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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第三章
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ハブ対マングース ふたたび

 私が夢うつつのような生活を過ごしていた間に、いつのまにか無くなっていたものがある。財布の中に隠していた秘密箱の中身と、綺麗なリボン。でも、それだけだった。それだけ、だったのだ。




 ごん、と鈍い音が部屋に響いた。発生源は言うまでもなく宰相補佐官の手元である。音につられてあらぬ方向を見ていた視線を戻すと、執務机の上には、私の為に用意されたものとまったく同じ器があった。木製の、素朴で、丈夫そうな、この部屋にはまったくそぐわない雰囲気を持つモノ。

 恐らくそれを机に叩き付ける勢いで置いたのだろう彼は、耐えきれないと言った様子で叫んだ。



「あ、……っ貴女まさか、『覚えて』いるんですか!?」

「いえ、ぜんぜん」



 応えはすぐに、そして思ったよりも平坦な声が出た。あれだ、目の前でひとり燃え上られると、こちらは逆に冷静になるというよくある話。私は平然としたままお茶をもうひとくち啜って、でも、と言葉を続ける。



「今ので確信した、って感じですかね」

「――――!」



 唖然と。言葉もない、といった様子で彼は立ち竦んだ。信じられないものを見るような目で私を凝視している。単純な、言葉遊び程度の引っ掛けに惑わされた自分に気付いたのだろう。

 いやはや、宰相補佐官とあろうものが、主語も述語も目的語もはっきりしていない文章に過敏に反応しすぎである。彼は何かを言おうとして止める、ということを幾度か繰り返し、やがて諦めたかのように、己の椅子にずるずると座り込んだ。



 私があの寝台で目を覚ましてから今まで、ずっと黒い人が傍にいた。それこそ常に。文字通り常に。ということは、ずっと見られ続けていたということになるし、それゆえに、私のおかしな状態も当然彼らに知られていただろう。しかしぼんやりとした記憶を探っても、それに対する何らかのアクションがあったとは思えなかった。

 つまり、彼らは選択したのだ――現状維持を。そして現状維持を望むなら、『覚えているのか』などと問うべきではない。



「失言、どうもありがとうございました」

「感謝の欠片もない顔で言わないでください」



 半眼で睨まれても、がっくりと肩を落としながらではまったく怖くない。恨めしそうな声がむしろ笑いを誘うほどである。私は手の中の器を弄びつつ、どろりとした何かが身の奥で蠢くのを感じながら――ゆっくりと目を伏せた。






 鈍い痛みとともにあの寝台の上で目を覚ましてから今まで、ずっと傍に居た黒い人。それこそ常に。文字通り常に。

 風呂に行きたいと言えばついて来た。自然に呼ばれてもついて来た。着替えるときだって、私に背を向けただけで部屋から出ていくことはなかった。視線がこちらに向いていない時でさえ意識を向けられていると感じた。


(……なぜ?)


 警戒をしていたのだと思う。しかしそれは、おそらく外敵に対してではない。いつだって彼は他でもない私を見ていた。私を監視していた。私を。私だけを。

 多分、彼は、私を護衛してなんかいなかった。



 私にここ最近の記憶がないのは『事実』である。怪我をした理由も、寝込んだ理由も、この世界の人たちの名前を思い出せなくなった理由も、『わからない』。でも――『わからない』なりに――見当をつけることはできる。

 着替えると言って黒い人に背を向けさせ、その間に自分の荷物を調べたり。また、彼が運ばれてきた食事を受け取るために扉へ向かった隙に、そっと枕元を探り、あるべきものがちゃんとそこにあるか探したりもした。


 もちろん集まったのは状況証拠だけで、物的証拠はどこにもない。確証は得られなかったがそれでよかった。だって、真実を知りたければ黒い人に聞けばいいのだ。答えは目の前にある。私はそれがわかっていながら、問いかけることをしなかった。ただ内へ内へと篭ることを選んだ。そう、私だって、現状維持を望んだのだから。



