まずは、根底を覆すことから
――無理はしないで。そう、エルに言われた。
ここ最近色々ありすぎてこなせていないが、私が日課としている倉庫捜索をやめて、今日はこれからネヴィのところへ行くことになっている。それもこそこそ会いに行くのではなく、公式に、次期光の巫女候補として、である。
「光の巫女の寿命を延ばす為の研究に参加する」――という設定――旨、周辺に説明しておくと昨日宰相補佐官から聞いている。だから昼食を食べ終えた頃にやってきたいつもの三人のうち、黒い人にどういうことかと尋ねられたとき、シュルツさんの意向ですと全力でぶん投げておいた。
顔を顰められたが私の知ったことじゃない。心配そうに私を見下ろす黒い人とエルは言う。研究の内容は分からないがとにかく無理をしないように、と。
(……じゃあ、やめてもいいって?)
大丈夫ですよと浮かべる笑顔の裏で私はそんなことを考えていた。光の巫女の寿命を延ばすこと自体は歓迎すべきことで、やめられたら困るくせに。捻くれた思考が巡るのは、昨日今日と続いた話があまりにも――ひどい、ものだったからか。
護衛するという仕事以外、私には微塵も興味がありませんという態度を取る色白騎士を見習えばいいのに。こちらに視線もくれず扉前で佇むその冷淡さが、今の私には楽だった。
知らぬ部屋に通されるとまず、強い花の薫りに襲われて少し咽そうになった。その方向に視線をやると、扉の近くの家具に置かれた花瓶には大ぶりの花がいくつも活けられているのが見える。似ているようで、似ていない花の数々。
「あ、ラギ。こっちこっち!」
先に来ていたらしいネヴィの声に気を取り直して中へと足を進めたが、彼女の隣にいる宰相補佐官の顔を認識するとまたどんよりと気分が落ち込んでしまった。これからやることを思えば気が滅入るばかりである。
「それで――」
用意された席に着き、私は机の上の資料を眺める。読める部分もあるが読めない部分の方が多い。歴代光の巫女の資料であることだけはわかった。私の隣にネヴィ、机を挟んで宰相補佐官が座っている。会議、と言ってしまってもいいかもしれない。議題はもちろん、『選定』について。
「そもそも、誰が決めたんです? その選定方法」
胸糞悪いと思いつつ投げた、私のざっくりとした疑問に二人は黙り込む。この国で生まれ育った彼らにはごく普通の、決まりきったこと。普遍的な価値観、という言葉がぴったりだと思ってしまう。
光の巫女になるのに何だかんだと条件があるのは『選定』がそういう条件で反応するからだ。そしてネヴィの体験が『選定』自体の信憑性を失わせている以上、前提条件から覆して考えなければならない。
生まれ持った常識を疑うのは難しいのか、まだ答えはなかった。部屋に横たわる沈黙、私はふと、先日のネヴィの話を思い出していた。
ぶっ倒れた私を介抱して寝入ってしまった彼女が、目覚めた矢先に、私に促されて宰相補佐官へ自分の望みを言ったときのこと。私は彼女自身が話すことだからと口を出さなかったが、ネヴィは少し話を変えていた。正確に言うなら、『選定』の異変を伝えるうえで、彼女は自分と先代光の巫女との関係についての一切を隠し通したのだ。
とにかく、宰相補佐官は『選定』の異変を知っていてもネヴィが先代巫女の妹であることは知らない。どんな意図でそうしたのかは――……。とりとめのない思考は、何かを堪えるような宰相補佐官の硬い声に霧散した。
「……この国の、研究者達だと思います」
「この国? 災いに対する研究は、全世界の協力のもと行われたんですよね?」
「はい。そうして、光の巫女の存在を作るという結論を出しました。方法については選出する国に一任すると」
「…………」
流れとしては別におかしくないな、と思う。犠牲を出す国がその詳細を決めるのは不思議じゃない。諸悪の根源であり全ての責任があるとはいえ、継続して命を差し出す国が、そうでない国にあれこれ指図されたくはなかっただろう。
(そうだとして、どこから取り掛かるべきか)
ううむ、と私も二人と同じように考え込む。幸い、光の巫女制度が出来てからたかだか百年しか経っていない。夜の神子に比べれば、資料もその正確さもまだマシだと思っていい筈だ。
「だったら、最初の……一番初めに光の巫女になった人は誰ですか? 記録、残ってますよね」
無いとか言ったらこの国の能力を疑う。そんな気持ちを込めたからか、宰相補佐官は慌てたように一枚の紙を取り出した。特に古い紙ではなさそうなところを見ると、彼が改めて情報を纏めたもののようだ。
「当時の――王族ですね。問題の国王の従妹にあたります。金色の髪、翠色の目を持っていました」
「あっ! その人、今日読んだ本にも書いてあった!」
