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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第三章
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あなただけ、という「特別」

 それは、他の誰でもない、この人にだけ効く魔法の言葉だった。



「祈りの間に、……こもる?」



 何が言いたいのか理解できない、といった様子で宰相補佐官は私の言葉を繰り返した。こちらを探るように、ほんの僅か、眇められた目。訝しげな声音が求めていることは明白だった。

 しかし私はあえてそれには答えずに、ついと視線を逸らして扉の方を見やる。もちろん衝立に遮られ扉そのものを見ることはかなわない。ただ、扉までの距離、私達の声の大きさ、たとえばその向こうに誰かが居たとして、この会話が漏れ聞こえたりしないよう色々と注意を払わなければならなかった。


 もっとも、この部屋の主である彼が割と遠慮なく叫んでいるところを見ると、ある程度の防音性はあるのかもしれなかったが。



「ラギ、どういう意味ですか」

「意味って、まあ、そのままなんですが」


 宰相補佐官の固い声とは対照的に、私のそれはひどくあっけらかんとした響きをもっている。


「とりあえず私が部屋の外で活動を許されている間はずっと、祈りの間に引きこもるつもりです」



 この世界での朝、昼、夕方。太陽が昇り昼と夜の『狭間』が訪れるぎりぎりまで。今まで特に予定がなければ大抵例の倉庫に足を向けていたが、その時間さえもすべてつぎ込んで、私はあの場所へこもる。



「本音を言うと、寝泊りしたいくらいなんですけどね。さすがにそれは無理があるかなと」

「いえ無理があるとかないとか、っそれ以前の問題ですよ!」



 多少掃除をしたとはいえ、寝泊りするとなるとあの荒れ果てた空間では屋内なのに野宿になる。探せば近くに夜の神子専用の部屋があるだろうが、人が住める状態かどうか怪しいものだった。

 目の前で何やら喚いているのを聞き流しながらそんなことを考えていると、私の手の中にあるモノのことなどすっかり忘れてしまった様子で、宰相補佐官は焦りを隠せないまま矢継ぎ早に言い募った。


曰く、夜の神子の祈りの間は特殊な場所だから、ずっと護衛を置くことはできない。

曰く、基本的に誰も近づかない区画とはいえ、勉強会や食事などで一日何度も行ったり来たりするのは人目につく。

曰く、対外的には光の巫女候補として城に置いている以上、『光の巫女の補助をする』という意味合いを超えるととられかねないような行為は慎むべきだ。どこから何が漏れるかわかったものではない。



「それは我々にとって最も避けたい事態です。ですから、そもそも許可が下りませんよ。いくら貴女の頼みでも――――」

「私別に、お願いなんてしてませんけど」



 空気が凍る、という言葉は、まさにこの瞬間を表すためのものだったと思う。



「……え?」


 いま、何と。呆然と落とされた呟きのようなその問い掛けに対し、私ははっきりと一言一句同じ言葉を返した。


「わたし、べつに、お願いなんてしてませんけど」



 心もちゆっくりと。万が一にも聞き逃されることのないように、明確に。私の言葉が彼の脳に浸透し、その意味を正しく理解してくれるまでの間、じっと辛抱強く待った。

 この人が不意打ちや予想外な出来事に割と弱いことはもうわかっている。つけこめる隙があるとすればそこだ。ただ立ち直るのも早いので、そう悠長に構えているわけにはいかないのが難点だったが。



「っラギ――」

「私は」



 先ほどと同じくタイミングを見計らって声を上げる。私のきっぱりと強い意志の篭った言葉に怯んだように、宰相補佐官はぐっと息を詰まらせた。彼が自分を取り戻さないうちに、元来の冷静さに支配される前に、今度は私が追い打ちをかけるように畳みかける。



「護衛はいらないと思います。あの場所、守護符とやらがあっても迂闊には近づけないんですよね?」



 脳裏に浮かぶのは、普段何事にも動じずどっしり構えている侍女頭が、逃げるように去っていくあの姿。私があの時彼女が感じていた「何か」を知ることはないだろう。私が、夜の神子である限りは。



「こもった後、一応私も『祈る』わけですから、絶対に中には入れないんじゃないかと。だから送り迎えさえしてくれれば結構です」



 神子が祈ると、祈りの間が闇に支配され、それに触れた人々は正気を失う――と、宰相閣下が語ったことが事実だと仮定しての発言だった。神子の意識がない状態ではその限りではないかもしれないとか、守護符の効力がどこまで影響するかとか、そういう細々とした事情は一旦脇に置いておく。



