が済めば大人しく時間が過ぎるのを待つしかない。他に何もすることがなくて、私は意味もなくもはや背景と化した字面をなぞった。

 ああ、でも。一度は覚えたことがごっそり抜け落ちたこの気持ち悪さは、本当に筆舌に尽くしがたいものがある。読めなくなった文字。聞いた端から忘れていく彼らの名前。自分の感情の動きさえ、どこか鈍いような印象を受ける。


(……うん?)


 そこでふと、奇妙な感覚に襲われた。既視感? 違う、確かに覚えがある。私は思わず文字をなぞる指を止めて記憶を探った。そうだ。以前私はいつもこの感覚を味わっていた筈だ――あの城下町で。毎朝のように。


(……元に、戻った……?)


 あの頃の私にはそれが常のことだったと思い出す。夜寝るまでは覚えていても、朝が来れば半分以上忘れていた。それが明らかに変化したのは私がこの城に来てからだ。もっと正確に言えば、夜の神子の祈りの間で、掃除と称して謎の物体Xを集めだした頃ではなかったか。


(ならどっちが、私にとって異常なのか――)


 この世界のものを何一つまともに覚えられなかった時間と、たった数日間でそれが覆った事実。どちらがそうあるべき状態なのだろうか。

 自分がこの世界にとって異物である自覚がある以上、簡単に答えを出すことはできなかった。同時に、答えを出したとしてもすぐ無意味なものになる可能性が高いと知っている。


 私はこれから、世界を救わない術を見つけるために、己の目的のために、あの始まりの場所へ赴くのだ。あるいはそこで、私の中の何かが変質するのだとしても。



「――……ラギ?」

(っ!)



 しまった、とその瞬間に思う。直後にそう思ったことを後悔した。やがて宰相になるだろう男の前で無防備にも考え事をしてしまった自分に舌打ちしたくなる。表情を取り繕う暇もなかった。何か言い訳をと口を開きかけた『私』をよそに、彼はもう一度繰り返した。



「……ラギ? 眠ったんですか?」



 問い掛けは『私』を通り越して、背後へ。つられて振り向いたその先には、私が、身体を椅子に預けて静かな寝息を立てていた。開いた本を膝に乗せたまま。その光景にぎょっとして思わず飛び退いたにもかかわらず、宰相補佐官は特に反応を見せない。『私』が見えていないのだと、すぐにわかった。


(え? 嘘、え、……っまた?!)


 状況を把握してすぐ、これは初めてのことではなかったと認識する。少し体調が良くなって久しぶりの食事をもらったときだ。黒い人と若白髪が居た。

 そう、あの時は確か、若白髪が持ってきた美味しそうなスープの匂いにつられてふらふらと私に近づけば、いつの間にか戻っていた。こんなことになっていたなどとすっかり忘れて、食事にがっついたのを覚えている。では今は? いったいいつから?


 答えの出ない自問自答を繰り返す『私』をよそに、彼は執務机から離れ、更に距離を縮めてきた。数秒待ち、私が深い眠りに落ちていることを確認すると、どこか躊躇うようにゆっくりとその手を伸ばす。起こすことのないよう気を遣った、労わるような手つきに息を呑んだ。



「――――  かわいそうに 」



 ぽつりと零された彼の言葉が、心のどこか、やわらかいところを突き刺すような気がして。

 『私』はたまらずその場から逃げ出した。


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