「あ、もういっかい言いますけど、私、やりませんから」


 ひと際明るい声を意識して、私は宰相補佐官に宣言した。あえて、何を、ということについては明言を避ける。


「前に言ったと思うんですけどね。痛いことは嫌いだって」

「……それは、確かに、聞いた覚えがあります」



 彼はどこか憮然とした色が滲む声で応えた。その姿を見ていると、夜の闇が支配するあの空間で相対したときと今とでは、随分と印象が違うと思う。もしかしたらそれは、お互いに、なのかもしれないが。



「はい。だからやらないですよ、もう」

「だからってなんなんですか!」



 なんなんでしょうね。と反射的に返しそうになったが、火に油を注ぎそうなのでやめておいた。彼は大声を出したことを誤魔化すように少し咳ばらいをして、それでも冷静になり切れずに文句を垂れる。



「ああ、まったく。いつも貴女は突拍子もないことばかり……。貴女を一日引き受けるなんて話が出たときから、嫌な予感がしていたんですよ、もう!」

「わ、さっすが宰相補佐官どの!」


 ぱちぱちぱち、おどけた調子で拍手を三回。


「――――勘が良いですね」



 私は部屋を出たときから腰に忍ばせていたものを引き抜いて、彼によく見えるように置いた。鞘に入ったままのそれは光を反射することはない。あの日私が全財産をつぎ込んで手に入れたもの。

 それは小振りなくせにひどく重い、私の、切り札だった。




 記憶の中にある空白の期間。そのうちにあの部屋からなくなったものはいくつかある。まず、枕元に置かれていたガラス製の水差しとコップ。これは城の備品なので、いつ持ち去られても文句は言えない。そして私の荷物の中にあった筈の、お菓子についていた綺麗なリボン。財布の中にひっそりと隠した――“選択肢”。

 前者はともかく、後者が失われたと気付いた瞬間、正直、私は彼らを疑った。根拠がないにもかかわらず、彼らが私の意識がない間に私の荷物を探り、最悪の可能性を考慮して持ち去ったのではという疑念が頭を支配した。


 その疑念が打ち消されたのは、相変わらず枕の下に置かれていたこの懐刀を目にしたときだった。もし彼らがそういう意図で手を伸ばしたのであれば、それより遥かに危険で、手軽で、なおかつ見つけやすかっただろうこれを見逃す筈はない。

 そこまで考えが及んだ時、私はあるひとつの結論に辿り着いた。言葉にするなら――私がやらかしたのかもしれない、という可能性。そして気付いてしまえば、『おかしい』私を取り巻く環境の異常さにも、すべて説明がついてしまう。



「――――」



 今度は完全に言葉を失った様子で、宰相補佐官は硬直した。ちらりと窺っても視線が合わないことから、私より懐刀に気を取られているのだろう。



「最初に色々条件をつけた私が言うのもなんですけど。これはいつか、何か尤もらしい理由をつけて、取り上げられるんじゃないかと思ってました」

「……、……約束、したでしょう。貴女のものは奪わない、と」

「無理に何かを奪わない、ですよね?」

「…………」



 沈黙は雄弁な答えだった。彼がその台詞を吐いたとき、無理にでさえなければ取り上げても構わないだろうという考えはなかっただろうか? そしてだからこそ、ひどく意外に思うのだ。彼らがこれを、一時的にでも、私から奪わなかったことを。

 私は一度置いた懐刀をふたたび己の手の中に取り戻し、まっすぐ正面から睨めつける勢いで宰相補佐官を見据える。



「共犯者としてのあなたに、話があります」


空気が変わったのを感じたのか彼は弾かれたように顔を上げ、絡まった視線がばちりと火花を散らす。


「話、ですか?」

「はい。あ、でもすぐに済みますし、大丈夫です。お仕事の邪魔をするつもりはないというか、もしあれだったらお昼休憩のときにでも」

「いえ、今至急の案件はないので、ご心配なく。……食事の味がしなくなっても困りますので」

「あはは、じゃあお言葉に甘えて」


 否定は、してあげない。


「そうそう、ちなみに、話の流れによってですけど。このお守り、しばらくあなたに預ける用意がありますよ」

「はっ!?」


 見せびらかすようにそれを振りつつ、私は真面目そうな顔つきをつくって、本題に入ることにした。


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