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薄闇の眠りを  作者: 吉舎街
第三章
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目的と、それに至る道

 痛みはありますか? はい、まあ、わりと。眩暈を感じるようなことは? ……いえ、特には。


 とても静かなやりとりだった。男が問い、女が答える。言葉だけを見れば相手を気遣うようなそれでありながら、どこか事務的な響きを持った質問の数々。矢継ぎ早に投げかけられるが、問われた側は、常に一定の調子を保ち言葉に詰まることはない。


 ――では、今の気分はどうですか?



「ああ、なんだか……やけにすっきりした気がします」

「…………」



 変化を見せたのは男の方だった。仮にも体調を崩している相手に対し、間髪を入れず無遠慮に問いかけていたのをぴたりと止め口を引き結ぶ。そして、不自然なほど長い沈黙ののち。



「それは、よかったですね」



 何とも言えない表情を浮かべ、男――若白髪は言葉を紡いだ。辛うじて体裁を保った、というところか。女――私はその様子には気付かないようで、ありがとうございます、と当たり障りのない言葉で応えていた。


 寝台の上に身を起こしただけの私と、その枕元に近い椅子に座る若白髪。少し離れたところに、背景と同化するような気配のなさで黒い人が佇んでいる。私はとてもリラックスした様子で大人しく若白髪の診察を受けているようだった。

 他愛のない話。穏やかな時間。まるで何事もなかったかのような。――その、どこか歪な光景を、“外側”から眺めている、もう一人の『私』。



「食欲はありますか?」

「……少しなら」

「吐いてもいいから食べなさい。長い間、水しか飲んでいないでしょう。君に死なれると困りますから」



 それは決して優しい言葉ではなかった。含まれているものは明白で、私個人に向ける言葉としては、元々彼が他の人間よりもずけずけと物を言うことを差し引いても、こちらの事情を鑑みない随分と身勝手な言いようである。


(わー、煽るなあ)


 『私』は他人事めいた感想を抱きながら若白髪を見やった。彼が見た目通りの胡散臭い男であることは重々承知している。だからむしろ、あえてそういう表現を使うことで、私に揺さぶりをかけたかったのかもしれないが……。

 そうですね、と私は呟くように肯定した。部屋に再び沈黙が落ちる。



「……、君、まだ寝ぼけているんですか?」

「寝ぼけて……? どう、でしょう。気分は本当にすっきりしているんですけど」

「――――。……それは、よかったですね」

「? はい」



 ありがとうございます、と私は言う。ほんのついさっき同じやりとりを交わしたばかりだというのに、その表情に変化はなかった。対する若白髪は呆れたような、疲れたような、あるいは苦虫を噛み潰したような色を浮かべている。

 コントか。笑えないけど。思わず『私』の口からもれた言葉は、誰の耳にも届かず消えていった。





 なぜこの状況になっているか、その理由を、『私』は説明することができない。寝て起きたら幽体離脱していた、なんて普通なら夢の一言で片付ける。流石の『私』も今度はきちんと悲鳴を上げて飛び退いた。

 驚いたことに、それなりの音量で響いた筈の悲鳴――半ば奇声だったかもしれない――は、眠る私の枕元に変わらず控えていた黒い人には聞こえなかったようだった。まだ居たのかこの人、と八つ当たりの言葉を吐きつつ、何はともあれ取りあえず定石通りに元の体に戻れないか試してみようとした『私』の、目に飛び込んできた、金色の光。


(ああ……)


 なんて似合わないんだろう! それが、自分の顔を久しぶりに直視した感想だった。身も蓋もないがそう思ってしまったのだから仕方がない。西洋人に比べればのっぺりとした顔つきに、きらきらと光を受けて輝く金髪はおかしいことこの上なかった。違和感しかない。

 うわあ、と『私』が口元を引き攣らせドン引きしていると、その時まで微動だにしなかった黒い人が何かに気付いたように顔を上げた。突然のことに肩がびくつくが、彼は、思わず警戒態勢を取った『私』のすぐ傍を通り抜けるようにして、扉へ向かっただけだった。