彼の言葉を引き継ぐ形でネヴィが初代光の巫女について説明する。齢二十。女性ではあるが、王位継承権を有する。この国は条件を満たせば王位に就くのに男女の区別はないらしい。
性格はいたって温厚、突然降りかかったその光の巫女という運命を、民の為、ひいては世界の為になるならと喜んで受け入れた傑物であると伝わっている。彼女を題材にした演目も数多いとのこと。
「『選定』で、『選ばれた』?」
「はい」
あの欠陥だらけの『選定』で? 私は、『選定』がまともに働かなかったところを目の当たりにしている。伝聞でしかその情報を知らない宰相補佐官よりはその事態を深刻に受け止めていた。
『選定』が、百年という時間の流れの中ゆっくりと変質していったのか、初めから欠陥があったのか。ひとつひとつをじっくり検証する時間は、私達にはない。三人だけで集まったこの時間がどれだけの労力を費やして作られたかわかっている。私と違って、彼らは一日に活動できる時間が少ないのだ。限られた時間の中で確実に答えを出していかなくてはならない。
「……。私、前々から思ってたんですけど」
この言葉が彼らを混乱させると知りながら、私はまったく遠慮せずに切り込んだ。
「夜の神子が男女半々なのに、光の巫女は女性だけってちょっと変ですよね。巫女の祈りの間が完全に男子禁制っていうのもなんかこう……作為的なものを感じるというか。女性に限定する明確な根拠ってあるんですか?」
根本を。根底を。ともすれば今まで光の巫女を務めてきた女性達を貶めかねない、それ。私は本来部外者であるが故に躊躇うことはなかった。ネヴィは眉を顰め、宰相補佐官ははっきりと顔を強張らせる。特に後者からの無言の圧力を感じたが、私がその言葉を撤回することはない。
「――それは、よもや、金髪にも翠の目にも根拠がないという話、……でしょうか?」
「あ、よくわかりましたね!」
「っ、わかりますよ! というより、貴女は何を……!」
ネヴィの話を聞いたとき、彼は思った筈だ。『選定』を正せばより強い力を持つ光の巫女候補を探せるだろうと。『選定』からあぶれる者が出ないよう修正すれば良いと。ネヴィが黒目黒髪だった頃に『選定』が反応しなかったのは、何か原因がある、と。
しかし、今の私の主張はそれとは一線を画していた。私はこの国を構成するものの根幹に関わる『選定』の存在意義を疑っている。同じ方向を向いているようでいて、実は全く違う立場にあるのだ。二の句が継げられず硬直する宰相補佐官と、難しい顔をして口元を引き結ぶネヴィに私は両手を挙げてある提案をしてみる。
「一旦、選定のことは忘れてみませんか」
「忘れる、って、どういうこと?」
「なかったことにしましょう。その上で、光の巫女――というか、『祈る』ことができる存在を見つけるんです」
光の巫女という枠を超えて対象の範囲を広げることで、より力がある、より長くもつ人を見つけられたなら。あながち間違ってはいないと、見当違いではないという予感が私にはあった。
光の巫女の祈りの間は、夜の神子のものと構造は同じ。ただ、内装の綺麗さは比べるべくもなかった。ネヴィに連れられて侵入したとき以来だと思いながら私は周囲をきょろきょろと見渡してみる。あの時は暗かったし緊張してもいたからろくに見てはいなかったけれど――ここはまさに祈りの間と呼ぶにふさわしい荘厳さがある。
(カビと埃と苔だらけのあっちとは、ほんと天と地の差)
そして巫女らしい衣服を身に纏ったネヴィが、男神像の前に跪き手を組む。祈る、を言葉そのままに表現したような姿だった。私が『祈って』いる間この世界の誰も神子の祈りの間に近づけない。では逆は、と考えたのが始まりだった。
選定を正す、という彼女の望みが本格的に動き出した以上、私は私にしか出来ない方法で光の巫女の寿命を延ばす手段を見つけ出す必要がある。光の巫女の祈りとやらがどんなものか、一度見てみようと思ったのだ。
(これ、は――)
光、だ。ネヴィは目を瞑っているので見えていないのかもしれないが、彼女の周囲を取り囲むように光の粒が生まれている。それはどんどん量を増やし、祈りの間全体を満たしていく。ぐらり、と頭が揺れた。気分が悪くなったからではない。むしろその暖かな光に包まれて、このまま眠ってしまいたいとさえ――。
祈りを終えたらしいネヴィがゆっくりと目を開く。祈りの後は地面に横たわる私とは違い、すっと簡単に身体を起こした彼女はなぜか暫く己の両手を見つめて突っ立っていた。
「……ラギ、今何か……した?」
「……? いいえ、特に何も」
「ラギが向こうで祈り始めてから、身体が随分軽くなったけど――今日は格別楽だったの。傍に居てくれたから、かな」
ネヴィは嬉しそうにふわりと微笑むと、ありがとう、と言った。