「それから。こもるって意味、勘違いしてませんか? こもるって言ったら一日中ですよ。その間勉強会はお休みしますし、食事はお弁当――って通じないですよね。ええと、朝入るときに、何か腐りにくいものを持ち込んで中で食べます」


 自然現象を我慢できるかは考えない。


「あとは……私がこもる対外的な理由、でしたっけ?」



 こうやって好き勝手にぺらぺら喋っている私でも、流石に彼の危惧しているところはわかる。私のことが露見すれば、最悪、この国は終わるからだ。結果的に太陽が失われることにならなくても、再び世界を危険に晒したという事実は消えない。

 果たして二度目の過ちは許されるだろうか? 世界から完全に孤立した国がどれだけ悲惨な末路を辿るか、想像するだに恐ろしい。そしてそれは、元の世界に戻るために、この国に残されているだろう記録や技術をあてにしている私にとっても避けたいところではあった。


 でも、と私は思う。――それとこれとは別問題だ、と。



「ないなら考えてください」



 ぱしり。手の中で、私の切り札である懐刀が乾いた音を立てた。



「あ、……貴女は、自分が何を言っているのかわかっているんですか?」

「ええ、もちろん」



 いわゆる、世間一般で言うところの無茶ぶりというやつである。私は自分の主張だけを掲げ、細かいところはすべて宰相補佐官に丸投げした。力いっぱいぶん投げた。

 彼はその剛速球を受け止めることもできず、ただわなわなと身体を震わせては口を開閉している。かわいそうに、貧乏くじを引かされるタイプだなと同情しつつ、それでも要求を取り下げるつもりはないので私は最後のとどめにかかる。



「……ここだけの話なんですけど」



 ほんの少し声を抑えて。周囲を窺うふりをして。まるで深刻な――ある特定の人間だけにはそうかもしれない――話をするかのように、私は真面目な顔を作って言葉を紡いだ。



「最近私、『光の巫女の補助』をしてるじゃないですか」

「……そう、ですね。……それがなにか?」

「以前、あなたが仰っていた意味がようやくわかりました。ついこの間まで半信半疑だったんですけど」



 訝しげにしながらも、続きが気になるのか宰相補佐官は私の言葉を遮ることなく話を聞く体勢を取ってくれる。そんな彼の不幸なところは、私という存在と、利害が一致してしまったことかもしれない。



「確かに私は、夜の神子とやらの力を持ってるみたいです。だってこのまま続けると――――近い将来、ほぼ確実に、私は世界を“救い”ます」



 おそらくは、かつて夜の神子だけが祈りを捧げていたときよりもずっとはやく。

秘密を打ち明けるような密やかな声で端的に告げた“事実”は、他の誰でもない彼にだけ効力を持つ、まぎれもない脅迫だった。








 神子は夜そのものを正常化し、巫女は夜の侵食から昼を守る――と彼自身が語ったように。

 どこまでも白い世界の中をさまよううちに、私は確信した。謎の物体Yに対するアプローチが違う、と言うべきか、光の巫女と夜の神子とではそもそも『祈り』の方向性が違うということ。


 そして思いついたのは、……断言はできないにしろ、二人が同時に祈ることで光の巫女ではなく夜の神子が補助されていた可能性。


(そしてこの人は、その可能性を無視することはできない)


 この世界にとって私は異物でしかなかった。けれど彼もまた、異端だと評するべきではないだろうか。

 夜の神子などどこかでのたれ死ねばいいと言い切り、光の巫女の寿命を延ばす試みは許しても、その根本を解決するなと釘を刺した。人々と接触して感じたこの国の総意とは明らかにずれている。そして、そんな思想の持ち主だからこそ、『私の』共犯者たりうるのだ。



「無理を言っているのはわかってます。だから、ほんの数日でいいから私に時間をください。世界を救わないで済む方法を見つけるために」



 それを受け入れてくれるのなら、私は、私の唯一の切り札を彼に明け渡す用意がある。それは暗に、二度と自ら命を絶たないと宣言するための意思表示。受け取った後それをどうするかは彼の自由だ。国側の人々に伝えるもよし、反対に、回収したことを秘するもよし。どうやって手に入れたのか説明できないなら、後者を選ぶ可能性は高いだろう。

 あるいはこの懐刀のことがなかったとしても、彼の協力を得る条件として世界を救わないと約束した手前、お互いにこの状況を見過ごすわけにはいかないと知っている。



「私、基本的に約束は守る主義なんです。……守らせてくれますよね?」



 世界を救われたくなければ――なんて、どんな悪役もそんな台詞を吐きはしないだろうに。内心そっと自嘲して、私は彼の回答を待った。

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