(で、勝手に部屋へ人を招き入れる。と)


 そうして今に至るのだ。プライバシーもなにもあったものじゃない。『私』は未だに不毛としか思えない会話を続ける私と若白髪を軽くねめつけた。最初こそ彼の登場に戸惑ったものの、そう経たず目を覚ました私とのやりとりを聞けば脱力するしかなかった。傍から見ればその噛み合わなさは一目瞭然である。探り合い――にもならない。一方通行の会話。



「君は……」

「はい」

「……っ、何か用意させるので、そのまま寝ずに待っていてください」

「はい。――待ってます」



 調子が狂うのか、いつもの毒舌が見当たらない若白髪がそう言い置いて部屋を出ていく。黒い人は動かない。すると、僅かな音を立てて扉が閉まった途端、私が寝台の上にぱたりと身体を伏せた。



「……ラギ? 寝るなと言われただろう」

「大丈夫です。寝ません」

「おい、待て。目を閉じるな」

「寝ませんってば」



 声だけ聞けば微笑ましい会話も、その片割れが自分だと思うとぞっとする。『私』は目の前の光景から目を逸らし、ただ独りきり、思考の海に身を沈めた。




 『私』には何もなかった。あの男への憎しみも、彼らへの苛立ちも、……彼女に抱いた筈の、誰かに干渉された友情さえも。だからこそ、今、誰にも何にも邪魔されず自分のことだけを考えられる。


 元の世界に帰りたい夜の神子と、『選定』を正したい光の巫女。


 移動範囲はこの城の中だけ。協力者はたったひとり。それも共犯者という意味合いであって、味方はいない。さて、この現状で、優先されるのは前者か後者か。どちらの願いがより重いか、なんてそう単純な話ではない。共犯者である彼にとって、今どちらが優先すべき目的かどうか、だ。

 もっと言えば、いかにこちらの目的を優先させるか――。


 『選定』は既に歴史と化している。人々の無意識下に刷り込まれた習慣。それは、この世界を形作るもののひとつと言っても過言ではない。幾世代にもわたって続けられてきたことを、誰も疑問には思わない現実を、そう簡単に動かせるとは思えなかった。もちろん本人だって、そんな希望的観測を抱いているわけではないだろうが。

 それでも彼女には、人より短い命という時間制限がある。死にたくないと言いながら、『選定』を正すためならその命を投げ出すことも厭わないだろう彼女の姿が、ありありと手に取るようにわかった。恐らく、その意志は固い。


 強い想いは人を動かす。そこに命が掛かっているのなら、尚更のこと。


 では、もし、彼女にその制限がなかったら? 不測の事態は別として、この先何十年という時間が、他の人間と同じように与えられたとしたら? 目的に向かって進むことのできる時間が、今より遥かに延びたなら。


(天秤がどちらに傾くか――)


 試す価値があると、『私』は思う。巫女の願いを、共犯者の望みを、阻害しない“やり方”を見つけ出す。彼らだって、いつ爆発するともしれない異物をいつまでも抱えていたくはない筈だ。



「お待たせしました」



 若白髪が戻ってきた音で、『私』は現実に帰る。彼がお盆に乗せて持ってきたのは、湯気立ち上るスープのようだった。くたくたに煮込まれているだろうそれは、ひどく胃に優しいに違いない。とても美味しそうだ。



「ルート、少し運ぶのを手伝って……っラギ、私は寝るなと言ったでしょう!」

「……。……いえ、寝てません。目を閉じてちょっと横になってただけです」

「――――――」



 叩き起こせ。了解した。言葉にすればそんなやりとりだったかもしれない。男達は視線だけで会話し、見事な協調性を見せながら怠惰な様子の私に食事を取らせるべく動き始める。

 ああ、そういえば、お腹が空いたかもしれない。暖かな食事の匂いにひかれるように、『私』は、まるで自分とは思えない私の元へと再び足を進めた。




 白い空間、闇色の絵画、透明な額縁。――それらがすべて、この世界そのものを表しているとしたら。私にも、出来ることがあるような気がする。


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